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ツバメの雛を確認 [自然の恵み]

今日、初めて巣の中から大きく口を開けて、食べ物をせがむツバメの雛の姿を確認しました。
我家の玄関先にツバメが巣作りを始めたのが、5月28日の事ですから、それから約1ヶ月近く経っています。いつ雛を見られるかと待っているこの日数はとても長く感じましたが、卵を産んで、抱卵して、雛が孵化するにはやはりそれだけの日数が必要なんですね。
6月22日の朝、玄関のドアを開けると、目の前に小さな卵の殻が落ちていました。そして次の日にも又、落ちているのが確認されました。
卵の殻1.jpg卵の殻2.jpg
ツバメの雛が孵ったのかと思いましたが、巣を観察しても下から見ると何も変わらず、親のツバメが巣の中でまだ抱卵中の様子。雛の鳴き声もまだ耳にしていません。
抱卵中か2.jpg
私が玄関の中からガラス越しに、巣の様子を伺っていると、ツバメの親も相変わらず私の事が気になるらしくこちらを覗っています。あまり近くに寄って覗く事は出来ません。
今日、親ツバメ2羽が交互に巣を出入りしているのを、よく観察すると親ツバメはクチバシに小さな虫のようなものを銜えて巣に戻って来たのが見えました。「これは」と思ってよくよく見ていると、巣の中から黄色い色のクチバシを大きく開けて、巣の中から頭を見せる雛を確認しました。
育雛中2.jpg
育雛中1.jpg
今日確認出来たのは3羽でした。
これで又、雛の成長を見るのが楽しみになりました。そして巣立ちは何時になるのか。


栃木市内で見る、店舗暖簾 [コレクション]

先日、市内で見る日除け暖簾を紹介しました。店舗の前に掛けられた、屋号などを染め抜いた物で、風にあおられると「バンバン」と鳴る事から、太鼓暖簾とも呼ばれる物をまとめました。今回は一般的に店舗の入り口などに掛けられている、「店舗暖簾」を集めてみました。
暖簾と言うと私達は、お店の前に掛かっているかいないかで、お店が開いているか閉まっているかを判断する材料にしています。
市内で良く見かける一般的な暖簾は、大通り倭町に店舗を構えている「本澤商店」さんの暖簾です。
本澤商店は天保年間(1830~1843)創業と云う老舗で肥料商を営んでいました。店舗の下屋の上に掲げた「日星肥料」の大看板が現在も目を引いています。こちらのお店は、歩道と店舗の間、セットバックのスペースにいつも大八車や樽に草花を綺麗にデコレーションして、通行する私達の目を楽しませてくれています。最近掛けている暖簾は白地に茄子の絵の中に本澤屋と黒で記しています。以前の暖簾は紺色の地に白く染め抜いた物が使われていました。
本澤商店1.jpg本澤商店2.jpg
(草花等で綺麗にデコレーションした本澤商店)(2002年撮影時の暖簾は紺色の地でした)

暖簾が目立つ風景としては、嘉右衛門町通りの老舗「油伝味噌」さんでしょう。こちらも創業は天明年間(1781~1788)という歴史の有る店舗です。元々は暖簾に記されている様に油屋を営んでいました。その後味噌醸造を手がけました。こちらの暖簾は現在紺色地に白抜きされていますが、以前は白地に黒の暖簾を使用していました。
油伝味噌店1.jpg油伝味噌店2.jpg
(暖簾が目を引く、嘉右衛門町通り「油伝味噌」)(2013年撮影時は白地の暖簾でした)

銀座通りの和菓子のお店「山本総本店」さん、そしてその西側巴波川に掛かる幸来橋へ行く手前に店を構える「和菓子もめん弥」さん。これらのお店の入口にも暖簾が掛けられています。やはり暖簾には「和」に対するイメージを演出するのに欠かせないようですね。
山本総本店2.jpg和菓子もめん弥1.jpg
(創業明治25年の和菓子店「山本総本店」)(もめん弥本店、店先には太鼓暖簾を見られる)

巴波川の右岸、倭橋の橋詰で理容店を営む「松本床屋」さんは、創業明治八年と染め抜いた暖簾を入口に掛けています。
松本床屋1.jpg三桝屋本店1.jpg
(入舟町の松本床屋さん)    (大通り「三桝屋本店」さんに見る「軒暖簾」)
大通りの「三桝屋本店」さんの店先には、以前太鼓暖簾が見られましたが、現在は軒下を飾る「軒暖簾」別名「水引暖簾」だけと成っています。普通暖簾は夜には外しておきますが、軒暖簾は丈が40センチメートルから50センチメートルと短い暖簾で、外さないで一日中掛けて置くもので、お店の名前や屋号を染め抜いて有り、お店の広告塔の役目を果たしています。
同じく大通りの「なすび食堂」さんの軒下にも店舗名を染め抜いた軒暖簾が有りました。
なすび食堂1.jpgなすび食堂(島田屋).jpg
栃木市役所向かいの「なすび食堂」の「軒暖簾」)(店舗内に飾られている「嶋田屋」の暖簾)
「なすび食堂」の建物は昭和2年に建てられたもので、元は乾物商「嶋田屋」も店舗でした。現在も店内にはその当時の看板などが見られます。写真の暖簾も当時の「嶋田屋」のもので、暖簾の左下隅に「嶋田屋」と、そしてその対角線上の暖簾の右上隅に、「カネに丸一」の屋号紋が染め抜かれた斬新なデザインです。

大通りの老舗旅館「かな半」さんの入口に掛かる暖簾。夜、ウォーキングで前を通ると玄関先の街灯に明かりが灯りその脇に掛かる暖簾の下の空間に、旅館の奥に繋がる土間が覗いていて、今日の泊り客をやさしく向い入れているように見えます。風情のある風景を醸し出しています。
かな半旅館2.jpgかな半旅館.jpg
(昼間のかな半旅館)            (陽が落ちた後、旅館の入口に明かりが灯る頃)

暖簾は私達の周りにまだまだ沢山見る事が出来ます。我家にも居間と台所の間に、娘がお土産として買ってきた暖簾が、ズット掛かっています。
我家の暖簾.jpg

ツバメ夫婦、ただいま抱卵中 [自然の恵み]

我家の玄関先で巣作りをしていた、ツバメの夫婦が今、毎日毎日卵を抱いています。
巣の中に何個の卵を産んでいるのか気になるところですが、なかなか覗けません。
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(我家の玄関先に巣作りした、ツバメの夫婦)
家の中からガラス窓越しに観察すると、巣の中でお母さんツバメが何時も卵を抱いている様です。お父さんツバメは巣の近くの玄関灯の上に止まって、様子を見ている様です。
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(私の視線を気にしつつ、巣に入る)
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(玄関灯の上に止まり、ジッと辺りを覗う)
夫婦とも姿が見えない時に、巣の中を覗こうとすると、近くで様子を見ていたのか、お父さんツバメが威嚇するかのように私に向かって近くまで飛んできます。
私もツバメをあまり脅かしたくないので、サッサと家の中に戻って来ました。
巣が完成したのが、6月1日ごろでしたから、順調に行けばそろそろ最初の卵が孵化しても良い頃なのですが。
卵を抱いている様子を見ていると、ツバメも私の視線を感じているのか、私の方を気にしている様に見えますので、あまり長く見ないようにしています。早く雛が孵って欲しいです。
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(私の視線を気にしながらも、卵を抱く)

パーラートチギ(旧関根家住宅店舗) [建物]

国指定有形文化財と成っている栃木市倭町大通り(旧日光例幣使街道)沿いの旧関根家住宅店舗が、昨年の暮に新しく「パーラートチギ」としてよみがえりました。
それまでは、通路に面した鉄筋コンクリートタイル張り2階建ての店舗入口の扉や窓は閉ざされ、中が見えない様にガラス部分には目隠しがされていましたが、今は夕方ウォーキングでこの建物の前を通ると、窓がら灯りが洩れています。
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(建物が息を吹き返したように、光が漏れ出る旧関根家住宅店舗)

「関根家」は、明治から昭和初期まで、煙草卸売商を営んでいました。
石崎常蔵氏が著した「栃木人 明治・大正・昭和に活躍した人びとたち」には、
≪四代目関根源七氏は栃木煙草元捌組合を経営、小山・壬生・藤岡に支店を設け、下都賀郡内の煙草元売業界の責任者として活躍。五代目源七氏は昭和15年(1940)、第七代栃木商工会議所会頭、昭和14年に栃木市初代警防団長、戦後は初の社団法人商工会議所会頭に選任されました。会頭在任中は戦前戦後の会議所の歴史上最も苦難の時期であったが、会頭としてその重責を果たした。(一部抜粋)≫と記されています。
この「関根家住宅店舗」は、平成12年に国の登録有形文化財に指定されました。大通りに面した大正11年(1922)建築の「店舗」、その奥に明治期に建てられた「主屋」、さらにその奥の江戸期の建築と伝わる「文庫蔵」などで構成されています。
昨年の4月に元の所有者のご遺志により、栃木市に寄贈されています。

今回はその「パーラートチギ」さんを訪問しました。
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(パーラートチギのお店正面入口)       (店名のロゴ、お洒落ですね)
店舗の中に入ると、お洒落なアンティーク調の椅子やテーブル、チョッとした小物が置かれ、それでまた特別な雰囲気が演出されています。
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(店内を飾る家具、時の流れを感じる椅子)(緑の葉っぱが壁の白に映えています)

入口を入った横の小さなテーブルの席に座り、コーヒーを注文。暫らく窓の外を眺める。この角度から通りを見るのも又新鮮に感じます。外を観光客と思われる一団が通り過ぎて行きました。
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(窓際のテーブルには、西日が射しこみ始めています)

「建物の中、見学させて貰っていいですか?」
私のぶしつけなお願いに、お店の方が快く対応して下さいました。
調理室の裏手に2階へほ階段。急勾配の階段に手摺につかまり、注意して2階へ。北側の壁沿いの廊下。壁はコンクリートむき出しの様、西側の通りに面した部屋は外光が溢れ眩しく感じる。でも部屋に入ると白一色に塗られ、天井から、大正期をほうふつさせる照明が吊下がっています。いつも通りから眺めていた二階の縦長の窓。今その窓を通して外の景色を見ています。
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(2階の廊下の先は通りに面した西側の部屋)(2階西側の部屋、縦長上下開閉窓)
下におりる時、やはり階段のステップ幅が狭い為か少し不安になりました(これは歳のせいでしょうか)。注意してゆっくりと一階に戻りました。
次に店舗の後に続く部屋に足を踏み入れます。そこには店舗部分と全く違った「和」の世界が広がっています。屋根に設けられた明かり取りの窓から差し込む光が、部屋の中を明るく照らし出しています。
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(店舗後方の「主屋」、木造2階建、南側に通り土間が店舗土間に続く。数寄屋風)
更にその通り土間の先に有る潜り戸を抜けると、中庭に出ました。見られるのはここまでです。その中庭の先に土蔵が見えます。江戸末期に建てられたものと伝えられています。
江戸時代、例幣使街道のひとつの宿場町として栄えた栃木宿は、街道の両側に短冊状に屋敷割が行われ、間口が狭く奥に長い、うなぎの寝床の様な敷地を持つ町屋で、形成されていました。関根邸にてこの特徴をハッキリと確認する事が出来ました。
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お店に戻り、もう一度通りを行きかう車と人の動きを眺めつつ、ゆったりとした時間を暫らく過ごしました。

「パーラートチギ」
若い人たちが運営する「新しい空間」がこれからずっと栃木の街に根付いて行って欲しいと思いました。

栃木市内に見る、日除け暖簾 [コレクション]

栃木の市街地を歩いていると、今も店先に日除け暖簾を掛けている風景を目にする事が有ります。
その代表的な風景は、入舟町の巴波川沿いに建つ横山郷土館です。両側に石蔵を配した店舗の軒先に掛けられた日除け暖簾には、中央に横山家の屋号紋が大きく染め抜かれ、右側に「創業慶応三年」と記されています。
横山郷土館.jpg横山郷土館日除け暖簾.jpg
(巴波川沿い入舟町の横山郷土館の店頭に掲げられた日除け暖簾)

街の中央を縦貫している旧例幣使街道沿いには、江戸時代後期から明治期の土蔵造りの見世蔵が現在も多く残っていますが、それらの見世蔵を活用した観光施設の店先にも、PR用の日除け暖簾が掛けられています。
歌麿館.jpg歌麿館日除け暖簾.jpg
(見世蔵としては弘化二年(1845)の上棟と、建築年代の判明している蔵造りの店舗としては栃木町で一番古い旧古久磯提灯店の跡を活用した「とちぎ歌麿館」。その建物の前に「歌麿の 愛したまち とちぎ」と紺地に白抜きした日除け暖簾が、掛けられています。)
山本有三記念館.jpg山本有三記念館日除け暖簾.jpg
(見世蔵を活用して、栃木市出身の文豪「山本有三」の遺品や資料などを展示している、「山本有三ふるさと記念館」の前にも、紺地に記念館名を白抜きにした日除け暖簾が掛けられています。)

これらの日除け暖簾は写真にも有る通り、布帛製で紺や茶に染め、屋号や商品名・紋所を白抜きにしたものが多く見られます。その理由のひとつは、紺や茶は退色しにくいからだそうです。又職種によっても使われる色にルール的なものが有った様ですが、現在はそれほど厳格な使い分けは無く有っていると思いますが、逆に今も地方によっては常識的な使い分けが行われているのかも知れません。
ちなみに、紺色や藍色などは手堅い商いをする商家が多いと言われます。又、藍の匂いは虫が嫌うとして呉服屋の多くが藍色の暖簾を使用した様です。白地に黒文字は菓子屋や薬屋。柿色は水商売などが多かったと言われます。
日除け暖簾はその名前の通り、店先に掛けて日除けや風よけとしての目的ばかりでなく先にも記した様に宣伝の役も果たしています。
暖簾の上部には竹棹を通す為の乳が縫い付けられて、下側は風に巻き上げられないように両裾を石の重しに紐で繋がれています。その為風に吹かれると暖簾が揺れて「バン・バン」と音を発てることから、「太鼓暖簾」とも呼ばれるそうです。

大通り以外で今も日除け暖簾を掛けている店舗を探して見るとまだまだ有りました。
あおきそば粉店.jpgあおきそば粉日除け暖簾.jpg
(本町、青木ソバ粉株式会社。蔵造りの本社入口に掛かる日除け暖簾)
和菓子もめん弥.jpg和菓子もめん弥日除け暖簾.jpg
(倭町、巴波川に架かる幸来橋近くの「和菓子もめん弥」の日除け暖簾)
丸萬.jpg丸萬日除け暖簾.jpg
(倭町、蔵の街とちぎのきもの専門店「丸萬」の店頭中央に掛かる日除け暖簾)
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(入舟町、だんご豆大福の伊勢屋さん)    (入舟町、おおわだ酒店はお酒のPR暖簾)
伊勢屋さんの写真は2011年に撮影したもので、現在は白地では無く紺地の暖簾に変わっている様です。
又、最近は新しい日除け暖簾も見られるようになりました。
ジェラート桜蔵日除け暖簾.jpgスリーピース.jpg
(イタリアンジェラート桜蔵の日除け暖簾)(これは新しい日除け暖簾に成るか、「333」)

尚、現在は見られ無くなってしまいましたが、私がこれまで撮影をした日除け暖簾についても紹介したいと思います。
倭町の三桝屋本店さんとその並びに以前店舗を構えていた蔵の家具や「丸三」さんの店先にも日除け暖簾が見られました。(2002年10月に撮影)
三桝屋本店.jpg家具の丸三日除け暖簾.jpg
(三桝屋本店の店先に見られた日除け暖簾)(旧丸三家具店前を飾っていた日除け暖簾)
蔵の街観光館日除け暖簾.jpg太田蔵日除け暖簾.jpg
(とちぎ蔵の街観光館の日除け暖簾) (太田蔵の前で見かけた日除け暖簾)
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(塚田歴史伝説館にて以前掲げていた暖簾)(湊町、「お茶の小井沼」の日除け暖簾)

これらの日除け暖簾の他にも、以前私が市内で見かけたものがいくつか記憶に残っています。今思えば撮影をしていなかったことを悔やんでいます。そして又、今回紹介した日除け暖簾(太鼓暖簾)とは別に、市内の店舗の店頭を飾っている他の種類の暖簾についてもまとめたいと考えています。

巴波川沿いを行燈の絵を見て歩く [歩く]

今日、太陽が沈んだ後にウォーキングに出発しました。時間的には夕方7時近かったので、巴波川沿いに設置されている行燈に灯がともった景色が見られると、カメラをぶらさげて出かけました。
栃木市役所裏手、パーキングタワーの脇から巴波川左岸沿いの遊歩道に入りました。
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(常盤橋の上流側行燈は電気配線が無く、ソーラーライトでしょう?光が柔らかく感じました。)
常盤橋の橋詰を抜け、倭橋から幸来橋へと、行燈の光りに浮かび上がる栃木市内の観光名所の切り絵を見ながら歩きました。まだ西の空に太平山のシルエットが僅かに残っています。
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(常盤橋から倭橋へ)(倭橋から幸来橋へ、中央奥の幸来橋のバックに太平山のシルエット)
幸来橋の欄干から下流側を眺めます、巴波川左岸に連なる「塚田歴史伝説館」、土蔵の白壁がライトアップされて暗闇に浮かび上がっています。川の両岸に行燈が明るい光の列を見せています。
ここで、幸来橋を渡って巴波川の右岸を歩きます。
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(幸来橋の上から下流側を。左手が塚田歴史伝説館の土蔵群)(行燈に岩舟の風景も)
幸来橋から下流側の巴波川橋に。対岸の行燈に赤く見える一つが目に入りました。カメラでズームアップして確認すると、その行燈の図柄は旧栃木駅の駅舎でした。赤く見えたものは駅前に描かれた赤い車でした。
行燈に描かれた観光名所をひとつひとつ確認したり、スポンサーとして名前が出ている会社や団体名を確認して歩きました。
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(巴波川橋の西橋詰付近より上流側を振り返る)    (目に留まった赤い車の図柄の行燈)
その後は行燈の光りを後にして、栃木駅前を回り大通りへ、途中から雨粒が落ちて来て、次第に雨足が強くなってきました。念の為持参した傘に身を任せ、ショートカットして急いで帰宅しました。
今日の総歩数は、7,528歩に成りました。

マンホールカードを求めて、東へ西へ。 [コレクション]

最近、デザインマンホール蓋の話題を良く見聞きする事が多くなった気がします。
NHKのテレビでも、埼玉県久喜市の工場を訪問して、マンホール蓋の製作工程を紹介する番組が放映されていました。又、週刊誌でもカラーデザインマンホール蓋の記事を載せていました。
このデザインマンホール蓋の話題造りに一役買っていると思われるものは、昨年度から発行され始めた「マンホールカード」だろうと思われます。
今年の4月3日に第4弾のマンホールカード50種類が新たに発行され、これまで発行済のカードを合わせると全国(北海道から沖縄)で、170種類に成っています。
私も昨年の8月に初めて足利市のマンホールカードの発行を新聞記事で知って以来、新たに発行される栃木県内や近県のカードをその都度収集して来ました。これまで収集した枚数は、23種類に成りました。
今のところ、栃木・茨城・福島・群馬・埼玉と近県を車で巡って収集しています。1回に収集出来る枚数は、1枚から2枚に成ります。
郡山市湖南町.jpg石岡市府中.jpgつくば市(英語版).jpg
(福島県郡山市湖南町)     (茨城県石岡市府中)   (茨城県つくば市英語版)
マンホールカードの配布場所は、原則カードに記載されている1ヶ所限定です。その場所は平日のみの配布と成る下水道関係施設と、休日も配布をしている観光施設が有ります。
休日でも配布してくれる観光施設の場合、予定の配布枚数が比較的早く終了してしまいます。私もこれまで事前に良く確認せずに出かけて、入手できなかった事が有ります。
埼玉県日吉町のマンホールカードも結構早くから配布終了と成っていました。今年度に入って新たに増刷されたのか、最近配布が再開されています。配布場所がカードのデザインにもなっている、国指定史跡「吉見百穴」の入場券売り場で「マンホールカード下さい」と声を掛けると渡してくれました。そして折角来たので、「吉見百穴」の見学もシッカリとして帰りました。
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(埼玉県吉見町)        (国指定史跡、「吉見百穴」)
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(吉見百穴には第二次世界大戦の末期に掘られた「地下軍需工場跡」が有りました。)
埼玉県はこの4月発行の第4弾にて流域下水道施設関係で8種類のカードが出来ました。配布が下水道処理センター内と言うものが多く、入門しにくいのですが、実際行って見ると守衛所の窓口で「マンホールカード」と来所理由を話すと、丁寧に行先を説明してくれます。又、カードを手渡してくれる窓口はお仕事中にもかかわらず何処も丁寧に対応して頂けるので、こちらが恐縮してしまいます。
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(久喜市吉羽 古利根川支社)(和光市新倉 荒川右岸支社)(戸田市笹目 荒川左岸南部支社)

カルガモの雛が10羽いました。 [自然の恵み]

先日、カルガモ親子の情報を基に、はるばると足利市迄足を運びましたが今日、家の脇を流れる清水川の土手の草取り作業をしていた時に、ふと振り向いて川の中に目をやると、そこに小さなカルガモの雛が群れていたのです。
5羽、いや8羽、いやいや10羽です。近くの土手の上にお母さんカルガモが辺りを監視しています。
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ここ数年姿を見なかったので、河川改良で住める所が無くなってしまったものと考えていましたので、驚きです。暫らく草取りの手を休め、急いでカメラを持って来て、愛嬌たっぷりのしぐさを見せている小さな雛達を眺め、写真に収めました。
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10羽の雛はお母さんの後を追い、川面の餌をついばみながら清水川から館野川を遊び場として、水の少なくなった水路をチョコチョコと歩き回っています。
私はこの小さな雛を眺めていると、ほほえましい姿に心が和むと同時に、もしも今大雨に成ったら川の水が増水して、雛が流されてしまうと、心配に成ってしまいます。早く大きくなって、土手に飛び上れるようになって欲しいと願うばかりです。

茨城県古河市に残る、「古河町道路元標」 [石碑]

今日は久しぶりに「道路元標」です。今回は栃木県の南に隣接する、茨城県古河市に残る「古河町道路元標」を確認します。
東北本線のJR古河駅には、1年前の2016年5月20日に初めて降り立ちました。これまで古河の市街地を訪れた事は有りますが、車で訪れる事が殆んどでした。
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(2016年5月20日撮影、JR古河駅) (駅西口前に「万葉古河の歌碑」が建っていました)
駅の西口から真直ぐ西に向かう道を歩くと300メートル程で市街地を南北に縦貫する旧日光街道に突き当たります。そこから一つ南側の交差点へ。現在は「本町二丁目」と称する十字路と成っています。
南北に貫通している旧日光街道は、現在県道261号線(野木古河線)。交差点から西側に伸びる道路は、県道9号線(佐野古河線)、そして東側の広い道路はカーブして駅前に至る、県道312号線(古河停車場線)で構成されています。
古河駅前略図.jpg
(古河西口駅前概略図)
※略図の中で赤く着色した道路は旧日光街道、茶色に塗った道路は現在の道路で、明治42年の地形図に見られた道路に成ります。
ここも以前は西側からの道路が日光街道に突き当たる丁字路で、東側に抜ける道路は最近に成って出来た様です。古河町の道路元標は、現在この交差点の北東側近くの歩道上に西方向を正面を向けて建っています。
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(若野屋呉服店前の歩道に建つ「古河町道路元標」)
道路元標が設置された当時の道路状況を調べる為に、その当時の地形図を探すと、大日本帝国陸地測量部、明治42年12月28日発行、5万分の1「古河」の地形図を持っていました。(2万5千分の1の地形図の方が見慣れているのですが、意外と古いものが無く最初に発行された物でも、昭和31年に成ります。)
明治42年発行の地形図を見ると、前述の様に「本町二丁目」交差点は、東側は突き当りと成る丁字路で、その東側の突き当りには「X」の地図記号「警察署」が記されています。
茨城県下の市町村道路元標の設置箇所を記した、茨城県告示第117号(大正9年3月22日告示)の中に、「猿島郡古河町古河二丁目5,614警察分署前」と出ています。従って元々の位置は、西側から来た道路の突き当たった道路脇に建っていたものと推定されます。それがその後の東側の道路新設に伴って現在の位置に移動したと考えられます。
尚、この交差点周辺には「史蹟 古河城下高札場址」と刻した石碑や、「史迹 古河城下本陣址」と刻した石碑が建てられていました。
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(史蹟 古河城下高札場址の碑)      (史迹 古河城下本陣址の碑)
この場所が江戸の昔から、古河宿の中心地で有った事が覗われます。
周辺を歩いて見ると、いたる所で道路が突き当たる城下町の姿を見せてくれます。旧日光街道も先ほどの交差点から北の方向に歩くと、現在は真直ぐに道路が出来ていますが、先の明治42年発行の地形図においても、道路は北に突き当たる丁字路と成っていました。旧日光街道はここで左に折れ、その先で又すぐ右に折れて北方向に伸びて行きます。
その昔、その突き当りに建てられていた「日光街道古河宿道標」が、現在十字路と成った北東側の角付近に移されて建っています。
道標横の古河市教育委員会設置の説明板によると、常夜灯形式の道標として貴重なものとして、市指定の文化財と成っています。
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(日光街道古河宿道標とその脇に立てられた説明文)



カルガモ親子 [自然の恵み]

今日、カルガモの赤ちゃん情報の有った、足利市の「足利学校」の外堀に、その赤ちゃんカルガモを見に行ってきました。
足利学校東側の堀には数羽のカルガモが泳いでいましたが、目的の赤ちゃんのカルガモを見付けられません。足利学校の周りを一周しても発見できず、鑁阿寺側の堀も一周しました。しかし情報の有った赤ちゃんカルガモの姿はそこには有りませんでした。
カルガモ親子.jpgカルガモ親子1.jpg
堀の周辺には、「カルガモのとびだし注意!!」の看板が立てられているので、もう一度足利学校の堀に戻って見ると、1羽の小さなカルガモと、その近くを見守る様に泳ぐ2羽の大きなカルガモを発見しました。(足利市の粋な対応が早いですね)
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お母さんカルガモでしょうか、チョコチョコと忙しく泳ぎ回る子供のカルガモの直ぐ近くを離れずにいます。
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もう1羽はお父さんの様です。少し離れた所で周りに注意を払っています。
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情報によると赤ちゃんカルガモはもっと多かった筈ですが、どうしても1羽しか確認できませんでした。その1羽の赤ちゃんカルガモに2羽の大人のカルガモがずっと付き切りで泳いでいる状況を考えると、他の赤ちゃんカルガモは、外敵に襲われてしまったのかも知れません。堀には驚くほど大きな鯉が何匹も泳いでいます、今はカラスにも狙われそうです。堀の近くには数匹の猫の姿も確認しています。どこかに隠れているのでしょうか?
そんな事は知ってか知らずか、1羽の赤ちゃんカルガモは元気に堀の中を泳ぎ回っていました。
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みんな無事に成長してくれれば良いのですが。
そんな事を考えながら足利を後にしました。
カルガモは栃木市内の川などで沢山見る事が出来ます。栃木市の鳥は「カモ」ですから、それも当然の事かも知れませんが。数年前は我家の脇を流れる清水川にも、親子のカモが姿を現しました。
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(2013年6月27日撮影、館野川を泳ぐカルガモの親子)
最近上流の館野川の一部が暗渠化された為か、今は田植えの済んだ水田の中をスイスイと泳ぐカルガモを見るだけで、赤ちゃん連れの風景は見られ無くなってしまいました。
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(2017年5月31日撮影、我家の脇の水田を泳ぎ回るカルガモ)
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