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「とちぎ橋カード」をゲットして来ました。 [コレクション]

我が栃木県では「本物の出会い 栃木」デスティネーションキャンペーンが、4月1日から6月30日までの3ヶ月間開催されていますが、その一環として「とちぎ橋カード」が県内10箇所で配布されています。
栃木県内の河川に数多く架けられた橋の中から、栃木県、県土整備部、道路整備課、構造物担当の専門家の方々が厳選した、「橋梁10箇所」。橋好きの私にとって以前から興味の有った橋も有れば、今回初めて現地を訪れて見た橋も有りました。
カード表の橋の写真は、その構造を説明する目的も有り、思川の「観晃橋」や大谷川の「日光橋」は、橋の下部構造を見せる為、下から撮影しています。
今回、そんな「橋カード」をゲットしながら、特殊な構造を持った橋巡りを楽しみました。
<1枚目>松原大橋(まつばらおおはし) 一級河川思川 県道南小林・松原線 
       平成8年(1996)架設。
橋カード松原大橋1.jpg
松原大橋1.jpg松原大橋2.jpg
私の松原大橋との出会いは、1993年10月の架設工事中、思川に何本もの橋脚だけが建っている写真を撮影したのが始まりです。最近では2011年4月2日に歩いて渡っています。東日本大震災が発生した後で、まだ時々大きな余震が起きている頃でした。

<2枚目>観晃橋(かんこうばし) 一級河川思川 県道栃木・小山線
       平成4年(1992)架設。
橋カード觀晃橋1.jpg
観晃橋1.jpg観晃橋2.jpg
観晃橋は栃木から小山駅に向かう時、必ず渡る橋ですが、現在のこの橋が完成した時は、本当に開放感のある橋に成ったと感じました。架け替え前の橋の思い出は、小学3年生の春の遠足が小山の「森永」の工場と小山のSLの操作場見学の後、思川の河川敷に下りて記念写真を撮りました。その記念写真のバックに以前の観晃橋が写っていました。

<3枚目>五行川橋梁(ごぎょうがわきょうりょう) 一級河川五行川 真岡鐵道
       明治27年(1894)架設(推定)、大正2年(1913)転用
橋カード五行川橋梁1.jpg
五行川橋梁1.jpg五行川橋梁2.jpg
五行川橋梁を見るのは今回初めてでした。真岡には2016年5月27日に街歩きに来ました。その時は五行川に架かる「長瀬橋」や「田町橋」、そして行屋川沿いを歩いて「施無畏橋」や「静風橋」などを見て回りましたが、その時はこの五行川橋梁まで足を延ばしませんでした。今度は「橋カード」の様な、蒸気機関車と橋梁の写真を撮りに行きたいと思います。

<4枚目>晩翠橋(ばんすいきょう) 一級河川那珂川 県道西那須野・那須線
       昭和7年(1932)架設。
橋カード晩翠橋1.jpg
晩翆橋1.jpg晩翆橋2.jpg
那珂川に架かる晩翠橋は以前は国道四号線上の橋で、那須温泉や茶臼岳方面に観光に行く時は、必ず渡る橋でした。橋を渡ると直ぐに左に折れると那須道路。現在は高速自動車道で行くことが多くなった為、この橋を渡る機会も少なくなりました。当然以前この橋を渡るとき、橋の下部構造にこのようなアーチ状に成っている事は全く知る由も有りませんでした。初めて晩翠橋を下から撮影したのは平成12年、今回3度目の訪問に成りました。

<5枚目>烏山大橋(からすやまおおはし) 一級河川那珂川 県道那須烏山・御前山線
       平成10年(1998)架設。
橋カード烏山大橋1.jpg
烏山大橋1.jpg烏山大橋2.jpg
烏山大橋に来たのは、今回で2度目です。最初は2015年11月、那珂川の一つ上流側に架かる「平成19年度土木学会選奨土木遺産認定の境橋」の紅葉を撮影に行った途中、烏山大橋の斜張橋の主塔が目に留まり、寄り道をしていました。

<6枚目>渡良瀬橋(わたらせばし) 一級河川渡良瀬川 県道足利・太田線
       昭和9年(1934)架設。
橋カード渡良瀬橋1.jpg
渡良瀬橋1.jpg渡良瀬橋2.jpg
足利の街は私の好きな街の一つで、若い頃は鑁阿寺や織姫公園に出掛けていました。足利の街は「東の小京都」とも称され、街の中を西から東に流れる渡良瀬川には魅力ある橋が、3本架けられています。上流側から「渡良瀬橋」「中橋」「中田橋」。橋カードとなった渡良瀬橋は歌手の森高千里さんの歌詞で全国的に有名になりました。
≪渡良瀬橋で見る夕日を・・・・・≫で歌いだし、≪・・・夕日がきれいな街≫と歌われます。
橋カードもその景色を意識したものに成ってます。

<7枚目>宮の橋(みやのはし) 一級河川田川 県道宇都宮・笠間線
       平成7年(1995)架設。
橋カード宮の橋1.jpg
宮の橋1.jpg宮の橋2.jpg
JR宇都宮駅の西側、田川と大通りとの交点に架かる橋。いつも大勢の歩行者や車が行き来しています。
栃木市から宇都宮に行くと東武宇都宮線が多い為、JR宇都宮駅まで行くのはなかなかありません。今回も久しぶりの訪問でした。

<8枚目>第一松木川橋梁(だいいちまつきがわきょうりょう) 一級河川渡良瀬川
       わたらせ渓谷鐵道 大正3年(1914)架設。
橋カード第一松木川橋梁1.jpg
第一松木川橋梁1.jpg第一松木川橋梁2.jpg
渡良瀬川の上流域、日光市足尾町には明治23年(1890)12月に架設され、現在国の重要文化財にも指定されている、日本でも初期の道路用鉄橋「古河橋」をはじめとして、その他吊橋や斜張橋など特殊な構造の橋が多く架けられている為、私も以前から撮影に通っています。

<9枚目>日光橋(にっこうばし) 一級河川大谷川 国道119号
       昭和37年(1962)架設。
橋カード日光橋1.jpg
日光橋1.jpg日光橋2.jpg
日光駅で電車を降り、一直線に続く登り坂の道を歩いて行く、道路の両側には観光客相手のお土産店や飲食店が並んでいます。下鉢石町、中鉢石町から上鉢石町と抜けてくると道路は大谷川に架かるこの「日光橋」を渡り、対岸の日光の二社一寺へ向かう。ただこの日光橋を渡るとき、私達の目は直ぐ上流側に架かる朱塗りの「神橋」に向いてしまう。この場所はこれまでも何度も来ているが、今回初めてこの「日光橋」を意識して観察しました。改めて見るとやはりこの橋はデザイン的にも派手さが無く、脇役に徹した橋に成っていると感じました。

<10枚目>湯西川橋梁(ゆにしがわきょうりょう) 一級河川湯西川(五十里湖) 野岩鉄道
        昭和58年(1983)架設。
橋カード湯西川橋梁1.jpg
湯西川橋梁1.jpg湯西川橋梁2.jpg
最後の一枚は野岩鉄道湯西川温泉駅でゲットしました。併設されている道の駅湯西川には、ゴールデンウィークに入っていることも有って大勢の観光客が来ていました。
最後の橋カードに写る「湯西川橋梁」は、その眼の前を通る道路の先に見えています。
そこには既に私と同じようにその橋を写真に収めようとしている人が、鉄橋を通る電車が来るのを待っている様で、私も早速撮影の準備をして、無事写真に収める事が出来ました。

「橋カード」の裏面には、「橋名」「路線名」「所在地」「交差物件」「橋長(最大支間長)径間数」「代表形式」「架設年」「管理者」等の基本情報と、「豆知識」として橋の特徴や周辺情報などが記されています。

これらの「橋カード」は今回の観光キャンペーン期間限定版。宇都宮市や日光足尾町などどこのカード配布場所に行っても、県内外からのコレクターが来ていました。カード自体は無料配布に成っていますが、はるばる遠方から時間とお金を掛けて、観光も兼ねて来ています。それが元々この「橋カード」配布の目的でしょうから、これによりまた地元に架かる橋にも興味を持たれる人が増えればと思います。
今回の私の「橋カード」による県内橋巡り、新しい発見も有り楽しい時間を過ごせました。
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栃木市カラー版マンホール蓋、2ヶ所目発見しました。 [コレクション]

今年の3月末、栃木市内をウォーキング中に偶然、色鮮やかに着色されたマンホール蓋を発見ました。それから、これまで他に設置されていないか注意しながら市内ウォーキングをしていましたが、栃木駅前や大通りの歩道など確認しても、見つかっていませんでした。それが今日、巴波川沿いの観光スポットの一つ、幸来橋の近くで2ヶ所目のカラーマンホール蓋を発見しました。
栃木市マンホール蓋カラー版2枚目.jpg栃木市マンホール蓋カラー版2枚目発見.jpg
(今日、発見した2ヶ所目となるカラー版デザインマンホール蓋) (発見場所 幸来橋付近)
この2枚目を発見した場所こそ、この栃木市のマンホールのデザインとなった場所付近となります。
「幸来橋」の橋の上から下流側を見ると巴波川左岸の川沿いに、下流に架かる「巴波川橋」までの間100メートル以上に渡って、黒く塗られた板塀が続いていて、塀の向こう側には土蔵が幾つも連なっています。
巴波川の上には現在、両岸から渡された沢山のロープに、赤や青、緑など色とりどりの鯉のぼりが吊るされ、それが泳ぐ様に風に舞っています。その風景はマンホール蓋のデザインそのものです。
巴波川の鯉幟.jpg
(旧栃木市地区マンホール蓋のデザインとなった風景、巴波川沿いの黒塀と土蔵群)
2ヶ所目のカラーマンホールが設置されている場所も、1ヵ所目の場所同様に車道の成っていますから、注意して見て欲しいです。
栃木市マンホール蓋カラー版1.jpg栃木市マンホール蓋カラー版1枚目発見.jpg
(3月末に発見した1ヵ所目のカラー版マンホール蓋)  (発見場所、元県庁堀付近)

この栃木市のデザインマンホール蓋は、以前からデザイン的にマンホール蓋コレクターの間では結構評判が良かったもので、旧市内で有れば何処でも見る事が出来ます。但しカラー版に成っているデザインは左下に描かれている「市章」が合併後の新しい市章です。この新しい市章のマンホール蓋は、新しく下水道を設置した区域ですから、探してみて下さい。
栃木市マンホール蓋1.jpg栃木市旧マンホール蓋.jpg
(新しい栃木市章のマンホール蓋)        (旧栃木市章のマンホール蓋)
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山羊座のマンホール蓋は何処へ?宇都宮市ユニオン通り [コレクション]

最近は宇都宮を訪れる時は、もっぱら自動車に頼っていますが、それでも年に1・2回は今も東武電車を利用しています。以前一緒に働いた先輩や同僚たちとの飲み会に参加する為で、この時ばかりは電車のお世話に成ります。
東武宇都宮駅からオリオン通りを抜けて、二荒山神社方向に歩くのが殆んどですが、先日チョッと寄り道をして、オリオン通りとは逆方向、日光街道を渡って西側に進む「ユニオン通り」へ向かいました。
「ユニオン通り」は宇都宮市の大通りに対して、一本南側を並行して通る道幅6メートル程の細い通りで、日光街道と材木町通りの間約370メートルのほぼ直線で、「ユニオン通り商店街」の中心を成しています。
「ユニオン通り」の北側は「伝馬町」、南側は「西一丁目」ですが、通りの両側はお洒落なファッション系のお店や、カフェやイタリアン等の若者向けの店舗が軒を連ねています。
私が訪れた時は通りの路面が、電線類の地中化工事が進行中の為か、元の石畳部分と工事に伴う仮舗装とがモザイク状に成って少し見た目が悪くなっていましたが、もうすぐ新しい町並みに生まれ変わる様です。
ユニオン通り2.jpgユニオン通り1.jpg
(入口に建てられた通りの標柱。下部に「ユニオン通り景観事業工事に伴い ご迷惑をおかけ致しております 生まれ変わるユニオン通りに御期待ください」の記載が有りました。)

現在、そんな工事の最中でしたが、この「ユニオン通り」に設置されている、十二星座を描いたマンホール蓋を写真に収めて来ました。
日光街道側からユニオン通りに入ると、最初に「おひつじ座」を描いたマンホール蓋が目に入って来ました。更に通りを西に向かって歩いて行くと、「おうし座」「ふたご座」「かに座」と順に設置されている様です。
おひつじざ.jpgおうし座.jpgふたご座.jpgかに座.jpg
(おひつじ座)      (おうし座)       (ふたご座)       (かに座)
材木町通り側に抜ける手前で最後の「うお座」まで12枚の星座を描いたマンホール蓋の写真を納めました。
ユニオン通り3.jpgユニオン通り4.jpg
(「かに座」と「しし座」は直ぐ近くに有りました)(だいたい通りの中央部に有ります)
が、改めて確認してみると「やぎ座」のマンホール蓋が見当たりません。そしてなぜか「みずがめ座」を描いた蓋が2枚有りました。
しし座.jpgおとめ座.jpgてんびん座.jpgさそり座.jpg
(しし座)        (おとめ座)       (てんびん座)       (さそり座)
いて座.jpgみずがめ座.jpgみずがめ座2.jpgうお座.jpg
(いて座)        (みずがめ座)       (みずがめ座)     (うお座)

なぜ「やぎ座」が無くて「みずがめ座」が2枚有るのか。
その2枚の「みずがめ座」のマンホール蓋を良く見ると、固定用のボルト穴の様なものが1枚だけ左右が逆に付いています。その為11枚のマンホール蓋は、描かれた絵が通りの西方向が絵の上に成る様に作られていますが、「みずがめ座」の1枚だけは通りの東方向が上に成る様に設置されていました。
これは単純な間違いでは無く、何かの意図が考えられます。
それが何を意図したものか、今、私にはどうにも考えが及びませんが、今度何かの機会に関係された方にお伺いをしてみたいものです。
もしかしたら「やぎ座」のマンホール蓋もどこかに設置されているのかも知れません。でなければ「やぎ座」の誕生日の人達がかわいそうですから。
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栃木県のマスコットキャラクター「とちまるくん」を描いたマンホール蓋が出来ました [コレクション]

今日、上三川町多功に有る栃木県県央浄化センターに行ってきました。
目的は、1月17日の読売新聞栃木県版に載っていた、栃木県流域下水道のマンホール蓋のデザインを刷新して、栃木県のマスコットキャラクター「とちまるくん」を描いたデザインマンホール蓋のカラー版が、一昨日の1月30日に県央浄化センター敷地内に設置されたので、新しいうちに見て写真に収める為です。

壬生町から国道352号線を東に走らせ、国道4号線を跨ぐ陸橋に乗り、東北新幹線の高架の下を抜けた最初の交差点を右折、東北新幹線の高架を右手に見て南に、途中分岐を左に行くと直ぐ目的の「栃木県県央浄化センター」の正門前に出ました。
栃木県県央浄化センター正門.jpg
(栃木県県央浄化センター正門)
正門を入り右方向に有る駐車場に車を停めて、管理棟の玄関に向かうと玄関ドアにカラーマンホール蓋の設置場所の案内図が掲示されていました。
設置場所は先ほど入って来た正門から管理棟に向かった時、正門の右脇付近です。
県央浄化センター構内の「とちまるくん」マンホール.jpg
(正門を入った右側に設置された「とちまるくん」のカラーマンホール蓋)

新しいデザインは、栃木県の木「トチノキ」の葉をちりばめ、中央に「とちまるくん」を配しています。カラー版ではイチゴをイメージしたピンク色を背景にしているそうです。
「とちまるくん」のカラーマンホール蓋.jpg
(刷新された栃木県流域下水道の「とちまるくん」のカラーマンホール蓋)
私のデザインマンホール蓋の写真コレクションも又一枚増やすことが出来ました。今度はマンホールカードの発行も期待しています。

着色の無い通常版の「とちまるくん」マンホール蓋は、今年の3月以降、老朽化した蓋から交換されて行くとの事です。近い将来には家の近くでも見られるようになるか楽しみです。
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「とちまるくん」がマンホールの蓋に! [コレクション]

先日、読売新聞栃木版で、福田栃木県知事が定例記者会見中、「栃木県内流域下水道用マンホール蓋のデザインを栃木県のマスコットキャラクター「とちまるくん」を用いたものに刷新する」、との話が有ったことを報じていました。
栃木県流域下水道1.jpg
(現在布設されている栃木県流域下水道のマンホール蓋の一種)
デザインマンホール蓋の収集を趣味としているコレクターとしては、新年そうそう楽しいニュースが入って来たと喜んでいます。
一昨年の4月から発行が始まった「マンホールカード」が、最近色々なマスコミの番組で取り上げられるようになり、知名度が増して多くのコレクターが、カードを発行する自治体を歩き回る様になっています。
栃木県内で最初に、このマンホールカードに着目をした足利市は、2016年8月発行の第二弾で、足利学校の「学校門」をデザインしたカードを発行しています。更に足利市は2017年4月発行の第四弾でも、足利学校に関するデザインで2枚目を出してきました。
足利市学校門.jpg足利市「学」.jpg
(マンホールカードに成っている足利市のマンホール蓋。二種類)
(現在これらの二種類のマンホールカードは準備した枚数の配布を終了して、増刷を待っている状態と言います。それほど多くのコレクターが足利市を訪れているのです。)
足利市はこうした観光の目玉を作るのが得意な自治体だなといつも感じています。
現在多くの自治体がこの「デザインマンホール蓋」や「マンホールカード」のブームにあやかりたいと検討を進めていると聞いています。コレクターとしてもうれしい現象です。
現在、栃木県内にはどれくらいのデザインマンホール蓋が有るのか?これまで私が県内を探し回って写真に収めた枚数は57種類を数えています。同じデザインで、カラー版を設置している自治体も有りますが、カラー版は設置枚数が少ない為、見つけるのは至難の業です。それだけに発見した時は気持ちが良いものです。
那須の与一.jpg矢板市ともなりくん.jpg
(大田原市のマンホール蓋、那須与一)    (矢板市のマンホール蓋、ともなりくん)

新しい「とちまるくん」をデザインしたカラー版のマンホール蓋が、今月30日午後3時頃までに、上三川町多功に有る「栃木県県央浄化センター」の構内に設置されると言います。
今から楽しみです。
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栃木市内で見る、店舗暖簾 [コレクション]

先日、市内で見る日除け暖簾を紹介しました。店舗の前に掛けられた、屋号などを染め抜いた物で、風にあおられると「バンバン」と鳴る事から、太鼓暖簾とも呼ばれる物をまとめました。今回は一般的に店舗の入り口などに掛けられている、「店舗暖簾」を集めてみました。
暖簾と言うと私達は、お店の前に掛かっているかいないかで、お店が開いているか閉まっているかを判断する材料にしています。
市内で良く見かける一般的な暖簾は、大通り倭町に店舗を構えている「本澤商店」さんの暖簾です。
本澤商店は天保年間(1830~1843)創業と云う老舗で肥料商を営んでいました。店舗の下屋の上に掲げた「日星肥料」の大看板が現在も目を引いています。こちらのお店は、歩道と店舗の間、セットバックのスペースにいつも大八車や樽に草花を綺麗にデコレーションして、通行する私達の目を楽しませてくれています。最近掛けている暖簾は白地に茄子の絵の中に本澤屋と黒で記しています。以前の暖簾は紺色の地に白く染め抜いた物が使われていました。
本澤商店1.jpg本澤商店2.jpg
(草花等で綺麗にデコレーションした本澤商店)(2002年撮影時の暖簾は紺色の地でした)

暖簾が目立つ風景としては、嘉右衛門町通りの老舗「油伝味噌」さんでしょう。こちらも創業は天明年間(1781~1788)という歴史の有る店舗です。元々は暖簾に記されている様に油屋を営んでいました。その後味噌醸造を手がけました。こちらの暖簾は現在紺色地に白抜きされていますが、以前は白地に黒の暖簾を使用していました。
油伝味噌店1.jpg油伝味噌店2.jpg
(暖簾が目を引く、嘉右衛門町通り「油伝味噌」)(2013年撮影時は白地の暖簾でした)

銀座通りの和菓子のお店「山本総本店」さん、そしてその西側巴波川に掛かる幸来橋へ行く手前に店を構える「和菓子もめん弥」さん。これらのお店の入口にも暖簾が掛けられています。やはり暖簾には「和」に対するイメージを演出するのに欠かせないようですね。
山本総本店2.jpg和菓子もめん弥1.jpg
(創業明治25年の和菓子店「山本総本店」)(もめん弥本店、店先には太鼓暖簾を見られる)

巴波川の右岸、倭橋の橋詰で理容店を営む「松本床屋」さんは、創業明治八年と染め抜いた暖簾を入口に掛けています。
松本床屋1.jpg三桝屋本店1.jpg
(入舟町の松本床屋さん)    (大通り「三桝屋本店」さんに見る「軒暖簾」)
大通りの「三桝屋本店」さんの店先には、以前太鼓暖簾が見られましたが、現在は軒下を飾る「軒暖簾」別名「水引暖簾」だけと成っています。普通暖簾は夜には外しておきますが、軒暖簾は丈が40センチメートルから50センチメートルと短い暖簾で、外さないで一日中掛けて置くもので、お店の名前や屋号を染め抜いて有り、お店の広告塔の役目を果たしています。
同じく大通りの「なすび食堂」さんの軒下にも店舗名を染め抜いた軒暖簾が有りました。
なすび食堂1.jpgなすび食堂(島田屋).jpg
(栃木市役所向かいの「なすび食堂」の「軒暖簾」)(店舗内に飾られている「嶋田屋」の暖簾)
「なすび食堂」の建物は昭和2年に建てられたもので、元は乾物商「嶋田屋」も店舗でした。現在も店内にはその当時の看板などが見られます。写真の暖簾も当時の「嶋田屋」のもので、暖簾の左下隅に「嶋田屋」と、そしてその対角線上の暖簾の右上隅に、「カネに丸一」の屋号紋が染め抜かれた斬新なデザインです。

大通りの老舗旅館「かな半」さんの入口に掛かる暖簾。夜、ウォーキングで前を通ると玄関先の街灯に明かりが灯りその脇に掛かる暖簾の下の空間に、旅館の奥に繋がる土間が覗いていて、今日の泊り客をやさしく向い入れているように見えます。風情のある風景を醸し出しています。
かな半旅館2.jpgかな半旅館.jpg
(昼間のかな半旅館)            (陽が落ちた後、旅館の入口に明かりが灯る頃)

暖簾は私達の周りにまだまだ沢山見る事が出来ます。我家にも居間と台所の間に、娘がお土産として買ってきた暖簾が、ズット掛かっています。
我家の暖簾.jpg

栃木市内に見る、日除け暖簾 [コレクション]

栃木の市街地を歩いていると、今も店先に日除け暖簾を掛けている風景を目にする事が有ります。
その代表的な風景は、入舟町の巴波川沿いに建つ横山郷土館です。両側に石蔵を配した店舗の軒先に掛けられた日除け暖簾には、中央に横山家の屋号紋が大きく染め抜かれ、右側に「創業慶応三年」と記されています。
横山郷土館.jpg横山郷土館日除け暖簾.jpg
(巴波川沿い入舟町の横山郷土館の店頭に掲げられた日除け暖簾)

街の中央を縦貫している旧例幣使街道沿いには、江戸時代後期から明治期の土蔵造りの見世蔵が現在も多く残っていますが、それらの見世蔵を活用した観光施設の店先にも、PR用の日除け暖簾が掛けられています。
歌麿館.jpg歌麿館日除け暖簾.jpg
(見世蔵としては弘化二年(1845)の上棟と、建築年代の判明している蔵造りの店舗としては栃木町で一番古い旧古久磯提灯店の跡を活用した「とちぎ歌麿館」。その建物の前に「歌麿の 愛したまち とちぎ」と紺地に白抜きした日除け暖簾が、掛けられています。)
山本有三記念館.jpg山本有三記念館日除け暖簾.jpg
(見世蔵を活用して、栃木市出身の文豪「山本有三」の遺品や資料などを展示している、「山本有三ふるさと記念館」の前にも、紺地に記念館名を白抜きにした日除け暖簾が掛けられています。)

これらの日除け暖簾は写真にも有る通り、布帛製で紺や茶に染め、屋号や商品名・紋所を白抜きにしたものが多く見られます。その理由のひとつは、紺や茶は退色しにくいからだそうです。又職種によっても使われる色にルール的なものが有った様ですが、現在はそれほど厳格な使い分けは無く有っていると思いますが、逆に今も地方によっては常識的な使い分けが行われているのかも知れません。
ちなみに、紺色や藍色などは手堅い商いをする商家が多いと言われます。又、藍の匂いは虫が嫌うとして呉服屋の多くが藍色の暖簾を使用した様です。白地に黒文字は菓子屋や薬屋。柿色は水商売などが多かったと言われます。
日除け暖簾はその名前の通り、店先に掛けて日除けや風よけとしての目的ばかりでなく先にも記した様に宣伝の役も果たしています。
暖簾の上部には竹棹を通す為の乳が縫い付けられて、下側は風に巻き上げられないように両裾を石の重しに紐で繋がれています。その為風に吹かれると暖簾が揺れて「バン・バン」と音を発てることから、「太鼓暖簾」とも呼ばれるそうです。

大通り以外で今も日除け暖簾を掛けている店舗を探して見るとまだまだ有りました。
あおきそば粉店.jpgあおきそば粉日除け暖簾.jpg
(本町、青木ソバ粉株式会社。蔵造りの本社入口に掛かる日除け暖簾)
和菓子もめん弥.jpg和菓子もめん弥日除け暖簾.jpg
(倭町、巴波川に架かる幸来橋近くの「和菓子もめん弥」の日除け暖簾)
丸萬.jpg丸萬日除け暖簾.jpg
(倭町、蔵の街とちぎのきもの専門店「丸萬」の店頭中央に掛かる日除け暖簾)
伊勢屋日除け暖簾.jpg大和田酒店.jpg
(入舟町、だんご豆大福の伊勢屋さん)    (入舟町、おおわだ酒店はお酒のPR暖簾)
伊勢屋さんの写真は2011年に撮影したもので、現在は白地では無く紺地の暖簾に変わっている様です。
又、最近は新しい日除け暖簾も見られるようになりました。
ジェラート桜蔵日除け暖簾.jpgスリーピース.jpg
(イタリアンジェラート桜蔵の日除け暖簾)(これは新しい日除け暖簾に成るか、「333」)

尚、現在は見られ無くなってしまいましたが、私がこれまで撮影をした日除け暖簾についても紹介したいと思います。
倭町の三桝屋本店さんとその並びに以前店舗を構えていた蔵の家具や「丸三」さんの店先にも日除け暖簾が見られました。(2002年10月に撮影)
三桝屋本店.jpg家具の丸三日除け暖簾.jpg
(三桝屋本店の店先に見られた日除け暖簾)(旧丸三家具店前を飾っていた日除け暖簾)
蔵の街観光館日除け暖簾.jpg太田蔵日除け暖簾.jpg
(とちぎ蔵の街観光館の日除け暖簾) (太田蔵の前で見かけた日除け暖簾)
塚田記念館日除け暖簾.jpg小井沼jpg.jpg
(塚田歴史伝説館にて以前掲げていた暖簾)(湊町、「お茶の小井沼」の日除け暖簾)

これらの日除け暖簾の他にも、以前私が市内で見かけたものがいくつか記憶に残っています。今思えば撮影をしていなかったことを悔やんでいます。そして又、今回紹介した日除け暖簾(太鼓暖簾)とは別に、市内の店舗の店頭を飾っている他の種類の暖簾についてもまとめたいと考えています。

栃木県内のマンホールデザイン蓋 [コレクション]

今日、東北自動車道を走り、県内最北の那須高原スマートICで東北道から降り、那須町の中央部に位置する、JR東北本線の黒田原駅方面に向かいます。
今回、那須町を訪れた目的は、黒田原水処理センター区域のデザインマンホール蓋を写真に収める為で、JR黒田原駅近くの栃木県道28号線にて無事写真に収めることが出来ました。
那須町黒田原.jpg
(那須町黒田原水処理センター区域)

これで、現在栃木県内に有る下水道用デザインマンホール蓋を全て写真に収めました。もちろん今後も新しいデザインのマンホール蓋が現れて来るでしょうが、現在インターネット上に掲示された物は何とか自分の目で確認をしました。実際に場所を見つけるのに苦労をしました。特にカラーのマンホールは設置数が少ない為、その区域の中心地、駅の近く、観光施設の近く等を歩き回りました。
道路上に有るマンホールは、下水道用だけでなく、消火栓や電気・ガス・電話等沢山有りますが、ここでは下水道用だけにターゲットを絞りました。
マンホール蓋も工業製品ですから、日本工業規格(JIS)が制定されており、「JIS規格模様」というデザインが有る様です。このデザインは別名「東京市型模様」と言われます。模様の中央部分にそれぞれの市町村の自治体章を表示した蓋を多くの町で見る事が出来ます。尚東京都下水道局では平成13年に23区内のマンホール蓋を、固有のマンホール番号と管きょの布設年度(西暦)を表示したものに変更しました。
東京都jis.jpg東京下水道1.jpg
(東京都章のJIS規格模様)(東京23区下水道蓋、平成13年変更後)

最近多くの市町村でその町の特徴をデザイン化したデザイン蓋を設置していますが、他にこのJIS規格模様の蓋も設置しています。栃木市内でもこのJIS規格模様を見る事が出来ます。
栃木市jis.jpg藤岡町jis.jpg今市市jis.jpg
(旧栃木市)           (旧藤岡町)           (旧今市市)
壬生町jis.jpg足利市jis.jpg日光市jis.jpg
(壬生町)             (足利市)            (日光市、合併後)

又、「JIS規格模様」とは別に、蓋全面に亀甲模様を配し、中央部に自治体章を付けたマンホールも良く見かけます。栃木市内でも旧市内や都賀町・藤岡町などで写真に収めました。
栃木市(亀甲).jpg都賀町(亀甲).jpg藤岡町(亀甲).jpg
(旧栃木市)            (旧都賀町)            (旧藤岡町)
石橋町(亀甲).jpg鹿沼市(亀甲).jpg矢板市(亀甲).jpg
(旧石橋町)            (鹿沼市)            (矢板市)
以上の「JIS規格模様」や「亀甲模様」は、恐らく殆んどの市町村にて使用している様に感じます。その為収集しきれない為、最近は収集していません。

この「JIS規格模様」や「亀甲模様」に対して、各自治体の特徴を表現したデザイン蓋を、県内でも沢山見る事が出来ます。まず、色彩鮮やかなカラーのマンホール蓋を幾つか紹介します。
佐野市(カラー).jpg田沼町(カラー).jpg石橋町(カラー).jpg
(旧佐野市)             (旧田沼町)          (旧石橋町)

南那須町(カラー).jpg日光市今市(カラー).jpg大田原市(カラー).jpg
(旧南那須町)             (旧今市市)         (大田原市)

デザイン蓋の絵柄に採用されるものは、その自治体の花や木、鳥を描いた物が多い様です。
野木町(木花).jpg南河内町(木花).jpg芳賀町(木花鳥).jpg
(野木町)             (旧南河内町)           (芳賀町)
市貝町(花鳥).jpg矢板市(木花鳥).jpg黒羽町(木花鳥).jpg
(市貝町)              (矢板市)             (旧黒羽町)
野木町は中央に町の花「ヒマワリ」、外周に町の木「エンジュ」
旧南河内町は町の木「モミジ」、町の花「キク」、斜めに走るギザギザ模様は、町の東部を流れる「鬼怒川」「江川」「田川」を図案化したものと思われます。
芳賀町は町の木「ケヤキ」の葉、町の花「ナシ」の花、町の鳥「ヒバリ」
市貝町は町の花「キク」、町の鳥「キジバト」
矢板市は市の木「ナツツバキ」、市の花「レンゲツツジ」、市の鳥「キジバト」、後方に描かれた山は「高原山」と思われます。
旧黒羽町は町の木「スギ」、町の花「ヤマユリ」、町の鳥「ウグイス」

他に、幾何学模様や繰り返しパターン図柄のデザイン蓋も有りました。その中には自治体章や自治体名が表示されていない蓋も有り、撮影した場所で自治体を確認しなければ分からない、(下野市の旧国分寺町川中子の幾何学模様や、小山市の馬三匹をパターン化した図柄など)、珍しいデザイン蓋だと思います。
宇都宮市(パターン).jpg河内町(パターン).jpg氏家町(パターン).jpg
(宇都宮市:市の木「イチョウ」)(旧河内町:町の花「サギソウ」)(旧氏家町:町の西を流れる鬼怒川のアユ?)
小金井町(パターン).jpg小山市(パターン)jpg.jpg那須塩原市黒磯(パターン).jpg
(旧国分寺町川中子)      (小山市)            (旧黒磯市:中央に旧市章)

図柄にはユーモラスな絵やユニークなデザインも有り、集めていると楽しくなります。
さくら市上野(カエル).jpg烏山町(カラス).jpg益子町(益子焼).jpg
(旧氏家町上野:カエル)        (旧烏山町:カラス)      (益子町:陶器)
高根沢町(元気).jpg鹿沼市(杉).jpg那須町湯本(温泉).jpg
(高根沢町:人・自然・元気)       (鹿沼市:杉の子?)    (那須町湯本:温泉)

多くのマンホール蓋の材質は、鋳鉄製に成っています。又、表面は上を走る車がスリップしにくいようなギザギザ面と、成っているのがほとんどですが、特殊なものとして、鉄製本体に特殊コンクリート製の化粧円盤を組み合わせたマンホール蓋や、石畳の歩道などに設置されるマンホール蓋の様に周辺に合わせる石畳をセットしたもの、鉄製のベースに図柄を印刷した金属板をビス止めした蓋などが確認されました。
野木町(コンクリ).jpg栃木市(石畳).jpg矢板市(金属板).jpg
(野木町:ひまわり)       (栃木市:マロニエの葉)    (矢板市:ともなり君)

今回、私が栃木県内を巡って撮影したデザインマンホール蓋は56枚(同じ図柄でカラー版が有る場合や、表示された地区名が異なった場合等も、1枚とカウントします。)
大平町(カラー).jpg大平町(みずほ西).jpg大平町(下皆川).jpg
(旧大平町公共雨水カラー蓋)  (旧大平町みずほ西集排)  (旧大平町下皆川集排)
大平町(公共).jpg大平町(公共新).jpg
(旧大平町公共汚水)     (栃木市大平町公共汚水、合併後自治体章が変わる)
※上の5枚は栃木市大平町のもの、全てデザインは同一です。設置地域や栃木市との合併等により表示文字が違っています。

旅行先の町を歩いていて、珍しいデザインマンホール蓋を見付けると、何か得をした様な感覚になります。最近はこうしてマンホールの蓋を探すのが癖になって来ました。
館林市1.jpg行田市1.jpg総和町5.jpg
(群馬県館林市)          (埼玉県行田市)       (茨城県猿島郡総和町)
栃木県外は、まだまだこれからです。



栃木市立栃木第二小学校の思い出 [コレクション]

今日は、朝から収集した「栃木」の地形図を引っ張り出して、束の間のタイムトリップを楽しんだ。と言ってもSF小説の様に時間の流れを超越して旅する事など出来ませんが、頭の中の空想や想像の世界に身を置く事です。その手段として地形図を媒体にする訳です。
昭和40年代の地形図を眺めていれば、青春時代の出来事が浮かんできますし、昭和初期の地形図を見ると、両親が暮らした世界に思いを巡らす事も出来ます。
「栃木」の街は、江戸時代から明治の前半位までは、旧日光例幣使街道の宿場や、巴波川舟運の遡航終点として繁栄をして、明治9年には巴波川右岸、薗部村鶉島(現栃木市入舟町)に栃木県庁が建設されました。明治前期測量の迅速図を眺めると、栃木町の西側田圃の中に、長方形に区画され内側に建物が整然と並んで建っています。しかし、県庁は土木県令と云われ、自由党弾圧でも名をはせた三島通庸が、第三代栃木県令に着任すると、あっけなく宇都宮に移してしまいました。明治17年の事です。
明治19年栃木市街図2.jpg
(明治19年測量2万分1下都賀郡栃木町の地図より県庁堀跡付近を抜粋)
この堀に囲まれた県庁の跡地はその後、中学校(現在の県立栃木高等学校)や小学校(現在の栃木中央小学校)が建てられました。
私は、この中央小学校の前身に成るのか、栃木第二小学校で最初の学校生活を送りました。私が入学をした頃丁度校舎が、木造から鉄筋コンクリート3階建に建て替えられた時で、真新しい校舎で、トイレもその当時珍しかった水洗トイレでした。校庭も広々として南側の県庁堀の所まで有り、堀の南側には第一小学校が有りました。
しかし私が3年生の頃、校庭の南半分に市役所や市民ホールが建てられ狭くなってしまいました。
1963年市役所前通り2.jpg1963年栃二小全景.jpg
(1960年代の栃木第二小学校と南側の市役所前道路)
国土地理院発行の2万5千分1の地形図「栃木」は、大正6年の発行が最初の物に成ります。そして私が入学したころの様子が見られるのは、昭和40年3月に発行した、昭和33年の測量結果を反映した地形図に成ります。地図には3階建ての教室棟の前に、職員室や図書館・音楽室などの入った2階建ての棟が描かれています。南側に堀を隔てて栃一小の建物が見えます。北側に栃木高校、そして市役所は県庁堀の南東の角に二重丸の地図記号が付いています。今は使われていませんが元の市役所別館です。又、校庭の南西角に黒くカギカッコ状に描かれている建物が元の栃木図書館です。
昭和40年3月地形図栃木県庁堀跡.jpg昭和49年11月地形図栃木県庁堀跡.jpg
(国土地理院発行2万5千分1地形図「栃木」、昭和40年と昭和49年発行の県庁堀跡周辺を抜粋)
もう一枚の地形図は昭和49年11月発行の地図で、こちらは校庭の南側に東西に道路が走り、栃一小との間に新たに建物が二つ描かれています。右側の大きい方が「栃木市役所」その西側が「栃木公民館(市民ホール)」です。市役所別館と図書館の建物は残っています。
昭和40年発行の地形図を見ると道路の部分にが網目がかかっている箇所と無い箇所とが有りますが、これは、舗装がされているかいないかを表わしたものです。丁度この頃は道路の舗装が始まった頃で、この様に地形図にも表わされた様です。
1990年代に入ると、私の母校に子供達も通うようになりました。
1993年9月運動会1.jpg1993年9月運動会2.jpg
久しぶりに小学校に入ると、懐かしい光景が沢山有りました。1年生の教室の机や椅子の小さいのにも驚きました。
1994年6月15日学校祭4.jpg1994年6月15日学校祭1.jpg
6年の時に児童会で廊下を走らない様にと「歩行者免許証」をつくった事も思い出されました。
1994年6月15日学校祭2.jpg
(管理棟の2階から教室棟への連絡通路。昔、フードは無く雨の日は下を通りました)
屋上に出ると、西に太平山が広がっています。この風景は変わる事は有りません。ここで体育の授業をしたものです。
1994年6月15日学校祭5.jpg1994年6月15日学校祭3.jpg
(元栃二小の屋上より南東側<旧市役所別館>及び南西側<太平山>を望む)
その母校も2010年にはすっかり取り壊されてしまいました。
2010年6月27日栃二小の跡4.jpg2010年6月27日栃二小の跡3.jpg
(子供の頃よく遊んだ滑り台)          (東側の道路、奥には栃木高校が見える)
現在は第一小学校と一緒になり、栃木中央小学校と名前も変わりました。4階建ての立派な校舎です。私は今、選挙の投票時だけ校舎内に立ち寄る程度に成ってしまいました。
2013年9月栃木中央小学校.jpg2015年4月栃木中央小学校全景.jpg

文学碑土鈴 [コレクション]

今日も暑かったですね。この暑さの中外に出るのは危険なので、昼の間家の中で過ごしました。そして、運動不足を解消する為、夕食の後夜の栃木の街を、1時間程歩いて来ました。多数の行灯が灯る巴波川の河畔を歩いていると、写真のストロボの光りが、ピカッピカッと夜空を照らし出しています。巴波川橋の上から巴波川の行灯の写真を撮影をしている様です。三脚を構えて、数名の人が思い思いのアングルで撮影をしていました。
そんな訳で、今日も手持ちのコレクションの話です。昨日の「火防の獅子」と同じく、栃木土産品研究所発売の「文学碑土鈴」を紹介したいと思います。
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(コレクションの土鈴)
現在、栃木市内の神社・仏閣や公園などに多くの文学碑や歌碑・句碑が建立されていますが、その文学碑を土鈴の形にして販売されたものです。
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(同封された説明書)
ふたつの土鈴がセットに成っています。その一つは、栃木市民で有れば誰でも知っている、「山本有三」の文学碑です。山本有三の文学碑は栃木駅前を始め市内の学校の校庭などに建てられていますが、今回の土鈴のモデルとなっているのは、太平山の謙信平の高台の上に建てられたものです。
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(太平山公園謙信平に建つ、山本有三文学碑)
そして、もうひとつの碑は、前田雀郎の句碑に成ります。「前田雀郎」については、知っている人は少ないかもしれません。「前田雀郎」は栃木県宇都宮市の出身で、明治30年3月27日生まれ、宇都宮商業を卒業。講談社や都新聞社に勤務。昭和11年「せんりゅう」を創刊。昭和16年日本川柳協会委員長。昭和35年1月27日死去。62歳でした。
この土鈴となった句碑は、太平山の遊覧道路を登って行き、見晴台方面と謙信平方面に分かれる、丁度そのティー字路の突き当りに建てられています。隣りに「圓通寺中興二世となる、高慶大師の像が建てられています。
句碑に刻まれているのは≪太平の 曲れば此処も 花吹雪≫の句に成ります。
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(太平山遊覧道路大曲駐車場近くに建つ、前田雀郎n句碑)
栃木市に有る「川柳不二見吟社」が主宰して、前田雀郎を中心の全国川柳大会を太平山で開催した直後、同吟社の肝いりで、雀郎句碑第一号を花のトンネルの真っ只中の大曲りに、市の観光協会が建てたものです。この句碑が前田雀郎の生前に建てられた唯一の句碑に成ります。
もう一句、≪この町へ 西日を戻す 山車の丈≫という雀郎の句が、「とちぎ山車会館」入口の横手に建てられています。
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(とちぎ山車会館の入口前、向かって右手に建つ前田雀郎句碑)

もう一度、山本有三の文学碑に戻ります。昭和38年3月9日、太平山公園謙信平に建立されたこの文学碑の除幕式には、山本有三氏本人も出席されました。(寿像は石井鶴三制作)
碑文は有三作品の「路傍の石」の中で、担任の先生が吾一少年に言った一言、≪たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、うまれてきたかいがないじゃないか。≫です。市内に有る山本有三の碑文は殆どが、この言葉が使われています。ですから栃木市民であれば誰もこの一説は、諳んじて言う事が出来ます。
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(栃木駅の北口を出て、右手方向に向かうと、バス乗り場後方に建つ山本有三文学碑)
山本有三の石碑で他の言葉を刻したものは、日ノ出町の栃木公民館(元、栃木市民会館)広場に、≪自然は急がない≫と言う自筆の文学碑が建立されています。
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(日ノ出町栃木公民館の広場に建つ、山本有三文学碑)
又、菩提寺となる、万町の近龍寺の墓地内に有る山本有三の墓石に記された言葉は、作品「無事の人」より、≪動くもの砕けるものの中に動かないもの砕けないものが大きくからだに伝わってくる≫の言葉です。
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(近龍寺本堂裏手の墓地に眠る、山本有三の墓石)
最後に「路傍の石」の一説を土鈴に記した作品が有ります。これらの土鈴を振ると、音の高い低いは違いますが、みな素朴な音を発てます。
文学碑土鈴8.jpg
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