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栃木県郡市町対抗駅伝競走大会見て来ました。 [駅伝・マラソン]

今日、栃木市運動公園に行って、栃木県郡市町対抗駅伝競走大会を、見に行って来ました。昨日の午前中まで降っていた雪が、まだ道路の隅などに融けずに残っていますが、青空が広がり風も僅かで暖かい日となりました。
家で10時の県庁前スタートのテレビ中継を見てから、10時半に自転車に乗って、往路のゴールと折り返し復路のスタートとなる、運動公園に向かいました。
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(栃木県庁前のスタートの様子。テレビ栃木の放送画面を借用しました。)
現在はこの大会も宇都宮市の栃木県庁と栃木市総合運動公園陸上競技場とを往復するコースに成っていますが、以前は栃木県庁と日光市日光総合会館前を往復するコースでしたので、その頃は応援に行くのも大変でした。今、コースが変更されたことで、私にとっては大変便利になりました。宇都宮栃木線もバイパス道が完備して、片側二車線道路となった事で、選手が走る上でも安全が確保されました。
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(1999年1月31日日光街道森友公民館前中継所の様子)
運動公園に行くとすでに大勢の観戦者が集まっていました。会場ではトップの選手がゴールする前、運動公園内をコースとした「小学生駅伝大会」がすでに行われている事も有り、選手の御両親や応援の人達が、走る子供を追って、同様に走っている姿が見られ、ほほえましく思いました。
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(小学生駅伝大会、襷リレーの様子)
会場には多くのテントが並び焼きそばやいもフライ、おにぎり、唐揚げなどを販売するお店、大会を盛り上げる「栃木太鼓 和蔵会」の太鼓の音色が威勢よく鳴り響いていました。
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(運動公園内を走る小学生選手)      (和蔵会の太鼓演奏の前を走る選手)
小学生の元気な走りも、最終ランナーがゴールすると、後は郡市町駅伝の選手がゴールしてくるのを待つばかりです。大勢の観戦者がコースの先を注視しています。そして歓声が湧きあがり、トップの選手が姿を現しました。独走の様で次の選手が来るまで少し間が有りました。
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(トップで現れた佐野市の選手)        (2位グループの激走)
我が栃木市は往路14位でゴールしました。
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(栃木市チーム、往路ゴールの瞬間)
その後も次から次に入ってきます。陸上競技場のスタンドから、選手に対して盛んに声援が飛んでいました。
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(栃木市陸上競技場スタンドでゴールする選手を迎える観衆)
往路の選手が全員ゴールすると、復路スタートの12時半まで時間を潰すため、会場に応援に来ていた県内各市町のゆるきゃらを撮影しました。とち介を始め小山市や佐野市、足利市から遠く喜連川、矢板などから、ズラッとゆるきゃらの勢ぞろいです。
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(会場に現れた各市町のゆるきゃら達)
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(復路スタートまで公園内で寛ぐ観戦者)
復路のスタートを前に撮影ポイントを探して陸上競技場の中をぐるりと歩き回りました。スタート地点で撮ろうと考えましたが、逆光気味で私の撮影技術ではうまく撮れそうも無かったので、トラックの西側に構えて撮影する事にしました。
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(昼休み、往路で運ばれた各チームの襷がグランドにて復路のスタートを待つ)
復路スタートの号砲が鳴り、一斉に選手が走り出しました。私は予定したポイントで数枚選手の力走を写真に収めました。栃木市の6区のランナー「栃木 渡」選手が先頭でした。郡市町対抗駅伝11.jpg
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(復路スタート直後、競技場内のトラックを走る選手)
又、家に戻ってゴールの様子をテレビ桟敷で観戦しました。今はテレビで完全生中継をしてくれるので、録画していつでも楽しむことが出来る様になりました。
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(栃木県庁前のゴールテープ、トップ佐野市Aチームの選手が見える。テレビ栃木放送画面)
栃木市の結果は、復路5位と頑張って、総合順位8位入賞でした。良かったです。






雪のロールクッキーが出来ました [自然の恵み]

天気予報の通り、昨夜遅くから降り出した雪が、今朝まで降り続き我家も雪景色となった。それも午前中には止み、ドンドン雪も融けて行きました。
午後3時頃、庭先の車を見ると、ビックリフロントガラスに積もった雪が、上から剥がれて丸まり、ロールクッキーの様になっているのを、発見しました。「雪のロールクッキー」出来上がりです。
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上手く丸まりました。

2万5000分の1地形図の値段 [地図]

先日、東京に出かけた時久しぶりに「八重洲ブックセンター」に寄った。目的は昨年12月1日に発行された地形図「小金井」を購入する為です。私の住む栃木市内では取り扱っている店舗が無く、インターネットにて入手していますが、送料が掛かる為枚数が少ないと利用をためらいます。今回は上京する機会が有ったので、ついでに立ち寄りました。
地図の値段ですが、レシートを見ると消費税込みで339円でした。消費税抜きの定価でも314円と言う半端です。どんなふうに値段を決めているのか興味が有りますね。ちなみに昭文社が発行している「栃木市」の地図は2014年5版1刷購入時は「800円+税」でした。普通はこのな値段設定でしょうね。やはり国土地理院は民間ではないので、値段設定もシビアーなのでしょうか。

あらためて地図の値段が気になったので、手元の「栃木」の地形図をひっくり返してみてみました。結果は次の様になりました。
   (発行年月)  (定価) (著作権所有兼発行者)(参考:鉛筆1本の値段)(鉛筆何本)
 大正 6年 7月 7銭5厘  大日本帝国陸地測量部   5厘(大正10年)  15本
 昭和 7年12月 13銭       同上            1銭(昭和5年)   13本
 昭和22年 9月 3円50銭 地理調査所           2円(昭和22年)  1.8本
 昭和40年 3月 65円    国土地理院         15円(昭和44年)  4.3本
 昭和49年11月 記載なし     同上           20円(昭和48年)
       以降発行された地形図には定価の記載が有りません。
 
大きく見ると地図の値段は安くなっていると思われます。その要因としては、測量技術・測量機器の発達により早く正確に作る事が出来る様になった為と思われます。

基本図として日本全域をカバーする最大の縮尺で最も詳細・正確な地図は、この国土地理院の25,000分の1地形図になります。全国を4,419面(2014年10月現在)でカバーしています。
2009年からは電子化され常時更新される地図や空中写真などのデータベースである電子国土基本図が国土を表す際の基準となる最も基本的な地理空間情報と位置づけられ、25,000分の1地形図も電子国土基本図からの編集により作成されています。

私はまだこうした紙地図を愛用していますが、最近では携帯電話やモバイル機器で地図を見る事の方が一般的になって来た為、地図と言えばデジタル地図を指すようになったようです。デジタル地図であればスクロールして行けば、継ぎ目なく見られますし、拡大すればより詳細な地図が見る事が出来ます。使えば便利なのでしょう。
今回入手した最新の「小金井」の地形図や昨年5月1日発行の「下野藤岡」の地形図は、多色刷となって、高速道路を緑色、国道を赤色、都道府県道を黄色に着色。建物はこれまで市街地の建物密集地を総合描示していましたが、縮尺レベル25,000の電子国土基本図の情報をそのまま縮小し、詳細な建物データをオレンジ色で表示しています。
ただこれらの新しい地図は、行政名や居住地名の表示文字サイズが、半分ぐらい小さくなっている為、年寄りには以前より読み難くなっています。(まだ慣れないからかもしれません)

今日もまた炬燵に入り、これらの紙地図を広げて眺めています。又何か新しい発見が有るかもしれません。
※今回の参考資料として、日本地図センター発行の「二万五千分の一地形図が変わった 進化する地図の世界」を使用させて頂きました。

渡良瀬遊水地を歩く [歩く]

厳しい寒波も少し遠のいて、今日は風も弱く暖かい一日となりました。
今日は1万歩を目標に、歩くコースを検討。前から考えていた藤岡町の渡良瀬遊水地を選びました。
貯水池を一周する時間は無いので、北側のヨシ原を歩くコースを設定しました。家の用を済ませ午後1時40分ごろ渡良瀬遊水地に向けて出発、県道11号線を南下して、渡良瀬川に架かる「藤岡大橋」を渡って、その先に有る「藤岡スポーツふれあいセンター」から「藤岡渡良瀬運動公園」へ。
車で40分、駐車場に車を置いて2時20分ウォーキング出発です。運動公園内の道を東に進むと直ぐにヨシ原に入り、渡良瀬川右岸堤防が前方に現れます。スロープを登って堤防の上に出ます。
堤防の上から堤防の外(北方向)を望むとヨシ原の奥に太平の山並みが黒く横たわっています。
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(ヨシ原の中の道を進む)              (堤防の上から望む太平山の山並み)
堤防を越えて、渡良瀬川の堤外地へ下ります。舗装された道路がヨシ原の中を真直ぐに伸びています。両サイドは背の高いヨシで視界を塞がれ、ただ青い空が頭上に広がります。渡良瀬遊水地ウォーク3.jpg渡良瀬遊水地ウォーク4.jpg
(渡良瀬遊水地内の点景)
ヨシ原の道をずっと歩いていると方向が分からなくなる為、シッカリと国土地理院発行の地図「下野藤岡」を持参しました。
始めて歩くヨシ原の中の道ですが、歩いていると結構すれ違う車やオートバイ、自転車でさっそうと抜き去って行く若者、郵便配達人の赤色に染めたバイクもすれ違いました。
ヨシ原の中に橋が見えてきます。その橋の先、ヨシ原のその先に筑波山が見えます。橋は「西赤麻橋」、沈下橋です。下を流れるのは渡良瀬川で、広い遊水地内をゆったりと流れています。
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(ヨシ原の先に筑波の山陰、手前は西赤麻橋) (遊水地内の渡良瀬川の流れ)
橋の袂に立てられた「危険」の立札には、≪この橋は、渡良瀬遊水地工事専用の橋梁です。工事関係車両以外の車の通行は、危険ですから一般道路にお廻りください。≫と有りました。歩いて渡るには問題ないでしょうね。
橋を渡って少し行くと道路は丁字路に突き当たりました。カーブミラーがこちらを睨みつけている様に立っています。ミラー後方のヨシの間に横一直線に見える稜線は、渡良瀬川左岸に設けられた「越流堤」です。渡良瀬川が増水した時に、その水を第三調節池に逃がせるよう、堤防の高さを他より低くして有る所です。
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(越流堤前のカーブミラー)             (越流堤、右側が第三調節池)
道路はその越流堤に沿って南東方向に進み、越流堤の先で堤防の上に登って行きます。するとその先に巨大な建物が現れます。「渡良瀬遊水地第三水門」の銘板が見えます。竣工年は1995年3月、水門の高さは12.93m、幅は6.5m、扉体重量は38.0トンと記されています。
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(遊水地内に高くそびえる第三水門の建物)     (水門の銘板)
水門を流れているのは「江川」です、江川は遡ると太平山南麓の沢水を集め、西山田のブドウ畑を南流、静和駅の東側を南流、岩舟町曲ヶ島を貫流して藤岡町赤麻の県道50号線「下江川橋」の下流にて渡良瀬遊水地内に流れ込んでいる川です。上流大平町付近では「猿渕川」、中流岩舟町では「静和川」、下流藤岡町では「江川」と名前を変えていますが、渡良瀬遊水地内では「池内水路」と表示されています。この水門を抜けた約400m下流側で北北東側から流れて来た巴波川に合流しています。
水門の上を渡り巴波川右岸と第三調節池との間の、「囲繞堤」(いじょうてい)の上の道を北方向へ進みます。ヨシ原を歩いていた時は汗ばんで上着を脱いで歩いていましたが、堤防の上は冷たい風が吹き抜ける為、慌てて上着を引掛けました。右手を流れる巴波川に架かる「石川橋」が見えます。橋の向こう岸の先は、藤岡町帯刀・石川の集落です。
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(囲繞堤の上の道、右側に巴波川が流れる)     (巴波川に架かる石川橋)
囲繞堤から第三調節池側に下り、再びヨシ原内の道を歩きます。ヨシ原に入ると先ほどの水門の流れの上流側に架かる橋「東赤麻橋」(沈下橋)に出ます。川面に以前川漁で使われていたと思われる小舟が、川岸に係留されています。結構趣のある風景です。
橋を渡り先に進むと遊水地にめずらしく木立が密集した林が現れます。その先の堤防の上に登ります。「周囲堤」と呼ばれるところです。堤防の北側に神社が有ります。「四社神社」です。
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(東赤麻橋上より下流側を望む)             (第三遊水地の西隅に見える林)
ここで遊水地から出て、北側の周囲堤を赤麻寺まで歩きます。現在赤麻寺では本堂の新築工事が行われてていました。赤麻寺の脇を抜け、県道50号線を経由して「藤岡大橋」に向かいます。橋を渡って真直ぐ車を停めた藤岡渡良瀬運動公園に戻りました。
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(藤岡大橋上より下流側を。中央奥に水門が見える)(ゴール点、スポーツふれあいセンター)
到着時間は4時20分、丁度2時間のウォーキングでした。本日の総歩数は14,292歩(約9.5km)でした。
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(渡良瀬遊水地のパンフレットより抜粋して、本日のコースを朱書き追記)



銀座の歩行者天国 [歩く]

今日、久しぶりに東京の街を歩いて来ました。
東北自動車道から首都高速に入るのは5年ぶりですが、その時もただ通過するだけでした。今回は東銀座から一般道に下りました。初めての東京都心の走行で緊張しまくりでした。自走して駐車出来る地下駐車場を探して、八重洲口西駐車場に停めることが出来ました。
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(地下駐車場入口見つけました)            (八重洲地下街歩きました)
無事駐車出来たので、まずはゆっくりしようと八重洲地下街の喫茶店に入って休憩をしました。その後チョッと地下街を散策しました。そして地下街の西の端から東の端まで何歩で行けるか歩いて見ました。結果は750歩でした。地下街には多くの飲食店や色鮮やかな店舗が並び、目を奪われるばかりです。
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(地下街で見つけたモニュメントの「幸運の仔豚像」と「ヤン・ヨーステン記念像」)
地上に出ると環境一転、灰色の雲に覆われた東京の空に、高層ビルが群立、間を吹き抜ける風が肌を刺すように冷たく感じました。
寒空の下を東京駅八重洲口から有楽町を回って銀座へ、新しいデザインのビルが立ち並ぶ谷間の通りを抜け、銀座中央通りへ出ます。通りは通行する車もまばら、閑散としています。何処からか放送が有りました。銀座中央通りの歩行者天国を呼びかける放送です。通行中の自動車は直ぐ退去するように呼びかけています。「えっ!歩行者天国。今もやっているんだ!」と驚きました。
銀座の柳.jpg2016年1月銀座歩行者天国1.jpg
(やはり銀座は柳が似合う)         (寒空の下、歩行者天国も人はまばらでした)
私が東京銀座の歩行者天国に出かけたのは昭和47年(1972)5月でした。調べてみると歩行者天国は昭和45年8月、東京銀座にて初めて行われたようです。私もその頃は毎年のように出かけ、歩行者天国を歩きました。銀座から上野まで中央通りを歩いた記憶も有ります。その後は行く事も無くなり、今も続けられている事に驚くばかりです。その当時撮影したものを何枚か並べてみました。
1972年5月銀座歩行者天国2.jpg1972年5月銀座歩行者天国1.jpg
(昭和47年5月撮影、人であふれる銀座中央通りと通りに並べられた椅子で寛ぐ老夫婦)
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(昭和49年7月撮影、銀座の路上でギターを演奏する若者と手作りのアクセサリー売り)
1973年9月上野歩行者天国2.jpg1973年9月上野歩行者天国1.jpg (昭和48年9月撮影、上野駅南辺りの歩行者天国、都電のホームや軌道が残る) 現在の歩行者天国では路上でのライブ、パフォーマンスや路上販売などを行う事は禁止されている様です。それから、今日の様な寒い日には地下街を歩く方が快適だったです。 本日の総歩数は13,900歩でした。

佐野市犬伏新町の米山薬師堂へ(真田父子 犬伏の別れの地) [堂々巡り]

今年に入り始まった、NHKテレビの大河ドラマ「真田丸」、これまで初回視聴率が19.9%、2話が20.1%と、好調な滑り出しを見せています。
私の子供の頃は、「真田十勇士」の猿飛佐助や霧隠才蔵そして三好清海入道の活躍する物語に夢中になった。ドラマもこれからどう展開していくか楽しみである。
私も昨年の夏、信州上田城に行って来ました。上田城は天正十一年(1583)三月頃、真田昌幸によって築城された。それまでの真田の本拠地は上田盆地の北東隅、盆地を見下ろす砥石城、天正十年頃までは麓の伊勢山に居住していました。
上田城は千曲川の断崖に面し、盆地の中央に位置し、小県全体を掌握するのに最良の場所だったと云われています。
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(崖の上に建つ西櫓)                  (南櫓、奥に櫓門と北櫓が続く)
築城当時は千曲川の流れが、この櫓の建つ崖の下(尼ヶ淵)を流れていたと言います。
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(北櫓と東虎口櫓門)            (城跡内真田神社前に祀られた真田赤備え兜)   
石垣や建物は後世の建築ですが、堀などは真田氏時代のものと云われています。建設当初の上田城の構造は良く分からないそうです。しかし地形を利用した堀で囲まれ、土塁によって守られる堅固名備えに造られたとされる。後の時代の何度かの改変によっても、基本的な構造はあまり変わっていないとされています。
又、「真田赤備え兜」は大阪夏の陣において武具を赤で統一した「真田赤備え」部隊を率いた真田幸村公がかぶった朱色で鹿角型の兜です。

そして、その真田氏ゆかりの地が、栃木市のお隣、佐野市に有りました。
慶長五年(1600)五月、徳川家康は命令に従わない会津の上杉景勝討伐の動員令を発しました。東国の多くの大名がこれに応じ、天下分け目の関ケ原の合戦を目前に控えた七月二十一日、真田昌幸、信幸(信之)、信繁(幸村)父子も、下野国犬伏(現在の佐野市)にて、家康の嫡子秀忠軍に合流しました。
そこで陣を張っていた真田昌幸の元に石田三成の密書が届き、豊臣方に味方するよう書かれていました。
昌幸は驚き、急いで陣所に信幸と信繁を呼んで対応を協議しました。
父子三人の密談により、昌幸と信繁は豊臣方(西軍)に、長男信幸は徳川方(東軍)に付くことになりました。信幸は早くから家康の臣下に入って、家康の重臣本多忠勝の娘を妻に迎えていました。父子が分かれるという選択はやむおえなかった。そして、東西のどちらが勝っても、真田の家名が存続する手段として決断したともされています。
真田父子が分かれて戦う事を決断した所とされるのが、佐野市犬伏新町に残る薬師堂です。この薬師堂は旧日光例幣使街道の犬伏宿の東端に有る「米山古墳」の中腹にに有ります。
私がこの薬師堂を訪れたのは2014年9月11日、足利から岩舟間の例幣使街道を歩いた時でした。佐野の天明宿から犬伏宿に入り街道を東に進むと、街道の正面にこんもりとした小丘が近づいて来ます。
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(佐野市犬伏を東西に抜ける旧日光例幣使街道より東方の米山古墳を望む)
国土地理院発行2万5千分1の「佐野」の地形図にこの小丘上に三角点記号が有り、標高61.4mと記されています。裾野の標高が約30m有りますから、比高は30m程になります。
旧日光例幣使街道は、この薬師堂の前まで来ると山を迂回するように北側を回り込んで、関川町から三毳山の北麓を抜け、岩船山の南を通って次の富田宿へと向かいます。

山の西麓、街道の突き当りに有る石段を登り薬師堂の前へ。
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(米山薬師堂)
石段の左手、境内に「史跡 米山古墳」と刻した石柱が建てられています。説明板によるとここ「米山古墳」は栃木県指定史跡となっています。元々あった丘陵を利用し築造したもので、採土の必要が無かったためか、周囲に濠跡が無い。等の説明が記されています。
又、薬師堂の前に立てられた案内板に、「真田父子 犬伏の別れ」の地と題して先に記したような真田父子の話し合いの場がこの薬師堂であったと云われている。と記されています。
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(犬伏新町町会により薬師堂前に立てられた、「真田父子 犬伏の別れ」の地の案内板)
この後昌幸と信繁(幸村)は急遽沼田経由で上田に向かいます。
一方犬伏に留まった信幸は事態を家康に報告します。徳川家康は書状を信幸に送り、その忠義を褒めた上で、沼田領の他に昌幸の上田領も与える、と約束をしたと伝えられます。
関ケ原合戦の後、上田城は破却されましたが、小県の領地は約束通り信幸に与えられています。

NHK大河ドラマ「真田丸」のこれからの展開の中で、この犬伏の父子別れのシーンが見られるかと、又楽しみが増えました。

参考資料:週刊上田新聞社発行の「疾風六文銭 真田三代と信州上田」





栃木市内の霊場巡り [堂々巡り]

栃木市内の寺院がかかわる霊場を見ると、「栃木市史民族編」に「札所」として出てくる、坂東17番札所の「出流山満願寺」をはじめとして、下野三十三ヶ所霊場や都賀三十三ヶ所霊場、佐野坂東三十三ヶ所霊場が有ります。
◎坂東三十三ヶ所霊場
第17番:出流山満願寺 本尊 千手観世音(出流観世音) 出流町
      ※本堂(大御堂)は県指定文化財。山門は市指定文化財
出流観音3.jpg出流観音1.jpg出流観音2.jpg
(満願寺大御堂)           (奥之院)            (奥之院内の鍾乳石)

◎下野三十三ヶ所霊場となっているのは、以下の6ヶ寺になります。
第22番:華厳寺(廃寺) 本尊 十一面観世音、都賀町木村
      ※納経所:都賀町原宿の玉塔院
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(昔、華厳寺が有った「つがの里」)           (華厳寺観音堂)
第23番:善応寺(廃寺) 本尊 聖観世音(伊吹観世音)
      ※納経所:吹上町の観音堂(地元管理)
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(赤津川右岸の伊吹観音堂)
第24番:近龍寺 本尊 聖観世音 万町
       ※宝永元年創建の観音堂は、三仏堂として建て替えられています。
        本堂は市指定文化財となっています。
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(近龍寺本堂)               (近龍寺三仏堂)
第25番:如意輪寺 本尊 如意輪観世音 大平町富田
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(如意輪寺山門)                       (如意輪寺薬師堂)
第26番:清水寺 本尊 千手観世音 大平町西山田
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(清水寺観音堂)               (境内は蠟梅や紅葉など四季を通じて華やか)
第29番:出流山満願寺 本尊 千手観世音(出流観世音) 出流町

◎都賀三十三ヶ所(観音)霊場の場合、第25番札所「称念寺」だけが、栃木市外(小山市小薬)となりますが、それ以外は全て栃木市内となります。
第 1番:近龍寺 聖観世音 (万町) 
第 2番:定願寺 聖観世音 (旭町)
      ※御成門彫刻及び成就院不動堂の扉の彫刻は市指定文化財。
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(定願寺本堂)                (境内に建つ成就院不動堂)
第 3番:東泉寺 正観音 (沼和田町)
       ※堂は明和年間の創建で、市指定文化財となっています。
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(東泉寺観音堂)
第 4番:正龍院流本寺(廃寺) 阿弥陀如来  仮、悪五郎堂 (箱森町)
第 5番:泉光院 十一面観世音 (泉川町)
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(泉光院本堂、 左手前の屋根が観音堂)
第 6番:千手院 千手観世音 (皆川城内町)
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(千手院観音堂、後方の山が皆川城址公園)
第 7番:吉祥院 正観音 (岩舟町小野寺 田代)
第 8番:小野寺山大慈寺 十一面観世音 (岩舟町小野寺)
      ※相輪橖は県指定文化財、慈覚大師堂は市指定文化財。
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(大慈寺本堂、右後方が慈覚大師堂)  (奥之院へ向かう途中に建つ観音堂)
第 9番:常光寺(廃寺) 延命観世音 (岩舟町小野寺) 仮堂
第10番:永照山宝積院中田寺 千手観世音 (岩舟町小野寺 小名路)
第11番:実相院(廃寺) 馬頭観世音 (岩舟町上岡)
       ※跡地に慈覚大師、御母公墓有り。 栃木市指定史跡
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(実相院跡に建てられた慈覚大師御母公の墓)
第12番:成就院 十一面観世音 (岩舟町三谷)
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(梅花山成就院山門)
第13番:自性院(廃寺) 千手観世音 (岩舟町新里)
第14番:岩船山高勝寺 (岩舟町静)
      ※三重塔、山門、鐘楼は県指定文化財、西院の河原堂は市指定文化財。
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(高勝寺が山頂に建つ岩船山)         (県指定文化財の一つ三重塔)
第15番:大蔵院(廃寺) (岩舟町鷲ノ巣)
第16番:東光寺 (岩舟町静和古橋)  ※專光寺 (岩舟町和泉鶴巻)とも言われている。
      付記しているご詠歌の内容を確認すると、鶴巻の寺と詠まれている。
        <ありがたや ちかいもつきぬ観世音 よろづの宝つるまきの寺>
第17番:宝泉寺観音堂 (岩舟町和泉)
第18番:如意輪寺 (大平町富田)
第19番:清水寺 十一面千手観世音 (大平町西山田) 本尊は県指定文化財
第20番:観音寺 (大平町下皆川)
第21番:観正寺 正観音 (大平町下高島)
第22番:観音寺 (大平町横堀)
第23番:慈眼寺(廃寺) (大平町牛久) ※観音像は牛来寺に祀られている。
第24番:寶明山萬福寺 馬頭観音 (高谷町)
第26番:日輪山成就院(大日堂) 大日如来 (藤田町)
第27番:真勝坊慈眼寺 聖観世音 (城内町2丁目)
第28番:善応寺 聖観世音 (吹上町) 伊吹観音堂
第29番:東善光寺 阿弥陀如来 (木野地町)
      ※木造金剛力士像は市指定文化財。
第30番:華厳寺 千手観音(焼失) (都賀町木) 跡地は栃木市指定史跡
      ※観音堂は市指定文化財。
第31番:光永寺 (都賀町富張)
第32番:青林山東安寺 千手観音 (西方町元)
第33番:長徳寺 聖観世音 (西方町本城)
      ※聖観音立像は市指定文化財

◎佐野坂東三十三ヶ所霊場
第 5番:施無畏山東光寺 (岩舟町古江)
東光寺(古江)1.jpg東光寺(古江)2.jpg
(東光寺本堂)               (本堂から少し離れた高台に建つ観音堂)
第 6番:医王山清水寺 (岩舟町下岡)
清水寺(下岡)2.jpg清水寺(下岡)1.jpg
(後方の山の中腹に清水寺観音堂は建っています。)
第 7番:櫁川山浄光寺 (岩舟町小野寺)
第 8番:神明山正覚寺 (岩舟町畳岡)
第 9番:明星山不動院 (岩舟町下津原)
明星山1.jpg明星山2.jpg
(三毳山の東麓木立の中にひっそりと建つ観音堂)
第33番:出流山千手院 (出流町)

この様に霊場巡りとしては、観世音菩薩をお参りするものが知名度が高いと思われます。最近では元気な高齢者が多くなった事で、「ぼけ封じ関東三十三観音霊場」と言うものも見られます。栃木市内に有る札所は。
第20番:高岡山宝幢院高平寺 (岩舟町下津原)
高平寺1.jpg高平寺2.jpg
(三毳山東麓の高平寺)            (寺院裏手墓地の上部に建つ観音像)
第26番:東醍醐山乗琳院如意輪寺 (大宮町)
如意輪寺(大宮)1.jpg如意輪寺(大宮)2.jpg
(西陽を受ける如意輪寺山門)        (境内観音堂前に立つ観音像)

又、関東地方一帯に広がる、弘法大師巡礼地として、「関東八十八箇所」が1995年に開創されています。
第18番:長清寺 大日如来  (本町)
長清寺1.jpg長清寺2.jpg
(長清寺山門)                 (長清寺本堂)
第19番:如意輪寺 大日如来 (大平町富田)

他には、「北関東三十六不動尊霊場」が有ります。
第14番:如意山吉祥院延命寺 身代り不動尊 (大平町西水代)
延命寺(西水代)1.jpg延命寺(西水代)2.jpg
(西水代延命寺山門)           
第15番:光明山金智院正仙寺 吹上不動 (吹上町)
正仙寺1.jpg正仙寺2.jpg
(吹上町の正仙寺本堂)
第16番:梅沢山金蔵院華蔵寺 梅沢不動 (梅沢町)
華蔵寺1.jpg華蔵寺2.jpg
(梅沢町の華蔵寺本堂)          (華蔵寺の参道入口前より北、三峰山を望む)

それから、栃木市周辺の薬師堂を巡る、「都賀三十三薬師如来」が見られます。これは先の「都賀三十三観音霊場」と共に江戸時代中期以降、この地方に住む人達の心の支えとして信仰されて来たものと考えられ、今も地元の人達の手によって守り伝えられています。
この都賀三十三観音および薬師霊場の分布を地図上にプロットしてみました。残念ながら現在所在が分からなくなっている物も有りましたが、大部分が今もひっそりと残されています。
都賀三十三観音&薬師分布図.jpg
(都賀三十三観音及び薬師の霊場分布図)
※赤の点と数字が観音霊場の位置と順路、黒の点と数字が薬師霊場の位置と順路です。

◎都賀三十三薬師如来順路
都賀三十三薬師参拝順路.jpg
(下野市国分寺の第20番薬師霊場となる、国分寺薬師堂に掲げられている扁額)
第 1番:威徳院 (梅沢町)
第 2番:普門院 (鍋山町) 
       ※昭文社発行「栃木市」の地図には「薬師寺」として記されています。
第 3番:善入坊 (大久保町)
第 4番:平等院 (千塚町)
第 5番:専福寺 (吹上町)
第 6番:龍善寺 (川原田町)
第 7番:恵性院 (川原田町) ※所在不明
第 8番:蓮池院 (旭町) ※現在の第二公園南西部付近に有った。
第 9番:圓通寺 (城内町2丁目)
第10番:持主院 (仲仕上町)
第11番:牛来寺 (大平町牛久)
第15番:長福寺 (寄居町)
第16番:西入坊 (田村町)
第17番:重兵衛 (惣社町金井)
第18番:六郎兵衛 (惣社町内匠屋)
第26番:華蔵院 (大塚町) ※荒痛薬師
第27番:尊照院 (都賀町家中 桜本)
第28番:光明寺 (都賀町家中 宿)
第29番:寶蔵院 (都賀町家中 本郷)
第31番:長福寺 (都賀町富張) ※薬師堂の前に樹齢200年以上となる枝垂れ桜が見事。
第32番:円満寺 (都賀町真名子)
第33番:市兵衛 (都賀町深沢)
栃木市以外は小山市西北部(3)、下野市西部(2)、壬生町西部(4)、鹿沼市南部(2)に分布をしています。
これらの霊場に関しては、2014年10月10日より5回に分けて堂々巡りとして紹介をしました。

栃木市内の三角点巡り(その2) [地図]

国土地理院発行の地形図に記されている三角点に付いて、栃木市内に現在は前回(1月8日)に紹介した通り、約105ヶ所記載されています。「約」としたのは現在栃木市全体を2万5千分1の地形図で調べる為には、9枚の地形図を見る事が必要です。
「仙波」・「下野大柿」・「壬生」・「田沼」・「栃木」・「小金井」・「佐野」・「下野藤岡」そして「古河」です。
栃木市関連地形図.jpg

ここで、「田沼」や「佐野」の地形図には、僅かしか栃木市が掛かっていませんが、三角点の設置箇所として意外とこうした境界線上に有る場合が多いのです。
実際「田沼」の地形図内の栃木市区域に設置された三角点は、四等三角点ですが3ヶ所確認出来ました。
 ①「京路戸323.70」:栃木市岩舟町小野寺、村檜神社北西、諏訪岳山頂(佐野市境界)
 ②「西耕地172.78」:栃木市岩舟町小野寺、市立小野寺北小学校西方500mの山頂
 ③「謡 坂163.95」:栃木市岩舟町小野寺、東北自動車道岩舟JCT南西900m(佐野市境界)

そして「佐野」の地形図を確認すると、地形図の右上端に三角点の地図記号が見える。
「韮川138.46」です。栃木市岩舟町古江、佐野市韮川町との境界、東北自動車道西側。
この他にも国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」には、認められないものの栃木市藤岡町都賀の西の端、佐野市越名町に突き出した「西幡張」、三杉川の左岸高台に三角点記号が付いています。この三角点はどうなっているのでしょうか。
という事で、三角点の数は絶えず変わっている為、「約」を付けて表しました。

前回に続き、今回は栃木市内の南部、藤岡町の三角点を何カ所か巡って来ました。
まずは県道252号線(蛭沼川連線)を南に向かって、藤岡町蛭沼へ。県道50号線にぶつかる手前、道路左手の田圃の中に高さ5~6m程の小丘が見えます。ここは「山王寺大桝塚古墳」と言われ、栃木市指定史跡になります。今まで私は数回この場所に来ています。最初は栃木市内の寺院巡りで、山王寺跡として訪れたり、古墳として見学に来たりですが、最近まで三角点の設置場所と言う事に関しては気にしていませんでした。今回三角点を確認するという事で、三角点の有る古墳の上まで登って確認をしました。
幸い今回は冬だったので、古墳一面に生い茂っていた雑草も刈れていて、容易に登ることが出来ました。
ここは「蛭沼」と言う名称の四等三角点で、標高23.77m6mになります。周辺の標高が17m程有りますから、見た目の高さは6m前後となる訳です。
三角点「蛭沼」3.jpg三角点「蛭沼」4.jpg
古墳は、前方後方墳で古墳の南東部に、「藤岡町教育委員会」が設置した説明板が立っています。
古墳の上からの展望は、周りに関東平野の田畑が広がる中に位置する高台の為、見通し抜群です。北北西には一等三角点の有る晃石山を中心に、太平の山並みが横たわっています。
三角点「蛭沼」1.jpg三角点「蛭沼」2.jpg

次は県道50号線を西に進み、蛭沼の西となり「富吉」を抜けて「中根」に、前方道路右脇に火の見櫓が建つその道路左手、大きな杉の木立の中に八幡宮が祀られている。三等三角点の「中根」標高21.54mがこの社殿の北東側裏手に有りました。
三角点「中根」1.jpg三角点「中根」2.jpg

そこから更に県道50号線を西に進むと江川に架かる「下江川橋」を渡り橋の西詰から江川右岸の土手上の道路を川に沿って遡ります。途中「江川橋」「上江川橋」の脇を抜けると少し広い道路に出ます。江川に架かる橋「下車橋」を渡って東の「中根産業団地」に向かうと少し登り坂となります。その坂を上った左手人家の手前に、小さな石の祠が祀られています。その祠の北側に四等三角点「江川」標高21.39mが有りました。
三角点「江川」1.jpg三角点「江川」2.jpg

次に向かったのは藤岡町大前の北西部、東武藤が丘カントリー倶楽部東側の畑の中に設置された、三等三角点「大前」25.82mです。三角点「江川」から西に江川を渡り、県道11号線の交差点を右折して栃木方面へ600m程進むと手押し信号の有る横断歩道が有ります。その手前左に折れて細い道に入り、先の丁字路を右に曲り、道なりに進んで東武日光線の踏切を渡ります。そこから一段と道は狭くなっていきますが、正面の道を選んで真直ぐに進んで行くと、前方にゴルフ場の有る森へ向かって行きます。踏切から500m程の道路の左側畑の中に、三角点の標柱が確認できます。
三角点「大前」2.jpg三角点「大前」1.jpg

今回、栃木市南部の三角点を巡って、なぜここに三角点がと思う所も有りましたが、尚更興味が湧いて来ました。

消えた南天の赤い実 [草花]

ここ数年我家の周辺は、カラスやスズメなどの野鳥が、増えて来ています。昨年の暮は家の屋根や庭木などで、やかましいほどの鳴き声が続いた。その数は一向に減りそうもない。
今、庭の南天も赤く色を付けているが、次から次と食べられてしまう。昨日撮影した南天の実も、今日見るとすっかり食べられてしまっていた。
赤い実2.jpg赤い実1.jpg
(2016年1月15日13時撮影)           (2016年1月16日16時撮影)

車庫の入口にも、赤い実を付ける「ピラカンサス」の木が有りますが、こちらも昨年暮れにはビッシリと赤い小さい実を付けていたのですが、今はこちらもすっかり食べられてしまいました。
赤い実3.jpg赤い実4.jpg
(2015年12月22日11時撮影)           (2016年1月13日10時撮影)
インターネットで調べると、「ピラカンサスの赤い実は美味しくないのか、小鳥がついばんで実が無くなる事は有りません。」と、紹介されていましたが、この辺のスズメは食欲旺盛なのでしょうか。
この赤い実を食べに来たスズメ達、後に糞を沢山残して行きます。元々このピラカンサスの木も、こうした鳥の糞から目を出した物、食べられても仕方ないか。

栃木市岩舟町の富士山に登って来ました。 [栃木市の神社]

今日は岩舟町静に有る、栃木市岩舟文化会館の裏手の富士山に登って来ました。
山頂に「浅間神社」が祀られており、その社殿の裏手に、建設省国土地理院設置の四等三角点「浅間神社」93.82mが有ると言うので、神社参拝と合わせて確認する事としました。(平成27年1月国土地理院発行2万5千分1の地形図「下野藤岡」には、富士山の標高は93.7mと記されています。)
「栃木市岩舟公民館」の駐車場に車を停めさせていただいて、登山の始まりです。富士山の周辺の標高は約30mですから、比高は60m強という事になります。
私の住まいの近くに有る「錦着山」は標高80.5mで、周辺は50m近くありますから、こちらは比高30mという事になりますので、これから登る「富士山」は、「錦着山」の2倍の高さとなります。初めて登るので楽しみです。
丁度文化会館の裏手に浅間神社の参道が有りました。参道入口に「浅間神社」と刻した、立派な石の鳥居が建てられています。鳥居の向こう側にほぼ一直線に山頂に向う石段が有ります。
石段は、きっちりしたものでは無く、登り道に登りやすいように平石を並べた格好です。脇にステンレスパイプ製の真新しい手すりが有ります。
岩舟富士1.jpg岩舟富士2.jpg
少し登り出した所で、もう私の心臓はバクバクして来ました。手すりが付けられている理由が直ぐ理解できました。早速手すりに助けてもらいながら参道を登って行きます。
途中から石段から岩場に変わってきました。手すりにシッカリつかまって、足場を一歩一歩確認しながら上を目指します。自分の体力の衰えを改めて知らされながら、必死の思いで足を運んでいきます。手すりにつかまった手で自分の体を引き上げます。
岩舟富士3.jpg岩舟富士4.jpg
やっと岩場の上に神社の屋根が見えて来ました。最後の気力を絞って拝殿の前に出ました。まずは拝殿向って参拝を済ませ、直ぐ脇に有ったベンチに座り込みました。
ここまで写真を一枚も写していません。そんな余裕などまったく有りませんでした。今日の最初の一枚はベンチに座ったまま撮影した浅間神社拝殿の写真でした。
良く登っている「錦着山」の登山道はスロープで山肌をジグザグに徐々に登って行くのに対して、この富士山は殆ど直登状態で、それも半分以上は岩場を登るのですから、シンドイ訳です。
一休みをして心臓が落ち着いてきたので、山頂を散策します。社殿の裏手に回ると有りました、三角点を示す国土地理院の建てた白い表示棒です。その脇の地表に露出した盤石に埋め込まれた、四等三角点 基本 №100580 建設省国土地理院と刻んだ金属製の丸いプレートが埋め込まれています。これまで見て来た柱石を建てた三角点とは異なる形式の三角点です。
岩舟富士5.jpg岩舟富士6.jpg
社殿の前に六角柱の石碑が建てられています。「享和三癸亥歳中冬十五日」とその一面に刻まれていますから、1803年の陰暦11月15日に建立されたものです。正面には「庚申猿田彦太神」、真後ろの面には「天下泰平五穀成就郷中安全」等、六面にそれぞれ刻まれています。
岩舟富士7.jpg岩舟富士8.jpg
展望は冬枯れの木立の間より、太平の山並みや三毳山。南に国道50号バイパス、多くの車が途絶えることなく走っています。夏季は木々に覆われて展望は望めそうも有りません。
下りも手すりを頼りに、一歩づつ足場を確認して山を下りました。高さはさほどでないと考えていましたが、地元の方が「富士山」と名付けた事に、納得できる山でした。