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正月の楽しみ箱根駅伝 [駅伝・マラソン]

今日の新聞紙上に、箱根駅伝に出場する各大学の選手の名前が発表されていました。
箱根駅伝は、正月の2日・3日の2日間多くの人をテレビの前に釘付けにします。どの大学が優勝をするのか、ただトップ争いだけでなく、シード争いや制限時間内での襷をつなげるかどうか、外国人選手の活躍など、見どころは沢山有ります。
エントリーをされた各校16名の選手をどのように配置してくるのかも、表に見えない駆け引きも有りそうです。各選手もこれまで万全の調整をして、大会当日に合わせて来ているのでしょうが、それでも当日の天候や、体調の変化で思わぬアクシデントに襲われる事も、起こります。
選手は誰でも、過酷な練習を積み重ね、スピードアップを図って来ているので、筋肉等を極限状態まで酷使し続けているはずです。それが突然爆発をしてしまうケースもこれまで何度となく見ています。
駅伝競走の厳しさはそんな状態でも、選手は痛さをこらえて必死に襷を次の走者まで、届けなければならない使命を抱えて走っています。コースを走っている選手は、共に走る仲間の他に、陰でサポートしてくれている多くのメンバーと共に、この箱根に来ている事を全て背負って走っています。だからこそ力強くも有るし、時には悲壮感の中で走る事も有り、見ている私達を引き付けています。
今回の第92回の大会には、栃木県内の高校出身者の名前が15名有りました。那須拓陽5名、佐野日大5名、作新学院2名、白鷗大足利2名、そして宇都宮白楊1名です。何人の選手が実際に走るかは今は知り得ませんが、皆さん精一杯練習の成果を発揮して結果を残せるよう走って欲しいと思います。
私は前に一度、箱根芦ノ湖の往路ゴールでの観戦に行った事が有りますが、小雨降る悪天候でしたが、沿道には沢山の観衆が出ていました。私も選手たちに声援を送るべく、沿道で選手が来るのをひたすら待ちます。いよいよ先導白バイが通過すると、あっという間に走者が目の前を駆け抜けていきます。「ガンバレー」と一声掛けるのが精一杯、写真を撮る間も有りません。
やはり、今回もテレビの前で、じっくりと観戦したいと思います。


今年も残すところ、後4日間です [栃木市の神社]

今年、2015年も残すところ4日、今年も多くの災害や事件が有りましたが、せめて年末年始は穏やかに新しい年を迎えたいものです。テレビの番組も特番が多くなり、3時間、4時間と言う長時間物が多く、とても全部見ていられません。街に出ると何故か道路はどこも車が溢れ、渋滞して来ました。
リタイヤー族としては、毎日が日曜日の生活で、毎日同じ日常の繰り返しのはずですが、やはり周囲の雰囲気からか、どことなくせわしく感じる今日この頃です。
私の正月の過ごし方と言うと、元日の朝はゆっくりと起きて年賀状が届くのを待ちながら、ニューイヤー駅伝のテレビ観戦、それから地元の神社に初詣に出かける。2日と3日は殆ど「箱根駅伝」のテレビ観戦で過ごす。あっと言う間に正月三が日が終わってしまいます。
子供が小中学生の頃は、毎年「栃木市元旦マラソン大会」に参加をしていたので、1月1日は早朝から栃木総合運動公園の陸上競技場に出かけ、スタンドの上から声援を送っていた。
元旦マラソン大会1.jpg元旦マラソン大会2002年.jpg
(1999年大会にて)              (2002年大会にて)
この栃木市元旦マラソン大会も2016年は第40回目を迎える伝統の大会です。派手さは有りませんが、「1年最初の日を走ろう」と言う愛好者が毎年集う大会です。が、我家も子供達が大人になると、参加する事も無くなってしまいました。
今は、家族全員が揃う正月、揃って近くの神社に初詣に行くのが恒例になりました。一昨年の正月は太平山神社まで歩いて参拝しましたが、途中参道の階段は子供に後ろから押し上げてもらう有様、ここ二年間は旭町の神明宮に参拝、境内に設けられた「知恵授けの輪」を無限大の記号を描く様に3回潜って、「知恵」を授かっています。
神明宮2.jpg神明宮3.jpg
太平山神社への初詣は、車で行く場合、普通に行くと渋滞にはまる可能性が有るので、午前中早めに登るか、元日を避ける方が無難なのか。太平山神社に参拝した後は、見晴台から栃木市の街並みを一望したり、謙信平から岩船山方向を遠望。運が良ければ富士の霊峰を拝むことも出来る。
太平山神社初詣1.jpg太平山神社初詣2.jpg
そして太平名物三点セットを食べる。
太平名物だんご.jpg太平名物焼鳥.jpg太平名物卵焼き.jpg
あ~! 三点セットが食べたくなりました。

栃木西中学校の思い出 [懐かしい写真]

今年の4月に中学校を卒業して50年ぶりに同窓会に参加をしました。半世紀の時の流れにも関わらず、どの顔も昔の面影が残っていて、懐かしい昔話に花を咲かせました。
今から50年前の栃木西中学校は、栃木市街地からは外れ、学校の南には田圃が広がっていました。私は旧鍋山街道沿いに住んでいた為、通学距離は約2.2kmとクラスの中では遠い方でした。
毎日柳橋町の日限富士浅間神社の脇を通り、田圃の中の道を抜け、栃女高の脇を通って、一人歩いて通っていました。今はすっかり変わって、田圃は住宅地に成ってしまいました。
1965年3月西中全景2.jpg柳橋町にて日光連山を望む(昭和40年10月).jpg
(学校の南側は田圃が広がっていました)(3年間通った通学路、柳橋町西部は一面田圃)
私が通た小学校は、その当時栃木市内の小学校としては、一番新しかった。木造の校舎から最新の鉄筋コンクリート3階建ての校舎、しかも水洗トイレでした。ところが中学校に進学して入った校舎は、木造2階建て、トイレは南校舎と北校舎との間渡り廊下途中に有った昔ながらの造りでした。
栃木西中学校の前身は、昭和22年5月5日に開校した「栃木第二中学校」。当初、栃木第二小学校の南舎の18教室を借用して授業を行ていた。現在の地に新校舎を建設移転したのは、昭和25年8月でした。校名を栃木市立栃木西中学校と変更したのは、昭和25年4月1日でした。今考えれば、そんなに老朽化した校舎では無かったのでした。
中学校3年間の思い出は、驚くほど有りません。クラブ活動も多分「社会クラブ?」だったと思います。ところが3年生に成った年、どうした事か学校の方針が変わったのか、全員運動クラブに所属しなければならなくなりました。私はもともと運動音痴で、大の苦手部門。色々と悩んだ上、クラスメイトが部長をしていた「剣道部」に入部しました。たちまち足の裏などに豆が出来それがつぶれて痛い思いをした。当然大会に出ても勝てる訳は有りませんでした。
1965年9月運動会1.jpg1965年9月運動会3.jpg
(運動会の風景)           (各クラブのデモンストレーション)
部長はさすがに強く、下都賀地区大会でも個人優勝をしていたと思う。得意技「籠手抜き面」は面白いほど良く決まっていました。
1965年9月剣道部1.jpg
(剣道クラブの記念写真)
卒業後は殆ど中学校の事は関心が無くなりました。
その学校に又関わる事になったのは、自分の子供達が通うようになった為です。その時はすでに校舎は以前の木造では無く、立派な4階建ての鉄筋コンクリート製の校舎に替わっていました。
西中運動会.jpg西中運動会1.jpg
(新校舎は鉄筋4階建てになった)    (校歌の歌詞にも有る太平山もまじかに)
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(トマトマン&トマトウーマンの登場)
同じ中学校で、私の子供達もそれぞれの経験を積んでいました。きっと彼らも良い思い出を作る事が出来たものと信じています。
先日栃西中の写真を撮って来ました。野球部のボンネットの裏から校舎が良く見えました。
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(学校の南側は住宅が建ち、校舎が望める唯一のポイント)


東武スカイツリーラインウォーク(東武動物公園駅から越谷駅まで) [歩く]

今日、東武動物公園駅から越谷駅まで、東武スカイツリーライン沿線を歩いた。
昨年10月26日に東武日光駅から、東武日光線沿線に沿って歩き始めた。夏の暑い時期はとても歩けないので、日光駅から浅草駅までの沿線を結果的に、2年掛かりで全行程を踏破する事が出来た。
今日は少し風が冷たく感じられたが、陽射しを受けて歩いている内に、少し汗ばむほどで寒さは気に成らなくなった。
今回も新栃木駅発12時07分の南栗橋行に乗り込んだ。自宅を出るのに少し手間取った為、駅まで早歩きから小走りで、漸う電車に飛び乗った。これに乗り遅れたら30分待ちになるところだった。
東武動物公園に着いたのは13時01分。さあ、本日のコースのスタートです。今日は越谷駅まで行って、日光から浅草の東武沿線ウォークを終了させる事を目標にしていた。
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東武動物公園駅東口を出て、駅前から北に進む道路を行くと直ぐ、先日渡って来た古利根川に架かる「古川橋」橋詰に出ます。下を流れる川の名称は「大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)」となっています。
この付近では、川の西側(右岸)は南埼玉郡宮代町で、対岸(東側・左岸)は北葛飾郡杉戸町になります。
ですので、東武動物公園駅は宮代町になりますが、名称が変わる前の駅名は「杉戸駅」でした。栃木から東武の快速電車に乗ると、停車駅の車内放送「新大平駅を過ぎますと、杉戸・春日部・北千住に停まります。その他の駅には停まりませんので、ご注意ください。」と有ったのを良く覚えています。今回初めてこの疑問を感じました。その昔は利根川を中心として、杉戸宿として栄えた地域だったからなのでしょうか。これは私の素人考えに過ぎませんが。
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川の右岸沿いの道を、川の流れと一緒に下る事にします。暫らく進むと川沿いの道は「自動車・バイクの進入禁止」の立札が立ち、歩行者にとっては最高の環境になりました。進行方向左手は古利根川の流れ、右手は田畑が広がっています。一方対岸には新しい住宅や、アパート等が建ち並んでいます。川の左岸にはほぼ並行して、国道四号線が走っているからです。
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やがて前方に「宮東橋」が近づいて来ました。時間は14時に近くなってきて、お腹も空いてきたので、昼食にすべく、橋を渡り国道4号線に出て、沿線の食堂を探すことにします。手ごろなラーメン店が有ったのでそこで食事休憩を行いました。
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続いて国道4号線を登って行くと道路脇に大きな球体の地球儀のモニュメントが建てられています。近くに建つ説明板によると、ここ杉戸町は「北緯36度線上に位置する町」という事だそうです。
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道路は春日部市に入って来ました。14時40分道路右手に「春日部市指定文化財 小渕山観音院仁王門」が建っています、元禄年間に建立されたと言う歴史を感じさせます。
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その先で国道16号線の交差点を渡ると国道4号線も分岐になります。この分岐で国道から離れ、右側の細い道を進みます。この道は春日部の市街に入る道です。細くなった道を少し行った所で今度は左手から又、道路が合流して来ました。
合流点に石の道標が二つ建っています。右側の小さい自然石の道標は、車か何かが接触した為か、表面が剥げて刻された文字が脱落して判読できません。左側の四角形の石柱は正面に大きく「青面金剛」と石碑の右側面には「左日光道」と刻まれています。左側面にも何やら刻まれていますが、私には判読出来ません。
≪家に戻ってから調べた所、小さい道標は宝永6年(1709)建立で、右方せきやと道 左方あうしう道となっていたそうです。分岐を右方向に行くと関宿、左方向の道は奥州道でした。≫
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途中道路の左側に又石碑が建てられています。「史蹟小渕一里塚跡」の様です。ここは先を急いで春日部市街に向かいます。突き当りの道路を右に折れると、前方に高層マンションがそびえています。その手前で又前に分かれた「大落古利根川」に架かる「新町橋」の東橋詰に出ました。ここは左岸の道を進み、一つ下流側に架かる「古利根公園橋」を渡る事にします。
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この「古利根公園橋は、橋全体が公園の様な造りで、大きなモニュメントに成っています。橋上には多くのブロンズ像も飾られています。
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又、左岸橋詰に「千住馬車鉄道をモチーフとしたトテ馬車の大きなレリーフが西日を受けていました。千住馬車鉄道は、明治時代に千住茶釜橋と粕壁の最勝院との間を3時間で結んでいた。(かしかべウォークより)
始め彫刻かと見間違えをしましたが、橋の欄干に多くのユリカモメがとまっています。
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脇を歩いて行っても、人馴れしている様子で、そのままじっとして飛び立とうとしません。一つ下流に架かる「春日橋」に多くのユリカモメが乱舞しています。良く見ると橋の上で一人の婦人が餌を与えている様でした。
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又、国道4号線に合わさりました。ここから又南に登って行きます。春日部の街の中央から来た道路との交差点の近くに紅白の提灯を付けた「八坂神社」が目にと有りました。境内を見ていると、赤でハッキリした文字で「水準点」と記した立札が建っています。「国土地理院関東地方測量部」が建てたもののようです。傍らの地面にそれらしき形状をした石が埋められ、頭を地表に出していました。
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日が暮れて来ます。目標の越谷駅はまだ先です。15時35分東武野田線のガード下を潜りました。ここはひたすら越谷を目指します。16時20分早々と太陽が西の空を赤く染めて沈んで行きました。
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16時30分「新方川」に架かる「戸井橋」を渡った所で、頭上に「越谷市」と記した標識が現れました。辺りはどんどん闇に包まれてきます。前方の大きな交差点にて国道4号線と分かれて、越谷の市街地に向かう県道49号線へと直進します。
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北越谷駅近くの道路の西側に祀られている香取神社参道の二番目の鳥居の左側台座奥に、明治9年(1876)8月に開始され翌年8月に終了した東京塩竃間の水準測量の「几号水準点」の印が付けられているので、確認の為立ち寄った。すでに辺りは真っ暗になっていたので、懐中電灯で確認をしてストロボ撮影を行った。
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元荒川に架かる「元荒川橋」を渡って、18時05分東武越谷駅前に到着しました。
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12月13日より1時間遅い電車に乗り、栃木に戻りました。
今回の総歩数は34,486歩でした。天候に恵まれ快適なウォーキングでした。




インターネットショッピングの速さに驚き

今日、昼前に玄関のチャイムが鳴った。宅配業者です。「えっ、もう来たの。」
昨日の夕飯の後、インターネットにて注文をした品物が届いた。日曜日のそれも夕食を食べた後に頼んだ物が、月曜の午前中に届くなんて、以前は考えられない事だった。それが今は当然の様に行われている。
まさに24時間物流は動いている。
これまでも、国土地理院発行地形図は、インターネットで購入している。栃木市には取り扱っている書店が無い為だ、送料が掛かってしまうが利用している。書籍も結構送料が負担に成るが、家に居ながら出来るのは便利だ。ただこれらはカード決済しても到着まで2日から3日はかかっていた。それでも特に問題は無いのだけれど。

今回の品物の支払いは代引きにしたが、手数料を加えても定価より安い金額で入手出来た。それよりも、予想以上の速さで手元に届いた事に、改めて驚いた。
欲しいものが直ぐ手に入る、病み付きになりそう。ただ注文するのに結構手こずるか!

伝説が造らせた橋物語、結城「みかつきはし」 [橋梁]

今日、栃木のお隣の県茨城県の結城市に「歴史探索ウォーク」に参加して来ました。
栃木市からは、JR両毛線にて小山へ、更に小山からはJR水戸線に乗り換えて、二駅目が結城駅です。
栃木駅発9時6分発の電車に乗り込むと、小山駅にて14分間の乗り換え待ち合わせ時間が有るものの、9時40分には目的の結城駅に到着しました。
結城の駅前で、今日一日結城の街を案内して下さる観光ボランティアガイドの方が出迎えて下さいました。私は結城の街を訪れるのは初めてです。
栃木市と結城市は、室町時代に遡ると、栃木の街をつくった皆川氏の先祖と、結城氏は小山氏と共に兄弟関係に有りました。武蔵国太田氏の出で、下野国小山に移住し小山氏を名乗った小山政光を父親として、小山氏を継いだ長男「朝政」、下野国芳賀郡長沼に住み、長沼氏を称した次男「宗政」、そして下総国結城に住み結城氏の祖となった三男「朝光」です。ここで長沼氏の子孫が長沼荘から、下野国皆川荘(現栃木市)に移住し、皆川氏を称したのでした。

ガイドをして下さったボランティアの男性は、案内のベテランで、前もって予定されたコースを計画通りの時間で進行され、説明の内容も非常に広く深くて、関心をする事ばかりでした。
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(ガイドさん一押しの寺院、七堂伽藍が残る弘経寺「ぐぎょうじ」の表門)
結城の街は、城下町の顔を持ち、街中には多くの寺院が有り、見世蔵や造り酒屋など、時代を感じさせる建物が、街のいたる所で出合う事が出来ます。
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(見世蔵の並ぶ結城の街並)             (造り酒屋の土蔵)
あちらこちら案内を受けましたが、「橋好き」の私が食いついた話は結城の街の北東部に有る、「城跡歴史公園」の南に下がる道の途中に架る、親柱に「みかつきはし」の橋名を付けた石造りの橋に関した説明でした。
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(城跡歴史公園の南側に見える石造りの橋)    (橋の親柱に「みかつきはし」の橋名板)
ガイドさんの説明に依ると、この石橋には「結城埋蔵金伝説」に関係する話が存在します。まずその埋蔵金伝説から話が始まりました。「結城埋蔵金伝説」は日本三大埋蔵金の一つとして知られています。豊臣秀吉の埋蔵金・徳川幕府の埋蔵金そして、ここ結城の埋蔵金の伝説に成るそうです。結城の埋蔵金は、源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした時、平泉の黄金財宝を持ち帰って、鎌倉への帰国の途中、頼朝に従い手柄を立てた結城家初代の朝光の館に立ち寄った。その際持ち帰った黄金財宝を朝光に預けたのか、与えたのか。その辺の説明はハッキリ覚えていません。そんな埋蔵金伝説に対してそれから多くの人が、その埋蔵金を求めて発掘を行っていると言います。そして大正時代の事、大掛かりな発掘が行われ、この辺り一帯を掘り起こしたと言います。しかし結果、埋蔵金を発見する事が出来なかったそうですが、その発掘の痕がこのような堀の様になってしまった為、ここに橋を架けたものだそうです。反対側の親柱には「大正六年十二月吉日竣工」とこの橋が完成した日付が付いています。

埋蔵金を発見できなかったにもかかわらず、後始末に立派な石橋を架けていった、夢追う発掘人の、太っ腹な行動に関心する石橋でした。

便利になる世の中

先日、電気メーターの取り替え工事が行われ、今までの回っている円盤が見えた「電力量計」が取り外され、黒色の樹脂製容器で見づらい黒いLEDのデジタル表示だけの電気メーターに替わっていた。この電気メーターはスマートメーターで、遠隔での検針やら住宅のエネルギーを管理・制御する機器等へ、電力量データを提供する事の出来る、まさに賢い計測器との説明書が電力会社から説明書が届いていました。
通信手段はどうしているのか、特に改めて通信ケーブル等が設置されていないので、多分電力線を利用したものと思われますが、まさにブラックボックスです。
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(新しく設置された電力量計「スマートメーター」)
これまでは月に一度、検針の女性が回って来て「電気の検針で~す。」と、声を掛けて来てくれましたが、今後はそれも無くなるのか。
遠隔での管理はLPGに関して、以前から行われています。そちらも最近、従来の電話回線を使った方式から、無線通信タイプの機器に交換されました。
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(LPガス用マイコンメーター)
業者によって管理されているので、私の方には何の負担も出ないので細かい事は気にしていませんが、LPガス用マイコンメーターと無線通信機器によって、自動検針の他にボンベの残ガス管理・ガス漏れ検知などが集中監視下に置かれていて、突然のガス切れ等の心配も無く、安全安心を享受している訳です。
今後は水道メータの検針が2か月に1度来るだけになりました。
本当に便利な世の中になったものです。
便利と言えば自動車に搭載されているETCやカーナビシステムも運転に集中でき、確実に目的地に連れて行ってくれます。(ただETCにて料金所を通過するたびに、開閉棒が上がる瞬間まで無性に不安が有りますが。)
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(ETCによる料金所通過)              (カーナビ利用で、より運転に集中出来る)
最近のカーナビシステムは、目的地の現在の天気も教えてくれたり、前方の異常気象情報も知らせてくれ、早め早めの対応が可能になっています。
最近は電車に乗る機会も多くなりました。知人から「Suica」カードの利用を勧められました。使ってみるとこれが又非常に重宝出来る代物で、今は手放すことが出来ません。
以前は東京などに上京して、駅の券売機に多くの人が列をつくる光景が当たり前だったですが、確かに最近は券売所はどこも空いています。改札口も「タッチ&ゴー」でみんなスムースに通過して行きます。
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(改札口通過も「タッチ&ゴー」でスピーディー)   (路線バスでも小銭準備の心配無し)
昨日行われた、「とちぎ市民大学」のテーマは、「いまや、ネット社会賢く生きるには!」というもので、インターネットの活用の利点や問題点を教えてくれていました。そして≪パソコンからタブレットへ そして、スマートフォンへ?≫の話では、実際にスマートフォンの画面をプロジェクターで投影して操作状況を見せ、色々なアプリの説明等してくれました。そしてこんなことも、スマートフォンに向かって「明日の天気は?」と質問をしたのです。すると「明日は寒さが厳しくなるでしょう。」とスマホから音声で回答が有りました。面倒なキーボード入力などしなくても、音声入力でなんでも検索出来るようです。
ただし、自動車でもインターネットでも便利なだけでなく、取り扱いを誤れば事故や事件に巻き込まれるリスクも有る事を良く理解して、賢く利用する事が必要になります。
今の世の中、何処まで便利になって行くのか。そんな時代の流れに自分はどこまで付いて行くことが出来るのか、不安も感じます。いや、すでに取り残されているんかもしれません。

皆川城内町の東宮神社(飾り馬と流鏑馬) [栃木市の神社]

栃木市皆川城内町の東宮神社へ先日久しぶりに出かけた。この神社についての最初の思い出は今から60年ほど昔のことで、本当におぼろげにしか浮かんでこない。それは5月大祭に行われた草競馬の風景なのか、ともかく大変な人出に、沢山の五色の旗が立ち、高く組まれた櫓、響く太鼓の音。それらが断片的に思い出される。両親に連れられて歩いてだが、何処をどう行ったのか、社殿の様子などは記憶に有りません。
その後は暫らく私の意識から遠ざかっていました。そして1978年(昭和53年)5月流鏑馬を見に行きました。その時も東宮神社の境内には大勢の人が来ていました。拝殿の前に1頭の神馬。たてがみの所に色鮮やかな飾りを付け奉納馬のお披露目のようです。
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(1978年5月祭りの日の境内の様子)        (綺麗い飾りを付けた神馬)
その後社殿の裏手に有る馬場に場所を変えて、流鏑馬が行われます。馬場に立てられた3ヶ所の的に向かって馬に乗った射手が矢を放ちます。1番目の的(早稲)、2番目の的(中稲)、そして3番目の的(晩稲)。矢が当たった的の収穫がその年は豊作となると言う占いとなります。
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(1978年5月撮影、五色の旗が立つ神社裏手の馬場)(流鏑馬の矢の行方を見守る観衆)
その年はその後地元の乗馬クラブによる草競馬も行われました。子供の頃見た光景もこんなだったのかも知れません。
今回、晩秋の東宮神社を訪れました。県道75号線(栃木佐野線)を栃木の市街地から西に進み、永野川に架かる「対嶺橋」を渡ると直ぐに、道路の右手に大きな鳥居。皆川城内町の東宮神社参道入口です。現在鳥居から社殿に向かう参道の途中に、東北自動車道が横切ってしまっている為、トンネル(正式にはボックスカルバートと言うらしい)を抜けると、目の前に境内への石段が現れます。
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(県道75号線脇に建つ鳥居)     (高速道路のトンネルの先に境内に登る石段)
車の場合は右手の坂を上がると駐車スペースが有ります。
石段を登ると正面に拝殿、右手に神楽殿、左手に社務所が有ります。
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(拝殿前境内の様子)
拝殿のまえには奉納された立派な狛犬や石灯籠が建てられています。
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(左側、吽形の狛犬)                       (右側、阿形の狛犬)
拝殿にて参拝を済ませ、振り返って南の方向を見ると、遠くに太平山から晃石山、馬不入山が広がっています。境内の直ぐ前には東北自動車道の遮音壁が無愛想な姿を見せています。
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(拝殿の前から南の方向を望む)
拝殿の脇を通って横側から本殿を拝みます。拝殿から一段高くなった本殿は一間社流造の見事な建物です。彫刻も見事で、特に向拝の竜の彫刻は恐ろしいほどの迫力が有ります。
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(東宮神社本殿)              (本殿向拝で睨みを利かす、見事な彫刻の竜)
東宮神社は、社伝によると天喜元年(1053)源義家が奥州下向の時、東国鎮撫を祈願して創建したものと云われております。その後、鎌倉時代の中期長沼宗政の孫の四郎宗員の時に、皆川氏が皆河荘へ入部、永享元年(1429)淡路守秀宗の時、神社の西方に皆川城を築き、それ以降東宮神社は皆川氏の守護神となり、手厚い保護を受けました。
東宮神社の祭神は、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売大神の四柱で、皆川氏の始祖藤原秀郷であることから、藤原氏の氏神である春日大社をこの地に勧請したものと云われます。
訪れた日は天気も良く境内の柿の実もすっかり熟れて来ていました。
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(2015年12月神社境内にて撮影)

西新井駅から越谷駅まで歩く [歩く]

今日も、昨日に続き東武日光線(東武スカイツリーライン)沿線を歩きました。昨日の小春日和とは違い今日は雨の降る確率が40%程度との予報でしたが、時間も取れ昨日の足の疲れも無かったので、決行をしました。
今日は、西新井駅まで電車で行き、東武沿線を北に歩く事としました。西新井駅から浅草駅までは、昨年の暮12月27日に一度歩いていますから。
今回は電車に乗る時間が長い為、早や目に家を出る事にしました。と言っても新栃木駅発11時27分の普通電車南栗橋行きに乗るのが精一杯で、南栗橋で乗り継いで、西新井駅から歩き始めたのは、13時を過ぎていました。
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(新栃木駅から途中南栗橋乗り換えで、西新井駅まで)
栃木を出発する頃は、まだ雨は降っていませんでしたが、途中で電車のワイパーが動き出していました。西新井駅東口前から、雨傘を開いて歩き出しました。寒くは有りません。
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(西新井駅東口の駅前)                   (環七通りの歩道橋を渡る)
環七通りの「島根歩道橋」を渡り、都道103号線(旧日光道中)を北上します。
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(都道103号線、旧日光道中を北に向かって行く)
増田橋の五差路交差点の東南角に石の道標が建っています。歩道側正面に「増田橋跡 北へ旧日光道中」と刻されています。道標の東側の側面には「西へ 旧赤山道」となっています。
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(増田橋五差路の東南角に建つ道標)
「旧赤山街道」はここ旧日光街道の増田橋から北西に向かう道で、かっては譜代藩の城下町岩槻へ至る道で「岩槻道」と呼ばれていましたが、関東郡代伊奈氏の陣屋が足立郡赤山村(現在の埼玉県川口市)に造られた為「赤山道」と呼ばれるようになりました(「あだち観光ネット」より)。又、増田橋跡と言う地名は赤山道に沿って流れて来た、見沼代用水千住堀と竹ノ塚堀がこの地点で日光道中に沿って流れる時、赤山道の北側を流れる竹ノ塚堀は、日光道中を横切る為、日光道中に橋が架けられたのが「増田橋」でした。現在は残っていません。
ここから日光道中を北に進みたかったのですが、道路が少し狭く歩道が見当たらなかったので、安全優先でそこから東に折れて、東側を南北に通る国道4号線を歩く事にしました。道路沿いに「十勝甘納豆本舗」のお店を見つけたので、糖分補給として「栗どら」と「甘納豆」一袋を購入しました。
暫く歩くと分岐点に差し掛かります。国道4号線は左方向にカーブして行きますが、ここで真直ぐ北に向かう都道49号線を歩く事にします。
するとしばらく歩いたその先で、増田橋交差点を北に直進した旧日光道中が、左側から合流して来ました。また、日光道中に戻ったようです。そしてその先で「毛長川」と言う小河川を渡ると、その先は東京都から離れ、埼玉県草加市へと入って来ました。
毛長川.jpg埼玉県草加市入口.jpg
(毛長川に架かる橋を渡ると、前方に「埼玉県」「草加市」の標識が見えてくる)
先ほどの増田橋交差点辺りが、千住宿と草加宿のほぼ中間点に当たっていて、「立場」として賑わっていた所だそうです。暫らく歩いた所に又分岐が現れ分岐点に新しい大きな「今様草加宿」と記した道標が建っています。
今様草加宿.jpg国道49号線標識.jpg
(今様草加宿と記した大きな道標)        
ここでも安全を考え広くて歩道を完備した右手の道を選びます。(帰宅後調べると旧日光道中は細い左手の道でした。)草加と言えば「おせんべい」。先ほどから道路の両側に草加せんべいの店舗が多く見られます。
神明町の丁字路の角に小さい公園が有り、銅像が建てられています。正面に近づいて見ると、「河合曾良像」の銘板が台石に付いていました。公園脇に草加市役所で建てた解説板が建てられています。「松尾芭蕉翁像と河合曾良像」と有ります。それによると近くに芭蕉翁の銅像も有りそうです。
河合曽良像.jpg草加市解説版.jpg
(河合曾良の銅像)    (銅像についての解説文が英語の他点字でも紹介されている)
ここですでに時間は15時近くなってしまいました。まだ昼食を食べていません。少し疲れも出て来たので近くの中華店に入り食事にしました。
食事を済ませて店を出ると、雨が止んでいました。歩き出すと直ぐ県道49号線は「伝右川(でんうがわ)」に架かる、「草加六丁目橋」を渡ります。
草加六丁目橋.jpg望楼.jpg
(草加六丁目橋の親柱)                   (草加松原南端に建つ望楼)
道路の右側に立派な松並木が現れました。松並木の東側には「綾瀬川」がゆったりと流れています。松並木の中は遊歩道の様に整備がされ、ゆっくりと歩くのに最適です。
南の端に草加市が一望できると言う高さ11.1mの木造の望楼が有りました。内部に入れるようでしたが、先を進む事にしました。その望楼の近くに「松尾芭蕉翁」の銅像が建てられています。
松尾芭蕉見返りの像.jpg矢立橋上より.jpg
(南、千住方面を振り返って見る芭蕉翁の銅像)(「矢立橋」と名付けられた歩道橋の上より)
綾瀬川右岸の松並木を北に向かって歩いて行きます。松並木の街道に沿って、幾つも石碑が建てられています。「日本の道百選 日光街道 草加松原」の大きな石碑が有りました。埼玉県の県土を宿尺37,000分の1の形にかたどりされています。「日本の道100選」の顕彰プレートは、草加市の位置に設置されているとの説明碑が脇に建っていました。日本の道100選草加松原.jpg草加街道絵巻.jpg
(日本の道百選の顕彰碑)           (矢立橋の橋床に埋め込まれた街道絵巻)
松並木を快調に歩いて行くと、松尾芭蕉の句碑「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」が建てられています。
芭蕉句碑(草加松原).jpg松尾芭蕉文学碑.jpg
(松尾芭蕉の句碑)                (松尾芭蕉文学碑)
ここ「草加松原」は、平成26年3月18日に「おくのほそ道の風景地」として国指定名勝となっています。その記念碑も建立されていました。
国指定名勝記念碑1.jpg国指定名勝記念碑2.jpg
(国指定名勝記念碑)             (国指定名勝「草加松原」顕彰碑)
多くの石碑等に目を奪われ、思うように先に進めませんが、16時を過ぎる頃にやっと公園の北の端に着きました。前方に「東京外環自動車道」が見えて来ました。
東京外環道路.jpg
(草加松原の遊歩道の北端。前方に東京外環自動車道がよこぎっている)
外環道の下を抜け更に綾瀬川に沿って進むと、県道49号線が綾瀬川を渡る「綾瀬橋」の南橋詰に出ました。この「綾瀬橋」を渡ると、草加市から越谷市に変わります。
越谷市へ.jpg
(綾瀬橋を渡る先に「越谷市」の標識が見える)
県道49号線を真直ぐ北に向かいます。道路の西方を道路とほぼ並行して、東武スカイツリーラインが走っています。以前は東武伊勢崎線だったのでしょうが、栃木市民としては「東武日光線」と呼んだ方が馴染みが有るのは私だけでしょうか。蒲生駅入口交差点を過ぎる頃から街灯が点灯を始めました。前方に武蔵野線のガードが見えてきます。
武蔵野線ガード.jpg
(新越谷駅入口付近。前方に武蔵野線のガードを望む)
やはり暗くなると少し心細くなってきます。昨日同様今日も19時頃まで頑張って歩こうと心に言い聞かせていましたが、越谷駅を過ぎる頃、又ポツリポツリと雨が落ちてきてしまいました。
今日はここまでとして、越谷駅に向かい、新栃木に到着したのは19時でした。
越谷駅前.jpg新栃木駅ゴール.jpg
(越谷駅東口駅前)                   (新栃木駅前ロータリー)
本日の総徒歩数は27,647歩でした。



新古河駅から東武動物公園駅まで歩く [歩く]

今日、時間が取れたので、一年ぶりに東武日光線沿線を歩いて来ました。
昨年の10月末から12月末にかけて、東武日光駅から歩き始め、埼玉県の新古河駅まで歩きましたが、その後中断をしていました。
出発が午後に成ってしまった為、当所の予定の春日部駅までは行けませんでした。新栃木駅発13時13分の電車で、新古河駅まで行き、13時40分に歩き始めました。
新古河駅.jpg三国橋1.jpg
(ウォーキングスタート駅「新古河駅」) (渡良瀬川の三国橋を渡り、埼玉県から茨城県へ)
まず渡良瀬川に架かる「三国橋」(1968年竣工、全長547m)を渡り、渡良瀬川の左岸に出て、川沿いに堤防の上の「利根・渡良瀬サイクリングコース」を下流に向かって歩きました。時々猛スピードで自転車が行き来しますが、自動車道の様に交差点や自動車に阻まれる事無く、高い堤防の上から周りの風景を見ながら歩くのは快適です。
三国橋より新三国橋を.jpgサイクリングコース.jpg
(三国橋上から下流側新三国橋を望む)    (渡良瀬川左岸のサイクリングコース)
「新三国橋」(2000年架橋、全長2,500m)の下を抜けて、利根川と渡良瀬川との合流点に向かって歩きます。河川敷の運動公園では、野球少年やサッカー少年の元気な声が飛び交っていました。手作り飛行機や凧を揚げる若者や家族連れの姿も有ります。みんなそれぞれの休日を楽しんでいます。
新三国橋.jpg凧揚げ.jpg
(新三国橋下、河川敷サッカー場)          (土手の下で凧を揚げる親子)
渡良瀬川と利根川の合流点が見えて来ました。芦原の向こうで二筋の光りが、大きな一本の光りにまとまります。合流点から「海まで132.0km」の立札と「渡良瀬川起点」の表示が建っていました。
利根渡良瀬合流点1.jpg利根渡良瀬合流点2.jpg
(渡良瀬川と利根川の合流点)        (利根川河口から132.0kmの渡良瀬川合流点)
JR宇都宮線の鉄橋の下を抜けて、利根川に架かる「利根川橋」を渡ります。
JR宇都宮線鉄橋.jpg利根川を渡る.jpg
(JR宇都宮線利根川鉄橋下)    (利根川橋を渡る。JR宇都宮線鉄橋を望む)
利根川橋1.jpg利根川橋2.jpg
(利根川橋西橋詰より)              (利根川橋の橋名プレート)
橋の南詰堤防脇に「栗橋関所址」の石碑が建てられています。横に久喜市教育委員会による説明板も有りました。それによると≪栗橋関所は、日光街道が利根川を越す要地に「利根川通り乗船場」から発展した関所の一つで『防川渡中田・関所』と呼ばれた。東海道の箱根、中仙道の碓氷と並んで重要な関所であったという。≫
栗橋関所址1.jpg栗橋関所址2.jpg
(利根川橋西橋詰堤防下に建つ「栗橋関所址の石碑と説明板)
現在石碑の建つ南側周辺では、「栗橋宿西本陣跡」の遺跡発掘調査が行われています。
栗橋西陣屋跡発掘調査.jpg
(遺跡発掘現場)
利根川右岸の栗橋宿日光街道を上る。国道125号線の下を潜り宿外れを出ると、田圃の広がる風景が多くなる。東北新幹線のガード下を抜け、田圃の中の道を一直線に権現堂公園を目指して進む。
途中で太陽が沈むと、次第に心細くなってきます。幸手市の標識が見えました。
日没.jpg幸手市.jpg
(今日一日暖かく照らしてくれた太陽が沈みます) (幸手市に入ります)
すっかり暗くなってしまったので、脇道は選べません、4号線から右に県道65号線を進みます。写真も撮れないので、ただひたすら前に歩を進めます。この県道65号線の辺りが、幸手宿だったようで途中の家の塀に「この道は日光街道」と題した石碑を埋め込んだ家が有りました。
日光街道1.jpg
(個人宅の塀に埋め込まれた、日光街道説明碑)
暫らく行くと、前方に予定していない東武線の踏切が現れました。道を間違えたようです。手前の分岐で国道4号線方面に行くべきところを、真直ぐ県道を進んできてしまいました。そのまま進んで次の信号で曲って4号線に戻る事にしました。ところがその信号の交差点の所に建つ説明板を読むと「日光道中・日光御成道合流点」と有り、間違ってきた道路が本来の「日光道中」でした。思わぬ発見です。
日光街道2.jpg
(予定にない場所で見つけた日光道中の案内板)
気を取り直して、又国道4号線を目指します。途中圏央道の下を通り再度東武日光線の踏切を渡り、4号線に合流する事が出来ました。杉戸高野台駅入り口を通過、もう少し頑張って歩きます。寒く成って来て、お腹が冷えて来たようなので、4号線沿いのレストランに入り、鍋煮込みうどんを注文。アツアツのうどんで体の冷えが治まった感じです。お店を出ると19時を回っています。帰宅時間も考え、次の「東武動物公園駅」で今日は終了する事として、国道4号線から外れ、杉戸宿を駅に向かいました。
道標1.jpg道標2.jpg
(杉戸宿内も辻に建つ道標。「関宿方面」「粕壁方面」の文字が見えます。)
古利根川.jpg東武動物公園駅.jpg
(東武動物公園駅へ行く手前で渡った「古利根川」)(今日のゴール東武動物公園駅前)
家に戻ったのは丁度21時でした。本日の総歩数は39,317歩でした。