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栃木市ウォーキング大会、今年も完歩しました。 [歩く]

今日、第4回目となる「来て、観て、歩こう、あったか栃木市ウォーキング大会」が、秋晴れの下開催されました。
平成の大合併により大きくなった新生栃木市の誕生を記念して始められたこの大会には、藤岡総合体育館をスタート地点として、渡良瀬遊水地内を歩く「10kmコース」、三毳山山麓のフルーツパークや花センター方面を巡ってくる「20kmコース」、そして私が参加した栃木市を南から北に縦断する「30kmコース」が有ります。
10kmコースにはスペシャルゲストも一緒に歩きます。今年は現在モデルとして活躍していて、この2月より栃木市ふるさと大使となった、地元栃木市出身という「石川恋」さんでした。
出発地点の藤岡総合体育館前広場にて、8時から出発式が行われ、鈴木市長からの挨拶が有りました。
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(出発式にて挨拶する鈴木市長)        (今年のスペシャルゲスト、石川恋さん)
会場には、栃木市のマスコットキャラクター「とち介」の他、渡良瀬遊水地のキャラクター「ハーツ姫」と「渡良瀬ナイツ」も見送りに来ていました。
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(栃木市マスコットキャラクター「とち介」)(ハートランドのハーツ姫と渡良瀬ナイツ)
8時20分号砲と共に、スタートゲートを通りゴール地点となる道の駅「にしかた」を目指して、ウォーキング出発です。
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(スタートゲート前にて号砲を待つ参加者)
最初は渡良瀬遊水地の堤防上の道を藤岡大橋に向けて歩き、県道11号線(栃木藤岡線)を歩いて北上、途中大平町の「プラッツおおひら」にある休憩所を経由して栃木の市街地に向かいます。
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(渡良瀬遊水地の堤防上の道を歩く、天気も良く気持ち良いスタート)
歩くコースには道案内の矢印やとち介からの応援コメントが掲示されています。又、この30kmのコースはほぼ東武日光線に沿うコースの為、歩いていると途中で何度も「特急スペーシア」の姿を見る事に成ります。
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(コースを案内する表示ととち介のコメント)  (何度もすれ違った特急スペーシア号)
コース途中の大平町川連に有る県立栃木翔南高等学校の東を歩いていると、丁度校内マラソン大会も行われていて、一生懸命に走る生徒さん達と交差しました。又、昨年はまだ建設中だった「とちぎメディカルセンターしもつが」も今年の春に完成、4月30日に引っ越しをして業務を開始しています。
コースはその先で今年少し変更され、一度右折して「とりせん栃木駅南店の北側を通過して、栃木駅南通りを北上、栃木駅構内を通過して駅の北口に出る様になっていました。
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(立派に完成した「とちぎメディカルセンターしもつが」)(栃木駅南口)
ここからは前回と同じコース、女子高通りを進み「富士見橋」を渡って右折、川沿いの道を遡ります。
「新開橋」「瀬戸河原橋」「巴波川橋」「幸来橋」「倭橋」「常盤橋」「開運橋」の西側を抜け、その上流の「大川橋」を渡り、大正2年に建てられた洋風建築の「栃木病院」前を通り、国指定の「重要伝統的建造物群保存地区」嘉右衛門町通り(旧日光例幣使街道)を歩きます。
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(巴波川の右岸より、幸来橋付近)
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(嘉右衛門町通りを歩く)
20km地点の大町郵便局前で旧日光例幣使街道から離れ、分岐左手の粟野街道を北上して行きます。
ヤオハン川原田店の先の交差点を右折して、東武日光線の踏切の手前で左折線路の西側を又北上します。合戦場駅から次の家中駅まで。途中の道路脇の薬師堂を今年も無事に通過しました。
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(都賀町、東武日光線の西側を歩く)     (薬師堂が見えてくる、今年も来ました)
途中途中の交差点などで、道路横断を支援したりコースを案内、激励してくれるスタッフの方達と元気に挨拶を交わして、25km地点休憩所の都賀総合支所に到着。トイレと水分補給をして又すぐ出発。
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(25kmの休憩所、栃木市都賀総合支所、スタッフが迎えてくれる。)
あと残り5kmですが、ここからが実に厳しい区間に成ります。北関東自動車道都賀ICの前を抜け、東武日光線の跨線橋を渡り、西方城址の有る城山を左手に見ながらゴール地点の「道の駅にしかた」へ。足の痛みをこらえて、ただただゴールを目指し、半分惰性で体を前に運んでいきます。
先の交差点で大会スタッフが旗を振るのが見えます。最後の交差点を右折して道の駅へ入ります。
ゴールゲートの先で道の駅にしかたの公式マスコット「キララちゃん」が待っていました。
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(ゴールゲート、「道の駅にしかた」のマスコット「キララちゃん」が迎えています。)
今年も無事ゴール出来ました。到着時間は13時57分、万歩計の数値は「42,167歩」に成っていました。
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(4枚目の完歩証をゲットしました。)



渡良瀬遊水地の北西域を歩く [歩く]

今日も昨日からの好天気が続き、直射日光を受けると、10月末とは思えない暑さを感じる陽気となりました。昨日は夕方から栃木市総合運動公園内のジョギングコースを5km程歩きましたので、今日はどこを歩こうかと少し悩みました。栃木の市街地を歩くいつものコースを離れ、車で少し遠出をして藤岡町の渡良瀬遊水地を歩く事にしました。
遊水地に着く頃は、すでに夕方4時近くに成っていたので、1時間程で陽が暮れる。そう長くは歩けない為遊水地の一番北側「藤岡渡良瀬運動公園」周辺を歩く事に。「藤岡スポーツふれあいセンター」の前から、堤防を越えて遊水地内に下り、公園脇の駐車場に車を停めてウォーキングを開始。
野球場やサッカー場の周辺を抜けて、東側を流れる渡良瀬川右岸の堤防の上へ。
堤防の上に来ると360度視野が広がります。東の方向遊水地の遥か先に、うっすらと筑波の霊峰が望めます。その手前右側に「第三排水門」のコンクリートのタワーが突き出ています。その水門の先に巴波川が流れています。水門の手前には渡良瀬川が流れていますが、葦が生い茂りここからは川の流れを見る事は出来ません。
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眼を西の方向に転じると、そこにはススキの原が広がり、一面に太陽の光を受けて、白く輝き、風になびいています。
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空を見上げると、スカイダイビングを楽しんでいるのか、四つ五つ色鮮やかなパラシュートが、青空から降りてくるのが見えます。
堤防の上を新開橋の方に向かって歩いて行くと、右手に渡良瀬川が姿を現してきます。前方には藤岡大橋の橋脚が、西陽を受けています。その橋の手前対岸に「蓮花川排水機場」の樋門が、こちらも西陽を受けて白く輝いて見えます。すでに川面に光は指さず黒く輝いています。
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もう直ぐ日没に成ります。足を速め、新開橋の南橋詰まで歩きそこから元の駐車場に戻りました。
本日の総歩数は9,585歩でした。昨日の12,000歩にはとどきませんでした。

いよいよ今度の日曜日は、栃木市の第4回目のウォーキング大会です。天気も何とか良さそうです。今年も30kmしっかり歩ききりたいです。

那須町芦野の遊行柳へ [石碑]

先日、那須町の「道の駅、東山道伊王野」方面に車を走らせました。国道294号を那珂川町から北上、道の駅にて休憩後更に北に向かう。那須町芦野に入ると直ぐ国道左手奥の山肌に「堂の下岩観音」が有ります。(こちらは、2014年11月30日付の堂々巡りにて、紹介をしています。)更に北上すると左方向から栃木県道72号線が交差して来ます。この県道72号線は江戸時代の五街道のひとつ、旧奥州道中の一部に当たり、大田原市から那須町芦野までの区間に成ります。そして芦野以北は国道294号線が旧奥州道中を辿る事と成ります。
芦野は旧奥州道中の下野国最北の宿場です。次の宿場は、国境に当たる「境の明神」の所で下野国から磐城国に入り、白坂宿へと至ります。
今回はそこまでは行かず、旧芦野宿の直ぐ北に位置する「遊行柳」の元に行きたいと思います。これまでは何度もこの道を走っていますが、いつも遊行柳の場所を分からず通過していましたので、今回は前もって良く下調べをして来ました。
県道72号線との交差点から北へ1km程走ると、国道の脇に「遊行庵」と記した大きな看板を立てた茶屋、その手前に広い駐車場が有ります。松尾芭蕉の奥の細道の句「田一枚植て立去る柳かな」で有名な「遊行柳」へは、ここに車を停めて、歩いて向かいます。
駐車場から丁度西の方向、山の手前に大きな柳の木を確認することが出来ます。田圃の中の道を大きな柳の方向に歩いて行きます。
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入口に≪国指定名勝・町指定史跡 おくのほそ道の風景地 遊行柳≫と刻した石柱が建てられています。左側にビューポイントを示すカメラの絵が付けられています。私もそれに従って1枚シャッターを切りました。
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整備された道を柳の木の元へ進みます。道は少し「く」の字に曲り西の山裾へと伸びています。その中間点道が曲る所が広場の様になって、道の両側に大きな柳の木と石の常夜燈、その先に石の鳥居が建てられています。道の左側常夜燈の南隣りに、石で囲われた柳の木が有り周りに多くの案内板が建てられています。
≪那須の名木 遊行柳 幹回り90cm 樹高10m 平成六年十一月三日指定 那須町≫、「とちぎ名木百選」でもある様です。那須町教育委員会が立てた「遊行柳」の案内板も有ります。
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常夜燈の手前脇に、小さな石碑が建てられています。芭蕉の句碑です。石碑の右下に「芭蕉」の文字を確認出来ます。石碑のバックに成るのは、今は稲を刈り取った後の田んぼです。
そして、道の右側に目を転じると、同じように大きな柳の木とその横にこちらにも石碑が建てられています。
碑の上部に「道のべに 清水流るゝ 柳かげ」 そしてその下に「しばしとてこそ 立ちどまりつれ」と、刻されています。西行法師の詠じた歌碑に成ります。
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(松尾芭蕉の句碑)                   (西行法師の歌碑)

道は石の鳥居の先へ、西側の山は「鏡山」との事、その山裾に祀られている「上の宮神社」(正式には、鏡山温泉神社)への参道に成ります。鏡山の西側に健武山湯泉神社と言うもうひ一つの、温泉神社が祀られており、そちらは「下の宮神社」と呼んで区別しているのだそうです。
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(鳥居の奥、鏡山の麓に祀られている「上の宮神社」への参道)
社殿の左手前にとても大きな銀杏の木がそびえ立っています。こちらは「上の宮のいちょう」と言う、那須町指定の天然記念物となっています。≪推定樹齢400年 幹回り610cm 樹好高35m≫と記した案内板が建てられていました。
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(那須の名木「上の宮のイチョウ」)
神社周辺の山裾に、これもまた巨大な石が幾つも見られました。
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(山裾に転がる、岩の様な巨大な石)
どうやら神社の裏山は岩山の様です。手前に見られた「堂の下岩観音」なども有る様に、芦野地区の山はどれも岩山らしく、周辺には採石場が沢山分布しています。
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(社殿裏手の山肌は、岩山が露出しています。)
神社に参拝をして、遊行柳を後にしました。
帰りは国道4号線を走り、さくら市市内で国道293号線に入り、鹿沼経由で栃木に戻りました。
10月の下旬と成って来ると、西の空が夕陽に染まるのが早く成って来ています。家に着く頃はすっかり暗くなっていました。
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(さくら市から鹿沼方面へ)


栃木県内のマンホールデザイン蓋 [コレクション]

今日、東北自動車道を走り、県内最北の那須高原スマートICで東北道から降り、那須町の中央部に位置する、JR東北本線の黒田原駅方面に向かいます。
今回、那須町を訪れた目的は、黒田原水処理センター区域のデザインマンホール蓋を写真に収める為で、JR黒田原駅近くの栃木県道28号線にて無事写真に収めることが出来ました。
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(那須町黒田原水処理センター区域)

これで、現在栃木県内に有る下水道用デザインマンホール蓋を全て写真に収めました。もちろん今後も新しいデザインのマンホール蓋が現れて来るでしょうが、現在インターネット上に掲示された物は何とか自分の目で確認をしました。実際に場所を見つけるのに苦労をしました。特にカラーのマンホールは設置数が少ない為、その区域の中心地、駅の近く、観光施設の近く等を歩き回りました。
道路上に有るマンホールは、下水道用だけでなく、消火栓や電気・ガス・電話等沢山有りますが、ここでは下水道用だけにターゲットを絞りました。
マンホール蓋も工業製品ですから、日本工業規格(JIS)が制定されており、「JIS規格模様」というデザインが有る様です。このデザインは別名「東京市型模様」と言われます。模様の中央部分にそれぞれの市町村の自治体章を表示した蓋を多くの町で見る事が出来ます。尚東京都下水道局では平成13年に23区内のマンホール蓋を、固有のマンホール番号と管きょの布設年度(西暦)を表示したものに変更しました。
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(東京都章のJIS規格模様)(東京23区下水道蓋、平成13年変更後)

最近多くの市町村でその町の特徴をデザイン化したデザイン蓋を設置していますが、他にこのJIS規格模様の蓋も設置しています。栃木市内でもこのJIS規格模様を見る事が出来ます。
栃木市jis.jpg藤岡町jis.jpg今市市jis.jpg
(旧栃木市)           (旧藤岡町)           (旧今市市)
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(壬生町)             (足利市)            (日光市、合併後)

又、「JIS規格模様」とは別に、蓋全面に亀甲模様を配し、中央部に自治体章を付けたマンホールも良く見かけます。栃木市内でも旧市内や都賀町・藤岡町などで写真に収めました。
栃木市(亀甲).jpg都賀町(亀甲).jpg藤岡町(亀甲).jpg
(旧栃木市)            (旧都賀町)            (旧藤岡町)
石橋町(亀甲).jpg鹿沼市(亀甲).jpg矢板市(亀甲).jpg
(旧石橋町)            (鹿沼市)            (矢板市)
以上の「JIS規格模様」や「亀甲模様」は、恐らく殆んどの市町村にて使用している様に感じます。その為収集しきれない為、最近は収集していません。

この「JIS規格模様」や「亀甲模様」に対して、各自治体の特徴を表現したデザイン蓋を、県内でも沢山見る事が出来ます。まず、色彩鮮やかなカラーのマンホール蓋を幾つか紹介します。
佐野市(カラー).jpg田沼町(カラー).jpg石橋町(カラー).jpg
(旧佐野市)             (旧田沼町)          (旧石橋町)

南那須町(カラー).jpg日光市今市(カラー).jpg大田原市(カラー).jpg
(旧南那須町)             (旧今市市)         (大田原市)

デザイン蓋の絵柄に採用されるものは、その自治体の花や木、鳥を描いた物が多い様です。
野木町(木花).jpg南河内町(木花).jpg芳賀町(木花鳥).jpg
(野木町)             (旧南河内町)           (芳賀町)
市貝町(花鳥).jpg矢板市(木花鳥).jpg黒羽町(木花鳥).jpg
(市貝町)              (矢板市)             (旧黒羽町)
野木町は中央に町の花「ヒマワリ」、外周に町の木「エンジュ」
旧南河内町は町の木「モミジ」、町の花「キク」、斜めに走るギザギザ模様は、町の東部を流れる「鬼怒川」「江川」「田川」を図案化したものと思われます。
芳賀町は町の木「ケヤキ」の葉、町の花「ナシ」の花、町の鳥「ヒバリ」
市貝町は町の花「キク」、町の鳥「キジバト」
矢板市は市の木「ナツツバキ」、市の花「レンゲツツジ」、市の鳥「キジバト」、後方に描かれた山は「高原山」と思われます。
旧黒羽町は町の木「スギ」、町の花「ヤマユリ」、町の鳥「ウグイス」

他に、幾何学模様や繰り返しパターン図柄のデザイン蓋も有りました。その中には自治体章や自治体名が表示されていない蓋も有り、撮影した場所で自治体を確認しなければ分からない、(下野市の旧国分寺町川中子の幾何学模様や、小山市の馬三匹をパターン化した図柄など)、珍しいデザイン蓋だと思います。
宇都宮市(パターン).jpg河内町(パターン).jpg氏家町(パターン).jpg
(宇都宮市:市の木「イチョウ」)(旧河内町:町の花「サギソウ」)(旧氏家町:町の西を流れる鬼怒川のアユ?)
小金井町(パターン).jpg小山市(パターン)jpg.jpg那須塩原市黒磯(パターン).jpg
(旧国分寺町川中子)      (小山市)            (旧黒磯市:中央に旧市章)

図柄にはユーモラスな絵やユニークなデザインも有り、集めていると楽しくなります。
さくら市上野(カエル).jpg烏山町(カラス).jpg益子町(益子焼).jpg
(旧氏家町上野:カエル)        (旧烏山町:カラス)      (益子町:陶器)
高根沢町(元気).jpg鹿沼市(杉).jpg那須町湯本(温泉).jpg
(高根沢町:人・自然・元気)       (鹿沼市:杉の子?)    (那須町湯本:温泉)

多くのマンホール蓋の材質は、鋳鉄製に成っています。又、表面は上を走る車がスリップしにくいようなギザギザ面と、成っているのがほとんどですが、特殊なものとして、鉄製本体に特殊コンクリート製の化粧円盤を組み合わせたマンホール蓋や、石畳の歩道などに設置されるマンホール蓋の様に周辺に合わせる石畳をセットしたもの、鉄製のベースに図柄を印刷した金属板をビス止めした蓋などが確認されました。
野木町(コンクリ).jpg栃木市(石畳).jpg矢板市(金属板).jpg
(野木町:ひまわり)       (栃木市:マロニエの葉)    (矢板市:ともなり君)

今回、私が栃木県内を巡って撮影したデザインマンホール蓋は56枚(同じ図柄でカラー版が有る場合や、表示された地区名が異なった場合等も、1枚とカウントします。)
大平町(カラー).jpg大平町(みずほ西).jpg大平町(下皆川).jpg
(旧大平町公共雨水カラー蓋)  (旧大平町みずほ西集排)  (旧大平町下皆川集排)
大平町(公共).jpg大平町(公共新).jpg
(旧大平町公共汚水)     (栃木市大平町公共汚水、合併後自治体章が変わる)
※上の5枚は栃木市大平町のもの、全てデザインは同一です。設置地域や栃木市との合併等により表示文字が違っています。

旅行先の町を歩いていて、珍しいデザインマンホール蓋を見付けると、何か得をした様な感覚になります。最近はこうしてマンホールの蓋を探すのが癖になって来ました。
館林市1.jpg行田市1.jpg総和町5.jpg
(群馬県館林市)          (埼玉県行田市)       (茨城県猿島郡総和町)
栃木県外は、まだまだこれからです。



とち介、ゆるキャラグランプリ2016のネット投票も24日18時まで。 [ゆるキャラ]

昨年から投票期間が3ヶ月となって、投票者の本気度が一層試されるようになりました。
私も毎日毎日、せっせと自分の持っている3票を、今年も一日も欠かさず投票して来ました。それも明日から残り6日間に成りました。聞くところに依りますと、「とち介」の挑戦は今年が最後に成るといいます。その最後の戦い、最終的な結果を言うのは早計なことかもしれませんが、現在のランキング4位からの変動は無いと思われます。
昨日(10月17日)から、得票数と順位が非表示と成りました。この後の結果発表は、11月5日・6日の2日間四国愛媛県松山市でのイベント会場での決戦投票の結果を加味して、6日の表彰式にて発表となります。
「とち介」の現在までの得票数は、私が最後に確認した10月16日の24時時点の表示数は、1,798,435票です。投票開始の7月22日から87日間の累計得票数です。この間の1日の平均得票数は、20,672票という事に成ります。直近1週間だけの1日の平均得票数も調べてみると、殆んど同じ20,323票でした。
この数字から読み取ると、「とち介」の支援者は最初から最後の最後まで、諦める事も無く一人一人がシッカリ投票を続けて来ている事が分かります。
ただ、当初に「日本一」を目標としただけに、盛り上がりが今一つ足りなかった気がします。一部の支持者だけに留まり、広く栃木市民に投票の輪か広がらなかったのは残念です。
先を行く上位の「はにぽん」「チュッピー」「しんじょう君」は、圧倒的に強かったです。1位から3位までが「とち介」の投票数約180万票に対して、4倍を遥かに超える800万票と言う大量得票を集めました。
この上位の三つ巴の争いは恐らく最後まで続く事でしょう。ここまで来たらみんな頑張って貰いたいです。
「とち介」が市内の多くのイベントに現れると、その瞬間みんなが笑顔になる光景を、これまでも何度も目撃しています。これからも栃木市民の心を温かくして行って欲しいと願います。

今回のゆるキャラグランプリ2016の記念として私の手元に残った1枚の写真が有ります。投票開始当初に携帯の画面に表示された「とち介」1位の証です。僅か半日間ですが!
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栃木県道15号線で足尾の町へ、 土木遺産の鍵金橋 [橋梁]

私の住む栃木市から日光市足尾町へのルートは3通り有ります。例幣使街道を北上して、日光の市街地を抜け、細尾町から日足トンネルを抜けて、足尾町に入る「北ルート」。国道50号線を西に進み、群馬県みどり市から北上、渡良瀬川右岸(西側)に沿った道を走り、足尾町に入る「南ルート」。そしてもう一つは、星野町から鹿沼市下永野に入り、大越路トンネルを抜け鹿沼市下粕尾へ。そこから中粕尾・上粕尾を抜け、粕尾峠を越えて足尾町に入る「東ルート」に成ります。
グーグルマップのルート検索を使って、この3つのルートの距離を測定してみると、北ルート70.8km(所要時間1時間46分)、南ルート92.4km(所要時間2時間7分)、そして東ルートが54.0km(所要時間1時間26分)となりました。ただこれは全て一般道路利用と言う条件に成ります。高速道路を利用する事で、北ルートは東北道と日光道を走ると、距離は81.0kmと長くなりますが所要時間は1時間13分と、一番短時間で行く事が出来る様です。南ルートは北関東道を利用しても時間は1時間50分必要となりました。
当初、私の足尾へのルートは、殆んど北ルートでした。最短ルートとなる東ルートは、粕尾の峠越えの道が細く曲がりくねっていて、運転があまり得意では無い私にとっては、とても危険なルートと考えていたからです。それが道路の拡張工事により最近相当改善されて来た為、東ルートを利用する事が多くなってきました。
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(1985年5月、中粕尾森付近の道路脇を流れる思川)
現在も粕尾峠周辺道路はヘアピンカーブが連続し、突然カーブの先から対向車が現れて、急ブレーキを踏むことも時に有ります。又、冬の峠越えは残雪等で路面凍結で、スタッドレスタイヤでも不安です。
私がこの東ルートを利用して足尾に出かけるのは、5月初めの新緑の頃が殆んどですが、以前2002年2月に一度この粕尾峠を越えました。道路の両側に雪が寄せられていて、道幅も一層狭くなって場所によって路面凍結も見られました。スピードを抑えて安全運転で何とか足尾町にたどり着くことが出来ました。
幸いその日は天候にも恵まれ、粕尾峠から足尾町へ下る途中で日光連山の雪景色を近くに見る事が出来ました。
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(2002年2月、粕尾峠から足尾町側に下る途中、日光連山が現れました)
昨年は5月1日と5月5日に、新緑がまぶしい山道を走って来ました。
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(2015年5月1日、カーブ57に差し掛かる付近)

鹿沼側の道は思川を遡る様に、下粕尾・中粕尾・上粕尾の集落を抜け、山の神ドライブインを過ぎると道路は急カーブの連続する山道へと変わります。カーブの番号を記す標識を確認すると、粕尾峠手前で№38の表示が有りました。
丁度粕尾峠の所で、右に折れて横根山や古峯神社方面に行く県道38号線の入口が現れます。峠にて鹿沼市と日光市の境界、道路左手に石碑が建っています。石碑の隣りに説明板も建てられていました。
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(粕尾峠に建つ、酒井善太郎の句碑)
そこには「酒井善太郎の句碑」と記されています。酒井善太郎氏は、当時足尾町議会議長として、粕尾峠の自動車道(昭和28年完成)化に尽力したと説明されています。

粕尾峠(標高約1,100m)を超えると日光市(旧足尾町)の下り坂がうねうねと続きます。
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(県道15号線、粕尾峠、ここで鹿沼市から日光市に入る)

59番目のヘアピンカーブを過ぎると、道路は一直線に下って行きます。道路の左手に沢水が流れています。新緑に誘われ道路脇に車を停め沢の岩場まで降りると、全身にマイナスイオンが降り注いでくる感じを受けます。この沢は流れ下ると「内ノ籠川」と成り、渡良瀬川へと流れて行きます。
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(県道15号線の脇を流れる内ノ籠川の上流部)(2015年5月5日撮影)

途中、内ノ籠の集落を過ぎた所、内ノ籠川を渡る場所に、「鍵金橋」と言う古い橋が有りました。平成2年(1990)上流側に新道が出来て新しい「鍵金橋」が造られ、旧道は通行止めとなって古い橋は渡ることが出来ません。
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(1987年4月撮影の土木遺産「鍵金橋」) (1994年5月撮影、新しい鍵金橋)
この旧道に架かる「鍵金橋」は栃木県の近代土木遺産と成っています。架橋されたのは昭和17年(1942)、橋長25.9m、幅員4.5mの鉄筋コンクリートアーチ橋です。
現在、この古い鍵金橋は人目にも触れず、草木に埋もれる様に、その姿を留めています。
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(2015年5月5日撮影、旧鍵金橋の親柱)(草木に覆われる土木遺産の鍵金橋)

車はそのまま内ノ籠川に沿って坂を下り、足尾の市街地へと入り足尾バイパス道(国道122号線)に合流、内ノ籠川も同じく国道の下を流れて、その先で渡良瀬川に合流します。
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(2016年10月撮影内ノ籠川、この先で渡良瀬川に合流します)









秋の栃木市を歩くウォーキング大会まであと三週間 [歩く]

今月、10月30日に第4回目となる、「来て、観て、歩こう、あったか栃木市ウォーキング大会」が開催されます。
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2012年に平成の大合併により、大きく広くなった新生栃木市を記念して、新たに始められました。
歩くコースは藤岡町の渡良瀬遊水地内約10kmを歩く「渡良瀬遊水地満喫コース」、栃木市藤岡総合体育館をスタートゴールに、いわふねフルーツパーク・とちぎ花センター・道の駅みかも等、約20kmを巡る「花と万葉・三毳山コース」、そして栃木市藤岡総合体育館をスタートして、藤岡町から北上して、岩舟町・大平町・旧栃木市・都賀町そしてゴールの「道の駅にしかた」までの約30kmを歩く「栃木市縦断健脚コース」の三つのコースが有ります。
私は今年も30kmコースに参加申し込みをして来ました。これまで幸いに第1回から第3回まで完歩する事が出来ました。
※掲載している写真は昨年の大会のものです。
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(雨の中ですが、みんな歩く気満々で、スタート時間を待つ)
昨年は小雨の中、傘を差して歩きました。 (今年は晴れて欲しいな!)
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(渡良瀬遊水地の堤防上の道を歩く、ウォーキング参加者の列)
その所為では有りませんが、8km付近から早くも右足に痛みが出て、厳しいウォーキングになってしまいました。
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(10km地点、子供もお父さんと一緒に元気に歩いていました)
何とかゴールまでたどり着く事が出来ました。
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(栃木病院前に向かう、巴波川に架かる大川橋。コース案内の⇒方向)
チョッと最初にはりきり過ぎて、オーバーペースに成ったのが原因なのかと自己分析をしました。年々歳をとって行きますから、ペース配分が重要に成って来るのかも知れません。先頭集団は歩くのがとても速い為、追い着いて行くのは少々難しい感じです。
ウォーキング大会5.jpg
(25km地点、休憩所の都賀総合支所へ)
今年はマイペースに徹して、ウォーキングを楽しみたいと思います。
ウォーキング大会6.jpg
(ゴール地点の「道の駅にしかた」も雨の中でした)

夏の猛暑の中を歩くのはきついので、ここのところあまり歩けていませんでした。最近夕方は少し暑さも和らいで来たので、1日1万歩を目標に歩く様にしています。今日は少し頑張って、19,250歩(約12km)歩いて来ました。シューズの紐の締め具合が緩かったのか、靴の中で少し足が遊んでいた為、左足の親指の付根辺りが擦れて、豆が出来そうになりました。
大会の当日までにもう少し足慣らしをしないと、今日の2.5倍歩くのは心配に成りました。あと3週間うまく調整をして、本番に臨みたいと思います。

蔵の街栃木を切り撮る [建物]

蔵の街と呼ばれる、栃木の市街地を歩いていると、思いがけない「風景」を発見します。
私は、この町に幾つかのウォーキングルートを持っていますが、時にこれまで通った事の無い路地に入る事も多いです。多くは住宅街の袋小路にはまり戻る羽目になるのですが。それでも時に私の目を引く風景に出合う事も有ります。ですから歩く時は必ず胸のポケットにデジカメを持って行く事にしています。
今回はそんな感じで切り撮って来た、蔵の街栃木を構成する風景のパーツと言える、小さな風景を幾つか紹介したいと思います。
嘉右衛門町裏通り1.jpg
(7月24日嘉右衛門町にて撮影)
蔵の街広場1.jpg
(4月20日万町にて撮影)
旧酒造組合栃木支部1.jpg阿部清土蔵1.jpg
(7月24日万町撮影)            (5月8日万町にて撮影)
御用蔵1.jpg翁島1.jpg
(9月2日湊町にて撮影)           (5月29日小平町にて撮影)
蔵の街観光館1.jpg防火用水1.jpg
(3月24日万町にて撮影)          (6月3日境町にて撮影)
栃木カトリック教会1.jpg大谷石倉1.jpg
(7月1日境町にて撮影)              (7月22日泉町にて撮影)
油伝味噌1.jpg
(4月23日嘉右衛門町にて撮影)
これらの写真が何処で撮影されたものか全て分かった人は、蔵の街栃木を相当歩き回っている方です。一枚だけ洋館が有りますが、境町の栃木カトリック教会の窓になります。
これからも栃木の町を歩き回って、新しい栃木の風景を切り撮って行きたいと思います。


大正2年に建てられた洋風建築の「栃木病院」 [建物]

栃木市万町の北西部に建つ「栃木病院」は、現在も現役として活躍している、大正2年に建てられた洋風建築と言われています。
私がこの建物を初めて撮影したのは、そんなに昔ではりません。栃木病院には私自身も受診した事も有りますが、病院の裏手に友達がいたので、小学生のころから病院の周りで遊んでいました。それだけに私の生活の中に溶け込んでいましたから、特別な感情が有りませんでした。
栃木病院は今もそうですが、住宅街の路地に面した場所に有りますから、なかなか建物全体を写すことは出来ない状態でした。
その為か、私の撮った最初の栃木病院は、住宅と住宅の間から垣間見た様なものです。
この写真を何時ごろ撮ったか、記録が無く自分でも分かっていません。ただ写真に写る建物の露出した木造部分の塗装色が、現在の青竹色(色の名前は良く分かりませんが、爽やかな色です)と異なり、焦茶色になっていますので、20年以上前に成ると思っています。(1999年2月に撮った写真は現在の色に変わっています)
栃木病院1.jpg栃木病院2.jpg
正面から撮ったものは二階部分の一部と屋根の一部が見えるだけです。そしてもう一枚は病院の裏手から撮りました。手前の住宅の洗濯物干場が写っています。現在はこの辺りも空き地に大分変ってしまっています。
この栃木病院の建物をほぼ正面から全体的に撮影出来たチャンスが、平成12年(2000)のはじめごろに有りました。手前の建物が解体されて更地に変わったのでした。偶然その状況を確認出来たので、その2月7日に撮影することが出来ました。
栃木病院3.jpg栃木病院8.jpg

この栃木病院の建物は、平成10年(1998)9月2日に、国登録有形文化財となりました。現在病院正面入口脇に、栃木市教育委員会による案内板が建てられています。
この10月30日に実施され、4回目を迎える栃木市ウォーキング大会の30キロコースは、この病院前を歩くコースと成っています。
栃木病院6.jpg栃木病院7.jpg

一時更地となった病院前も、直ぐに新しい住宅が建っています。丁度病院の正面に通じる細い路地から眺めると、大正時代の面影を伝える、「栃木病院」のモダンな建物が、木々の間から望まれました。
何時までもこの景色が続いてくれればと思いました。
栃木病院4.jpg栃木病院5.jpg

那須高原大橋を渡る [橋梁]

先日、那須方面をドライブしました。JR黒磯駅の西側を走る県道303号線(この道路は元国道4号線でしたが、黒磯バイパスが開通後に県道と成っています。)を北上、那珂川に架かる現代の名橋百選に選ばれた、晩翠橋を渡り、那須分岐点交差点にて左折、県道17号線(那須街道)に入りました。
ところがここで早速渋滞の列に巻き込まれました。ルート選択失敗です。仕方なくノロノロ状態のまま、道の駅那須高原友愛の森で休憩、途中街道沿いのレストランはどこも行列が出来ていました。
この先も渋滞が続きそうなので、その先の交差点で県道17号線に別れを告げて、左折して県道30号線を選択。
渋滞から抜けて少し走ると、突然前方の視界が大きく開けて来ました。道は下り勾配、なだらかな曲線を描いて左にカーブして来ます。左手前方下に赤く染められたアーチ橋の下部が視界に入ります。その後すぐ車はアーチ橋の上に差し掛かると、一直線に那須高原を下る感じで、スピードが増していきます。
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アーチ橋の下を流れるのは那珂川、先ほど渡った晩翠橋の上流部に架かるこの橋は「那須高原大橋」になります。那須塩原市と那須町とを結ぶ橋です。
橋を渡った橋詰に設けられている「西岩崎ポケットパーク」に車を停車させて、橋の上からの景観を眺める事にしました。
ポケットパークには、現在地の標高439mを記した石や、この「那須高原大橋」の建設に携わった人達の名前を記した記念碑が建てられています。
那須高原大橋4.jpg那須高原大橋3.jpg
記念碑には、「ここに記す技術者は、多くの人々と共に自信と誇りをもって、本橋を完成させた方々です」として、160名の氏名と、「1994年11月竣工」の日付とが刻されています。

橋の上から上流側を眺めると、はるか眼下に那珂川が、川底の岩に当たり白い波をたてて流れています。その那珂川に架かるもう一つの橋が確認出来たので、そちらに向かうことで逆にこの「那須高原大橋」を下方から眺められそなので、そちらに車を走らせました。
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上から見えていた橋は「恒明橋」と言い、平成6年(1994)に那須高原大橋が開通する前は、こちらの橋を渡っていた様です。
恒明橋1.jpg恒明橋2.jpg
こちらの旧道からは田圃越しに「那須高原大橋」の赤いアーチ橋を一望する事が出来ました。
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帰宅後確認をすると、那須高原大橋の高さは42メートル、アーチ部の長さは265メートル、車道幅7メートルで両側に2.25メートルの歩道が設けられています。この橋付近の那珂川は、幾度も左右に大きく蛇行して流れていますが、上流に架かる恒明橋から那須高原大橋の下の流れは、ほぼ西から東に向かって流れています。川の左岸の標高が高く約460メートル、右岸の標高は低く約440メートルと成っています。その為その両岸を結ぶ那須高原大橋は、20メートルの標高差が有る為、大きな勾配が出てしまう訳です。
この大きなアーチ橋のお蔭で、42メートルの谷を上り下りすることなく、360度広がる眺望の中を走る事が出来る様になったのです。(晴れた日には那須連山が一望できると紹介されています。)