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栃木市箱森町の五家について

私が住む栃木市箱森町には、かつてこの地にて勢力を揮っていた「箱森の五家」と言われる、五つの氏族が有ったという事を、最近聞きました。
私自身もこの地に生まれてからずっと住んでいますが、父の代に移って来て商売を始めていますので、完全によそ者に成ります。実際我家の苗字は箱森には、2軒しか見当たりません。
では「箱森の五家」とはどんな人達なのか、この地域に多く見られる苗字に付いて、ゼンリン住宅地図を基に調べてみました。
結果、上位の四家は容易に判明する事が出来ました。
圧倒的な第1位は「森戸」さんで、82軒が箱森町全域に分布している事を、確認出来ました。そして第2位となったのは「稲葉」さんで29軒有りました。第3位は「日向野」さんの28軒。そして第4位は「長江」さん27軒です。
第5位に入った苗字は「鈴木」さんで、第4位の長江さんと同数の27軒確認されました。しかし「鈴木」さんと言う苗字は栃木県の苗字ランキングの1位で栃木市に於いても、特に箱森町に多く有る苗字では有りません。
その反面、1位の「森戸」さん、3位の「日向野」さんと言う苗字は、苗字の全国ランキングでは共に3千番代と少なく、全国的な苗字では有りません。ただ都道府県の分布的には栃木県が一番多くなっています。その栃木県内であって、栃木市が一番多く、更に箱森町が栃木市内でも一番多く集まっている苗字なのです。
まさに箱森町の苗字と言っても過言では有りません。
昭和60年版のゼンリン住宅地図を基に、箱森町における主要苗字の分布状態を図にしました。
箱森町における主要家名分布図(縮小版).jpg
先に記したデーターは2016年版の住宅地図に依る為、数値的に多少の差異が有りますが、その傾向性は殆ど変っていません。
分布図を見ると緑色のプロットがまず目につきますが、これが「森戸」さんです。
箱森地内には幾筋かの川の流れが有りますが、東の境に沿って流れてるのが「巴波川」で、現在大町や小平町との境界を成しています。その西側に見えるのが「荒川」、そして旧赤津川の蛇行している河道が見えます。この旧赤津川沿いに多くの緑色の点が分布しています。そしてその西側の十二社神社の周りにも緑色の点が見えます。更にそこから南方向に目を向けると、鷲宮神社の南側、悪五郎堂の周辺にも緑色の点が集中しているのが確認出来ます。
箱森町の悪五郎堂(神社)に関しては、今年の7月20日のこのブログで紹介していますが、森戸家の先祖と言われる長沼宗光の隨神仏と云われる阿弥陀仏と観音の二体を安置、又悪五郎の霊をも合祀していたもので、元は鷲宮神社境内内に建てられていましたが、明治維新の神仏分離に伴い、数回場所を変え現在の地に納まりました。悪五郎堂の屋根の鬼瓦には、森戸家の家紋と同じ「丸に橘」の紋が付いています。
悪五郎堂鬼瓦.jpg
(箱森町の悪五郎堂の屋根の鬼瓦に付けられた「丸に橘」紋)
第2位となった「稲葉」さんは、弦巻神社の西側の字御辺北西部に集中しています。又、第3位の「日向野」さんは鷲宮神社の北東側、館野川の南側から清水川の右岸に集中して分布している事が分かります。
私が一番興味を持っている苗字が、第4位の「長江」さんです。館野川の源流となるかつての字舘野や鷲宮神社の直ぐ西側の字御辺に集中しています。
字舘野の地は、北側に大沼が有り西側は大沼から流出した水の流れが反時計回りに大きく円弧を描いて、南側の舘沼に繋がり、まるで堀割の役目を担っている様です。そしてこの三方を守られた内側が字舘野で、かつては「箱森城(舘野城)」が有ったと所に成ります。そしてまさにこの場所に「長江」さんが沢山住んでおられます。現在その中央部付近に、石の鳥居を建てた小さな神社が祀られています。社殿前に建てられた新築記念の石碑には「長江八幡宮」と刻されています。
長江八幡宮1.jpg長江八幡宮2.jpg
(箱森地内、かつての字舘野の中ほどに祀られている「長江八幡宮」)
そして、字御辺もかつての館跡で弦巻神社や鷲宮神社が祀られ、この地域の中心地的存在の場所でした。こうした場所に居を構えていた「長江」一族は、やはり特別な存在で有ったのではと考えられます。
弦巻神社.jpg箱森鷲宮神社.jpg
(弦巻神社参道入口の鳥居、奥小丘上に石の祠有り)(箱森・鷲宮神社)
それでは箱森五家の残りの一つは何家なのか。箱森地内で6番目に当たるのが、「田村」さんで18軒程確認されます。十二社神社周辺と鷲宮神社周辺にまとまって見えます。ただ「田村」さんと言う苗字は全国ランキングでも56位で、栃木市内でも樋ノ口町や城内町方面に多く確認される苗字に成り、箱森町との特異な関連性は確認出来ません。

次に住宅地図では無く、電話帳から苗字と箱森町との関連性について調べてみました。電話帳の方が同じ苗字が並んでいる為集計は意外とスムースに出来ました。但し最近は携帯電話やプライバシー保護の高まりで、電話帳への掲載が減少している為、今回調べた電話帳は2003~2004年版で、個人欄に出ているデーターを集計しています。
結果は、住所が箱森町の電話番号の軒数の多い順に、下表の様になりました。
電話帳掲載軒数1.jpg
(電話帳にて箱森町の掲載軒数が10軒以上確認出来た苗字一覧)

この電話帳からの調査結果でも、「森戸」さんの苗字は箱森町に集中している事が明瞭です。市内に160軒の「森戸」さんの内、43.13%となる69軒が箱森町に有ります。第二位は箱森町の北隣りに位置する川原田町で17軒です。
第2位は「日向野」さん、栃木市内130軒の23.85%31軒、そして南隣りの薗部町に9軒確認されました。
第3位の「長江」さんは更に特異な状況で、栃木市内に32軒しか無いのに、その81.25%の26軒が箱森町に住んでいます。
長江さんの苗字について、これまで私は勝手な想像を描いていました。それは会津田島に所替えののち、下野国都賀郡に来た時に会津から同行した家臣の一部が故郷長江郷の地名を名乗ったのではと。しかし最近色々文献を調べてる中で、「栃木の苗字と家紋・下巻」(遲澤俊郎著・発行下野新聞社)の中に、「長江」姓に関する記事が掲載されていました。それによると、≪その家系を記述すると、初代義景は桓武平氏の流れを引く鎌倉権五郎景政の孫に当たり、摂津国西成郡長江庄に居住したため、長江太郎と称した。(中略)、十二代目の長江七郎景綱が箱森長江氏の初代である。二歳の時、父景平を河内国金剛山で亡くしたが、母方の実家長沼氏に養育され、長沼氏の一族筥村氏の領する箱森の地に貞和三年(1347)17歳の時に居住したと記録されている。その子孫は長く皆川氏に仕えたという。≫と、記されていました。
第4位「鈴木」さんは、箱森町に22軒有りますが、栃木市内に336軒も有るので、その比率は6.55%で箱森町との特異性は感じられません。
一方、第5位の「稲葉」さんは、同じく箱森町22軒ですが、栃木市内の軒数が75軒と少ない為比率的には29.33%と高くなっています。
電話帳での調査結果でも、箱森五家の内「森戸」「日向野」「長江」「稲葉」の四つの苗字は、箱森町との強い関連性が確認出来ました。が、やはり残りの一つがハッキリ出来ません。

困った時は、現場確認です。箱森町のかつての中心はやはり「鷲宮神社」の祀られている、字御辺周辺です。鎌倉時代後期の正慶2年(1333)の頃、遁世した第七代長沼城主長沼宗光(俗称悪五郎)が皆川庄筥森に移り、如来堂(後の松樹院)を建て、念仏三昧に暮らしたと伝えられる所。その近くに有る地域の墓地を調べてみました。
鷲宮神社東隣の墓地.jpg
(鷲宮神社境内の東隣りにの墓地、奥に見える瓦葺きの屋根が鷲宮神社拝殿)
墓地内には高さ3メートル程の大きな墓標が沢山建てられています。そのほとんどが「箱森の五家」に当たる苗字が大書されたものです。
「森戸家累世之墓」「日向野本家累世之墓」「稲葉家累代之墓」「長江家歴代之神靈」これら四家の苗字の他にも「小川家累世之墓」や「荒井家累世之墓」も目に留まりました。
他には箱森町地場産業の一つ瓦製造業の「幸田家」や「神谷家」などの名前も見られました。
もう一つ余談に成りますが、私が以前に錦着山(別名箱森山)の山内に建つ石碑に付いてこのブログの中で紹介をしていますが、その中で「錦着山護国神社」の境内の片隅に建つ1基の石碑に、明治10年西南の役にて戦没された「田村半次」さんの碑が有りましたが、その「田村半次」さんのお墓がこちらの墓地に祀られておりました。
田村半次之碑.jpg田村半次之墓.jpg
(錦着山護国神社境内に建つ「田村半次之碑」)(字御辺の墓地に眠る「田村半次之墓」)
ちなみに電話帳調査による「田村」さんは第6位で箱森町内に18軒有りますが、栃木市内183軒の分布では、樋ノ口町22軒で、箱森町は2番目に成っています。

箱森の五家の残り一つの苗字は「小川」さんだと云う話が有ります。また「荒井」さんだと言う人も。
電話帳調査では、「小川」さんは箱森町内に7軒、栃木市内には87軒見られますから比率は8.05%です。
「小川」さんに関しては、「栃木郷土史」(栃木郷土史編纂委員会著)の、第二章皆川氏の進出と土豪の分解過程の「箱森村」の中に、≪土着勢力の一翼をなしたものに、小川伊兵衛があったが、同家は、家臣団に編入される前帰農してしまった。やはり、大沼東南方に小川八幡神社があったことが、古記録に見えている。≫と、かつては土着土豪の一つであった事が記されています。
又、「荒井」さんは6軒、ただ市内には33軒と少ない為比率は18.18%と高く、市内では箱森町が一番多くなっています。

栃木市史資料編近世(栃木市発行)第一章領地と支配の中に、「元禄17年(1704)2月、慈眼山金剛寺諸堂修復勧化牒」と言う資料が掲載されています。その中に「皆川先祖譜代家臣次第不同」が有りその内「箱森村」には先の氏族の先祖と考えられる名前が17名記されています。内訳は「日向野」さんが4名、「森戸」さんが2名、「小川」さんが3名、「稲葉」さんが2名、「荒井」さんが2名、「田村」さんが1名、そしてこれまで出ていなかった「膝付」さんが2名、「大根田」さんが1名となっていました。ちなみにこの時の箱森村の名主として「日向野安右衛門」の名前が記されています。
現状、ここまでしか手元情報が有りません。五家を確定する為には、もっと地元の人達から話を聞くしか有りません。
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八島 守

よくお調べになりましたね。ほとほと感心させられました。

ところて゛、「日向野」についての参考史料です。

[将軍家政所下文(くだしぶみ)](1192年)
「将軍(源 頼朝)
家政所下 下野國日向野郷住人
  補任地頭職事
    左衛門尉 藤原朝政(小山朝政)
以下省略

明治時代頃の栃木市の地図を見たら、田村町辺りに「日向野」という地名が載っていました。



by 八島 守 (2018-10-09 09:05) 

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