So-net無料ブログ作成

3県境、三歩で散歩 [歩く]

今日は、最近話題になっている、三歩で3つの県を巡れる、栃木県と群馬県と埼玉県の3県の県境が一ヶ所に交わると言う場所に行ってきました。
場所は栃木県栃木市藤岡町下宮と群馬県邑楽郡板倉町間田そして、埼玉県加須市小野袋の三つの地区が接する「点」に成ります。
栃木県の南の端に広がる、渡良瀬遊水地の南の縁に沿って走る、県道9号(佐野古河道)脇の「道の駅きたかわべ」の駐車場に車を停めると、徒歩約5分で目的の三県境に到着しました。
近くに三県境を示す案内板や臨時駐車場も整備されていました。
三県境2.jpg三県境1.jpg
三県境は田畑の中を流れる細い水路の交点に有りました。
三県境3.jpg
近くに建てられた説明板によると、≪日本には40ヶ所以上の3県境が有りますが、平地にあるここは大変貴重な存在と言われています。≫と記されていました。
三県境4.jpg
又、別の説明板によると、元々この地点は「旧渡良瀬川」と「旧谷田川」との合流点で、河川の流れの中央に位置していた所の様で、≪明治43(1910)年から着手された河川改修工事で廃川となり、その後谷中湖造成工事により発生した土砂で埋め立てられ、耕作地に整備され現在に至≫という事で、県境は以前のままで残り、現在の形の三県境と成ったのでした。
三県境18.jpg
現在、県境と成る細い水路が交わる中心に建つコンクリート製の四角柱の上面に、三県境の交点を記した金属製の円盤が埋め込まれています。
三県境5.jpg三県境6.jpg
円形の金属プレート中心の「+」の下に「三県境界」、円周上に「栃木県栃木市」「埼玉県加須市」「群馬県板倉町」と境界に接する自治体名称、更に位置情報として、「北緯36度12分27秒」「東経139度39分50秒」の経緯が刻されています。
三県境7.jpg
さっそく水路を跨いで、栃木県からまず埼玉県へ、そして次の一歩で群馬県に渡り、三歩目で栃木の地に戻って、「三歩で三県の地を」無事に回って来ました。
帰りは渡良瀬遊水地の整備により飛地状態となってしまった、栃木市藤岡町下宮の周囲をグルリと回って来ました。
三県境8.jpg三県境9.jpg
(藤岡町下宮に残る農家の庭先には、春を告げる梅の花が咲いていました)
帰りに「道の駅きたかわべ」に建つ「北川辺スポーツ遊学館」の屋上に有る展望台に昇り、広大な渡良瀬遊水地とその先に望む関東の山々の姿を楽しみました。
三県境10.jpg
(北川辺スポーツ遊学館、屋上から渡良瀬遊水地を見る事が出来る)
三県境11.jpg三県境12.jpg
(雪をかぶる群馬県境の白根山)      (日光連山の山々)
三県境13.jpg三県境14.jpg
(太平山から晃石山の山並み)       (筑波山の手前の煙突が野木町の煉瓦窯)
三県境15.jpg三県境16.jpg
(茨城県古河市中心のビル群、手前谷中湖) (写真中央奥の田畑部分に三県境が有る)
「道の駅きたかわべ」にて新鮮な野菜や特製カレーパンなどを買って帰りました。

家に帰ってから早速地図帳を開き、日本全国の三県境を確認してみました。その結果44か所が確認出来ました。栃木県には今回見て来た場所を含めて4ヶ所有ります。栃木県に隣接する県は「福島」茨城」「埼玉」「群馬」の4県ですから当然それぞれの県の境界線が交わるのは4ヶ所出来て当然です。
栃木県白地図3.jpg
A点は今回見て来た「埼玉・群馬」との境界点。
B点は「埼玉・茨城」との境界点ですが、ここは現在「渡良瀬川」の流れの中に有ります。栃木県の所在地は栃木市藤岡町内野に成ります。
C点は「福島・群馬」との境界点に成りますが、ここは「黒岩山」と言う標高2163メートルの山頂から北に約230メートルの山の尾根に成ります。栃木県の所在地は日光市川俣です。
D点は「福島・茨城」との境界点ですが、「八溝山」標高1022メートルの山頂から西北西方向に約850メートル尾根を下った山中(標高約885メートル)に成ります。栃木県の所在地は大田原市南方です。

三県境が一番多く有る県は「長野県」です。長野県に隣接する県は、「新潟」「群馬」「埼玉」「山梨」「静岡」「愛知」「岐阜」「富山」の8県ですから、その境界点も8点に成ります。この内7点が標高1000メートルを超える山頂近くに成ります。
①「新潟・群馬」との境界点は、「白砂山」標高2140メートルの山頂付近。
②「群馬・埼玉」との境界点は、「三国山」標高1834メートルの山頂付近。
③「埼玉・山梨」との境界点は、「甲武信ヶ岳」標高2475メートルの山頂付近。
④「山梨・静岡」との境界点は、「三峰岳」標高2999メートルの山頂付近。
⑤「愛知・岐阜」との境界点は、「三国山」標高1162メートルの山頂付近。
⑥「岐阜・富山」との境界点は、「三俣蓮華岳」標高2841メートルの山頂付近。
⑦「富山・新潟」との境界点は、「白馬岳」標高2932メートルの北900メートル付近の「三国境」標高2751メートル付近です。
残りの一ヶ所は「静岡・愛知」との境界点ですが、この地点だけは山頂部では無く、天竜川の流れの中に位置しています。
どの地点も容易には行く事は出来ない場所です。

今回確認してみると多くの三県境の地点では、「三」の文字が良く使われています。栃木県「B」の三県境近くの渡良瀬川に架けられた橋の名称も「三国橋」と成っています。
この三県境、調べてみると他にも面白い事が幾つも出て来そうです。又地図を眺めて楽しみたいと思います。

今日の一枚 [歩く]

今日は午前中、少し陽射しが有りましたが、昼過ぎにはすっかり雲に覆われる天気に成りました。その為か、空気がとても冷たく感じられました。それでも、ここ数日吹いていた様な強風も無く穏やかだったので、ジャンバーと手袋で防寒対策をして、午後3時過ぎにウォーキングに出掛けました。いつもと同じ栃木の街並みを楽しみながら大通りから栃木駅前まで行って、帰りはミツワ通りを通って、巴波川に架かる「倭橋」を渡り、巴波川の右岸を遡りました。
嘉右衛門橋から沖の橋の間、対岸の翁島を望むと、翁島の板塀をバックに梅の花が満開になっていました。
翁島春景.jpg
冷たい空気の中でしたが、一瞬春を感じる景色に出会い、チョッと温かくなった気がしました。
今日の総歩数は9,954歩に成りました。

「栃木らしさ」とは?

今日、栃木市図書館にて開かれた、栃木図書館友の会主催による「栃木町の町民文化」と題した文化講座に参加させて頂きました。
話の中で講師の先生から、「あなたは栃木町の町民文化は有ると思いますか?」「有るとすればそれはどんな文化ですか?」「栃木らしさとは、どんなものですか?」と言う問いかけが有りました。
突然出された問いかけに、必死に頭の中で考えをまとめようとしましたが、急にそんな質問されても答えを出すことが出来ませんでした。
家に帰った後も、それらの質問が頭から放れません。「栃木らしさ」とは?
「らしさ」と言うと、「男らしさ」「女らしさ」「自分らしさ」「日本人らしさ」「大人らしさ」「横綱らしさ」などなど、色んな「らしさ」が考えられます。これらはそれぞれの人間の品格とか性格に関する言葉で、たとえば最近よく耳にするものとして、横綱白鵬さんの土俵上の取り口とか所作が「横綱らしさ」に欠けるなどと指摘を受けているのも、横綱とはこう在るべきと言う、横綱に対する理想像が私達の心の中に有るのだと思います。
人格だけでは無く、地域や物に対しても「らしさ」が存在します。「日本らしさ」や「京都らしさ」そして「栃木らしさ」もその一つです。「栃木らしい風景」とか「栃木市民の人間性」とか。「栃木の方言」もひとつの「栃木らしさ」と言えるでしょう。
「栃木らしい風景」と言っても、現在の栃木市は平成の大合併により広範囲と成った為、単に「蔵の街・栃木」とか「陸の松島・太平山」とだけでは言い表せません。現在、栃木市の南の玄関に位置する藤岡町には、日本に誇る「ラムサール条約登録渡良瀬遊水地」が広がり、バードウォッチングやフィッシングそして谷中湖を周回するサイクリングやカヌー・ウインドサーフィンなどのウォータースポーツ。更に熱気球やスカイダイビング等のスカイスポーツに至るまで多種多様の体験が出来る、栃木市の別の顔が有ります。
ただ、今回の講座の対象となっている「栃木町」と言う範囲は、前述した「蔵の街」と成った明治中期から大正期の、野州麻や鍋山の石灰を中心に発展した問屋町として栄えた、旧日光例幣使街道沿いの町内に限定されて来るのではと思われます。最初に栃木町を形成したのは、上町(現在の万町)、中町(現在の倭町)そして下町(現在の室町)の三つの地区で、それから次第に裏町に広がって行き、東横町や西横町に人家が出来て行った様です。そこから更に例幣使街道沿いに北に広がり嘉右衛門町、大町にも多くの商店や卸問屋が出来て行き、現在の様な町並みが出来上がって行った栃木の街。
さてその「栃木らしさ」とはどんなものか、結局私の頭の中で堂々巡りをして、これだと言う答えを導きだせません。
今回の講座に参加して、そんな宿題を頂いたようで、これからその宿題に向かって行きたいと感じました。
「栃木らしさ」とは?


 

鹿沼市口粟野、街歩き [歩く]

口粟野は平成18年(2006)に東隣りの鹿沼市と合併した、上都賀郡粟野町の中心集落でした。
栃木県の西域に広がる足尾山地より南東方向にいくつもの尾根が関東平野に突き出すように伸びています。その尾根と尾根の間からは、沢水を集めた川が流れ出ています。それらは北から「大芦川」「荒井川」「南摩川」「粟野川」「思川」「永野川」そして「秋山川」などです。その中のひとつ思川は横根山南麓からの沢水等を集め南東方向に流れ、栃木市と鹿沼市との境を成す谷倉山や大倉山の北麓を東方向に流れを変えて、大倉山の北側から東側に回り込む様にして再び南東方向へと流れています。鹿沼市と日光市足尾とを結ぶ「主要地方道鹿沼足尾線」は、口粟野の東方よりこの思川に沿って、足尾方面へ向かっています。
今回歩く口粟野の街はこの「主要地方道鹿沼足尾線」と「県道草久粟野線」との分岐に開けた町で、街を東西に走る鹿沼足尾線の道路の南側を並行して思川が流れています。
県道草久粟野線との分岐点の北西側には、戦国時代(1300~1600)粟野城が築かれた、通称城山(標高257メートル)が聳えています。
口粟野の街には、道路沿いに西側から「上町」「仲町」「下町」が有り、城山の東側に「横町」が有ります。「下町」の東側は北側から流れて来た粟野川が思川に合流していますが、その粟野川を隔てた東側に「新宿」の地名が見えます。
栃木市から県道37号線(栃木粟野線)を北上、鹿沼市久野にて県道15号(主要地方道鹿沼足尾線)に合流する丁字路を足尾方面へ向かう。思川に架かる「天満橋」を渡り、思川左岸を西へ走り最初の信号機の有る交差点を右折すると左手に「鹿沼市立図書館粟野館」「粟野歴史民俗資料館」が有るので、そこの駐車場に車を停めさせて頂き、口粟野の街の散策を開始しました。
粟野市街地マップ.jpg
(粟野歴史民俗資料館駐車場に建つ「粟野市街地マップ」)
粟野歴史民俗資料館北側の道を西に向かいます。
粟野城址.jpg元粟野高校.jpg
(前方の山が粟野城が築かれた通称「城山」)  (田圃の先の建物が元の粟野高校)
比較的新しく造成されたと思われる住宅街の前を抜け、粟野保育園の裏を過ぎると、両側田圃の中の道に出る。道の前方に見えるのが、粟野城祉の有る「城山」に成ります。右手の田んぼの先、小高い山の南麓に見える4階建ての建物は、元の粟野高校校舎。県立粟野高等学校は平成21年(2009)県立鹿沼農業高等学校と統合して県立鹿沼南高等学校となり、平成23年(2009)3月2日閉校と成りました。
三峰山.jpg
(中央の山が三峰山、その左側の山間を粟野川が流れている)
田圃の中の道を更に西に歩くと、北西方向に三峰山(標高485.3メートル)が聳えているのが見えます。手前左側の山と三峰山との間の山間を北に向かう道路が県道246号(草久粟野線)が走っています。
横町付近.jpg横町橋.jpg
(県道246号、この道の先は石裂山南麓賀蘇山神社から草久方面へ)(粟野川に架かる横町橋)
田圃の中の道から県道246号に出て来ました。この辺は城山の東側と成る為、すでに山陰に入ってしまいました。道路の先に三峰山がまだ太陽の光の中に見えています。この道をずっと山の中に行くと、石裂山の南麓に祀られている「加蘇山神社」へ行く事が出来ます。今回は左手南に歩きます。
粟野川に架かる横町橋を渡り暫らく南に歩くと前方に信号機の有る交差点に出ます。主要地方道鹿沼足尾線に成ります。この交差点が口粟野の中心と思われます。
交差点の北西側角に「粟野町道路元標」が建っていました。
口粟野1.jpg粟野町道路元標.jpg
(突き当りが、口粟野の中心交差点)      (交差点北西側角に建つ粟野町道路元標)
道路元標の建つ交差点の北東側の角に煉瓦積みの塀や石蔵等を持つ立派な建物が目を引きます。現在こちらのお宅は商売等はやられていないようですが、表札を見ると「油屋」と言う文字が記されていました。
天保年間には菜種や胡麻などからの絞油を商いをしていた旧家だそうです。
油屋1.jpg油屋2.jpg
(口粟野交差点の北東側に建つ煉瓦積みの塀を持つ家屋)(南側正面より)
交差点から少し西に歩くと道路沿いにやはり土蔵や石蔵を構えた家が並んでいます。
仲町1.jpg仲町2.jpg
(口粟野交差点の西側、道路沿いに建つ家並み、家の後方は城山となる)
街中を散策していると、小学生の下校時の交通指導をされるおじさんが、「写真を撮るなら屋根の上に鯱鉾が載っているから」と教えてくれました。見ると交差点の南西側奥の屋根の上に銀色に輝く鯱鉾を見付け、さっそく写真に収めました。
下町2.jpg下町1.jpg
(口粟野交差点南西側奥の屋根の上の鯱鉾)(粟野小学校正門脇に立つ「下町屋台収納庫)
今度は交差点から東の方向に歩いて行きます。道路から少し入った奥に鹿沼市立粟野小学校の正門が有り、その左脇に「下町屋台収納庫」と記した背の高い建物が目に入りました。栃木の市内に建つ「人形山車」の収納庫と同じような作りです。中にどのような屋台が収められているのか、鹿沼の彫刻屋台の様なものか興味が湧きました。
粟野小学校の前身は、明治6年に創立された明道舎。明治20年口粟野尋常小学校と改称。明治25年粟野尋常高等小学校と改称。などと校庭脇の石碑に「創立百年の碑に寄せて」として刻されていました。
清瀬橋.jpg清瀬橋2.jpg
(粟野川に架かる清瀬橋)       (清瀬橋東橋詰付近、道路の上に枝を伸ばす木が)
更に東に進むと粟野川に架かる「清瀬橋」を渡ります。川の左岸は「新宿」に成ります。橋の東詰付近の道路際に幹が妙に太く、道路の上まで枝を伸ばした大木が目を引きました。何と言う木なのか私には分かりませんが。
口粟野の街中をうろうろと歩き回りました。総歩数6,800歩に成りました。


筑波山をより近くで [自然の恵み]

これまで栃木市からの眺望として、太平山や皆川城址、そして都賀の観音山などからの眺めを楽しんできました。それらの眺望の先、地平線上にはお定まりの筑波山とそれから北に連なる山々が横たわっています。
今日、穏やかな日差しに誘われて、筑波山をより近くに見てみようと車を走らせました。
小山市・結城市を抜け筑西市へ。関東鉄道常総線の踏切を渡り、大谷川の左岸、筑西市西方の田んぼの中の道に差し掛かると、前方に広がる関東平野の先に、筑波連山の稜線が南北に続いているのが一望出来ます。道路の脇に車を停めて前方になだらかに広がる山なみをカメラに収めました。
筑波山1.jpg筑波山2.jpg
筑波連山は北側(写真左側)から、雨引山(409.2m)、燕山(701m)、加波山(708.8m)、丸山(576m)、足尾山(627.3m)、きのこ山(527.7m)、そして南の端に女体山(877m)と男体山(871m)のふたつの峰を持つ筑波山とに成ります。連山の手前は「桜川市」、山の反対側(東側)は「石岡市」、そして筑波山山頂から南側は「つくば市」となります。
筑波山3.jpg
(筑西市西方より筑波山を望む。手前を横断する道路は国道294号線)
筑波山をズームアップします。山頂のふたつの峰の間に多くの通信用アンテナの鉄塔が建っています。右側の峰が手前の男体山、左側が奥の女体山。ふたつの峰はほぼ700メートルを隔てて東西に位置していますから、真西から見た場合は二つの峰は重なる為、違う形に見えてしまいます。
私が住む栃木市からは東南東方向に筑波山を望みますから、上の写真と同様の姿をいつも見ています。
筑波山と言えばこの姿で、一番美しい姿だと私個人の感想です。
我家の近くの錦着山から見る初日の出はこの筑波山の右側、南側裾野付近から登ります。
筑波山5.jpg
(2016年1月1日、錦着山頂から見る初日の出。中央に筑波山のシルエット)

更に東に進み小貝川を渡った筑西市深見の田圃の中の道を、小貝川に沿って北にを走っていると、北西方向に雪をかぶった日光連山が望めました。
日光連山1.jpg
(筑西市深見付近、小貝川左岸から望む日光連山。手前が小貝川の堤)

筑西市から桜川市に入り、真壁町塙世の東、桜川に架かる「塙世橋」の西橋詰付近より筑波山を望む。ここまで来ると筑波山をほぼ北側から望む形となり、二つの峰の鞍部は広がり見た感じもだいぶ変わっています。山陰には先日茨城県水戸市に12センチメートルの積雪をもたらした時の残雪が有りました。
筑波山4.jpg
(桜川市真壁町塙世、桜川に架かる「塙世橋」の西橋詰より望む筑波山)

やはり筑波山は栃木市からの姿が私は好きです。

栃木市つがの里、観音山からの眺望 [自然の恵み]

つがの里は春に成ると色々な花が咲き始めます。
今回、一足早くその「つがの里」が有る「観音山」からの眺望を見に出掛けました。
観音山13.jpg
(「つがの里」の西側の山が「観音山」、標高は203メートルです)
「観音山」には、延暦8年(789)勝道上人によって華厳寺が建立され、金堂・僧房・観音堂等が立ち並んでいましたが、明治初期の廃仏毀釈によって、廃寺と成ってしまいました。
現在、「観音山」の東側中腹に、木の北地区に「大師堂」として保存されていた華厳寺の一部を移設した観音堂が建っています。
観音山の展望台は、観音堂の後を通る山道を登った、山頂付近(標高180メートル)に有ります。駐車場の高さが70メートル程有りますから、今回登る比高は110メートルというところです。
途中で道の東側の視界が開けました。そこで少し休憩をとって、目の前に広がる景色を楽しみました。
観音山1.jpg
(観音山から東方向の眺望。足元には「聖地公園」)
観音山2.jpg
(そこから少し右方向、東南東の筑波山をズームアップ、手前に東北自動車道が走っています)

そこから少しアスファルト舗装の道を歩いて、山の南側に回り込むと、「展望台入口」と記した案内板が立って、整備された山頂への登り道が伸びています。この登りに又息が切れて来ます。必死の思いで上を目指して登ると、目の前に丸太で組んだ展望台が現れて来ました。
観音山3.jpg観音山4.jpg
(展望台への道)                        (目標の展望台に到着)
階段を登り、展望台の上に来ると南側の視界が開けています。
観音山5.jpg
(観音山展望台上から南方向を望む)
観音山6.jpg
(写真右手の小高い山が「錦着山」、手前中央が野中町長宮神社の山です)

展望台の先に山頂への道が伸びていますが、私は手前で右側の沢に沿って下りる道で戻る事にしました。この道は昔華厳寺の観音堂が建っていた跡に行くと標識が建っていました。
観音山7.jpg観音山8.jpg
(観音山山頂への道、右手に「観音堂跡」に通ずる下りの道が見えます。)
沢を下る道は枯葉で滑りそうで、山陰に入って行く様で少し辺りも暗くなって来ます。道も南側の道の様に整備されていません。やっと谷あいの平地に出ました。観音堂跡です。
観音山9.jpg観音山10.jpg
(観音堂跡に建つ自然石の碑)    (観音堂跡から下る道も少し荒れていました)
観音山から下り終え、「ふるさとセンター」へ。近くの梅の木に鮮やかなピンク色の花が咲いていました。
観音山11.jpg観音山12.jpg
春ももう直ぐそこまで来ている様です。「つがの里」にはこれから、カタクリの花が咲き、桜が咲き、アジサイやハスの花が咲いて行きます。

栃木市柏倉町倉掛山からの眺望 [自然の恵み]

栃木市皆川城内町から、柏倉町に向かう県道126号を西に進み、途中「聖徳太子神社」や「柏倉温泉太子館」の有る北柏倉への分岐を、そのまま直進して南柏倉方向へ。
前方には栃木市と佐野市との境界を成す、標高300メートルから400メートル山並みが南北に連なっています。「倉掛山」は丁度道路の正面を遮る様に聳えています。
倉掛山1.jpg
(県道の前方に見える山が「倉掛山」、山頂に「琴平神社」が祀られています)

これからいよいよ山道に移ろうとする山裾の、道路の左側に古い石碑と石灯籠が目に入る。「倉掛山」の山頂に祀られている「琴平神社」への登り口に成ります。その左奥に古い石段が山上に向かって伸びています。
倉掛山2.jpg
(山裾には山頂の「琴平神社」への参道石段、古い石碑や石燈籠が建っています)

「倉掛山」の標高は約345メートル。そしてこの登り口は145メートル程ですから、比高は200メートルも有る為、この参道を直登して行く自信は少し有りません。自動車道を峠まで行って、そこから歩くコースを選択しました。峠部分の標高は315メートル程に成る為後は殆ど平坦な道を歩く感じで目的の山頂、「琴平神社」境内へと行く事が出来ます。
倉掛山3.jpg倉掛山4.jpg
(峠の先は佐野市に成ります)     (峠部分に建つ「琴平神社参道」と刻した石柱)
峠部分の参道入口から尾根道に入る僅かなアップダウンが有るものの、殆んど平坦な道を進んで行くと電波塔が建っており、その手前の広場部分に昨年8月に建てられた四阿が有りました。
倉掛山5.jpg倉掛山6.jpg
(琴平神社への道、右側が佐野市、左側が栃木市)(2016年8月に建てられた四阿)

四阿の建っている所から山の西側の視界が開け、佐野市葛生町が眼下に望む事が出来ます。
葛生町遠望1.jpg
(倉掛山山頂から西側を望む)
葛生駅遠望1.jpg
(葛生の町並みをズームアップ)
写真手前に東武鉄道の葛生駅のホームが見えます。中央を横方向に貫く茶色の筋は「秋山川」で右方向に見える橋が「天神橋」です。

「琴平神社」は鉄塔の建つ場所から東方向に突き出た尾根の部分に祀られています。こちらから神社に向かう場合は、神社の裏手に出る裏参道に成ります。神社の社殿は東の方向を向いています。栃木市側から登るのが、表参道に成ります。
琴平神社裏参道1.jpg琴平神社裏参道2.jpg
(西側から琴平神社への道にも少し石段が有りました)(琴平神社本殿の赤い屋根が見えます)

葛生の街からも琴平神社への道が有りました。葛生駅の近くを流れる「小曽戸川」に架かる橋のたもとに「琴平山道」と刻した石柱が建てられています。
琴平山道1987年.jpg
(小曽戸川に架かる橋のたもとに建つ「琴平山道」の石柱)

社殿の境内は東側に開けていて、その先には表参道の石段が下から登って来ています。琴平神社1.jpg
(表参道の石段を登りきった所から、琴平神社拝殿を撮影する)

石段の手前に立つと、東側の視界が開けます。
倉掛山から東の眺望.jpg
(倉掛山の山頂「琴平神社」境内から東方向を望む、足元左にミニサーキット場が有る)
倉掛山から東の眺望2.jpg
(東へ突き出た尾根の先端近くの「皆川城址」部分をズームアップ。)

視線を東から少し右へ、東南東方向を眺めると「太平山」、そしてその左側奥、地平線上に薄っすらと筑波山の馴染みのある山容が確認出来ました。
倉掛山から筑波山.jpg
(倉掛山から東南東方向の眺望。太平山や筑波山を望む)

倉掛山山頂からも栃木市の市街地を眺望する事が出来ました。
倉掛山から栃木市街地眺望.jpg
(中央の建物が栃木市役所と付属のパーキングビル、その手前に「錦着山」)



栃木市皆川城址からの眺望 [自然の恵み]

不意に思い立って、栃木市皆川城内町に有る、皆川城址公園の山頂、本丸跡からの眺望を見に行ってきました。
家を出る時、すでに太陽が西に傾き始めていましたので、陽が西の山に隠れる前に何とか山頂に登ろうと、車のアクセルを踏み込みました。
皆川城址公園、城山の南麓に有る、皆川地区公民館駐車場に車を停め、急いで山頂を目がけて登り始めます。目指す山頂を見上げると、すでに山は夕陽を受けてオレンジ色に変わっています。
皆川城址1.jpg皆川城址2.jpg
(夕陽に染まる皆川城址の山頂部分)           (道標を辿って本丸方向へ)
急いで坂道を登りますが、直ぐに息か苦しくなってきます。気ばかり焦りますが、体が付いて行きません。城山の標高は147メートル、駐車場の有る登り口は70メートル程ですから、その比高は77メートルばかり。ただ時間に追われて、のんびり休憩をとることも叶いません。
皆川城址3.jpg
(山頂まではまだ、一息ついて後ろを振り返ると、西の山に太陽が沈んで行く)
その間にも周辺の風景がドンドン山陰に隠れ、光をなくして行きます。必死の思いでやっと山頂に建てられた展望櫓の上に建つことが出来ました。
さっそく栃木市街地のある、東南東方向に目を向けると、遥か地平線の先に筑波山が何時もの姿を見せています。手前にはすでに光を失せた「錦着山」、市街地にも山陰が迫っていました。
皆川城址4.jpg
(写真手前中央に錦着山、後方に筑波の霊峰。左側エンジ色の文化会館)

視線を少し左に移動すると、東武日光線「新栃木駅」に建つ紅白色の鉄塔、アイムや和光メガネの看板が間に入ってくる。我家は確かこの辺に有る筈だが、見える訳が無い。遠くに東北新幹線の高架がまだ光を受けて一筋の白い線を描いている。
皆川城址6.jpg
(写真手前、横方向に走る土手は「赤津川分水路」で、その先は旧風野から箱森西に新しい住宅地)

更に視線を左に移動させる。
皆川城址7.jpg
(写真手前は皆川城内町付近の永野川桜堤、写真中央の小高い森は左半分が吹上町、右側部分には野中町の長宮神社が祀られています。更に視線を地平線に向けると、中央付近に高い煙突の様な建物がかすかに見えます。宇都宮市茂原町の「クリーンパーク茂原」で、近くに東北新幹線と北関東自動車道とが交差点が有ります。)

今度は北側に目を向けて見ます。
城山の裏側の山の上に左右に裾野を延ばす三角形の山にまだ太陽の光が当たっています。栃木市と鹿沼市の境にそびえる標高454.6メートルの「大倉山」です。
皆川城址5.jpg
(皆川城址山頂から北側の眺望、大倉山がのぞく)

視線を西側に変えると、そこはすでに太陽が山の向こう側に消えた景色に変わっていました。
皆川城址8.jpg
(前方を塞ぐ山は山頂に琴平神社を祀っている「倉掛山」標高350メートルで、この山の稜線の向こう側は佐野市(旧葛生町)に成ります。目を凝らしてみると、写真手前から山間に向かう道路が1本伸びています。道路は50ヶ所のカーブを左右に回りながら峠を越えて、葛生の街に至ります。)
皆川城址9.jpg
(南西方向も夕闇が迫っています。中央奥が小野口町方向。左側の山並みが太平連山、山裾を走る道路が「東北自動車道」。左手中央の建物が皆川中学校、そして手前左に見える建物が、車を停めた「皆川地区公民館」で、その昔この皆川城の館跡に成ります。)
皆川城址10.jpg皆川城址11.jpg
(視線を1周させて南方向。手前の石柱は山頂に建てられた「皆川城址」の碑。その先中央付近の高い山が「太平山」標高345メートル、右端の山が「晃石山」標高419.1メートルで、山頂には1等三角点が設置されています。左側の三角形の山が「飯盛山」に成ります。)

今回は栃木の街を開いた皆川氏の居城、「皆川城址」山頂からの360度眺望でした。
少し出発が遅かったため、冬の日没が早く薄暗くなってしまいました。帰りはゆっくりと山を下りる事にしました。



栃木市太平山(おおひらさん)からの眺望 [自然の恵み]

今年に成って初めて太平山に登りました。
車で遊覧道路から登り、最初は栃木の市街地を眺望出来る、見晴台に向かいました。
見晴台の駐車場に車を停め、まずは太平山神社にお参りをしてから、富士浅間神社が祀られている、太平山の山頂(標高341メートル)に登りました。
太平山神社(2017年).jpg太平山山頂1.jpg
(太平山神社)                  (太平山山頂に祀られている、富士浅間神社)
太平山神社社殿前の標高は260メートル程に成りますから、山頂までの比高は81メートル程しか有りません。それでも最近はこの程度の山道でも直ぐに息切れをして、チョコチョコ休憩しながらでないと、登れなくなってしまいました。呼吸器系の機能が相当落ちて来たようです。平地を歩くのは平気なのですが、負荷が加わると一気に息切れ状態です。
12分程で富士浅間神社の前に到着です。社殿前に「関東ふれあいの道」の案内板が建てられています。「冨士浅間神社 太平山城」と成っています。「太平山城」の説明文によると、≪太平山神社の北西の高地から富士浅間山頂にいたる尾根を利用して太平山城が設けられていました。本丸ともいえるこの富士浅間山頂からは、南方は榎本城・藤岡城方面、西方は唐沢山城を望むことが出来、北は皆川城と連絡をとることが出来ました。≫と記されています。
しかし現状は社殿境内の周りは杉や雑木が茂り、山頂からの展望は出来ません。2015年に初めてこの山頂に立ちましたが、その時は夏真っ盛りの8月で、周辺の木々も生い茂って全く展望が出来なかったので、今回木々が落葉したこの時を狙って登りましたが、針葉樹が多く全く視界は広がりませんでした。
諦めて山頂を離れ、車を停めた見晴台の戻りました。
見晴台は子供の頃から両親や友達同士などで何度も来ています。この見晴台からの眺望は、私の住む栃木の市街地を正に一望する事が出来ます。
太平山見晴らし1.jpg太平山見晴らしからの夜景(1969年1月).jpg
(見晴台で望遠鏡を覗く友、昭和41年3月撮影)(初めて撮影した見晴台からの栃木夜景)
栃木市街地展望1969年.jpg
(昭和44年1月撮影、手前に永野川に架かる二杉橋。栃商・栃女高の校舎など)
栃木市街地展望2017年.jpg
(2017年1月撮影、上の写真と同様見晴台から見た現在の栃木市街地)
手前の二杉橋から一直線に伸びる道路の先に見える大きな白い建物は、市役所とパーキングビル。視線を少し右方向に向けると、栃木駅と高架化された線路が曲線を描いています。
栃木駅遠望1.jpg
(現在の栃木駅周辺の様子)

今度は逆に視線を左方向に変えると、視野の中央に1本の白い風力発電が建っています。その手前は川原田町の栃木総合運動公園。エンジ色の体育館の建物が確認できます。左奥の鮮やかな黄色の建物は、昨年操業を開始したファナック㈱壬生工場の建屋です。壬生町と鹿沼市との境界付近で、その昔壬生から鹿沼を領した「壬生氏」の支城「羽生田城」が建てられた辺りに成ります。
川原田町遠望1.jpg
(川原田町方向。後方奥に写るビル群は、県都「宇都宮」の中心になります)

更に視線を左にむけると、吹上町を望む事が出来ます。
吹上町遠望1.jpg
(吹上町方向。山裾に建つ建物は左から、吉野工業所栃木工場・吹上幼稚園・吹上中学校)
写真左端に写る大きなビルが「(株)吉野工業所栃木工場」、その裏手の白い鉄塔が建つ山が「鴻ノ巣山」。写真中央右側の3階建ての建物が吹上中学校で、この場所にはかつて皆川氏の支城「吹上城」が有った場所に成ります。

見晴台からの眺望を堪能した後、車を移動して、太平山の南側に広がる関東平野が一望できる、謙信平側の駐車場へ。この場所は「関東の富士見百景」になっていて、今日も目の前奥に雪をかぶった富士山が姿を見せていました。そして地平線上には、薄っすらと東京のビル群がならんでいます。東京スカイツリーの姿も確認できますが、私のカメラではこれが限界でした。
富士遠望1.jpg
(遥か前方に富士の霊峰を望む。写真右手には岩船山と三毳山)
富士遠望2.jpg東京スカイツリー遠望1.jpg
(富士山頂部をズームアップ)           (地平線に薄っすらと東京スカイツリーも)
再度場所を移動して、少し下がった「もみじ庵」さん前の駐車場へ。この場所からは筑波山を望む事が出来ます。今日も地平線の先に薄っすらとシルエットで男体山・女体山の二峰を見せていました。
筑波遠望1.jpg
(筑波山)
団子.jpg焼鳥.jpg卵焼き.jpg
太平山で関東平野の眺望を堪能した後、太平山名物の三点セット(団子・焼き鳥・卵焼き)をいただき、満足して山を下りました。