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筑波山をより近くで [自然の恵み]

これまで栃木市からの眺望として、太平山や皆川城址、そして都賀の観音山などからの眺めを楽しんできました。それらの眺望の先、地平線上にはお定まりの筑波山とそれから北に連なる山々が横たわっています。
今日、穏やかな日差しに誘われて、筑波山をより近くに見てみようと車を走らせました。
小山市・結城市を抜け筑西市へ。関東鉄道常総線の踏切を渡り、大谷川の左岸、筑西市西方の田んぼの中の道に差し掛かると、前方に広がる関東平野の先に、筑波連山の稜線が南北に続いているのが一望出来ます。道路の脇に車を停めて前方になだらかに広がる山なみをカメラに収めました。
筑波山1.jpg筑波山2.jpg
筑波連山は北側(写真左側)から、雨引山(409.2m)、燕山(701m)、加波山(708.8m)、丸山(576m)、足尾山(627.3m)、きのこ山(527.7m)、そして南の端に女体山(877m)と男体山(871m)のふたつの峰を持つ筑波山とに成ります。連山の手前は「桜川市」、山の反対側(東側)は「石岡市」、そして筑波山山頂から南側は「つくば市」となります。
筑波山3.jpg
(筑西市西方より筑波山を望む。手前を横断する道路は国道294号線)
筑波山をズームアップします。山頂のふたつの峰の間に多くの通信用アンテナの鉄塔が建っています。右側の峰が手前の男体山、左側が奥の女体山。ふたつの峰はほぼ700メートルを隔てて東西に位置していますから、真西から見た場合は二つの峰は重なる為、違う形に見えてしまいます。
私が住む栃木市からは東南東方向に筑波山を望みますから、上の写真と同様の姿をいつも見ています。
筑波山と言えばこの姿で、一番美しい姿だと私個人の感想です。
我家の近くの錦着山から見る初日の出はこの筑波山の右側、南側裾野付近から登ります。
筑波山5.jpg
(2016年1月1日、錦着山頂から見る初日の出。中央に筑波山のシルエット)

更に東に進み小貝川を渡った筑西市深見の田圃の中の道を、小貝川に沿って北にを走っていると、北西方向に雪をかぶった日光連山が望めました。
日光連山1.jpg
(筑西市深見付近、小貝川左岸から望む日光連山。手前が小貝川の堤)

筑西市から桜川市に入り、真壁町塙世の東、桜川に架かる「塙世橋」の西橋詰付近より筑波山を望む。ここまで来ると筑波山をほぼ北側から望む形となり、二つの峰の鞍部は広がり見た感じもだいぶ変わっています。山陰には先日茨城県水戸市に12センチメートルの積雪をもたらした時の残雪が有りました。
筑波山4.jpg
(桜川市真壁町塙世、桜川に架かる「塙世橋」の西橋詰より望む筑波山)

やはり筑波山は栃木市からの姿が私は好きです。

栃木市つがの里、観音山からの眺望 [自然の恵み]

つがの里は春に成ると色々な花が咲き始めます。
今回、一足早くその「つがの里」が有る「観音山」からの眺望を見に出掛けました。
観音山13.jpg
(「つがの里」の西側の山が「観音山」、標高は203メートルです)
「観音山」には、延暦8年(789)勝道上人によって華厳寺が建立され、金堂・僧房・観音堂等が立ち並んでいましたが、明治初期の廃仏毀釈によって、廃寺と成ってしまいました。
現在、「観音山」の東側中腹に、木の北地区に「大師堂」として保存されていた華厳寺の一部を移設した観音堂が建っています。
観音山の展望台は、観音堂の後を通る山道を登った、山頂付近(標高180メートル)に有ります。駐車場の高さが70メートル程有りますから、今回登る比高は110メートルというところです。
途中で道の東側の視界が開けました。そこで少し休憩をとって、目の前に広がる景色を楽しみました。
観音山1.jpg
(観音山から東方向の眺望。足元には「聖地公園」)
観音山2.jpg
(そこから少し右方向、東南東の筑波山をズームアップ、手前に東北自動車道が走っています)

そこから少しアスファルト舗装の道を歩いて、山の南側に回り込むと、「展望台入口」と記した案内板が立って、整備された山頂への登り道が伸びています。この登りに又息が切れて来ます。必死の思いで上を目指して登ると、目の前に丸太で組んだ展望台が現れて来ました。
観音山3.jpg観音山4.jpg
(展望台への道)                        (目標の展望台に到着)
階段を登り、展望台の上に来ると南側の視界が開けています。
観音山5.jpg
(観音山展望台上から南方向を望む)
観音山6.jpg
(写真右手の小高い山が「錦着山」、手前中央が野中町長宮神社の山です)

展望台の先に山頂への道が伸びていますが、私は手前で右側の沢に沿って下りる道で戻る事にしました。この道は昔華厳寺の観音堂が建っていた跡に行くと標識が建っていました。
観音山7.jpg観音山8.jpg
(観音山山頂への道、右手に「観音堂跡」に通ずる下りの道が見えます。)
沢を下る道は枯葉で滑りそうで、山陰に入って行く様で少し辺りも暗くなって来ます。道も南側の道の様に整備されていません。やっと谷あいの平地に出ました。観音堂跡です。
観音山9.jpg観音山10.jpg
(観音堂跡に建つ自然石の碑)    (観音堂跡から下る道も少し荒れていました)
観音山から下り終え、「ふるさとセンター」へ。近くの梅の木に鮮やかなピンク色の花が咲いていました。
観音山11.jpg観音山12.jpg
春ももう直ぐそこまで来ている様です。「つがの里」にはこれから、カタクリの花が咲き、桜が咲き、アジサイやハスの花が咲いて行きます。

栃木市柏倉町倉掛山からの眺望 [自然の恵み]

栃木市皆川城内町から、柏倉町に向かう県道126号を西に進み、途中「聖徳太子神社」や「柏倉温泉太子館」の有る北柏倉への分岐を、そのまま直進して南柏倉方向へ。
前方には栃木市と佐野市との境界を成す、標高300メートルから400メートル山並みが南北に連なっています。「倉掛山」は丁度道路の正面を遮る様に聳えています。
倉掛山1.jpg
(県道の前方に見える山が「倉掛山」、山頂に「琴平神社」が祀られています)

これからいよいよ山道に移ろうとする山裾の、道路の左側に古い石碑と石灯籠が目に入る。「倉掛山」の山頂に祀られている「琴平神社」への登り口に成ります。その左奥に古い石段が山上に向かって伸びています。
倉掛山2.jpg
(山裾には山頂の「琴平神社」への参道石段、古い石碑や石燈籠が建っています)

「倉掛山」の標高は約345メートル。そしてこの登り口は145メートル程ですから、比高は200メートルも有る為、この参道を直登して行く自信は少し有りません。自動車道を峠まで行って、そこから歩くコースを選択しました。峠部分の標高は315メートル程に成る為後は殆ど平坦な道を歩く感じで目的の山頂、「琴平神社」境内へと行く事が出来ます。
倉掛山3.jpg倉掛山4.jpg
(峠の先は佐野市に成ります)     (峠部分に建つ「琴平神社参道」と刻した石柱)
峠部分の参道入口から尾根道に入る僅かなアップダウンが有るものの、殆んど平坦な道を進んで行くと電波塔が建っており、その手前の広場部分に昨年8月に建てられた四阿が有りました。
倉掛山5.jpg倉掛山6.jpg
(琴平神社への道、右側が佐野市、左側が栃木市)(2016年8月に建てられた四阿)

四阿の建っている所から山の西側の視界が開け、佐野市葛生町が眼下に望む事が出来ます。
葛生町遠望1.jpg
(倉掛山山頂から西側を望む)
葛生駅遠望1.jpg
(葛生の町並みをズームアップ)
写真手前に東武鉄道の葛生駅のホームが見えます。中央を横方向に貫く茶色の筋は「秋山川」で右方向に見える橋が「天神橋」です。

「琴平神社」は鉄塔の建つ場所から東方向に突き出た尾根の部分に祀られています。こちらから神社に向かう場合は、神社の裏手に出る裏参道に成ります。神社の社殿は東の方向を向いています。栃木市側から登るのが、表参道に成ります。
琴平神社裏参道1.jpg琴平神社裏参道2.jpg
(西側から琴平神社への道にも少し石段が有りました)(琴平神社本殿の赤い屋根が見えます)

葛生の街からも琴平神社への道が有りました。葛生駅の近くを流れる「小曽戸川」に架かる橋のたもとに「琴平山道」と刻した石柱が建てられています。
琴平山道1987年.jpg
(小曽戸川に架かる橋のたもとに建つ「琴平山道」の石柱)

社殿の境内は東側に開けていて、その先には表参道の石段が下から登って来ています。琴平神社1.jpg
(表参道の石段を登りきった所から、琴平神社拝殿を撮影する)

石段の手前に立つと、東側の視界が開けます。
倉掛山から東の眺望.jpg
(倉掛山の山頂「琴平神社」境内から東方向を望む、足元左にミニサーキット場が有る)
倉掛山から東の眺望2.jpg
(東へ突き出た尾根の先端近くの「皆川城址」部分をズームアップ。)

視線を東から少し右へ、東南東方向を眺めると「太平山」、そしてその左側奥、地平線上に薄っすらと筑波山の馴染みのある山容が確認出来ました。
倉掛山から筑波山.jpg
(倉掛山から東南東方向の眺望。太平山や筑波山を望む)

倉掛山山頂からも栃木市の市街地を眺望する事が出来ました。
倉掛山から栃木市街地眺望.jpg
(中央の建物が栃木市役所と付属のパーキングビル、その手前に「錦着山」)



栃木市皆川城址からの眺望 [自然の恵み]

不意に思い立って、栃木市皆川城内町に有る、皆川城址公園の山頂、本丸跡からの眺望を見に行ってきました。
家を出る時、すでに太陽が西に傾き始めていましたので、陽が西の山に隠れる前に何とか山頂に登ろうと、車のアクセルを踏み込みました。
皆川城址公園、城山の南麓に有る、皆川地区公民館駐車場に車を停め、急いで山頂を目がけて登り始めます。目指す山頂を見上げると、すでに山は夕陽を受けてオレンジ色に変わっています。
皆川城址1.jpg皆川城址2.jpg
(夕陽に染まる皆川城址の山頂部分)           (道標を辿って本丸方向へ)
急いで坂道を登りますが、直ぐに息か苦しくなってきます。気ばかり焦りますが、体が付いて行きません。城山の標高は147メートル、駐車場の有る登り口は70メートル程ですから、その比高は77メートルばかり。ただ時間に追われて、のんびり休憩をとることも叶いません。
皆川城址3.jpg
(山頂まではまだ、一息ついて後ろを振り返ると、西の山に太陽が沈んで行く)
その間にも周辺の風景がドンドン山陰に隠れ、光をなくして行きます。必死の思いでやっと山頂に建てられた展望櫓の上に建つことが出来ました。
さっそく栃木市街地のある、東南東方向に目を向けると、遥か地平線の先に筑波山が何時もの姿を見せています。手前にはすでに光を失せた「錦着山」、市街地にも山陰が迫っていました。
皆川城址4.jpg
(写真手前中央に錦着山、後方に筑波の霊峰。左側エンジ色の文化会館)

視線を少し左に移動すると、東武日光線「新栃木駅」に建つ紅白色の鉄塔、アイムや和光メガネの看板が間に入ってくる。我家は確かこの辺に有る筈だが、見える訳が無い。遠くに東北新幹線の高架がまだ光を受けて一筋の白い線を描いている。
皆川城址6.jpg
(写真手前、横方向に走る土手は「赤津川分水路」で、その先は旧風野から箱森西に新しい住宅地)

更に視線を左に移動させる。
皆川城址7.jpg
(写真手前は皆川城内町付近の永野川桜堤、写真中央の小高い森は左半分が吹上町、右側部分には野中町の長宮神社が祀られています。更に視線を地平線に向けると、中央付近に高い煙突の様な建物がかすかに見えます。宇都宮市茂原町の「クリーンパーク茂原」で、近くに東北新幹線と北関東自動車道とが交差点が有ります。)

今度は北側に目を向けて見ます。
城山の裏側の山の上に左右に裾野を延ばす三角形の山にまだ太陽の光が当たっています。栃木市と鹿沼市の境にそびえる標高454.6メートルの「大倉山」です。
皆川城址5.jpg
(皆川城址山頂から北側の眺望、大倉山がのぞく)

視線を西側に変えると、そこはすでに太陽が山の向こう側に消えた景色に変わっていました。
皆川城址8.jpg
(前方を塞ぐ山は山頂に琴平神社を祀っている「倉掛山」標高350メートルで、この山の稜線の向こう側は佐野市(旧葛生町)に成ります。目を凝らしてみると、写真手前から山間に向かう道路が1本伸びています。道路は50ヶ所のカーブを左右に回りながら峠を越えて、葛生の街に至ります。)
皆川城址9.jpg
(南西方向も夕闇が迫っています。中央奥が小野口町方向。左側の山並みが太平連山、山裾を走る道路が「東北自動車道」。左手中央の建物が皆川中学校、そして手前左に見える建物が、車を停めた「皆川地区公民館」で、その昔この皆川城の館跡に成ります。)
皆川城址10.jpg皆川城址11.jpg
(視線を1周させて南方向。手前の石柱は山頂に建てられた「皆川城址」の碑。その先中央付近の高い山が「太平山」標高345メートル、右端の山が「晃石山」標高419.1メートルで、山頂には1等三角点が設置されています。左側の三角形の山が「飯盛山」に成ります。)

今回は栃木の街を開いた皆川氏の居城、「皆川城址」山頂からの360度眺望でした。
少し出発が遅かったため、冬の日没が早く薄暗くなってしまいました。帰りはゆっくりと山を下りる事にしました。



栃木市太平山(おおひらさん)からの眺望 [自然の恵み]

今年に成って初めて太平山に登りました。
車で遊覧道路から登り、最初は栃木の市街地を眺望出来る、見晴台に向かいました。
見晴台の駐車場に車を停め、まずは太平山神社にお参りをしてから、富士浅間神社が祀られている、太平山の山頂(標高341メートル)に登りました。
太平山神社(2017年).jpg太平山山頂1.jpg
(太平山神社)                  (太平山山頂に祀られている、富士浅間神社)
太平山神社社殿前の標高は260メートル程に成りますから、山頂までの比高は81メートル程しか有りません。それでも最近はこの程度の山道でも直ぐに息切れをして、チョコチョコ休憩しながらでないと、登れなくなってしまいました。呼吸器系の機能が相当落ちて来たようです。平地を歩くのは平気なのですが、負荷が加わると一気に息切れ状態です。
12分程で富士浅間神社の前に到着です。社殿前に「関東ふれあいの道」の案内板が建てられています。「冨士浅間神社 太平山城」と成っています。「太平山城」の説明文によると、≪太平山神社の北西の高地から富士浅間山頂にいたる尾根を利用して太平山城が設けられていました。本丸ともいえるこの富士浅間山頂からは、南方は榎本城・藤岡城方面、西方は唐沢山城を望むことが出来、北は皆川城と連絡をとることが出来ました。≫と記されています。
しかし現状は社殿境内の周りは杉や雑木が茂り、山頂からの展望は出来ません。2015年に初めてこの山頂に立ちましたが、その時は夏真っ盛りの8月で、周辺の木々も生い茂って全く展望が出来なかったので、今回木々が落葉したこの時を狙って登りましたが、針葉樹が多く全く視界は広がりませんでした。
諦めて山頂を離れ、車を停めた見晴台の戻りました。
見晴台は子供の頃から両親や友達同士などで何度も来ています。この見晴台からの眺望は、私の住む栃木の市街地を正に一望する事が出来ます。
太平山見晴らし1.jpg太平山見晴らしからの夜景(1969年1月).jpg
(見晴台で望遠鏡を覗く友、昭和41年3月撮影)(初めて撮影した見晴台からの栃木夜景)
栃木市街地展望1969年.jpg
(昭和44年1月撮影、手前に永野川に架かる二杉橋。栃商・栃女高の校舎など)
栃木市街地展望2017年.jpg
(2017年1月撮影、上の写真と同様見晴台から見た現在の栃木市街地)
手前の二杉橋から一直線に伸びる道路の先に見える大きな白い建物は、市役所とパーキングビル。視線を少し右方向に向けると、栃木駅と高架化された線路が曲線を描いています。
栃木駅遠望1.jpg
(現在の栃木駅周辺の様子)

今度は逆に視線を左方向に変えると、視野の中央に1本の白い風力発電が建っています。その手前は川原田町の栃木総合運動公園。エンジ色の体育館の建物が確認できます。左奥の鮮やかな黄色の建物は、昨年操業を開始したファナック㈱壬生工場の建屋です。壬生町と鹿沼市との境界付近で、その昔壬生から鹿沼を領した「壬生氏」の支城「羽生田城」が建てられた辺りに成ります。
川原田町遠望1.jpg
(川原田町方向。後方奥に写るビル群は、県都「宇都宮」の中心になります)

更に視線を左にむけると、吹上町を望む事が出来ます。
吹上町遠望1.jpg
(吹上町方向。山裾に建つ建物は左から、吉野工業所栃木工場・吹上幼稚園・吹上中学校)
写真左端に写る大きなビルが「(株)吉野工業所栃木工場」、その裏手の白い鉄塔が建つ山が「鴻ノ巣山」。写真中央右側の3階建ての建物が吹上中学校で、この場所にはかつて皆川氏の支城「吹上城」が有った場所に成ります。

見晴台からの眺望を堪能した後、車を移動して、太平山の南側に広がる関東平野が一望できる、謙信平側の駐車場へ。この場所は「関東の富士見百景」になっていて、今日も目の前奥に雪をかぶった富士山が姿を見せていました。そして地平線上には、薄っすらと東京のビル群がならんでいます。東京スカイツリーの姿も確認できますが、私のカメラではこれが限界でした。
富士遠望1.jpg
(遥か前方に富士の霊峰を望む。写真右手には岩船山と三毳山)
富士遠望2.jpg東京スカイツリー遠望1.jpg
(富士山頂部をズームアップ)           (地平線に薄っすらと東京スカイツリーも)
再度場所を移動して、少し下がった「もみじ庵」さん前の駐車場へ。この場所からは筑波山を望む事が出来ます。今日も地平線の先に薄っすらとシルエットで男体山・女体山の二峰を見せていました。
筑波遠望1.jpg
(筑波山)
団子.jpg焼鳥.jpg卵焼き.jpg
太平山で関東平野の眺望を堪能した後、太平山名物の三点セット(団子・焼き鳥・卵焼き)をいただき、満足して山を下りました。

我家からの日光連山 [自然の恵み]

今朝、久し振りに男体山が現れました。
先週末より西日本から日本海側の各地に大雪を降らした、この冬一番の大型寒波の影響で、我が栃木県も北部山沿いは降雪と成りました。
我家から天気の良い日は、遠く日光連山を望むことが出来るのですが、ここ数日はいつも北の空は黒い雪雲に覆われて、男体山を見る事ができませんでした。
日光連山2.jpg
(2017年1月17日撮影、日光連山は雪雲に覆われ見る事が出来ません)
それが、今朝確認をしてみると、朝日を一杯に受けて白く輝く男体山をはじめとする、日光連山が姿を現していました。
日光連山1.jpg
(2017年1月18日撮影、青空をバックに朝日に輝く日光連山)
振り返って見るに、この冬の男体山の初冠雪は2016年11月1日でした。
これは、ほぼ平年並みという事です。ただ2015年は11月27日という事で、この冬は早く感じてしまいます。
男体山雪化粧3.jpg
(2016年11月1日撮影、男体山初冠雪)
2016年11月24日には宇都宮気象台の観測としては、31年ぶりと言う11月の降雪に見舞われました。これは2015年の初雪より49日も早かったようです。
男体山雪化粧2.jpg
(2016年11月25日、昨日の雪がまだ残る、手前吹上の鴻巣山)
2017年の正月は温かく穏やかな日が続いていました。男体山の山頂の雪も融けて少なくなっていましたが、今朝の男体山はすっかりと、化粧直しをして真っ白い山肌を朝日に輝かせていました。
男体山雪化粧1.jpg
(2017年1月18日撮影、真っ白に化粧直しをした男体山が朝日に輝いています)

関東地方に54年ぶりの積雪 [自然の恵み]

今日、予報通りに関東地方の広い範囲に、11月としては54年ぶりとなる降雪と成りました。
明け方5時に確認した時は、まだ雨も雪も降っていませんでしたので、又、布団にもぐりこみました。
その後、朝の6時24分ごろに枕元に置いていた携帯電話が緊急地震情報を知らせる警報音が鳴り、急いで起床しました。その時にもまだ外は雪は降っていません。雪にならなくて良かったと思っていましたが、その後気が付いたら雪がぱらつき始めていました。
次第に激しく降り出した雪に、あっという間に家の周りは雪景色に変わりました。
サザンカに雪降る.jpg
(サザンカに雪降る)
南天に雪1.jpg
(南天の赤い実に白く積もる雪)
雪の中、柿に群がる雀.jpg
(降雪中も激しく飛び回り、柿の実をついばむ雀の群れ)

昼過ぎまで続いた雪も、午後2時を過ぎる頃には止み、雲をすかすように太陽の光が確認出来る程に回復して来ました。周囲の田んぼの雪はまだまだ残っていますが、道路の雪はすっかり消え、一安心です。

11月に入り、冬がそこまで [自然の恵み]

ここ数日、暑い日と寒い日とが日替わりで来ていましたが、いよいよ今日から11月に入りました。我家では昨日、居間にコタツを出しました。
今朝は昨夜からの雨が朝方まで残った為か、冷え込みは感じませんでした。8時頃にはすっかり雨も止み、空も明るさを増し、11時ごろ家の外に出ると北の空には雲が切れて、青空が広がっていました。
そこに山頂付近を白く化粧をした、男体山が顔を出していました。
急いで家からカメラを持ちだしてその様子を写真に収めました。
男体山初冠雪.jpg
(我家の庭から望む男体山、山頂に白く光るものが)
男体山初冠雪1.jpg
(男体山の山頂部をズームアップ、ピントが甘くなってしまいました)

夕方のテレビニュースで今日、男体山に初冠雪が有ったと、話していました。平年より2日遅い初冠雪の様です。いよいよ冬の到来です。今年はどんな冬に成るのでしょうか?


一週間ぶりの晴れ間 [自然の恵み]

今日は、9月17日以来、ほぼ一週間ぶりの太陽が顔を現しました。
我家は右も左も田圃が広がっているのですが、今朝はその田圃の緑が一段と鮮やかに、目に飛び込んで来ました。
田圃1.jpg
稲穂はすでにたわわに実って、頭を垂れています。「もう直ぐ稲刈りかな」と勝手に予想などしています。
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毎年、秋のお彼岸の時期が来ると、赤い曼珠沙華の花が田圃の畦に彩りを添えてくれます。
曼珠沙華1.jpg
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自然は几帳面です。季節季節でキチンと芽を出し、花を咲かせ、実を付け、萎れて大地に戻ります。
我家の周りは、今秋真っ盛りです。
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栃木市鍋山の石灰工場を見学しました [自然の恵み]

昨年開催された栃木市の市民大学講座のひとつ、「石灰を通して見る栃木」というテーマで、栃木の地場産業の一つと成っている、栃木市北西部寺尾地区に有る石灰産業発生の歴史に付いて、講師のお話を聴講しました。そして本日は実際に石灰を採掘し多くの製品に加工して販売している、石灰工場を訪問して話を聞くと言う、現地学習に参加して来ました。
始めに工場長さんから「石灰とはどの様な物質なのか」、実際に目の前で実験をして、生石灰に水を加えると激しく反応して発熱・膨張する。加える水に或る物質を混合させてやることで、反応を遅らせ、反応を持続させられるなど、反応をコントロールすることが出来る。そしてこのような性質を利用した商品が、私達の身の回りの色々な分野で、活用されている。との説明が有りました。
鍋山石灰工場9.jpg鍋山石灰工場10.jpg
(生石灰の性質を説明する為の、簡易実験を見せてくれる)
これまで石灰と言うと、古くは漆喰壁用として、その後肥料・農薬、それからセメントの原料(お隣佐野市の旧葛生町を通る時、セメント会社の名前を大きく記したプラントを眼にして、理解してました。)程度の認識しか持っていませんでした。
又、今回の説明の中で、「上部石灰」とか「ドロマイト」などの名前が出て、理解が今一つ出来ていません。どうやら鍋山周辺の山は、断面すると表面の土の下に、「上部石灰の層」「下部石灰の層」「ドロマイトの層」などが地層を成しているのだそうです。石灰石とドロマイト石を比較すると、外観的にも色合いが異なり、石灰石が白く、ドロマイト石は少し暗緑色をしている。これらの石に一滴の希塩酸をかけてみると、石灰石は直ぐに反応して泡が発生した。一方ドロマイト石は泡がチョボチョボとしか発生しない。こう実験してその違いを説明してくれた。
鍋山石灰工場11.jpg
(右白い方が石灰石、左暗緑色の方がドロマイト石)
石灰石(炭酸カルシウム)の成分は、54%〜55%が酸化カルシウム・残り炭酸ガス44%。
ドロマイト石は、酸化カルシウム35%・酸化マグネシウム約18%・炭酸ガス46%と、炭酸ガスが2%ほど多い。
「石灰石」に熱を加える(900℃以上)と、中に含まれている炭酸ガスが空気中に出て、残るのは酸化物(酸化カルシウム)となる。これが「生石灰」 反応性が非常に高い性質を持つ。その為生石灰に水をかけてしまうと、爆発的な反応を起こして飛び散ると言います。
「消石灰」はこの「生石灰」を水和消化し、製灰・粒度調性をして製造されたもの。
これまであまり縁の無い物質の名前で、理解が困難でしたが、それらの物質が「大気汚染対策」や「鳥インフルエンザの消毒」「酸性雨対策」などにも、活躍している事を知る事が出来ました。

説明は1時間以上に及びましたが、鍋山石灰の歴史、時代背景で一時は消費が低迷した厳しい時期を乗り越えて来た事。製造の工程など興味深い話に、引き込まれ時間を忘れさせるほどでした。

説明の後はヘルメットを付けて、製造現場の見学へ。
グランドキャニオンの様に、採掘で切り立った石灰岩の山肌が前面に広がります。私が若かった頃、尻内から葛生町へ峠越えで行くと、峠を越えた先の前方の岩肌の露出した山の中腹にいくつも大きな穴が見えました。この穴は昭和50年以前、良い成分の鉱床部分だけ採掘する、「トンネル掘り」の跡。その方法では増加した需要に生産が間に合わなくなって来た為、昭和50年以降は露天掘りとして、ベンチカット(階段掘り)法に変え、大量に採掘が出来る様になったという事で、前面には正に階段状に掘り進められた採掘現場が広がり、大型の重機が岩を砕く様子を見る事が出来ました。
鍋山石灰工場1.jpg
(ヘルメットを付けて説明を受ける)
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(採掘現場、手前の水溜りは採掘跡に雨水や地下水などが溜まったもの)
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(階段状に採掘がおこなわれている)
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(採掘場で石灰岩を砕く重機)
直径50センチメートル大の石を山から採掘して、それをジョークラッシャー(粉砕機)に入れて、100ミリメートル以下の粒度に変え、篩分けを行う。次に、1100℃〜1200℃の工業炉にて6時間程焼成し、炭酸ガスがほぼ全量取り除く。その為の工場建屋が県道の両側に立ち並んでいる、運搬するベルトコンベアーが縦横に走る。
鍋山石灰工場6.jpg鍋山石灰工場5.jpg
鍋山石灰工場7.jpg
(山際に立ち並ぶ石灰石を破砕焼成を行う工場建屋群)
寺尾地区の三峰山(鍋山)の西麓から南、佐野市旧葛生町喜多山にかけて多くの石灰工場が日々大量の石灰石を採掘しています。
栃木の市街地から望める鍋山は変わらぬ姿を見せていますが、その裏側では大規模な採掘が進んでいる事も、今回改めて認識する事が出来ました。遠い将来はこの風景も変わって行くのかも知れません。
鍋山石灰工場8.jpg
(県道202号仙波鍋山線の鍋山から仙波に抜ける山道から見える採掘場)

※今回の工場見学をさせて頂いた会社は、鍋山の石灰工場で一番早く、嘉永4年(1851)創業した「田源石灰工業株式会社」さんです。詳しく説明して下さり大変勉強になりました。そして石灰石の有効性に改めて感心を致しました。
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