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マンホールカード、ゲット出来ず [コレクション]

ゴールデンウィークの期間中、少し足を延ばして福島県と埼玉県に車を走らせました。目的はマンホールカードを貰う為です。
高速道路渋滞にはまる可能性が高いと考え、一般道路を利用して、福島県は白河市と郡山市の2カ所を回って予定通り2種類のカードをゲットする事が出来ました。

国道4号線を走って福島県へ。最初に「JR新白河駅」前にて「西郷村」のマンホール蓋の写真撮影。
新白河駅.jpg南郷村マンホール.jpg
(東北新幹線停車駅「新白河」) (新白河駅は西郷村に有り、駅前歩道でマンホール発見)
マンホール蓋のデザインは、西郷村の村章に村の木「カシワ」の葉3枚を配し、その周りに村の花「ミズバショウ」の花を廻らしたものです。

新白河駅前から車は白河市街地へ向かい、マンホールカードを配布している「白河観光物産協会」へ。車のナビに目的地の住所を入力して行くと、JR白河駅前に到着。「白河観光物産協会」の場所は駅舎の直ぐ左隣りに有りました。窓口で「マンホールカード」と言うと直ぐに対応して頂けました。他に白河市の観光マップなども頂き、さっそく駅の周辺を散策してみると、駅舎の反対側(北側)の高台にマンホールのデザインに描かれている「小峰城」の復元された天守を望む事が出来ました。
白河駅.jpg白河市マンホール.jpg
(JR白河駅、左隣りに「白河観光物産協会」)(駅前市街地で見つけた白河市マンホール)
小峰城.jpg小峰城道場門跡.jpg
(白河駅ホームの屋根上に小峰城の復元された天守)(線路の手前に発掘保存展示されている小峰城道場門跡)
白河駅の近くで見つけたマンホール蓋は前面に梅の花が散りばめられています、梅は白河市の花に指定されています。
マンホールカードに有るデザインの蓋を探しに、駅から2km程南側に有る、国指定史跡で名勝の「南湖公園」へ。
南湖公園.jpg白河市カラーマンホール.jpg
(享和元年、白河藩主松平定信により築造された南湖公園)(カラーマンホールを湖畔で発見)
今度はゆっくり訪れて、湖を周遊する道を存分に散策してみたい、赤松の緑が湖面に映えて美しい風景がそこには有りました。
今回はもう一枚のカードを求めて更に国道4号線を北上、郡山市へ向かいました。
郡山市のマンホールカードを配布している「郡山市開成館」へ急ぐ。開館時間が16時30分迄という事で、なんとか閉館前にたどり着く事が出来、こちらでも窓口で快く対応して頂けた。
開成館.jpg郡山市カラーマンホール.jpg
(郡山市開成館)           (JR郡山駅前近くで発見したカラーマンホール)
郡山市のマンホール蓋のデザインは、市章の「山」の字をデザイン化して三分割された扇状の空間へ、郡山市の「木・花・鳥」を描いたもので、花は「ハナカツミ」、木は「ヤマザクラ」、鳥は「カッコウ」です。

この日は予定通り2枚のマンホールカードがゲットする事が出来ました。
白河市マンホールカード.jpg郡山市マンホールカード.jpg

この後連休の最後に今度は埼玉県越谷市のマンホールカードを貰う為に、国道4号線を南に走らせました。カードを配布している場所は、「越谷レイクタウン水辺のまちづくり館」内の、「越谷市観光協会」。周辺は新しく造成された都市景観の町並み、武蔵野線が東西に走り「越谷レイクタウン駅」、南北に新国道4号線が縦断、大型商業施設も有り、大勢の市民が集まって来ているのでしょうか、道路も大きな駐車場も車でいっぱいに成っていました。
やっとの思いで目的の場所にたどり着き、観光協会の窓口で「マンホールカードは?」と尋ねると、少し申し訳なさそうに「既にカードは無くなっていて、次回いつ配布に成るか未定」と言うお話でした。
仕方がないので、周辺を散策してカードのデザインのマンホールを撮影して帰りました。
越谷市カラーマンホール.jpg
(越谷市の木の「ケヤキ」と鳥の「シラコバト」を描いたカラーマンホール蓋)

帰宅してから早速、インターネットの「下水道広報プラットホーム」のホームページからマンホールカードの配布情報を確認したところ、越谷市は「配布を終了しました」と成っていました。私が確認したのは少し前の情報だったので、今後は出発前に確認するようにしたいと思いました。
改めて大勢の方がマンホールカードを集め始めているんだなと、感じました。

マンホールカードの収集、コツコツと。 [コレクション]

街を歩いていると、道路の上に現れるマンホールの蓋。その蓋表面に加工されているデザインは、それぞれの市町村でその自治体の特徴を表現したものが製作され、道路上を飾っています。
デザインの内容は、その自治体が制定する「木」や「花」や「動物」だったり、「祭りの様子」「山や川の風景」だったりまちまちですが、道路上に設置する関係で、マンホール蓋の上を「人」や「自動車」等が通行する為に、機能的には≪スリップしにくいような≫ギザギザ・デコボコの表面を有するようなデザインとなるよう工夫がされています。(最近はツルツルしていて、これは車道には設置されないだろうと思われるデザインや、観光目的を狙ったマンホール蓋も出来ている様ですが。)
私もかなり前からそんなデザインマンホール蓋の写真を撮り歩いて来ていて、昨年栃木県内の全ての蓋を写真に収めました。
現在は少し範囲を広げて隣県まで足を運んでいます。
又、最近は昨年4月から順次発行が開始された「マンホールカード」の収集も始めています。
<マンホールカードはこうなっています>
マンホールカード川越市.jpg
(表にマンホール蓋のデザインと設置場所の経緯など、裏にデザインの由来など)

マンホールカードのコレクションに関して。
①マンホールカードは無料で入手する事が出来る。
②入手できる枚数は、一人一枚。
③入手出来る場所は、それぞれのカードで1ヵ所指定されています。
④電話予約や郵送等は対応しない。
⑤欲しい人は指定された配布場所に足を運び、窓口で申し出て、カードを受け取る。
と言うもので、私も県内や隣県の指定配布場所に行って、入手しています。
これまで8枚のカードを入手していますが、どの窓口に行っても、受付の人達の対応はとても親切でした。マンホールカードの他に其の町の観光パンフレットや、マンホールの設置場所の案内地図なども渡してくれます。配布場所が市町村の観光案内所(足利市・館林市など)の場合は、土日や休日でも開いていますが、多くの指定が市役所内の下水道課窓口となっていますので、平日の9時から17時の間だけと言うものが多くなっています。
インターネットにてマンホールカードの配布情報が見られますので、配布場所や配布日時を良く確認して行く必要が有ります。私も水戸市のカードを入手した時には、場所を勘違いしてしまいました。その時は間違ったついでにその周辺の街歩きを楽しみましたが。
これからも、カードの収集と街歩きを楽しんで、コツコツとコレクションを増やしたいと思っています。
<今年に成って収集したマンホールカード>
館林市.jpg行田市.jpg
水戸市.jpg熊谷市.jpg
関東地方一都六県で現在27枚のマンホールカードが発行されています。コツコツと集めて行きたいです。



川越市のマンホールカードをゲットしました。 [コレクション]

先週の土曜日、東京にチョッとした用が出来た為、車で出かけました。
途中、川越市にて「埼玉県流域下水道50周年記念」の行事として、「マンホールサミット埼玉2017」が開催されている事知り、少し回り道をして会場の様子を見て来ました。
開場は川越駅西口近くに、一昨年オープンした「ウェスタ川越」。会場の外は、丁度この冬一番と言う大寒波が訪れて、冷たい風が吹いていましたが、建物内の会場には大勢の人が訪れて熱気に溢れていました。
マンホールサミット埼玉2017.jpgマンホールサミット写真展示.jpg

開場に到着したのは、午後1時過ぎでしたが、大ホールでは、「下水道って何だか楽しい!」とか、「マンホール広報は楽しい!」「マンホール蓋を発掘せよ!」などのテーマで、リレートークが繰り広げられていました。
大ホール入口前では、マンホールコースターの塗り絵の会場に多くの小さい子が、マンホールをデザインしたコースターに思い思いの色を塗っていました。
他に「埼玉の下水道フォトコンテスト写真展示」や「下水道の日関連コンクール作品の展示」、そしてマンホールグッズとして「ご当地マンホールストラップ」や「ミニタオル」、「どら焼き」などが会場狭しと並んでいました。
マンホールカード幟.jpgマンホールグッズ俱楽部幟.jpg

冷たい風が吹き荒れる建物外の「交流広場」には、埼玉県下の各自治体のマンホールが一堂に展示されていました。それを多くの人がお気に入りのデザインのマンホールを写真に収めていました。
埼玉マンホール展示1.jpg埼玉マンホール展示2.jpg

私もゆっくり見ていたかったのですが、寒くて体が冷えてしまうのと、後の予定が詰まっていたので、そこそこにその場を後にしました。
最後までいると記念品として、マンホールカード「埼玉県流域下水道8種セット」が貰えたのですが残念です。ただ、受付にて川越市のマンホールの「紙コースター」と、「マンホールカード」1枚づつをゲット出来ました。
マンホール蓋コースター(川越).jpg川越市マンホールカード.jpg
天気予報では、関東地方でも所によって降雪の恐れが有る、として不要不急の外出は避ける様にと注意をしていたので、不安が有りましたが、幸い帰りの東北道も「降雪」や「凍結」も無く、無事に戻る事が出来ました。

デザインマンホール蓋ブーム到来か? [コレクション]

最近、デザインマンホール蓋の話題が、新聞テレビで良く見聞きするようになった気がします。
今日の読売新聞朝刊の栃木版、≪学業成就のマンホール 足利学校ちなみ新デザイン≫のタイトルを目にしました。記事の内容は≪足利市は22日、日本遺産の足利学校(足利市昌平町)内など3か所のマンホールの蓋を、同校にちなんだ新しいデザインのものに付け替えると発表した。(後略)≫
足利市は今年8月に、足利学校の門をデザインしたご当地マンホールを、栃木県内で最初の「マンホールカード」として作成、配布を始めていました。配布しているのは足利学校近くの「太平記館」、広い駐車場を併設しているので便利です。
このマンホールカードは国土交通省系の下水道の大切さをPRする任意団体「下水道広報プラットホーム」が企画し、今年度(2016)から発行が始まったばかりです。4月に第一回目として28自治体30種類、8月に第二回目として40自治体44種類が加わり、この12月から更に46自治体46種類が発行され、現在114自治体120種類と増加をしています。
栃木県内では12月に宇都宮市と大田原市とが新たに加わり、3種類に成っています。
マンホールカード足利市1.jpgマンホールカード宇都宮市1.jpgマンホールカード大田原市1.jpg
配布は無料ですが、一人1枚、事前予約や郵送は行わない為、欲しい人は現地に足を運ばないとゲットできません。マンホールカードや実際のマンホールを写真撮影する為、全国を巡るカードコレクターも増えていると言います。ご当地マンホールは観光客の誘致にも一役買っている様です。
マンホールの蓋に描かれているデザインは、それぞれの自治体の花や鳥、木の他、歴史的建造物、祭り、ご当地キャラクターなど様々で、全国に1万2000種類も有ると言われます。私達栃木県内でも私が収集したもので、55種類(内カラーマンホール19種類)です。又、一般的な標準デザインにそれぞれの自治体の市町章をあしらっただけの物や、同じデザインでも「農集排」の地域の違いや、「雨水」や「汚水」「公共」など名称の異なるものを入れるときりが有りません。私が写真に収めた数はこれまで120種類に成りました。まだ私が探し切れていないものや新しく作られた物も出て来ていますから、更に種類は増えているでしょう。
(※2016年10月21日に「栃木県内のマンホールデザイン蓋」をまとめて、このブログで紹介しました。)

これからも色々な町を歩きながら、新しいマンホールのデザインに出会うことも、楽しみの一つです。

栃木県内のマンホールデザイン蓋 [コレクション]

今日、東北自動車道を走り、県内最北の那須高原スマートICで東北道から降り、那須町の中央部に位置する、JR東北本線の黒田原駅方面に向かいます。
今回、那須町を訪れた目的は、黒田原水処理センター区域のデザインマンホール蓋を写真に収める為で、JR黒田原駅近くの栃木県道28号線にて無事写真に収めることが出来ました。
那須町黒田原.jpg
(那須町黒田原水処理センター区域)

これで、現在栃木県内に有る下水道用デザインマンホール蓋を全て写真に収めました。もちろん今後も新しいデザインのマンホール蓋が現れて来るでしょうが、現在インターネット上に掲示された物は何とか自分の目で確認をしました。実際に場所を見つけるのに苦労をしました。特にカラーのマンホールは設置数が少ない為、その区域の中心地、駅の近く、観光施設の近く等を歩き回りました。
道路上に有るマンホールは、下水道用だけでなく、消火栓や電気・ガス・電話等沢山有りますが、ここでは下水道用だけにターゲットを絞りました。
マンホール蓋も工業製品ですから、日本工業規格(JIS)が制定されており、「JIS規格模様」というデザインが有る様です。このデザインは別名「東京市型模様」と言われます。模様の中央部分にそれぞれの市町村の自治体章を表示した蓋を多くの町で見る事が出来ます。尚東京都下水道局では平成13年に23区内のマンホール蓋を、固有のマンホール番号と管きょの布設年度(西暦)を表示したものに変更しました。
東京都jis.jpg東京下水道1.jpg
(東京都章のJIS規格模様)(東京23区下水道蓋、平成13年変更後)

最近多くの市町村でその町の特徴をデザイン化したデザイン蓋を設置していますが、他にこのJIS規格模様の蓋も設置しています。栃木市内でもこのJIS規格模様を見る事が出来ます。
栃木市jis.jpg藤岡町jis.jpg今市市jis.jpg
(旧栃木市)           (旧藤岡町)           (旧今市市)
壬生町jis.jpg足利市jis.jpg日光市jis.jpg
(壬生町)             (足利市)            (日光市、合併後)

又、「JIS規格模様」とは別に、蓋全面に亀甲模様を配し、中央部に自治体章を付けたマンホールも良く見かけます。栃木市内でも旧市内や都賀町・藤岡町などで写真に収めました。
栃木市(亀甲).jpg都賀町(亀甲).jpg藤岡町(亀甲).jpg
(旧栃木市)            (旧都賀町)            (旧藤岡町)
石橋町(亀甲).jpg鹿沼市(亀甲).jpg矢板市(亀甲).jpg
(旧石橋町)            (鹿沼市)            (矢板市)
以上の「JIS規格模様」や「亀甲模様」は、恐らく殆んどの市町村にて使用している様に感じます。その為収集しきれない為、最近は収集していません。

この「JIS規格模様」や「亀甲模様」に対して、各自治体の特徴を表現したデザイン蓋を、県内でも沢山見る事が出来ます。まず、色彩鮮やかなカラーのマンホール蓋を幾つか紹介します。
佐野市(カラー).jpg田沼町(カラー).jpg石橋町(カラー).jpg
(旧佐野市)             (旧田沼町)          (旧石橋町)

南那須町(カラー).jpg日光市今市(カラー).jpg大田原市(カラー).jpg
(旧南那須町)             (旧今市市)         (大田原市)

デザイン蓋の絵柄に採用されるものは、その自治体の花や木、鳥を描いた物が多い様です。
野木町(木花).jpg南河内町(木花).jpg芳賀町(木花鳥).jpg
(野木町)             (旧南河内町)           (芳賀町)
市貝町(花鳥).jpg矢板市(木花鳥).jpg黒羽町(木花鳥).jpg
(市貝町)              (矢板市)             (旧黒羽町)
野木町は中央に町の花「ヒマワリ」、外周に町の木「エンジュ」
旧南河内町は町の木「モミジ」、町の花「キク」、斜めに走るギザギザ模様は、町の東部を流れる「鬼怒川」「江川」「田川」を図案化したものと思われます。
芳賀町は町の木「ケヤキ」の葉、町の花「ナシ」の花、町の鳥「ヒバリ」
市貝町は町の花「キク」、町の鳥「キジバト」
矢板市は市の木「ナツツバキ」、市の花「レンゲツツジ」、市の鳥「キジバト」、後方に描かれた山は「高原山」と思われます。
旧黒羽町は町の木「スギ」、町の花「ヤマユリ」、町の鳥「ウグイス」

他に、幾何学模様や繰り返しパターン図柄のデザイン蓋も有りました。その中には自治体章や自治体名が表示されていない蓋も有り、撮影した場所で自治体を確認しなければ分からない、(下野市の旧国分寺町川中子の幾何学模様や、小山市の馬三匹をパターン化した図柄など)、珍しいデザイン蓋だと思います。
宇都宮市(パターン).jpg河内町(パターン).jpg氏家町(パターン).jpg
(宇都宮市:市の木「イチョウ」)(旧河内町:町の花「サギソウ」)(旧氏家町:町の西を流れる鬼怒川のアユ?)
小金井町(パターン).jpg小山市(パターン)jpg.jpg那須塩原市黒磯(パターン).jpg
(旧国分寺町川中子)      (小山市)            (旧黒磯市:中央に旧市章)

図柄にはユーモラスな絵やユニークなデザインも有り、集めていると楽しくなります。
さくら市上野(カエル).jpg烏山町(カラス).jpg益子町(益子焼).jpg
(旧氏家町上野:カエル)        (旧烏山町:カラス)      (益子町:陶器)
高根沢町(元気).jpg鹿沼市(杉).jpg那須町湯本(温泉).jpg
(高根沢町:人・自然・元気)       (鹿沼市:杉の子?)    (那須町湯本:温泉)

多くのマンホール蓋の材質は、鋳鉄製に成っています。又、表面は上を走る車がスリップしにくいようなギザギザ面と、成っているのがほとんどですが、特殊なものとして、鉄製本体に特殊コンクリート製の化粧円盤を組み合わせたマンホール蓋や、石畳の歩道などに設置されるマンホール蓋の様に周辺に合わせる石畳をセットしたもの、鉄製のベースに図柄を印刷した金属板をビス止めした蓋などが確認されました。
野木町(コンクリ).jpg栃木市(石畳).jpg矢板市(金属板).jpg
(野木町:ひまわり)       (栃木市:マロニエの葉)    (矢板市:ともなり君)

今回、私が栃木県内を巡って撮影したデザインマンホール蓋は56枚(同じ図柄でカラー版が有る場合や、表示された地区名が異なった場合等も、1枚とカウントします。)
大平町(カラー).jpg大平町(みずほ西).jpg大平町(下皆川).jpg
(旧大平町公共雨水カラー蓋)  (旧大平町みずほ西集排)  (旧大平町下皆川集排)
大平町(公共).jpg大平町(公共新).jpg
(旧大平町公共汚水)     (栃木市大平町公共汚水、合併後自治体章が変わる)
※上の5枚は栃木市大平町のもの、全てデザインは同一です。設置地域や栃木市との合併等により表示文字が違っています。

旅行先の町を歩いていて、珍しいデザインマンホール蓋を見付けると、何か得をした様な感覚になります。最近はこうしてマンホールの蓋を探すのが癖になって来ました。
館林市1.jpg行田市1.jpg総和町5.jpg
(群馬県館林市)          (埼玉県行田市)       (茨城県猿島郡総和町)
栃木県外は、まだまだこれからです。



足利市のマンホールカードをゲットして来ました [コレクション]

先日、読売新聞に足利市にてマンホールカードを作成、配布されると言う記事を目にしました。今回足利まで出かけ、太平記館に寄って、日本遺産にも認定されている史跡「足利学校」の学校門をデザインした、カラーのマンホール蓋の載ったカードを頂いて来ました。
足利マンホールカード1.jpg足利マンホール蓋1.jpg
(足利市のマンホールカード)  (実際に街中を歩いて、写真に収めました)
以前よりウォーキングで栃木市内や県内を歩いていると、足元にめずらしいデザインのマンホールの蓋に興味を持って見てきました。そして気が付いた時は写真にも収めて来ました。
路上には色々な目的のマンホールが造られていますが、その蓋もそれぞれの自治体の市章や町章を付けたものや、その町の名所旧蹟、自治体の花や木など多くのデザインが施されています。
私の住む栃木市も平成の大合併によって、旧大平町、旧藤岡町、旧都賀町、旧西方町、旧岩舟町と一緒になり、新しい栃木市に生まれ変わりましたが、歩いて見て回ると現在も以前の自治体の町章を付けたマンホールの蓋を見る事が出来ます。
栃木市のデザインは、蔵の街栃木市のシンボル的景観「巴波川へりの塚田邸黒塀」がほとんどです。その中にも新たに下水管が敷設された地域のマンホール蓋は、新生栃木市の新しい市章に変わっています。
旧栃木市マンホール蓋1.jpg栃木市新1.jpg
(栃木市の絵柄のマンホール蓋、旧市章に対して新しい新市章の蓋も見られます)
栃木市内を歩いていると、目に入るのは殆ど上の「塚田邸の黒塀」の絵柄のマンホール蓋ですが、他に一般的な図柄のデザインの中心に、栃木の旧市章を描いた物も目にします。
栃木市マンホール蓋2.jpg栃木市マンホール蓋1.jpg
旧大平町のマンホール蓋の絵柄は、太平山・桜の花・アジサイそして金木犀と旧町章があしらわれています。旧藤岡町は一般的なデザインの中心に町章を付けたもの。
旧大平町公共汚水.jpg旧藤岡町マンホール蓋1.jpg
旧都賀町の絵柄は、桔梗の花と郷土芸能の獅子舞が描かれえいます。他に旧町章と「都賀町」と記した蓋も目に入りました。
旧都賀町マンホール蓋2.jpg旧都賀町マンホール蓋.jpg
旧西方町のマンホール蓋の図柄は、思川の小倉堰と金崎の桜が描かれていました。
旧西方町マンホール蓋1.jpg
そして、旧岩舟町の図柄は、旧町の花の「コスモス」をデザインしたものです。街の中を歩いていると、コスモスホールの近くの歩道で、着色された蓋を発見しました。
旧岩舟町マンホール蓋2.jpg旧岩舟町マンホール蓋4.jpg
栃木市内だけでもこんなに多くのマンホールの蓋が見られました。他にもNTTや電気・ガスなど違った物も有り、消火栓のマンホール蓋の図柄も色々見かけます。

これからも、ウォーキング等で違う町を歩いて行こうと考えていますので、又、そこで綺麗なマンホールの蓋にも出会いたいと思います。

栃木市立栃木第二小学校の思い出 [コレクション]

今日は、朝から収集した「栃木」の地形図を引っ張り出して、束の間のタイムトリップを楽しんだ。と言ってもSF小説の様に時間の流れを超越して旅する事など出来ませんが、頭の中の空想や想像の世界に身を置く事です。その手段として地形図を媒体にする訳です。
昭和40年代の地形図を眺めていれば、青春時代の出来事が浮かんできますし、昭和初期の地形図を見ると、両親が暮らした世界に思いを巡らす事も出来ます。
「栃木」の街は、江戸時代から明治の前半位までは、旧日光例幣使街道の宿場や、巴波川舟運の遡航終点として繁栄をして、明治9年には巴波川右岸、薗部村鶉島(現栃木市入舟町)に栃木県庁が建設されました。明治前期測量の迅速図を眺めると、栃木町の西側田圃の中に、長方形に区画され内側に建物が整然と並んで建っています。しかし、県庁は土木県令と云われ、自由党弾圧でも名をはせた三島通庸が、第三代栃木県令に着任すると、あっけなく宇都宮に移してしまいました。明治17年の事です。
明治19年栃木市街図2.jpg
(明治19年測量2万分1下都賀郡栃木町の地図より県庁堀跡付近を抜粋)
この堀に囲まれた県庁の跡地はその後、中学校(現在の県立栃木高等学校)や小学校(現在の栃木中央小学校)が建てられました。
私は、この中央小学校の前身に成るのか、栃木第二小学校で最初の学校生活を送りました。私が入学をした頃丁度校舎が、木造から鉄筋コンクリート3階建に建て替えられた時で、真新しい校舎で、トイレもその当時珍しかった水洗トイレでした。校庭も広々として南側の県庁堀の所まで有り、堀の南側には第一小学校が有りました。
しかし私が3年生の頃、校庭の南半分に市役所や市民ホールが建てられ狭くなってしまいました。
1963年市役所前通り2.jpg1963年栃二小全景.jpg
(1960年代の栃木第二小学校と南側の市役所前道路)
国土地理院発行の2万5千分1の地形図「栃木」は、大正6年の発行が最初の物に成ります。そして私が入学したころの様子が見られるのは、昭和40年3月に発行した、昭和33年の測量結果を反映した地形図に成ります。地図には3階建ての教室棟の前に、職員室や図書館・音楽室などの入った2階建ての棟が描かれています。南側に堀を隔てて栃一小の建物が見えます。北側に栃木高校、そして市役所は県庁堀の南東の角に二重丸の地図記号が付いています。今は使われていませんが元の市役所別館です。又、校庭の南西角に黒くカギカッコ状に描かれている建物が元の栃木図書館です。
昭和40年3月地形図栃木県庁堀跡.jpg昭和49年11月地形図栃木県庁堀跡.jpg
(国土地理院発行2万5千分1地形図「栃木」、昭和40年と昭和49年発行の県庁堀跡周辺を抜粋)
もう一枚の地形図は昭和49年11月発行の地図で、こちらは校庭の南側に東西に道路が走り、栃一小との間に新たに建物が二つ描かれています。右側の大きい方が「栃木市役所」その西側が「栃木公民館(市民ホール)」です。市役所別館と図書館の建物は残っています。
昭和40年発行の地形図を見ると道路の部分にが網目がかかっている箇所と無い箇所とが有りますが、これは、舗装がされているかいないかを表わしたものです。丁度この頃は道路の舗装が始まった頃で、この様に地形図にも表わされた様です。
1990年代に入ると、私の母校に子供達も通うようになりました。
1993年9月運動会1.jpg1993年9月運動会2.jpg
久しぶりに小学校に入ると、懐かしい光景が沢山有りました。1年生の教室の机や椅子の小さいのにも驚きました。
1994年6月15日学校祭4.jpg1994年6月15日学校祭1.jpg
6年の時に児童会で廊下を走らない様にと「歩行者免許証」をつくった事も思い出されました。
1994年6月15日学校祭2.jpg
(管理棟の2階から教室棟への連絡通路。昔、フードは無く雨の日は下を通りました)
屋上に出ると、西に太平山が広がっています。この風景は変わる事は有りません。ここで体育の授業をしたものです。
1994年6月15日学校祭5.jpg1994年6月15日学校祭3.jpg
(元栃二小の屋上より南東側<旧市役所別館>及び南西側<太平山>を望む)
その母校も2010年にはすっかり取り壊されてしまいました。
2010年6月27日栃二小の跡4.jpg2010年6月27日栃二小の跡3.jpg
(子供の頃よく遊んだ滑り台)          (東側の道路、奥には栃木高校が見える)
現在は第一小学校と一緒になり、栃木中央小学校と名前も変わりました。4階建ての立派な校舎です。私は今、選挙の投票時だけ校舎内に立ち寄る程度に成ってしまいました。
2013年9月栃木中央小学校.jpg2015年4月栃木中央小学校全景.jpg

文学碑土鈴 [コレクション]

今日も暑かったですね。この暑さの中外に出るのは危険なので、昼の間家の中で過ごしました。そして、運動不足を解消する為、夕食の後夜の栃木の街を、1時間程歩いて来ました。多数の行灯が灯る巴波川の河畔を歩いていると、写真のストロボの光りが、ピカッピカッと夜空を照らし出しています。巴波川橋の上から巴波川の行灯の写真を撮影をしている様です。三脚を構えて、数名の人が思い思いのアングルで撮影をしていました。
そんな訳で、今日も手持ちのコレクションの話です。昨日の「火防の獅子」と同じく、栃木土産品研究所発売の「文学碑土鈴」を紹介したいと思います。
文学碑土鈴1.jpg
(コレクションの土鈴)
現在、栃木市内の神社・仏閣や公園などに多くの文学碑や歌碑・句碑が建立されていますが、その文学碑を土鈴の形にして販売されたものです。
文学碑土鈴2.jpg
(同封された説明書)
ふたつの土鈴がセットに成っています。その一つは、栃木市民で有れば誰でも知っている、「山本有三」の文学碑です。山本有三の文学碑は栃木駅前を始め市内の学校の校庭などに建てられていますが、今回の土鈴のモデルとなっているのは、太平山の謙信平の高台の上に建てられたものです。
文学碑土鈴3.jpg
(太平山公園謙信平に建つ、山本有三文学碑)
そして、もうひとつの碑は、前田雀郎の句碑に成ります。「前田雀郎」については、知っている人は少ないかもしれません。「前田雀郎」は栃木県宇都宮市の出身で、明治30年3月27日生まれ、宇都宮商業を卒業。講談社や都新聞社に勤務。昭和11年「せんりゅう」を創刊。昭和16年日本川柳協会委員長。昭和35年1月27日死去。62歳でした。
この土鈴となった句碑は、太平山の遊覧道路を登って行き、見晴台方面と謙信平方面に分かれる、丁度そのティー字路の突き当りに建てられています。隣りに「圓通寺中興二世となる、高慶大師の像が建てられています。
句碑に刻まれているのは≪太平の 曲れば此処も 花吹雪≫の句に成ります。
前田雀郎句碑1.jpg文学碑土鈴10.jpg
(太平山遊覧道路大曲駐車場近くに建つ、前田雀郎n句碑)
栃木市に有る「川柳不二見吟社」が主宰して、前田雀郎を中心の全国川柳大会を太平山で開催した直後、同吟社の肝いりで、雀郎句碑第一号を花のトンネルの真っ只中の大曲りに、市の観光協会が建てたものです。この句碑が前田雀郎の生前に建てられた唯一の句碑に成ります。
もう一句、≪この町へ 西日を戻す 山車の丈≫という雀郎の句が、「とちぎ山車会館」入口の横手に建てられています。
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(とちぎ山車会館の入口前、向かって右手に建つ前田雀郎句碑)

もう一度、山本有三の文学碑に戻ります。昭和38年3月9日、太平山公園謙信平に建立されたこの文学碑の除幕式には、山本有三氏本人も出席されました。(寿像は石井鶴三制作)
碑文は有三作品の「路傍の石」の中で、担任の先生が吾一少年に言った一言、≪たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、うまれてきたかいがないじゃないか。≫です。市内に有る山本有三の碑文は殆どが、この言葉が使われています。ですから栃木市民であれば誰もこの一説は、諳んじて言う事が出来ます。
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(栃木駅の北口を出て、右手方向に向かうと、バス乗り場後方に建つ山本有三文学碑)
山本有三の石碑で他の言葉を刻したものは、日ノ出町の栃木公民館(元、栃木市民会館)広場に、≪自然は急がない≫と言う自筆の文学碑が建立されています。
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(日ノ出町栃木公民館の広場に建つ、山本有三文学碑)
又、菩提寺となる、万町の近龍寺の墓地内に有る山本有三の墓石に記された言葉は、作品「無事の人」より、≪動くもの砕けるものの中に動かないもの砕けないものが大きくからだに伝わってくる≫の言葉です。
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(近龍寺本堂裏手の墓地に眠る、山本有三の墓石)
最後に「路傍の石」の一説を土鈴に記した作品が有ります。これらの土鈴を振ると、音の高い低いは違いますが、みな素朴な音を発てます。
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火防の獅子について [コレクション]

私の書棚の中には、旅先にて買ってきた土産の人形や置物が、整列もされず並べられています。小さな物ばかりですが一つ一つに思い出が有ります。
そんな中に、栃木市の土産品にもなっている「火防の獅子」(ひぶせのしし)が有ります。この「火防の獅子」を入手したのは、もう30年以上前に成ります。栃木市の観光写真コンテストの副賞で頂いたものです。
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この「火防の獅子」は栃木市出身の彫塑家「鈴木賢二」氏が考案した作品です。材料となっているのは、かって栃木市の一大産業となっていた、下駄産業の加工工程の中で発生する破材を活用したものです。
私が子供の頃は、栃木の街の中で良く下駄の半完成品を円形状に積み上げて、干していた風景を、目に致しました。昭和35年頃は、栃木市の下駄の生産高は、広島県に次いで全国二位となっていました。

この土産品の元となっているのは、太平山神社社宝の「火防の獅子」です。添付されている説明書に、「火防の獅子」の由来が載っています。≪太平山神社社宝「火防の獅子」は作られた年も作者もはっきりしないが、その古さから九百年ぐらい前に作られたと云われています。この獅子は領主皆川山城守広照が、北条氏政と争い、氏政の弟氏直が攻めて来て、天正十二年(1584)ここ太平山上で激戦した時、本殿その他の建物が戦火のため焼けてしまった。その時、はげしい火の中をどうしてぬけ出したのか、木で作られた獅子だけが焼け残った。人々は「火防の獅子」と云って尊敬した。それによって作られたのが、この「獅子」である。≫と紹介されています。
考案者の「鈴木賢二」氏(1906年1月~1987年11月15日)は栃木市平井町に生まれ、1925年東京美術学校彫塑科(現、東京芸術大学)に入学。高村光雲に学ぶ。しかし、軍事教練反対のビラを学内で撒き、退学処分となっています。一時帰郷し、民芸運動を興し、この「火防の獅子」や「うづまのなまず」などの郷土玩具を考案しています。

尚、栃木山車会館前広場の道路脇に建てられた、石のモニュメント「火防の獅子」は、1946年長野県生まれの「小林亮介」氏の作品です。(1983年東京芸術大学教授、二科会会員・評議員)
重量感の有る一対の獅子が、栃木の街を鎮護してくれている様です。
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私は、太平山神社の社宝となっているこの「火防の獅子」をまだ拝見した事が有りません。前に見た事が有ると言う人の感想を聞いた事が有ります。それは「想像以上に迫力のある獅子でした。」と。是非一度実物を拝見したいと思っています。写真は、「目で見る栃木市史」(昭和53年・栃木市発行)の207頁に掲載されています。でも写真では実感が湧いて来ません。
この「火防の獅子」を栃木市大塚町出身の画家「清水登之(しみずとし)」氏が見事に描いています。私も実物を見たわけでは有りませんが、「栃木名所旧蹟物語」(大浦倉蔵編・復刻版、昭和50年1月吉日刊)の巻頭折り込み写真で見られます。モノクロ写真ですので、実際は分かりませんが、迫力のある1対の阿吽形の獅子が画面いっぱいに力強く描かれています。画面右下に「登之写」そしてその下に落款が押されています。こちらの絵も出来れば一度拝見したいと思っています。

最後にこの毎日続く烈火の様な暑さに負けないよう、「火防の最中(ひぶせのもなか)」(山本総本店・明治二十五年創業)を冷たいお茶と一緒に頂きたいと思います。
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(山本総本店の「火防の最中」、丸い饅頭は夏季限定の「夏の梅」)

栃木市の地形図のこと [コレクション]

昨日は2年ぶりに、茨城つくば市の「国土地理院」に行って来ました。
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(国土地理院、「地図と測量の科学館」の入口)
今回も栃木市に関する旧版地形図を購入する為です。私の様な一般人が郷土の古い地図を入手するのは、国土地理院発行の旧版地図を入手するしか、手段が有りません。
ただ、なかなかこちらが希望する地図が無いのです。一般的な地形図の縮尺は「二万五千分一」ですが、大きくなった現在の栃木市の全体をカバーするには、9枚の地形図が関係をしています。
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(ピンクに塗った所が栃木市部分、太線の枠が5万分1の地図範囲、細線の枠が2万5千分1の地図範囲)
「栃木」の他に「下野大柿」「壬生」「小金井」「下野藤岡」「古河」そして僅かに係ってくる「仙波」「田沼」「佐野」です。
古い地図と言っても、明治期までは遡る事は出来ません。大正六年に発行されたのが一番古いのですが、該当するのは「栃木」「小金井」「壬生」の三ヵ所だけです。
「古河」は昭和31年、「下野藤岡」・「田沼」・「佐野」は昭和39年、「下野大柿」や「仙波」に至っては、昭和46年の発行が一番古いのです。ですから寺尾地区や都賀町、西方町に付いては、昭和40年代以前の町の姿を地形図からうかがい知る事が出来ないのです。大平町や岩舟町の南部、そして藤岡町に関しては、昭和30年代以前は有りません。
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(2万5千分1地形図の栃木市関係の発行年・図暦の一覧、着色した地図は入手済)
不思議なのは「栃木」の地図です。大正6年、昭和8年、昭和22年に発行はされているのですが、地図の左側(西側)半分が空白なのです。幸い栃木の市街地は見られるのですが、皆川城内以西、小野寺地区などは見られないのです。どうしたのでしょうか。
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(昭和22年9月30日発行の「栃木」と昭和40年3月30日発行の「栃木」、共に国土地理院発行・2万5千分1の地形図を写真撮影しました。)
国土地理院の職員の方に伺っても、「測量されなかったのか、戦前で公開をはばかる何かが有ったのか、分からない」という事です。
ちなみに同じ国土地理院発行の「五万分一」の地形図の場合は、栃木市に関するのは「栃木」「壬生」「古河」の3枚になりますが、明治42年発行の地図が有り、今回入手をして来ました。五万分一の地図で有れば、栃木市全域に付いて、明治後期の状況を確認出来る様になりました。
ただし、二万五千分一の地形図で見慣れていると、なじめませんし、国土地理院としても五万分一の地形図を今の所、更新する予定は無いとの事です。
他に「明治前期測量2万分1フランス式彩色地図」が有りますが、それでも栃木市の全域をカバーしておりませんが、明治前期の様子を探るのにとても有効です。
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(赤枠部分が、明治前期測量2万分1フランス式彩色地図が発行されている区域)

今回入手した地図を今、時間を忘れて眺めています。
新しい発見や、新たな疑問が続々出てきます。私の楽しいコレクションの一つです。

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