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小山市の摩利支天塚・琵琶塚の両古墳から天平の丘公園周辺を歩く [歩く]

今日、「歴史と文化を歩く会-栃木-」の5月例会にて、小山市の摩利支天塚と琵琶塚の二つの前方後円墳から、下野市の天平の丘公園周辺を歩いて巡ってきました。
まず栃木の街から、歩き始める思川に架かる大光寺橋近くまで、栃木市のふれあいバスを利用して移動しました。
ふれあいバス.jpg大光寺橋プレート.jpg
(思川に架かる大光寺橋近くまでバスで移動)  (大光寺橋から美田東部頭首工を望む)
大光寺橋を渡って歩くのは、現在の橋が完成した渡り初めの日(2016年3月12日)に歩いた以来です。
現在、栃木県ではアフターデスティネーションキャンペーンに合わせて「とちぎ橋カード」24種類を配布していますが、その1枚にこの「大光寺橋」が栃木市で初めてカード化されています。
又、同じく今年小山市が市内の土地改良区が管理している「土地改良施設」の写真をカード化して配布した中に、ここ大光寺橋上流部に設置されている「美田東部頭首工」も有ります。
橋カード.jpg土地改良施設カード.jpg
(大光寺橋のとちぎ橋カード)        (美田東部頭首工の小山市土地改良施設カード)
大光寺橋のカードの写真は、上空からのアングルで、手前が新しい橋でその上流側に、前の橋が写っています。更にその後方に美田東部頭首工も見えます。現在は中央の古い大光寺橋は解体撤去されて無くなっています。このカードの写真は貴重な一枚です。
また、こうしたカードは多くの貴重な情報を提供してくれます。カードの裏面にその施設の構造や歴史など色々な豆知識が載っています。

横道にそれました元に戻します。大光寺橋を渡りきると下野市に入ります。道路の左手に寺院が見えてきます。浄土真宗本願寺派紫雲山蓮華寺です。本堂の手前右側の掲示板に「親鸞聖人花見ヶ岡大蛇済度之縁起」の紹介が有りました。
蓮華寺.jpg大蛇済度の物語.jpg
(紫雲山蓮華寺)                 (掲示板にて見える、大蛇済度之絵伝)

ここから車道から分かれ、右手の細い野道に入ります。「関東ふれあいの道」になります。
関東ふれあいの道1.jpg関東ふれあいの道2.jpg
(入口に建てられた道しるべ)          (途中にも「関東ふれあいの道」の道標が)
20分ほど雑木林や田畑の中の細い道を進むと、再び車道に出ます。県道18号です。この道は「旧日光西街道(壬生通り)」になります。ここを南方向に歩くと早々に道路の両側に小さな塚が現れます、「飯塚一理塚」です。
飯塚一里塚(東).jpg飯塚一里塚(西).jpg
(史跡、飯塚一里塚・東側)                (史跡、飯塚一里塚・西側)
一里塚を過ぎると、街道の東側田畑の先、杉木立が林立する中に、滑らかな曲線を描く前方後円墳が見えてきます。今回の目的地のひとつ、「琵琶塚古墳」です。
日光西街道より琵琶塚古墳を望む.jpg
(旧日光西街道壬生通りから眺める琵琶塚古墳、木立の中に緩やかな曲線を覗かせている)

琵琶塚古墳を横目に、まずはその先に有る同じく前方後円墳の「摩利支天塚古墳を目指して歩きます。

摩利支天塚古墳の頂上には、摩利支天尊を祀った社殿が建てられており、登り口には石の鳥居も建てられています。
摩利支天塚古墳入口.jpg摩利支天塚古墳上に建つ社殿.jpg
(摩利支天塚古墳登り口前に建つ鳥居)  (墳頂に祀られた社殿に向かう石段)
摩利支天塚古墳について、登り口に建つ説明文を紹介すると、
≪摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祠られ、今に至っています。墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、その周囲には幅20mを越える大規模な周湟がめぐらされています。(中略) この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されます。(後略)≫
      墳形:前方後円墳  全長:約117m 
      前方部:幅約75m、高さ約7m 
      後円部:直径約70m、高さ約10m 
      昭和53年7月21日、国の史跡に指定されています。
摩利支天塚古墳説明板.jpg摩利支天塚古墳を降りる.jpg
(摩利支天塚古墳の説明板)            (摩利支天塚古墳を後にするメンバー)

次にすぐ北側に有る、琵琶塚古墳に向かいました。
琵琶塚古墳説明板.jpg琵琶塚古墳に登る.jpg
(琵琶塚古墳の説明板)                (琵琶塚古墳を登る)
この古墳は先の摩利支天塚古墳より前の、大正15年2月24日に国の史跡に指定されました。
築造年代は6世紀前半で摩利支天塚古墳に次ぐものと考えられていると、記されています。
古墳の規模は 墳形:前方後円墳  全長:約123m 
          前方部:幅約70m、高さ約9m 
          後円部:直径約75m、高さ約11m 
この日、これらの古墳には多くの見学者が訪れていました。
琵琶塚古墳を見学する小学生達.jpg
(琵琶塚古墳を見学する小学生達)
琵琶塚古墳を降りる.jpg
(琵琶塚古墳を下りる)
東方向からの琵琶塚古墳.jpg
(東方向から望む琵琶塚古墳全容)

昨年(2018)4月にこの琵琶塚古墳の近くに開館した、「国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館」を見学して、下野市の天平の丘公園へ向かいます。
古墳資料館.jpg古墳資料館展示室.jpg
(史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館)     (古墳資料館展示室内)
天平の丘公園は、雑木林の中に広がっていました。まず名前が気になる「紫式部の墓」の元に向かいました。
天平の丘公園1.jpg紫式部の墓.jpg      
(天平の丘公園の案内板が有りました)    (「紫式部の墓」と言われる五輪の塔)
「紫式部の墓」と言われる五輪の塔は、鎌倉時代の様式。この地方の豪族が供養塔として建立したものと言われています。この付近は「紫」という地名であることから、そのように言われるようになったと、説明板に記されていました。
天平の丘公園の中を歩いていると、木々の緑が木漏れ日に輝いて気持ちの良い風景に包まれたようです。
天平の丘公園2.jpg 
(天平の丘公園の中は木漏れ日に輝く木々の緑が目に優しかった)

その後は「下野風土記の丘資料館」を見学し、国分寺跡を通ってスタート地点の大光寺橋を目指しました。
しもつけ風土記の丘資料館.jpg大光寺橋.jpg  
(しもつけ風土記の丘資料館)         (スタート地点の大光寺橋を渡る)

本日の歩数は、17,126歩(約1km)でした。
今回の参加者17名、全員最後まで元気で歩き通しました。
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旧喜連川町(栃木県さくら市)の道路元標 [石碑]

先日、栃木県さくら市喜連川へ道路元標の写真を撮るために行ってきました。
これまで「道の駅喜連川」には何度も行っていますが、喜連川の街中に行くのは、今回初めてに成ります。
喜連川は「角川日本地名大辞典9栃木」によると、≪荒川上流域に位置する。地名の由来は、古名を狐川と称し、狐川が喜連川と書くようになったという(旧県史)。喜連川城跡・喜連川館跡がある。喜連川城は倉ケ崎城ともいわれ、規模は長径600m、幅は平均約150mの連郭式山城。文治2年塩谷惟広の築城と伝え、以降塩谷氏累代17代までの城として天正18年まで同氏の本拠であった(県の中世城館跡)。喜連川館は文禄2年から足利氏の居城(同前)。≫と有ります。
現地到着後まづ訪れたのが、「さくら市喜連川庁舎」で、玄関を入ったロビーに置いて有った現地の観光パンフレットを入手しました。
さくら市教育委員会事務局生涯学習課発行の「さくら市奥州道中マップ」の中に、喜連川宿付近の絵図を手に、街中を散策しました。それらの資料を基に喜連川宿周辺概略図を作成しました。
喜連川周辺概略図.jpg
(奥州街道喜連川宿周辺概略図)
 ※上概略図中に記した道路は喜連川市街地に繋がる国道・県道で、色分けして表示しています。
   ・オレンジ:国道293号
   ・ピンク:県道74号(塩谷喜連川線)
   ・みどり:県道114号(佐久山喜連川線)
   ・きみどり:県道167号(蛭田喜連川線)
   ・ちゃいろ:県道180号(蒲須坂喜連川線)
     台町交差点から本町交差点の間は、みどり(県道114号)とピンク(県道74号)の重複区間。

宇都宮にて日光街道から分かれた奥州街道は、白沢宿、氏家宿を経て、ここ喜連川宿に至ります。
喜連川宿は概略図のように、南側を荒川が東流し、北から東側を流れる内川とが合流する内側に有り、西側からは喜連川丘陵から続く小丘が半島状に突き出た舌状大地の先端に位置しています。
現在お丸山公園展望台付近の標高は194メートルで、商店街からの比高はおおよそ50メートル程となっています。
奥州街道は概略図に赤色で記しました。ひとつ前の氏家宿からは、概略図左下の弥五郎坂を越えて荒川の右岸に出、荒川に架けられた「連城橋」を渡ると、喜連川宿に入ります。現在橋を渡る手前の交差点の南東側角に、昔の道標が残っています。
南の道標1.jpg南の道標2.jpg
(荒川に架かる連城橋南側交差点脇に建つ道標)
道標には「右江戸道、左下妻道」と刻されています。

連城橋1.jpg連城橋2.jpg
(喜連川宿の南側の入口、荒川に架かる「連城橋」、左奥に喜連川スカイタワーを望む)

喜連川宿内の街道は大きく左にカーブするようにして北上しています。
旧奥州街道1.jpg旧奥州街道2.jpg
(喜連川宿を通る街道は左に大きくカーブしています)
街の中ほどのに丁字路状の本町交差点が有ります。奥州街道に東(馬頭)方向からの道路が突き当たります。その突き当たった所に今回訪れた目的の「喜連川町道路元標」が建っているのを見つけました。
喜連川町道路元標2.jpg喜連川町道路元標1.jpg
(本町丁字路の突き当たった所に道路元標が) (「喜連川町道路元標」の文字が読めます)

1970年に指定された国道293号のルートは、1976年7月21日に喜連川バイパスが開通する以前は、弥五郎新道路から「連城橋」を渡り喜連川の街中を走り、先ほどの本町丁字路を右折東進し、内川に架かる「旭橋」を渡って鍬柄坂へと抜けていたようです。

奥州街道はこの本町丁字路を直進北上、仲町交差点も直進、ここから道路は右方向にカーブし、台町交差点に至ります。この交差点の北西側角にも又、江戸時代の道標が建っています。
北の道標1.jpg北の道標2.jpg
(台町交差点北西角に建つ道標)
道標には「右奥州海道、左在郷道」と刻されています。

かつての奥州街道は、この台町交差点の所で右折して狭い道に入り東側の裏通りを北上して行き、内川に架かる「金竜橋」を渡って、次の宿場「佐久山宿」へ向かいます。

一方ここ喜連川は宿場町と同時に、喜連川氏の城下町でもありましたので、喜連川館の有った街道の西側裏通りには武家屋敷の名残を残す、「寒竹囲」の生垣の家や「御用堀」が今も見る事が出来ます。
寒竹囲.jpg御用堀.jpg
(「寒竹囲」の生垣が残る)          (武家屋敷だった横町付近の「御用堀」)

御用堀は整備が成され、澄んだ水の流れを透して、大きな鯉がゆうゆうと泳いでいました。もっとゆっくり街の中を散策して見て回りたかった喜連川を後に家路につきました。

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チョッと足を伸ばして、群馬県草津温泉へそして千葉県銚子犬吠崎へ [マンホールカード]

長い長い10連休が終わりました。
この機会を利用して、帰省して来た息子に運転をさせ、普段はチョッと足が向かない遠方のマンホールカードを手に入れようと計画をしました。
まずは関東地方の北西の端、群馬県草津温泉にて配布しているカードを。その行き帰りを利用して、渋川市・沼田市そしてみどり市のマンホールカードもゲットして、これまで収集したカードを合わせ、群馬県発行の12枚全てのマンホールカードを手に入れることになります。
5月2日、栃木から北関東自動車道を西に走り、関越自動車道を北上、渋川伊香保インターチェンジで高速道を下りる。ここで早速渋滞に巻き込まれインター出口1キロメートルに30分間も掛かってしまいました。
高速出口の渋滞1.jpg高速出口の渋滞2.jpg
(関越自動車道渋川伊香保インターチェンジ出口付近で渋滞の列へ)

やっとの思いで料金所を通過して一般道を渋川駅前のカード配布所へ。
まずは1枚ゲット。そこで現物のマンホール蓋の設置場所まで渋川の町を歩き、それも無事写真に収めました。
渋川市マンホールカード.jpg渋川市マンホール蓋.jpg日本の臍中心標.jpg
(渋川市マンホールカード) (日本のへそ中心標近くに設置されたカラーマンホール蓋)

次は草津温泉へ山道をひた走り、途中何カ所かの渋滞にはまりながらもなんとか草津温泉へ。ところがここで大きな失敗を、カーナビの目的地をカード配布場所にセットした為、車で草津温泉のど真ん中湯畑に入り込んでしまい、連休で賑わう人ごみの中を、駐車場を求めて右往左往。観光客で溢れる狭い温泉街を何とか抜けて目的のマンホールカードをゲット出来ました。
草津町マンホールカード.jpg草津町マンホール蓋.jpg草津温泉湯畑.jpg
(草津町マンホールカード)(草津温泉湯畑脇の道路に設置されているカラーマンホール蓋)

帰路は沼田市へ向かい3枚目のカードを入手。配布所の有る沼田城址公園には、黄色や赤色などの色鮮やかなチューリップの花が5月の陽光を浴びて咲き誇っていました。
沼田市マンホールカード.jpg沼田市マンホール蓋.jpg沼田城址公園.jpg
(沼田市マンホールカード)(チューリップ咲く花壇の奥に真田信之と小松姫の像が建つ)

この日最後はみどり市、これまでの3カ所は観光案内所等の観光関連施設が配布場所になっていましたが、こちらはみどり市役所大間々市民生活課窓口です。マンホールカードの配布場所は大きく分けると、役所の下水道関係部署とその自治体等の観光案内施設が有り、観光施設はその目的から普通に休日も対応してくれていますが、多くの下水道関係施設は休日等は配布しない所が、マンホールカードが配布を始めた当初は多かったのですが。最近はマンホールカードの認知度も上がり、コレクターが増えた為か、役所関係でも守衛室窓口で配布をして下さる所も多くなってきています。コレクターとしてはうれしい限りです。
みどり市マンホールカード.jpgみどり市マンホール蓋.jpgみどり市.jpg
(みどり市マンホールカード)(市の花や鳥をデザイン化した色鮮やかなマンホール蓋)

5月4日、今度は方向を東に、これまでなかなか行けなかった千葉県銚子市を目指すことに。
栃木から北関東道路を東、水戸方向へ途中茨城空港へ進み鉾田インターチェンジで一般道へ、銚子へ向かう途中霞が浦沿いの行方市でこの日最初のマンホールカードをゲットしました。
行方市マンホールカード.jpg行方市マンホール蓋.jpg霞ケ浦.jpg
(行方市マンホールカード)(配布所の施設は霞ケ浦の岸辺に有りました)

霞ケ浦南東部の行方市から潮来市を抜け、利根川左岸を河口に向けて車を進める。河口近くの利根川に架かる銚子大橋を渡り、利根川右岸千葉県銚子市に入ります。JR銚子駅近くの駐車場に車を止め、駅構内の配布所にて目的のカードをゲット。その後カラーマンホール蓋を求めて街中を散策、しかし発見できず。銚子市役所内に展示してあったマンホール蓋を写真に収める。
銚子市マンホールカード.jpg銚子市マンホール蓋.jpg銚子駅前.jpg
(銚子市マンホールカード)(帰路途中で発見した歩道設置の蓋)(銚子駅前の様子)

せっかくここまで来たので近くの犬吠埼灯台を見に行くことに。
この日は途中走った北関東自動車道や一般道路も渋滞に遭遇することなく来られたが、さすがに犬吠崎灯台への道路は駐車場に入る車で行列を成しています。しかしここはジッと我慢、駐車場が空くのを待って無事車を止めることが出来、いざ目的の灯台に登ることに。入口のチケット売り場では閉門4時を過ぎていましたが観光客がまだまだ訪れるので受け入れて貰えました。
犬吠崎燈台.jpg太平洋.jpg
(白亜の犬吠崎灯台) (太平洋に突き出た犬吠崎、前面に太平洋が広がっている)
灯台の上に登る狭い螺旋階段は、下りる人と登る人とがやっとすれ違う状態、やっとの思いで灯台の上に出て太平洋を望むことが出来ました。

ここまで予想以上に時間を費やしてしまった為、帰路に計画していた取手市はあきらめて、一路自宅に戻ることにしました。
令和元年5月4日の夕陽.jpg
(帰路の途中、燃えるような太陽が前方に望まれました)

翌日、取手市と野田市のマンホールカードもゲット、これで群馬県と茨城県は100%収集。しかし地元栃木県は残りの1枚がまだ採れていません。その1枚は日光市中禅寺湖畔が配布所の為、冬場は道路の積雪が不安ですし、この連休中は絶対的に渋滞が予想できたため、行くことを控えていました。今後収集することにします。

その結果、この連休中は合わせて10枚のマンホールカードをゲット、これで手持ちのカードは120枚をこえました。
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新しい「橋カード」、集め始めました [コレクション]

今日、橋カード3種類をゲットして来ました。
東雲さくら橋(表).jpg東雲さくら橋(裏).jpg
(橋カード「東雲さくら橋」の表面)       (橋カード「東雲さくら橋」の裏面)

これらのカードは、この4月より新たに配布を開始した「とちぎ橋カード」で、昨年行われた栃木県のデスティネーションキャンペーンの一環で配布された「とちぎ橋カード」に続くものです。
昨年2018年にカードになった橋は、県北の那珂川に架かる「晩翠橋(ばんすいきょう)」など10橋梁でしたが、今年(2019年)は枚数が増えて、24橋梁がカードに成りました。
橋カード2018.jpg橋カード2019.jpg
(昨年配布された「橋カード」)          (今年配布されている「橋カード」)

明日から世間では10連休と言うことで、海外へ出かける人達や、故郷に帰る人達の大移動が始まります。我家ではこれといった予定も無く、遠出をして渋滞に巻き込まれるのもかなわないので、時間の余裕を見て栃木県内のこれらの「橋カード」を集めて回ろうかとも考えています。
今回の「橋カード」の多くが、県内各地域の道の駅が配布場所となっていますから、道の駅でその地域の物産を見たり食べたりするのも楽しみの一つです。





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栃木市細堀町の水田脇に建つ「大川鴻山先生碑」 [石碑]

栃木市内に建てられている石碑を探し求めて、日々市内を歩き回っています。太平山や錦着山をはじめ、第二公園内などは、多くの石碑が確認できます。その他市内の神社仏閣にも必ずと言っていいほど、石碑が建てられています。
これまでもこの「巴波川日記」の中で、幾つも紹介をしてきましたが、今回は細堀町の水田の脇に建てられた石碑です。細堀町は旧栃木市内吹上地区に有り、町の中央を赤津川が北から南に貫流、東側には東北自動車道がやはり南北に走り、東北側に北関東自動車道との栃木都賀ジャンクションが見える。西側には足尾山地の南東端となる、標高183メートルの鴻巣山(別称、富士山)を中心に150メートル程度の低い山々が連なっています。
鴻巣山遠望.jpg
(細堀町の水田から西方の山並みを望む。山頂に展望タワーが見えるところが鴻巣山。写真中央右側、水田の先に石碑が建てられているのが見えます。)

栃木の市街地から向かうと、東北自動車道の狭いアンダーを抜けるか、吹上町から赤津川沿いの道を北上するルートと成る為、赤津川沿いを歩く事以外、私個人では滅多にこの地に踏み入れることは無い場所でした。
その細堀町を地形図で確認をしていたところ、田んぼの道路脇に石碑の地図記号を発見、さっそく現地確認をして写真に収めました。
大川鴻山先生碑1.jpg
(綺麗に整えられた石碑廻り)
石碑の正面上部に、「大川鴻山先生碑」の文字が陽刻されています。
大川鴻山先生碑2.jpg
(顕額の文字は侍従長海軍大将正三位勲一等功三級の鈴木貫太郎による)

碑文.jpg碑陰.jpg
(石碑正面、碑文)             (碑陰には多くの氏名がびっしりと刻されています)

碑文は海軍主計中将従四位勲二等刑部齊の撰並びに書と記されています。
「大川鴻山先生」とはどんな人物なのか、碑文にはその人の生い立ちから、慶応元年(1865)野州吹上村(現在の栃木市細堀町)に生まれる。名は元太郎。少年時代より武道を志し、明治28年(1895)鹿島神伝心影流相伝の免許を受け、秘奥皆伝を許され、第17代を承継しました。武道家として大成、明治31年(1898)に自邸に附設した道場「練武館」を設けています。又、栃木武徳会支部の創立や剣道の中等学校正科編入・剣道型の普及等に力を尽くし、大正6年(1917)武徳会本部大会に際して総裁 久邇宮殿下より精錬證を拝受、大正12年(1923)摂政宮殿下(後の昭和天皇)の拝謁を賜る。身老齢に達しても常に野に在り、地元青年育成に尽くしたこと等、記されています。
大川鴻山先生碑文.jpg
(碑文を書き写しました。ただしカタカナはひらがなに変えています。)

栃木市史(通史編)の「近代教育制度の発足」の項に、この「練武館」の事が記されています。
≪所在 吹上村大字細堀、 師範 大川元太郎、 大川元太郎は鴻山と号した。慶応元年生、明治28年鹿島神伝神影流の免許皆伝をうけ、同31年自邸に道場練武館を設け、剣道を教えた。 その門下の有段者は五十余人にのぼった。≫

碑陰に刻された「門人」を見ると、地元吹上96名を含む200名程の名前が連ねています。その上部には「後援団」として120名(その筆頭に代議士松村光三氏の名前も見られます)
多くの賛同者を得てこの碑が建てられました。碑文の最後の日付けは昭和6年(1931)11月3日と成っています。

大川元太郎が「鴻山」と号したのは、生まれ育った細堀の地から望む「鴻巣山」から採ったのではないかと、これは私の勝手な想像に過ぎませんが。

ちなみに、「大川」という姓は2003年~2004年版の電話帳を見ると61軒、その内細堀町が17軒で一番多くなっています。次に多いのが神田町7軒、3番目が今泉町で5軒となります。
尚、細堀町で特徴的な苗字は「玉田」姓になり、8軒です。少ないですが栃木市全体でも20軒しか見られませんから、4割が細堀町に集中していることに成ります。
昭和33年8月15日近藤兼利氏が著した「皆川廣照伝」の付録「皆川譜代家臣録」を見ると、「大川」姓が3名見えるが、全て細堀村でした。又、「玉田」姓は15名見えますが、その内9名が細堀村に名を連ねていました。

田んぼ沿いに建てられた1基の石碑から、栃木市の一つの歴史に触れることが出来ました。





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ポケットチェンジして来ました

「ポケットチェンジ」という、余った外貨を電子マネーに交換出来る便利な物が有ることを、最近知りました。
我家にも僅かですが外貨が眠っていました。田舎町では簡単に両替してくれる金融機関がないので、いつか又行く機会が有れば、その時にでも利用しようと考え、そのまま手元に残ったままになっていました。が、今の状態ではもう海外へ出かける事も考えられなくなって来ているので、思い切って交換しようと東京まで出かけてきました。
関東地方で「ポケットチェンジ」が設置されているのは、成田や羽田の空港以外でも都内に何カ所か確認できたので、東京駅近くの設置施設向かいました。
持ち込んだ外貨は、米ドルと中国元の紙幣とコイン、そしてタイバーツ(紙幣のみ対応)の3種類、紙幣・硬貨合わせて約32,000円。
首尾よく交換出来れば、帰りに美味しいものでも食べてこようと。
「ポケットチェンジ」の操作は、簡単な物でしたが、初めて利用するので、思わぬ失敗を繰り返してしまいました。
紙幣投入口から紙幣5・6枚をまとめて差し込んだところ、機械は一度飲み込んだ後吐き出してきました。紙幣がバラバラと床に落ちたので慌てて拾い集めました。周りに誰も見ている人が居なかったので、良かったです。紙幣は1枚づつ挿入すれば問題なかったのです。
中国元はスムースに交換出来ました。タイバーツは2枚、旧紙幣が投入しても戻ってきてしまいました。最後に一番交換レートの高い「アメリカドル」、1ドル約108円、1枚づつ差し込んだのですが、どうしても戻ってきてしまい、両替不可となってしまいました。(原因は旧紙幣で機械が対応していない為でした)
米ドル紙幣は、私が37年前に初めて海外に出かけた時の記念で、$1・$2・$5・$10・$20・$50のピン札をとって置いたもので、改めて現在流通の紙幣のデザインと異なっていました。
当時のレートは1ドル約250円の時代でしたから、現在は半分以下に成っているのに、更に交換出来ないとなると少しショックです。
一方、アメリカの硬貨は交換出来ましたが、ペニー(1セント)が60個ほど有りましたが、一回の投入が20個までと言うので、全部処理しても60円ほどなので止めました。5セント・10セント・25セント・50セントは交換しました。
1ドル硬貨が2枚有りましたが、大きくて投入口に入らず持ち帰りました。
米ドル.jpg
(交換が出来なかった旧ドル紙幣と1ドル硬貨)

結果として交換できたのは約18,000円、期待した金額までいかなかった。やはり米ドルの紙幣が旧札で機械が対応していなかった影響が大きかった。それと「ポケットチェンジ」、操作が簡単で何の手続きも必要が無いので便利な分少し交換率が低かったかな。それでも交換出来なければただの紙切れ同然ですから、少しでも交換出来て良かった。又、いい経験をさせて貰いました。

交換所の近くで、日本銀行本店の建物や、最近発表された日本の新しい1万円札のデザインの顔となる人物「渋沢栄一」氏の銅像を見る事が出来ました。偶然ですがどれもお金に関係していました。
日本銀行本店.jpg渋沢栄一の銅像.jpg
(日本銀行本店の建物)               (常盤橋近くに建つ渋沢栄一の銅像)



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カイドウが満開になりました [草花]

我家の猫の額、いや、ネズミの額ほどの庭の隅に有るハナカイドウが満開になりました。
園芸にはほとんど興味が無く、庭の草木の手入れもしていませんが、春になると自然と目を出してきて、色々と花を咲かせてきています。
今、一番鮮やかなピンクの花を付けているのがハナカイドウです。
ハナカイドウ1.jpg
ハナカイドウ2.jpg
そして今、ナツツバキには新芽が育ってきて、黄緑色が目立って来ています。これらの木々は肥料も何もやらないのにドンドン育ってしまい、毎年伸びた枝木を切るのが大変になってきています。
ナツツバキ.jpg
何時かは処分しなければと考えていますが、今はまだ殺風景な我家の庭に彩りを添えてくれているので、今しばらくは、面倒を見ていこうかとも思っています。
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栃木市内の桜巡り [自然の恵み]

今日は栃木県議会議員選挙の投票日、昨日まで栃木市内を6名の候補者が選挙カーで、遊説していました。今日は風も無く朝から穏やかな陽気に包まれています。私も昼過ぎに自転車で近くの投票所へ向かいました。
小平橋の桜3.jpg
(満開になった小平橋の桜)
途中の小平橋袂で満開の桜を写真に収め、投票を済ませた後、市内の桜を求めて自転車のペダルを踏みました。巴波川右岸の道を幸来橋から巴波川橋方向に走らせ、瀬戸ヶ原公園へ。
この界隈は栃木市観光の中心の為か、今日も沢山の観光客が来ていました。
瀬戸ヶ原公園の桜.jpg
(瀬戸ヶ原公園の桜、手前が九十九曲り用水)
更に南に下ると栃木カトリック教会にも桜の木が有りました。
栃木カトリック教会の桜.jpg
(栃木カトリック教会の桜)
次は少し市街地から西に走って芝塚山へ向かいました。
芝塚山の桜.jpg
(芝塚山の桜)
芝塚山には数本の桜の木が有り満開になっていました。芝塚山西側の栃木商業高校でも、正門付近の桜が満開になっていました。ここから栃木バイパスを通って錦着山へ。
錦着山麓の桜.jpg
(錦着山南麓駐車場の桜)
錦着山南麓の駐車場は満車状態です。今日はまさにお花見日和になりました。
錦着山の西方を流れる永野川の緑地公園の桜も、薄ピンクの幕を張ったようです。
永野川緑地公園の桜.jpg
(永野川右岸、緑地公園の桜)
一昨日まで季節外れの寒さで、桜も開花を渋っていましたが、昨日今日の陽気で一斉に開花をしたようです。春はやっぱり桜、どこも綺麗に花を付けていました。

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栃木市街地でも桜が満開に [自然の恵み]

今朝も冷え込みがきつかったですが、昼過ぎになると一変して、暖かい空気を感じるようになりました。
そこで、さっそくカメラをぶらさげて栃木の街中に有る桜スポットを巡ってみました。
一昨日、車で大平町の桜通りを通過したのですが、一足早く満開になって、見事な桜のトンネルが見られましたので、栃木の街中も見頃になっているはず。
まずは我家の近く、巴波川・小平橋の桜です。
小平橋の桜1.jpg
(小平橋脇の桜、だいぶ開花してきています。今週末が見頃)
小平橋は私の街中ウォーキングのコースで、必ず渡る橋ですから、この時期は桜の開花状態を見るのが、一つの楽しみです。
妙唱寺境内の枝垂桜も満開になっていました。
次は旧栃木市役所別館東側、元県庁堀沿いの枝垂桜。こちらも満開です。
旧栃木市役所別館の桜.jpg
(元県庁堀の水面に満開に咲いた枝を垂らしています。)
今年度からいよいよ後方に建っている「旧栃木市別館」の建物の改修工事が開始される様です。そして新しく「文学館(仮称)」として整備されます。この際建物南東部に増築された部分が解体撤去されて、建築当時の形に復原されるようですので、その工事の都合上この枝垂桜が残されるのかどうか気になります。残されることを信じています。
定願寺墓地南側の1本の桜の木もピンクの花びらを満開に付けていました。
栃木第四小学校校庭の桜ももうすぐ満開です。
栃四小の桜.jpg
(春休みで児童の姿が見えない校庭の桜)
栃木文化会館駐車場の桜は、開花が遅れているのか、満開はもう少し後になりそうです。
次は第二公園の桜です。公園中央の噴水池脇の桜はほぼ満開、大きく育った柳の新芽が緑色に光っていました。池の周りは小さい子を連れたカップルの姿や、走り回る子供達がいました。
第二公園の桜.jpg
(噴水池の水面近くまで伸ばした枝にも、満開の桜の花が)
公園北側に祀られた栃木町の総鎮守「神明宮」の、本殿脇の桜の木も満開で、後方の本殿もすっかり隠れてしまっています。僅かに上方に千木と鰹木とがのぞいて見えます。
神明宮の桜.jpg
(神明宮の本殿前南側、本殿を隠すように咲く桜)
巴波川は今年も、川に渡したロープに多くの小さな鯉幟が付けられ、風に吹かれて川面を元気に泳いでいるようです。倭橋を渡り川の西側に。かって「いりふね保育園」だった跡地に残された桜の老木も満開に花を付けていました。
旧いりふね保育園跡の桜.jpg
(保育園の建屋も解体撤去され、更地となり園児の姿も消えさびしそうな桜木)
栃木の町の中を桜の花を求めて歩き回ること3時間、14,597歩の花見ウォーキングでした。
最後に又小平橋を渡り、我が家に戻ります。
小平橋の桜2.jpg
(往きに見た時より開花が進んだ様に見える小平橋の桜)
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枝垂桜三昧 [自然の恵み]

4月に入り、昨日は新元号「令和」が発表されました。平成も今月限りになります。
その平成最後の桜を求めて近くの桜の名所を巡ってきましたが、東京では満開と言われるソメイヨシノは、ここ数日肌寒い日が続いている為か、栃木周辺ではもう少し先になりそう、今は枝垂桜が見頃になっていました。
最初は小山市飯塚の琵琶塚古墳脇の枝垂桜です。
古墳の脇を走る道路沿いには八重桜の並木になっていますが、こちらはまだまだ開花は先のようです。ただ1本有る枝垂桜が丁度見頃になっていましたので、写真に収めてきました。
天地を桜の花のピンクと菜の花のイエロウとでサンドイッチ状態になっているのが、琵琶塚古墳です。
「6世紀前葉に築かれた栃木県最大級(墳丘長124.8メートル)の前方後円墳です。大正15年に国史跡に指定されました。」<国史跡摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館資料より抜粋>
ここ数年古墳の発掘調査が行われていましたが、調査は完了したのか綺麗に整備されて、二つのピークを持つなだらかな稜線が左右に広がっています。
琵琶塚古墳と枝垂れ桜.jpg
(琵琶塚古墳と枝垂桜)
次のポイントを求めて栃木市の北の端「西方町へ」
西方城址の南東側山裾に有るお屋敷の門の脇に見事な枝振りの枝垂桜が、まだ山陰に入る前で太陽の光を浴びて輝いて見えました。
「この枝垂桜は、栃木県名木100選の一つ、室町時代に植えられたようである。樹齢推定約560年、樹高約8メートル」<栃木市文化財マップより抜粋>
西方町の枝垂れ桜.jpg
(西方町本城の枝垂桜)
更に次のポイントに移動します。次は都賀町富張にある長福寺の枝垂桜です。
寺の東側には北から南に赤津川が南流しています。
こちらのお寺の境内には樹齢が350年や250年の枝垂桜が、今まさに満開となって枝一杯に花を付け、その重さで枝が地面まで垂れ下がっているようです。
都賀町長福寺の枝垂れ桜.jpg
(都賀町富張、長福寺の枝垂桜)
青空の下見事に咲いた枝垂桜を堪能することが出来ました。


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