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小山市内に残る、道路元標 [石碑]

これまで栃木県内に残る「道路元標」を見て来ましたが、今回は栃木市のお隣、小山市内の「大谷村道路元標」です。
「道路元標」は大正8年の道路法施行令にて、市町村単位で道路の基点として1ヵ所建てられました。従ってその当時の小山市の状況を調べてみると、今回訪れた「大谷村」の他に「小山町」や「豊田村」など、1町9村が明治22年(1889)4月1日の町村制施行により成立していました。
大正時代の小山の町村図.jpg
(明治22年の町村制施行後の旧小山町周辺の村、四角の記号点に道路元標が残る)
従って、以前は小山市内でも幾つか残っていたのかも知れませんが、戦時中やその後の都市開発等で、消えていってしまったのかも知れません。その中で「大谷村道路元標」は小山市指定の有形文化財として残された貴重なものです。
設置場所は、これまでも見て来たと同じく、その当時の主要道路の分岐点に成ります。現在は「大谷南小前」と名付けられている十字路の北東側に有る、小山市立大谷南小学校の校庭内、交差点際に移動保存される形に成っていました。
小山市立大谷南小学校.jpg大谷村道路元標1.jpg
(道路元標が残る東野田の交差点、正面が大谷南小学校)(校庭隅に建つ道路元標)
大谷村道路元標2.jpg大谷村道路元標3.jpg
(大谷村道路元標、フェンスの向こう側が交差点)      (横に建てられた説明板)
学校の校庭内は現在は勝手に入る事が難しくなっています。校門の脇などには「学校内への無断侵入を禁止します」とか「御用の有る方は受付にお越しください」の掲示がされています。今までも三角点を巡っていると、学校の校庭内に設置されているケースが多く、足が遠のく事も多々有りました。日曜日などは校庭で野球の練習をされているので、チョッと挨拶をして入って写真を撮って来る事も有りました。私の趣味程度で仰々しく受付して時間を取らせるのも申し訳ない気も有ります。今回は休日で校庭に人影も無く昇降口も閉ざされていましたので、校庭の隅を歩いて写真を撮らせて貰いました。

道路元標が設置された大正中期の大谷村東野田の現地の状況を確認する為、手持ちの2万5千分の1の小山の地形図を広げてみると、丁度大谷南小学校の交差点付近が地図の南の端に成っていて、それより南側は別の「諸川」の地形図に成ってしまい、私は持っていません。ただ「諸川」の地形図の図歴を調べてみると、最も古い発行年でも「昭和31年(1956)」で大正期は有りませんでした。
そこで、インターネットにて古い空中写真を確認すると、国土地理院が公開している写真の中に昭和23年(1948)3月2日米軍撮影の写真が有りましたので、その中から大谷南小学校付近を抜粋スケッチして、現在の様子と対比出来る様に作図しました。
平成20年大谷南小.jpg昭和23年大谷南小.jpg
(平成20年頃の大谷南小学校付近)   (昭和23年頃の大谷南小学校付近の道路状況)
比較してみると、小学校と野田神社の位置は変わっていません。大きく変わった所は、以前交差点は丁字路で、現在西に抜ける道路は有りませんが、現在は十字路に成っています。又、従来の幹線道路は昭和34年に県道に制定され、道路も拡幅されている状況も確認出来ます。

道路元標を確認した後、周辺を散策して来ました。
野田神社.jpg修道館分校跡地.jpg
(交差点の少し南側に祀られている野田神社) (交差点から北に行った道路際に建つ石碑)
交差点から県道54号を北に歩いて行くと、右手に大谷幼稚園が現れます。その入口の左右に石碑が建てられています。入口右手の小さい石碑には、「修道館分校跡地」と刻されています。
調べてみると、小山市立博物館のホームページの中「小山の歴史Q&A」に、「小山の学校はいつごろできたの?」の回答中に、「大谷南小学校 明治7年 小学修道館」と記されていました。
修道館は大谷南小学校の前身だったようですが、分校跡とはどう言う事なのか、一つの石碑に又新しい疑問が生まれて来ます。今後調べてみたいと思いました。

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