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マンホールカード第7弾の情報を確認しました。 [マンホールカード]

昨日、インターネットの「下水道広報プラットホーム」のトップページを確認した所、マンホールカードの第7弾の情報を確認しました。
≪4月28日、第七弾49種49自治体が加わります≫

これまで年3回のペースで、第一弾が一昨年4月1日に、そして第四弾が昨年4月3日に導入されていましたから、今年もこの4月早々第七弾が導入されるとして頻繁に確認をしていましたが、なかなか発表されませんでした。発表された内容ですと、導入日は4月28日とかなり遅れた感じがします。

さっそく内容の確認をしました。我が栃木県は県のマスコットキャラクター「とちまるくん」をマンホール蓋のデザインにした、栃木県流域下水道のカード1枚だけでした。
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(4月28日より配布される第七弾にて、マンホールカード化される「とちまるくん」)

これには少しガッカリをしてしまいました。それは3月の末に、何時もの様に栃木市の街の中をウォーキングしていた時、道路上に旧栃木市区域の定番のデザインマンホール蓋「塚田歴史伝説館の黒塀と巴波川、そして遊泳する鯉の群れ」のカラー版を発見したからです。
これは「もしかしたら第七弾で栃木市もマンホールカードを発行するのでは」と、ひそかに期待をしていたからです。
栃木市マンホール蓋カラー版.jpg
(栃木市内で初めて確認をしたカラー版のデザインマンホール蓋)

確か以前佐野市に於いてもマンホールカードの発行の情報も聞いた様な気がしますが、まだ有りません。実際発行を希望する自治体も多く、順番待ちの状態になっているとの話も聞きます。
栃木市に於いては、マンホールカードに採用するデザインをどうするか現状の物で行くのか、更に見栄えの良いデザインにするか検討されている様です。気を取り直して今後に期待したいと思います。

その後市内を歩いて、他にカラー版が設置されていないか、注意して見ていますが、今の所「旧栃木町役場」の庁舎の近く、「神道栃木」(元禊教栃木分院)前の道路中央部に設置されている、1ヵ所だけです。
栃木市マンホール蓋カラー版2.jpg栃木市マンホール蓋カラー版1.jpg
(観光スポットのひとつ「元県庁堀と栃木町庁舎」近くの道路中央に発見)
※撮影する場合は、自動車の来ない時に速やかに行う事が大切。 交通安全第一。
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御野立記念の碑 栃木市岩舟町鷲巣 [石碑]

この場所は、眼下にJR両毛線の線路、西南西の方向に三毳山、そして前方少し左(南南東)方向に地元で富士山(ふじやま、標高93.7メートル)と呼ばれる小丘を望む所。正に目の前近くに岩舟の街を一望出来ます。
岩舟町兜山公園1.jpg
(兜山公園から南の方角を望む。奥に見える小丘が富士山)
岩舟町兜山公園2.jpg
(兜山公園に設置されている「栃木市岩舟町パノラマ」図)
北側は日本三大地蔵の一つとも称され、死者の魂が集まる所とされる岩船山(標高172.7メートル)に成ります。
この岩船山の南東に位置する所は「兜山公園」として整備されています、通称坊主山と呼ばれています。標高は50メートル程で、比高を見ると約20メートル程の高さとなります。
この高台に現在2基の石碑を見る事が出来ます。
御野立記念の碑3.jpg
(兜山公園に建つ2基の石碑。手前「明治天皇鷲巣御野立所」と読める)
その一つは碑文に大正元年八月と刻されていますが、正面に大きく「御野立記念之碑」その左側に「陸軍大将正三位勲一等功二級男爵鮫嶋重雄謹書」と有ります。
碑陰の文は「栃木中學校長劉須謹撰」と刻されています。尚碑陰左下隅に「岩舟村建之」と有りました。
御野立記念の碑1.jpg御野立記念の碑2.jpg
(後方に建つ石碑「御野立記念之碑」) (碑陰には大正元年 劉須謹撰の碑文を刻す)
碑文全体を読み写してみました。
御野立記念の碑文写し.jpg
(御野立記念之碑の碑文を写し書きしました)

栃木市史の資料編近現代Ⅰを開くと、第三章第四節に「天皇の行幸」と有り、初めに「一、近衛師団演習(明治三十二年) 栃木町に行在所」の記事が記されています。
其の中に、「演習天覧」 (十六日 岩船山東南部中腹の坊主山で観戦された。)としてその時のエピソードが紹介されています。

手前に建てられている石碑によると、此の地は「明治天皇鷲巣御野立所」として、史蹟名勝天然紀念物保存法に依り史蹟として昭和11年11月 文部大臣指定された事が刻されています。ただ、その後同法に依り史蹟指定された明治天皇の行在所等の「聖蹟」は、昭和23年6月29日一斉に史蹟解除されています。

ただ史実として明治32年11月16日にこの地で明治天皇が、南軍北軍に分かれた近衛師団の激戦を交わす戦況を観戦した事、その後ここ御野立所に於いて御昼食を食した事などを、碑文として刻したこれらの石碑が、今日の私達に静かにその事実を伝えてくれているのでした。
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桜の花びらが舞い散る、皆川城内を歩く [歩く]

連日、季節外れの暑い日が続いています。今も私の上の温度計は24.8℃を表示しています。
恐らく正午前後の屋外、太陽が照り付ける所では、25℃越えの夏日に成っていたと思われます。
そんな中、今日「歴史と文化を歩く会-栃木」の4月例会で、栃木市皆川城内町周辺を歩いて巡って来ました。今回の目玉は皆川城内町の新町から北隣りの宮町に続く、永野川左岸の満開の桜堤を歩くコースに成っています。
スタート地点は皆川城址の南麓、皆川公民館駐車場。ここで今回の案内をして頂く、「皆川地区街づくり協議会歴史文化部会のメンバーの方達と合流、出発です。
皆川公民館.jpg城山の桜.jpg
(スタート点の皆川公民館駐車場)    (城山を見上げると、満開の桜が迎えています)
まず最初は、全員が元気な内に皆川城址の城山(標高147メートル)を攻略する作戦。
皆川城址公園案内図.jpg
(城山登り口に建てられた「皆川城址公園案内図」、後方に城山の頂上が覗く)
城山南麓中ほど、公民館の裏手附近の登り口から、時計回りに山の西側から裏手に回り、そこから一気に山頂を目指しました。
城山を登る1.jpg竪堀.jpg
(城山の南面を登る道を右手に城山の西側から北側へ)(城山に見られる竪堀のひとつ)
城山の北面は杉が茂り、太陽の陽射しを遮ってくれる為、登り坂で厳しい所でしたが、それほど汗をかかずに登ることが出来ました。
城山北側の谷.jpg城山を登る2.jpg
(北側斜面は杉の林、花粉が少し気になった)    (山頂に向ってひと踏ん張りです)
山頂に建てられた展望台に昇ると、そこは360度を見渡せる絶好のロケーションでした。
城山山頂展望台.jpg山頂からの眺め.jpg
(山頂に建つ「皆川城址」の石碑と展望櫓)    (城山の山頂、展望櫓からの眺望)
山頂からの眺めを暫し楽しんだ後、下山。
山を下る.jpg井戸跡.jpg
(足元に気を配り、山を下りる)          (見はらし平より城南桜平方向を)

次の目的地は城山から南西方向500メートル程の所に有る、皆川家の菩提寺「金剛寺」に向かいます。
金剛寺.jpg皆川家墓所1.jpg
(皆川家の菩提寺「慈眼山金剛寺」)        (市指定史跡「皆川家歴代祖廟」)
金剛寺の住職さんに案内して頂き、第5代の皆川広照公などの皆川家十八代の当主と奥方の墓地や、本堂内に納められている市有形文化財「皆川広照公着用南蛮胴具足」や、広照公が茶の湯で親交が有った、千利休の弟子山上宗二より贈られた、利休茶の湯秘伝書「山上宗二記」などを拝見する事が出来ました。
皆川家墓所2.jpg皆川広照公の墓.jpg
(左手奥の宝篋印塔型のお墓が皆川広照公のものです)(五代、皆川広照公の墓)

次に訪れたのが浄土宗の寺院「家康山照光寺」です。県道栃木佐野線から南に入る参道。その突き当りに見えるお堂は呑龍堂。本堂は参道を進んで行くと右側に現れて来ます。私はこちらの寺院には4年ぶりにの再訪に成りますが、現在本堂を新築中との事で、真新しい6.5間四方の木造宝形銅板葺の建物に変わっていました。
照光寺新本堂.jpg照光寺旧本堂.jpg
(新築された照光寺本堂)            (平成26年2月3日撮影、以前の本堂)
こちらでも住職さんより貴重なお話を沢山伺うことが出来ました。

予定時間をかなりオーバーをしてきて、宮の桜堤から今一番離れた地点に成っています。やむおえず予定していた東宮神社には寄らないで永野川左岸の桜堤に直行する事に成りました。
桜堤の南の端にたどり着いたのは、丁度12時になるところ。既に結構足に疲れが溜まって来ています。ここから宮の橋まで1キロメートル以上にもなる桜のトンネルが続きますが、この長さが少し恨めしくも感じられます。
通常の年で有れば丁度満開になる頃ですが、今年は異常な暑さで少し緑色の葉が混じり、桜の下の道路は散った桜の花びらで、ピンクの絨毯の様にも見えます。ただ桜吹雪の中を歩く事で、何とか疲れを癒してくれます。
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(少し緑色が目につきますが見事な桜のトンネル。少し遅れて来てしまいました)
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(永野川の右岸から。奥に見える桜並木が先ほど歩いた桜堤に成ります)
宮の橋を渡って永野川の右岸に出ます。
栃木市の聖地公園の前を抜け、持明院山門脇の枝垂桜を堪能して、出発地点の皆川公民館駐車場に無事到着しました。今回の歩数は16,079歩(約9.6km)に成りました。
持明院.jpg
(別峰山持明院山門前の枝垂れ桜を観賞)
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満開の桜の下で珈琲を。第2回栃木コーヒーフェスティバル [祭]

今日、旭町の神明宮と第二公園を会場に、第二回栃木コーヒーフェスティバルが開催されました。
私は何故か勘違いをしていて、先週既に終わっているものと思っていました。が、昨夜娘から今日が開催日で有る事を聞かされました。
栃木珈琲フェスティバル6.jpg栃木珈琲フェスティバル8.jpg
(会場となった「第二公園」とその北隣りの「神明宮」)
野外で開催されるイベントは、天候に恵まれれば80パーセント以上成功間違いなし。その点今回のイベントは、青空が広がりその上満開の桜。会場を第二公園にした事で最高の環境が整ったと行っても、過言ではないと感じました。それもこれも神明宮の御利益なのかも。
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(満開の桜の下、テント仕立てのお店が並んでいます)
会場に入ると既に沢山の人が、思い思いにお気に入りのお店で好みの珈琲を飲もうと行列しています。
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(人気のお店なのでしょうか、長い行列が出来ています)
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(コーヒー店以外の、ハンバーガーや唐揚げ・餃子などのお店も行列が)

私も珈琲は大好きですが、特に原料や製法等にこだわっていません。家では普通にインスタントコーヒーで、満足して飲んでいます。ですから今日はどのお店の珈琲を飲んだら良いか全く分かりません。
そこで最初に選んだお店は「悟理道珈琲工房」さん。選んだ理由は、何時もウォーキングで市内を回っていて、最近昔の阿部清商店さん(最近までトリウミ味噌さん)のお店の後にオープンしたのを、何時も店の前を通る時に気に成っていたからです。
栃木珈琲フェスティバル10.jpg栃木珈琲フェスティバル7.jpg栃木珈琲フェスティバル5.jpg
(太陽の光を浴びながら飲むコーヒー、やはりいつも飲むインスタントとは)

会場では、珈琲店だけで無くクレープやハンバーグなどのお店も出店していました。娘から仕事で行けないから、「ハウディーズカフェ」さんのハンバーグを買ってきてとリクエストされていたので、お土産に買ってきました。出来るまで30分から40分という事で、その間他のお店の珈琲を飲んだり、第二公園の噴水池の周りを散策したりして、春の一日を満喫して来ました。
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(第二公園噴水池、桜の花で一段と艶やかに感じます)
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(柳の木も新芽が出て黄緑色の爽やかに輝いています)

帰り道、巴波川の幸来橋から川沿いを歩いて来ました。ここも多くの観光客で賑わっていました。
数日前の夏の様な暑さから少し平年並みの陽気に戻った様で、少し冷たく感じる春風に桜の花びらが舞っていました。

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(幸来橋の上から、巴波川の上を泳ぐ鯉幟、船行を楽しむ観光客も)
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(瀬戸河原公園脇、九十九曲り用水に桜の花びらが舞う)
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今日の一枚「下野市 姿川桜堤の落日」 [自然の恵み]

下野市、石橋中学校の西側を流れる姿川、その左岸堤防沿いに桜の並木が作られています。
私は今回初めてこの桜堤を訪れました。
この桜堤については、以前から壬生から石橋方面に車を走らせている時、姿川に架かる「細谷橋」周辺で川の上流方向に見えていました。桜が咲いている時一度訪れたいと思っていた所でした。
今日は買い物帰りの途中だった為、現地に着いたのは夕方の5時30分を過ぎていました。
姿川の左岸、アメニティーパークの南端から細谷橋の近くまで約600メートル程の桜並木が、僅かに右カーブを描く様に流れる川に沿って曲線を描いて、その桜並木が夕陽を受けて、一段とピンク色の度合いを増している様です。
そして午後6時丁度、黒く光を失った大地に、辺りをオレンジ色に染めた太陽が沈んで行きます。その最後の光りが手前の桜の花を照らしていました。その瞬間をカメラに収めました。

姿川堤の桜と夕陽.jpg
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栃木 錦着山の桜が満開に成りました [草花]

今朝、近くの錦着山にお花見に行ってきました。
初夏を思わせる陽気に一枚上着を抜いて出かけました。
まず、以前の錦着山護国神社参道を横切る様に抜けた栃木環状道路との交差点に架かる歩道橋の上から錦着山の桜の開花状態を写真に収めました。
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(栃木環状線薗部町歩道橋の上から、錦着山を撮影)
錦着山の登り口は東西南に5カ所有ります。自動車で来た時は自ずと駐車場の有る南側から登っていますが、今回は自転車だったので鳥居の有る東側中央部からの参道を登る事にしました。登り口近くに自転車を停めて登ります。
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(錦着山南麓の駐車場、ここも満開でした)      (錦着山東側登り口、護国神社大鳥居)
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(東側の坂を登った所、南側に回り込む)
ここで更に右に折れ、東側の山肌を登る細い通路が有りますが、今回は少し先から石段を登って社殿の前に出る参道を登りました。

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(山上に有る護国神社社殿前)
平日だった為か、この日の錦着山は人影はそれほど多く有りません。中年の女性や、老夫婦らしき人達が参道の石段を登って来て参拝をしていました。
拝殿に向かって左手方向に社務所が有りその横の坂を少し登ると、錦着山の頂上に成ります。国土地理院の三角点もここに設置されています。そこから西方向に進むと、昭和26年竣工となった、赤津川分水路の開鑿に尽力を尽くされた当時の栃木市長小根澤翁之胸像が、永野川と赤津川分水路の合流点を望む様に建てられています。空気が澄んだ日はここから北西方向に男体山をはじめとする日光連山の山々を展望する事が出来ます。
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(山上の西端、眼下の永野川緑地公園も桜が満開に成っています)

帰りのルートは、山頂から社殿の裏の道を抜けて、東側の道を下ります。
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(錦着山東側の道)
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(下りながら振り向くと青空を背景に錦着山のシンボルの燈台が)
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(錦着山の南西方向に緩やかな山並みの太平山を望む)

この週末、太平山の桜も見頃に成ってることでしょう。
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目黒川で、お花見をして来ました [草花]

今週に入り連日、初夏を思わせるような天候に、東京では桜も満開、まさにピークを迎えています。
そこで今日、思い切って東武電車に乗り込みました。最初の目的地は「目黒川の桜」です。
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(目黒川の両岸から川を覆うようにせり出した桜の枝一杯に花を付ける)

最寄りの駅は東急東横線の中目黒駅、目黒川はこの駅のホームの下を流れています。
私は25年ほど前、単身赴任で自由が丘と栃木を毎週往復をする生活を4年間続けました。その通勤ルートがこの中目黒駅で地下鉄日比谷線から東急東横線に乗り換えていました。その頃、会社の同僚からこの「目黒川の桜」の情報を耳にした事も有りますが、その当時は週末は栃木に帰って、子供達と一緒の時間を過ごす事で一杯でした。今回そんな懐かしさも手伝って、中目黒の駅を降りました。
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(目黒川両岸の通りは、花見客で溢れる)

そこは想像以上の混雑で駅のホームや改札口も行列が出来ていて、駅から出るのも一苦労、それから目黒川両岸の道路も目黒川に架かる多くの橋の上も、花見の客が溢れて歩くのも儘なりません。
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(川岸の通り沿いには露店が並び、桜の下で花より団子を楽しむ)

平日にもかかわらずこの混雑ぶりはどうなっているのかと、田舎者には不思議でなりません。
南部橋左岸橋詰に石碑が建てられていました。碑面上部に「櫻樹」と刻し、その下に記念碑となっています。碑陰を見ると、碑文と発起人・賛助員らの名前などが刻されています。碑文を読むと、
≪昭和二年目黒川改修工事竣成と相俟って 市街の風景を存する為め両岸一帯に櫻樹を植付 永久に記念すべく有志の計畫に因り成りたるもの也  昭和十一丙子年三月建之≫と、現在の「目黒川の桜」の最初の由来が記されています。
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(南部橋橋詰に建てられて「櫻樹 記念碑」とその説明板)

南部橋の所から左岸の道を更に遡ると、鮮やかな朱色に塗られたアーチ型の橋が桜の間から現れて来ました。歩行者専用橋の「中の橋」です。
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(歩行者専用の「中の橋」、ここも多くの花見客が桜をバックに写真を撮っていました)

私が今日目黒川で撮った桜の花三昧を紹介します。
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目黒川の桜9.jpg
目黒川の桜10.jpg

やっとの思いで目黒川岸を遡って、東急田園調布線の池尻大橋駅にたどり着きました。早々にそこから脱出して東京メトロ半蔵門駅に向かうことに。次の目的地は「千鳥が淵の桜」にしました。
しかし半蔵門付近も多くの観光客や花見客で溢れていました。半蔵門前から内堀通りを北に歩き靖国神社を参拝。慣れない人混みの中を歩いた為か疲れが出て来たので、夜桜を見るのを諦めて帰路に付きました。それでも我が家に着いたのは22時近くに成っていました。疲れも出ます今日の歩数を確認すると、22,913歩を表示していました。
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新栃木駅前の巴波桜が満開に [歩く]

昨日のウォーキング途中、新栃木駅入口交差点の足利銀行新栃木支店角に薄ピンク色の花を付けた街路樹が目に留まりました。
この桜の樹は数年前より新栃木駅前通りの新しい目玉として、植樹が行われてきている桜の街路樹で、栃木街に因んだ桜の品種「巴波桜」です。
歩くコースを少し変更して、新栃木駅前に向かいました。
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東武日光線新栃木駅前から西に向かう道路は、駅前から大通り(主要地方道宇都宮亀和田栃木線)までの約500メートルの道路(県道新栃木停車場線)に現在まで植樹が進んで来ています。将来的にはその先の主要地方道栃木粕尾線の東北自動車道栃木インターまでこの巴波桜の植樹を行って、桜の並木を作って行く計画の様です。
巴波桜2.jpg巴波桜3.jpg
現在、最初に植樹された駅前広場の樹は3メートル程の高さまで成長してきて、駅前を鮮やかに彩っています。それぞれの樹には植樹に協力している嘉右衛門町や泉町、大町などの地元自治会や会社・団体のネームプレートが付いています。
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その後、突然降り出した雨に暫し雨宿りをしつつ、今日は良く歩きました歩数計は「16,677歩」、約10キロメートルも歩きました。
帰りがけに、私の一番お気に入りの桜見ポイント、巴波川の小平橋袂の桜の開花状態を確認して帰りました。蕾は大分膨らんで来ています。

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川越の街にて春色を写す [草花]

今日、春色溢れる川越の街を歩いて来ました。
暖かい陽気に誘われてか、「時の鐘」周辺は多くの観光客で大混雑していました。
川越蔵造り通り.jpg川越時の鐘.jpg

少し人混みから離れて、喜多院方向に移動します。更にそこから南に歩いて中院の境内を訪れます。
全くの予備知識も無く喜多院や中院を散策して来ましたが、それぞれ川越の桜の名所らしく、早咲きの枝垂桜や寒緋桜そして白木蓮の花々が色鮮やかに咲き誇っていました。
そんな川越の春色を、切り撮って来ました。

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中院1.jpg中院2.jpg
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先日、東京の開花宣言が出ました、桜のシーズンはいよいよこれから。わが街栃木での開花は、もう少し先に成ります。
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栃木市日ノ出町の元軍馬購買所跡地に建つ石碑 [石碑]

栃木市大宮町から県道44号(栃木二宮線・通称小金井街道)を通って栃木の市街地に向かってくると、今泉町二丁目の中元内科医院の手前で、斜め右に入る道路が有ります。こちらの細い道路が昔の小金井街道でした。この道路は現在市道11118号線の管理番号が付けられ、途中東武日光線の踏切を通過して日ノ出町の榎堂稲荷神社の前を通って、ウエルシア栃木日の出町店の所で、再び県道44号線に突き当たります。途中の踏切は歩行者二輪車は通行できますが、自動車は通行不可になっています。
旧小金井街道東分岐.jpg旧小金井街道東武日光線踏切.jpg
(左が現在の県道、右が旧小金井街道)  (途中の東武日光線踏切、自動車通行不可)
この旧小金井街道の西側の出口近く、現在の山門クリニック駐車場の隅に、大きな石碑が道路に面して建てられています。その手前には小さな3基の石碑が建ち、向かって右側の石碑から「生駒大神」・「軍馬忠魂碑」・「黒鹿毛ギヤンタ號 鐡馬靈神」とそれぞれ文字が刻されています。
鐵馬霊神.jpg軍馬忠魂碑.jpg生駒大神.jpg
「鐡馬靈神」と刻した石碑は、昭和6年2月5日に小松澤繁助翁が建立。
「軍馬忠魂碑」と刻した石碑は、昭和14年4月7日に栃木軍馬購買斡旋組合が建立。
「生駒大神」と刻した石碑は、昭和22年6月5日に栃木家畜商組合員有志によって建立。

そしてその後ろに建つ大きな石碑には「小松澤繁助翁之碑」と中央に大きく刻され、右上に「創立十五年記念」、そして左下部分に「軍馬補充部本部長陸軍中将武藤一彦書」と刻されています。
小松澤繁助翁之碑(表).jpg小松澤繁助翁之碑(陰).jpg
(市道11118号線沿いに建つ石碑)    (小松澤繁助翁之碑の碑陰)

この「小松澤繁助翁」とはどんな人なのか、手元に有る昭和47年4月7日下野新聞社発行の「郷土の人々 栃木・小山・真岡の巻」のページをめくると、「交通の先駆小松沢氏」として、≪小松沢繁助は、大正のはじめにトテ馬車を走らせた交通部門のパイオニヤ。日露戦争には、軍馬五百頭を軍に納めるという武勲を立てた。また大正十三年には小平重吉らと共同で関東自動車を創設、初代社長となった。≫と、紹介をしていました。
碑陰に目をやると、この石碑は昭和9年に、栃木軍馬購買斡旋組合が、組合創立15年を迎えるに当たり、昭和6年5月に病没した小松澤繁助翁の昔日の功績を偲んで、建碑したと記されています。碑陰一面に刻された碑文には、翁の軍馬購買斡旋に係わった人生が縷々と記されています。その全文を写し書きしました。
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(小松澤繁助翁之碑、碑陰の碑文を写し書きしました。)

それではなぜこの石碑がこの地に建てられたのか。その答えは栃木市日ノ出町自治会が、昭和62年3月31日に町制50年を記念して発行した「日ノ出町史」の中に有りました。それは「栃木軍馬購買所」と題した記事で、≪トテ馬車又は関東バス株式会社の創設者でも知られている小松澤繁助翁が、日露戦争の時に軍馬を当地方から五千頭も納入して、近衛第一、第三、第十三、第十四、第十五、各師団に、昭和六年五月迄に軍馬を一万頭も買上納入しておりました。最初は、現在の深谷病院(今はサンライズクリニックに改称)の南側から久我様宅前道路迄に軍馬購買斡旋組合を作り、其の組合長に小松澤繁助翁がなられ・・・・以下略≫
まさにこの石碑の建つ場所に、「軍馬購買所」が有ったのでした。
この地方は美田が広がる農村地帯で、数多くの農耕馬が家畜として育てられ、農作業の大きな力となって家族同様に大切にされていました。それをお国の為として手放すことはとてもつらい事であったと思われます。
市内の各地に、軍馬として出征した馬を記念する石碑が建てられています。
日露戦役軍馬紀念碑(土与).jpg日支事變出征馬記念碑(薗部).jpg
(大平町土与の日露戦役軍馬紀念碑)  (薗部町の日支事變出征軍馬記念碑)

「小松澤繁助翁之碑」の前に建つ「鐡馬靈神」と刻した石碑は、翁がお亡くなりになった年の昭和6年2月5日に、翁自らが建立をしたもので、碑陰には戦場に赴き激務に耐えて務めを全うした軍馬への慰労の言葉が刻されています。

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