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第7弾マンホールカードの配布が始まりました [マンホールカード]

今日、5月28日マンホールカードの第7弾が配布開始されました。
第7弾では、全国で49種49自治体が新たに加わりましたが、栃木県内では「栃木県流域下水道」の1枚だけでした。
さっそく今日配布先となっている、上三川町観光協会(休日のみ配布、平日の配布は河内郡上三川町多功の栃木県下水道管理事務所)へ出向いて、とちまるくんをデザインしたマンホールカードをゲットして来ました。
上三川町1.jpg上三川町2.jpg
(休日配布の上三川町、むかしなつかし館)     (マンホールカードの幟旗が目印)

上三川町観光協会の入る「むかしなつかし館」の前にはマンホールカードの配布をPRする幟旗が立てられています。中に入ると係りの人が対応してくれて、アンケートに「県内・県外どこから来られたか。性別・年齢などを記入してマンホールカード1枚を受け取る」
私が配布場所に到着したのは丁度正午ごろでしたが、午前中にどれくらいの人が来ているか興味が有ったので、対応した係りの人に尋ねると、120人位来ましたとの回答でした。
資料によれば、こちらの配布場所の配布時間は、11時から16時の間という事ですから、僅か1時間で120人が貰いに来ている事に成ります。
アンケート用紙を見ると、「埼玉県」からも早くも来ていました。
マンホールカード栃木県流域下水道.jpg
(栃木県のマスコットキャラクター「とちまるくん」デザインのマンホールカード表裏)

今回の配布開始はゴールデンウィークの初日に設定されていますが、この連休中に多くのマンホールカードコレクターが全国各地を飛び回る事でしょう。
私も今、5月の連休中に福島県の「西郷村」「湯川村」「会津坂下町」の三ヶ所を回って3枚をゲットする計画を立てています。

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栃木県立栃木高等学校の構内に建つ、明治天皇御聖蹟 [石碑]

私の子供の頃に、遊び場の一つだった栃木高等学校の構内。今では勝手に入る事は出来なくなりましたが、これまで何度か許可を頂いて構内を見学しました。
正門を入った左側に有る「洗心苑」と命名された庭園には、3月の下旬に成ると枝垂桜にピンク色の花が咲いて暫し華やかな姿を現します。
洗心苑.jpg
(「洗心苑」、左奥の樹陰に石碑が1基建てられています。2017年3月30日写す)

この場所は昭和4年に昭和天皇即位のご大典記念事業として、奉安殿が建てられましたが、戦後の昭和21年8月に撤去された後、昭和35年から始められた環境整備事業の一環として計画され、昭和36年11月に完成した総面積804㎡の「洗心苑」として、生徒たちはもとより、訪れた人の心を暫しなごませてくれる場所と成っています。

この県立栃木高等学校は、明治32年11月栃木県下にて、旧栃木町を中心に下都賀郡地方に於いて、近衛師団の小機動演習が行われた際、明治天皇の行在所となりました。
その記念として、この「洗心苑」の奥に大きな石碑が建てられています。
石碑の表面中央には、元帥侯爵山縣有朋の書になる、「聖駕駐蹕碑」の5文字が大きく刻されています。
碑陰に刻された碑文は、木の枝が掛かるなどして少し読み難くかったですが、写真に撮って拡大して見ますと、
≪明治三十二年十一月十五日  天皇閲兵於毛之野駐蹕于本學  
                    三日於戯 聖恩弘大何以報之  詩云夙夜匪解以事一人≫
  ≪明治三十八年十一月     栃木中學校同窓會長従七位劉須謹撰≫
と刻されています。
     (※劉須:第二代校長、明治34年3月31日〜大正3年12月27日)
聖駕駐蹕碑(表).jpg聖駕駐蹕碑(裏).jpg
(洗心苑の奥に建つ「聖駕駐蹕碑」。左が碑表、そして右が碑陰の写真)

校舎の裏手(北側)の、復元された元県庁堀の際に、明治天皇の行在所となった建物が、記念館(御聖蹟)として保存されてます。
記念館.jpg
(記念館全景、手前の堀は「旧県庁堀」で埋立てられてましたが、平成7年に復元されました)

この建物は、明治29年本校創立の年に建てられた本校最古の二階建ての建築物で、当初階上は講堂、一階は校長室・事務室・宿直室などに使用されましたが、明治32年11月15日より4日間、近衛師団北関東大演習の折、改造されて行在所となりました。
又、栃木高等学校は大正7年11月13日より7日間陸軍特別大演習が行われた際にも、大本営が置かれ、その折も大正天皇の行在所として使用されています。

正門を入った所から右方向に向かうと、明治43年9月東宮殿下(大正天皇)の御来校を記念して、大正3年11月に建てられた「記念図書館(養生寮)」が建っています。そして、この建物の南側のエリアーが「メモリアルゾーン」として、「明治天皇栃木行在所」や「大本營記念」そして「聖井之蹟」と刻した、3基の石碑が建てられています。
記念図書館.jpg明治天皇栃木行在所の碑.jpg
(正門を入った右手の「記念図書館」)(メモリアルゾーンに建つ「明治天皇栃木行在所」の碑)

「明治天皇栃木行在所」の石碑は、昭和13年7月に建てられています。これはその前の年、昭和12年12月に「名勝天然記念物保存法に依り史蹟として文部大臣の指定を受けた事により建てられたと思われます。
石碑の側面にはこれらの内容が刻されています。

大本営記念の碑.jpg大本営記念の碑(裏).jpg
(同じくメモリアルゾーンに建つ「大本營記念」の碑正面) (「大本營記念」の碑陰)

「大本營記念」の石碑は大正9年11月に建てられたものです。碑陰には当時の栃木縣立栃木中學校長 従六位勲六等依田義三謹撰の碑文が刻まれています。
   (※依田義三:第三代校長、大正3年12月28日〜大正11年4月16日)
  <碑文>
        大正七年十一月十三日 今上以我黌充大本營駐蹕七日
        講武于常毛之野治而不忘亂於戯大哉 睿謨師生感激弗
        知所措謹刻貞珉表 聖跡於無窮矣 

碑文に有る通り、この大本營は大正7年11月13日から11月19日の7日間に渡って行われた、陸軍特別大演習の際、栃木中学校(現在の栃木高等学校)に置かれた「大本營」の事に成ります。
上記の記念館の中には、その時学校正門の門柱に掲げられた「大本營」と大書された木札が展示されています。

それらの石碑の建つ先に更に進むと、少し小さな石碑が建てられています。
正面の上半分を使い、「聖井之蹟」の文字が刻されています。下半分には碑文が刻されています。
       <碑文>
        此昔供 天子食膳泉也
        今廢矣明治壬子夏吾儕
        清湮建碑以致敬虔誠
         栃木中學第三學年生識

聖井之蹟(全).jpg聖井之蹟(碑文).jpg
(メモリアルゾーンの東奥に建つ「聖井之蹟」の碑)  (「聖井之蹟」の碑文)

栃木県立栃木高等学校は、我家から一番近い学校でしたが、私にとっては一番遠い学校でした。憧れの学校でしたから私のアルバムに1965年4月に撮影した栃高の正門の写真が残っていました。
1965年4月栃木高校正門.jpg

現在は毎年開催されている「栃木 蔵の街かど映画祭」のメイン会場として、ここ栃木高等学校の「洗心苑」西隣りに建つ「講堂」が利用されている為、その時に洗心苑やメモリアルゾーンに建つこれらの石碑を見る事が出来ます。ちなみに今年の開催は第11回で、来月5月12日(土)と13日(日)です。
ただ記念館内部の見学に関しては、事前に栃木高等学校に問い合わせが必要になります。
映蔵2.jpg映蔵1.jpg
(映画祭のメイン会場となる「講堂」)  (講堂入口に掲げられた「映藏」の日除け暖簾)
この「講堂」は明治43年2月13日に落成した本校二番目に古い建築物で、入学式、卒業式をはじめ各種の行事に使用されてきました。
尚、今回紹介した「記念館(御聖蹟)」「記念図書館(養生寮)」「講堂」の建築物は、登録有形文化財に成っています。

今回参考にさせて頂いた文献:栃木市史 資料編近現代Ⅰ、
                    栃髙百年史、
                    小冊子「栃高の旧跡」平成21年1月1日発行






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錦着山のツツジが咲き出しました [草花]

初夏と思わせるような日差しの元、錦着山に登って来ました。
この間まで、桜の花を楽しんでいたと思っていたら、今は赤やピンク・白色などのツツジと、新緑とが混ざって、一段と鮮やかな装いに変わっていました。
錦着山のツツジ1.jpg
(錦着山東側、護国神社参道登り口付近を彩るツツジ)
錦着山のツツジ2.jpg
(錦着山南面、錦着山登り口付近を彩るツツジ)
錦着山のツツジ3.jpg
(目にも鮮やかなツツジ)
護国神社.jpg
(山上、護国神社前の藤棚には薄紫の藤の花が咲いていました)
錦着山のツツジ4.jpg
(ツツジの花越しに望む太平山、この時期は新緑で一段と輝きを増します)

ただ、あちらこちらに大きな体のクマン蜂?が飛んでいました。刺激を与えないようにそっと場所を変えながら、ツツジの花を楽しんできました。
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栃木市カラー版マンホール蓋、2ヶ所目発見しました。 [コレクション]

今年の3月末、栃木市内をウォーキング中に偶然、色鮮やかに着色されたマンホール蓋を発見ました。それから、これまで他に設置されていないか注意しながら市内ウォーキングをしていましたが、栃木駅前や大通りの歩道など確認しても、見つかっていませんでした。それが今日、巴波川沿いの観光スポットの一つ、幸来橋の近くで2ヶ所目のカラーマンホール蓋を発見しました。
栃木市マンホール蓋カラー版2枚目.jpg栃木市マンホール蓋カラー版2枚目発見.jpg
(今日、発見した2ヶ所目となるカラー版デザインマンホール蓋) (発見場所 幸来橋付近)
この2枚目を発見した場所こそ、この栃木市のマンホールのデザインとなった場所付近となります。
「幸来橋」の橋の上から下流側を見ると巴波川左岸の川沿いに、下流に架かる「巴波川橋」までの間100メートル以上に渡って、黒く塗られた板塀が続いていて、塀の向こう側には土蔵が幾つも連なっています。
巴波川の上には現在、両岸から渡された沢山のロープに、赤や青、緑など色とりどりの鯉のぼりが吊るされ、それが泳ぐ様に風に舞っています。その風景はマンホール蓋のデザインそのものです。
巴波川の鯉幟.jpg
(旧栃木市地区マンホール蓋のデザインとなった風景、巴波川沿いの黒塀と土蔵群)
2ヶ所目のカラーマンホールが設置されている場所も、1ヵ所目の場所同様に車道の成っていますから、注意して見て欲しいです。
栃木市マンホール蓋カラー版1.jpg栃木市マンホール蓋カラー版1枚目発見.jpg
(3月末に発見した1ヵ所目のカラー版マンホール蓋)  (発見場所、元県庁堀付近)

この栃木市のデザインマンホール蓋は、以前からデザイン的にマンホール蓋コレクターの間では結構評判が良かったもので、旧市内で有れば何処でも見る事が出来ます。但しカラー版に成っているデザインは左下に描かれている「市章」が合併後の新しい市章です。この新しい市章のマンホール蓋は、新しく下水道を設置した区域ですから、探してみて下さい。
栃木市マンホール蓋1.jpg栃木市旧マンホール蓋.jpg
(新しい栃木市章のマンホール蓋)        (旧栃木市章のマンホール蓋)
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栃木市春季学童軟式野球大会決勝戦を観戦

今日の午前中、栃木市総合運動公園内本球場で行われた、第8回栃木市春季学童軟式野球大会の決勝戦を観戦して来ました。
昨夜来の雨も止み、青空こそ有りませんでしたが、春の爽やかな空気の中、駐車場に車を停めて会場に向かいました。
既に試合が始まっている様で、球場の外まで応援の太鼓の音や歓声が洩れて来ています。運動公園内は今丁度八重の桜が濃いピンクの花をビッシリと付けていました。

球場に入り、バックネット裏のホームベースのほぼ真後ろの観客席に座って観戦。
試合は既に3回戦迄進んでいる。ただ得点はまだどちらのチームも零点と言う状況を確認。
学童軟式野球大会1.jpg
(本球場のグラウンドで元気にプレーをする両チームの選手達)
両チームの応援団がそれぞれのダッグアウト後方の観客席に陣取って、メガホンで声援を送ったり、メガホンを叩いたりして、必死に応援合戦を繰り広げています。
グラウンドでプレーしている児童のお父さんやお母さん達です。
学童軟式野球大会2.jpg学童軟式野球大会3.jpg
(三塁側:栃三クラブ応援席)          (一塁側:西方スポーツ応援席)
観客席の高い所から観戦していると、まだまだ小さな児童達ですが、そのプレーは感心するほど良く訓練をされています。
ふと、自分の小学生の夏休みの事が思い出されます。
私はともかく運動が苦手で、特に球技は好きに成れませんでした。ですから野球で遊んだ経験も殆んど無かったのですが、小学6年生の時どうした事か、その頃(今から55年以上も前に成りますが)栃木市町内対抗少年野球大会(大会名はハッキリ覚えていませんが)と言うものが行われていて、そこに私の住んでいた町内も参加すると言う話が突然持ち上がり、大会が始まる1ヶ月前ごろから呼び出され、強制的に練習をさせられ、何故かキャッチャーを命じられてしまいました。
練習は近くの栃高のグラウンドでしました。
ピッチャーが投げてくるボールをともかく後ろにこぼさないように必死でした。
他の町内はユニホームが有りましたが、自分たちは運動着での参加、そんなにわかじこみのチームで勝てる訳が有りません、当然1回戦敗退でした。

そんな昔の事を思い出している内に、5回まで得点出来なかった目の前の試合も、6回に入りようやく動き出した様です。先行の「栃三クラブ」が2点を先取、そのまま試合終了に持ち込みたいところでしたが、相手方「西方スポーツ」もその裏、反撃開始、逆転に成功して勝利しました。
学童軟式野球大会4.jpg学童軟式野球大会5.jpg
(一生懸命プレーをする両チームの選手達)
自分ではこのようなプレーする事はとても出来ませんが、見ているとハツラツプレーに自然と拳に力が入って来ます。この選手達の中から近い将来高校球児として活躍する子が出てくるのかと思うと、楽しみです。
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(試合終了後の表彰式に並ぶ選手達)
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マンホールカード第7弾の情報を確認しました。 [マンホールカード]

昨日、インターネットの「下水道広報プラットホーム」のトップページを確認した所、マンホールカードの第7弾の情報を確認しました。
≪4月28日、第七弾49種49自治体が加わります≫

これまで年3回のペースで、第一弾が一昨年4月1日に、そして第四弾が昨年4月3日に導入されていましたから、今年もこの4月早々第七弾が導入されるとして頻繁に確認をしていましたが、なかなか発表されませんでした。発表された内容ですと、導入日は4月28日とかなり遅れた感じがします。

さっそく内容の確認をしました。我が栃木県は県のマスコットキャラクター「とちまるくん」をマンホール蓋のデザインにした、栃木県流域下水道のカード1枚だけでした。
栃木県流域下水道カラー版.jpg
(4月28日より配布される第七弾にて、マンホールカード化される「とちまるくん」)

これには少しガッカリをしてしまいました。それは3月の末に、何時もの様に栃木市の街の中をウォーキングしていた時、道路上に旧栃木市区域の定番のデザインマンホール蓋「塚田歴史伝説館の黒塀と巴波川、そして遊泳する鯉の群れ」のカラー版を発見したからです。
これは「もしかしたら第七弾で栃木市もマンホールカードを発行するのでは」と、ひそかに期待をしていたからです。
栃木市マンホール蓋カラー版.jpg
(栃木市内で初めて確認をしたカラー版のデザインマンホール蓋)

確か以前佐野市に於いてもマンホールカードの発行の情報も聞いた様な気がしますが、まだ有りません。実際発行を希望する自治体も多く、順番待ちの状態になっているとの話も聞きます。
栃木市に於いては、マンホールカードに採用するデザインをどうするか現状の物で行くのか、更に見栄えの良いデザインにするか検討されている様です。気を取り直して今後に期待したいと思います。

その後市内を歩いて、他にカラー版が設置されていないか、注意して見ていますが、今の所「旧栃木町役場」の庁舎の近く、「神道栃木」(元禊教栃木分院)前の道路中央部に設置されている、1ヵ所だけです。
栃木市マンホール蓋カラー版2.jpg栃木市マンホール蓋カラー版1.jpg
(観光スポットのひとつ「元県庁堀と栃木町庁舎」近くの道路中央に発見)
※撮影する場合は、自動車の来ない時に速やかに行う事が大切。 交通安全第一。
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御野立記念の碑 栃木市岩舟町鷲巣 [石碑]

この場所は、眼下にJR両毛線の線路、西南西の方向に三毳山、そして前方少し左(南南東)方向に地元で富士山(ふじやま、標高93.7メートル)と呼ばれる小丘を望む所。正に目の前近くに岩舟の街を一望出来ます。
岩舟町兜山公園1.jpg
(兜山公園から南の方角を望む。奥に見える小丘が富士山)
岩舟町兜山公園2.jpg
(兜山公園に設置されている「栃木市岩舟町パノラマ」図)
北側は日本三大地蔵の一つとも称され、死者の魂が集まる所とされる岩船山(標高172.7メートル)に成ります。
この岩船山の南東に位置する所は「兜山公園」として整備されています、通称坊主山と呼ばれています。標高は50メートル程で、比高を見ると約20メートル程の高さとなります。
この高台に現在2基の石碑を見る事が出来ます。
御野立記念の碑3.jpg
(兜山公園に建つ2基の石碑。手前「明治天皇鷲巣御野立所」と読める)
その一つは碑文に大正元年八月と刻されていますが、正面に大きく「御野立記念之碑」その左側に「陸軍大将正三位勲一等功二級男爵鮫嶋重雄謹書」と有ります。
碑陰の文は「栃木中學校長劉須謹撰」と刻されています。尚碑陰左下隅に「岩舟村建之」と有りました。
御野立記念の碑1.jpg御野立記念の碑2.jpg
(後方に建つ石碑「御野立記念之碑」) (碑陰には大正元年 劉須謹撰の碑文を刻す)
碑文全体を読み写してみました。
御野立記念の碑文写し.jpg
(御野立記念之碑の碑文を写し書きしました)

栃木市史の資料編近現代Ⅰを開くと、第三章第四節に「天皇の行幸」と有り、初めに「一、近衛師団演習(明治三十二年) 栃木町に行在所」の記事が記されています。
其の中に、「演習天覧」 (十六日 岩船山東南部中腹の坊主山で観戦された。)としてその時のエピソードが紹介されています。

手前に建てられている石碑によると、此の地は「明治天皇鷲巣御野立所」として、史蹟名勝天然紀念物保存法に依り史蹟として昭和11年11月 文部大臣指定された事が刻されています。ただ、その後同法に依り史蹟指定された明治天皇の行在所等の「聖蹟」は、昭和23年6月29日一斉に史蹟解除されています。

ただ史実として明治32年11月16日にこの地で明治天皇が、南軍北軍に分かれた近衛師団の激戦を交わす戦況を観戦した事、その後ここ御野立所に於いて御昼食を食した事などを、碑文として刻したこれらの石碑が、今日の私達に静かにその事実を伝えてくれているのでした。
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桜の花びらが舞い散る、皆川城内を歩く [歩く]

連日、季節外れの暑い日が続いています。今も私の上の温度計は24.8℃を表示しています。
恐らく正午前後の屋外、太陽が照り付ける所では、25℃越えの夏日に成っていたと思われます。
そんな中、今日「歴史と文化を歩く会-栃木」の4月例会で、栃木市皆川城内町周辺を歩いて巡って来ました。今回の目玉は皆川城内町の新町から北隣りの宮町に続く、永野川左岸の満開の桜堤を歩くコースに成っています。
スタート地点は皆川城址の南麓、皆川公民館駐車場。ここで今回の案内をして頂く、「皆川地区街づくり協議会歴史文化部会のメンバーの方達と合流、出発です。
皆川公民館.jpg城山の桜.jpg
(スタート点の皆川公民館駐車場)    (城山を見上げると、満開の桜が迎えています)
まず最初は、全員が元気な内に皆川城址の城山(標高147メートル)を攻略する作戦。
皆川城址公園案内図.jpg
(城山登り口に建てられた「皆川城址公園案内図」、後方に城山の頂上が覗く)
城山南麓中ほど、公民館の裏手附近の登り口から、時計回りに山の西側から裏手に回り、そこから一気に山頂を目指しました。
城山を登る1.jpg竪堀.jpg
(城山の南面を登る道を右手に城山の西側から北側へ)(城山に見られる竪堀のひとつ)
城山の北面は杉が茂り、太陽の陽射しを遮ってくれる為、登り坂で厳しい所でしたが、それほど汗をかかずに登ることが出来ました。
城山北側の谷.jpg城山を登る2.jpg
(北側斜面は杉の林、花粉が少し気になった)    (山頂に向ってひと踏ん張りです)
山頂に建てられた展望台に昇ると、そこは360度を見渡せる絶好のロケーションでした。
城山山頂展望台.jpg山頂からの眺め.jpg
(山頂に建つ「皆川城址」の石碑と展望櫓)    (城山の山頂、展望櫓からの眺望)
山頂からの眺めを暫し楽しんだ後、下山。
山を下る.jpg井戸跡.jpg
(足元に気を配り、山を下りる)          (見はらし平より城南桜平方向を)

次の目的地は城山から南西方向500メートル程の所に有る、皆川家の菩提寺「金剛寺」に向かいます。
金剛寺.jpg皆川家墓所1.jpg
(皆川家の菩提寺「慈眼山金剛寺」)        (市指定史跡「皆川家歴代祖廟」)
金剛寺の住職さんに案内して頂き、第5代の皆川広照公などの皆川家十八代の当主と奥方の墓地や、本堂内に納められている市有形文化財「皆川広照公着用南蛮胴具足」や、広照公が茶の湯で親交が有った、千利休の弟子山上宗二より贈られた、利休茶の湯秘伝書「山上宗二記」などを拝見する事が出来ました。
皆川家墓所2.jpg皆川広照公の墓.jpg
(左手奥の宝篋印塔型のお墓が皆川広照公のものです)(五代、皆川広照公の墓)

次に訪れたのが浄土宗の寺院「家康山照光寺」です。県道栃木佐野線から南に入る参道。その突き当りに見えるお堂は呑龍堂。本堂は参道を進んで行くと右側に現れて来ます。私はこちらの寺院には4年ぶりにの再訪に成りますが、現在本堂を新築中との事で、真新しい6.5間四方の木造宝形銅板葺の建物に変わっていました。
照光寺新本堂.jpg照光寺旧本堂.jpg
(新築された照光寺本堂)            (平成26年2月3日撮影、以前の本堂)
こちらでも住職さんより貴重なお話を沢山伺うことが出来ました。

予定時間をかなりオーバーをしてきて、宮の桜堤から今一番離れた地点に成っています。やむおえず予定していた東宮神社には寄らないで永野川左岸の桜堤に直行する事に成りました。
桜堤の南の端にたどり着いたのは、丁度12時になるところ。既に結構足に疲れが溜まって来ています。ここから宮の橋まで1キロメートル以上にもなる桜のトンネルが続きますが、この長さが少し恨めしくも感じられます。
通常の年で有れば丁度満開になる頃ですが、今年は異常な暑さで少し緑色の葉が混じり、桜の下の道路は散った桜の花びらで、ピンクの絨毯の様にも見えます。ただ桜吹雪の中を歩く事で、何とか疲れを癒してくれます。
宮の桜1.jpg
(少し緑色が目につきますが見事な桜のトンネル。少し遅れて来てしまいました)
宮の桜2.jpg
(永野川の右岸から。奥に見える桜並木が先ほど歩いた桜堤に成ります)
宮の橋を渡って永野川の右岸に出ます。
栃木市の聖地公園の前を抜け、持明院山門脇の枝垂桜を堪能して、出発地点の皆川公民館駐車場に無事到着しました。今回の歩数は16,079歩(約9.6km)に成りました。
持明院.jpg
(別峰山持明院山門前の枝垂れ桜を観賞)
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