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嘉右衛門町通りで、音と光の夕涼み [祭]

陽が西の山に隠れ、空が茜色から紺色へと移る頃、家から出て運動不足解消のウォーキングに出発しました。この時間になると昼間の熱波はおさまり、時折吹き抜ける風が汗ばんだ肌に快く感じます。
丁度今日から3日間、嘉右衛門町通りにて、栃木市ブランドの「新波の提灯」と佐野市の「天明鋳物の風鈴」とを使った、光と音の夕涼み会が開催されるという事で、ウォーキングを兼ねてチョッと写真も撮ってこようと、カメラをぶらさげて出かけました。
嘉右衛門町通り音と光2.jpg
通りに面した家の軒先には「泉町」「嘉右衛門町」「大町」のそれぞれの町内会の祭提灯に光が入って、既に暗くなりかけた通りを薄っすらと浮かび上がっています。
嘉右衛門町通り音と光4.jpg提灯大町.jpg
嘉右衛門町通り音と光5.jpg提灯嘉右衛門町.jpg
嘉右衛門町通り音と光1.jpg提灯泉町.jpg
それらの提灯に混じって、「さのまる」くんや「とち介」くんを描いた「新波提灯」も目を引いています。
提灯とち介.jpg提灯さの丸.jpg
時折天明鋳物の風鈴が風に、すきとるような音を奏でています。残念ながらこの美しい風鈴の音色はカメラに収める事は出来ないのが残念です。
とち介&嘉.jpg松笠風鈴.jpg
風鈴1.jpg風鈴2.jpg


ここ嘉右衛門町通り周辺は、栃木県内で唯一となる、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されていて、古い土蔵造りの見世蔵などが、通りを挟んで残っています。私はそんな通りの雰囲気が好きで、ウォーキングコースのひとつにして、夏の暑い期間は陽が暮れてから歩く事が多くなります。左右に緩やかな円弧を描く通り、暗闇を照らすオレンジ色の街灯の明かり。夜の嘉右衛門町通りは私を遠い子供の頃に戻してくれるそんな通りです。夕暮れ後の通りをのんびり歩く、これがお勧めです。
嘉右衛門町通り音と光7.jpg
嘉右衛門町通り音と光6.jpg
嘉右衛門町通り音と光3.jpg
嘉右衛門町通り音と光8.jpg
今日は夕涼みイベントという事で、カメラマンの方もポツポツ見受けられ、又普段は照明を消して閉じてしまう、通りに面した家も照明が付いて、少し違った風景を楽しむことが出来ました。

栃木市における釜屋号 [懐かしい写真]

今日、関東地方の梅雨明け宣言が有りました。私の住む栃木市も連日30℃を越える暑い日が続いていましたから、「やっと梅雨明け宣言が出たな。」と言った感じです。今後の天気予報を見ても最高気温が35℃から40℃に迫る日が続きそうで、毎日冷たいものばかり取り過ぎて、お腹の方も大分疲れて来ています。
ここは鰻でも食べてスタミナを付けたいところです。もう直ぐ7月25日、土用の丑の日です。市内の鰻屋さんも忙しくなります。
栃木市内にも多くの鰻を扱うお店が有りますが、その中のひとつに「釜屋」さんが有ります。創業は明治2年と言う老舗に成ります。
蒲焼釜屋1.jpg蒲焼釜屋2.jpg
(現在の釜屋さんの店舗入口)       (玄関に掛かる釜屋さんの店舗暖簾)
現在の店舗は城内町2丁目に有りますが、以前は河合町の巴波川に架かる「開明橋」の南東橋詰で営業されていました。
手元の「栃木県営業便覧」(明治40年10月発行)を見ると、そこには「釜屋」とでは無く、「鳥屋」と記されています。釜屋さんは元々は鳥料理がメインだったのでしょうか?確かに釜屋さんで頂く焼き鳥、とても美味しいです。
1979年4月開明橋と釜屋.jpg
(巴波川の開明橋の橋詰で営業していた「釜屋」さん。1979年4月撮影)
栃木の市街地には以前、「釜屋」という屋号を用いていたお店が多く見られました。 私が子供の頃、「釜芳さん」とか「釜重さん」とか言うお店の名前を耳にした事が有ります。
そこで、先ほどの「栃木県営業便覧」を調べて、明治40年当時栃木町で「釜屋号」を付けた商店を見付けて行くと、9店舗有りました。
①釜屋   善野喜平    味噌醤油醸造元  室町(現在はNTT東日本栃木ビル.)
②釜屋號  早乙女峰次郎 美術両中形小紋更紗問屋 倭町(元蔵の街第三駐車場)
③釜芳   伊藤芳次郎  砂糖石油肥料食塩商 倭町(現在は足利銀行栃木支店)
④釜屋號  善野伊平   呉服太物商      倭町(現在は中原証券栃木支店)
⑤釜屋   竹澤傅次郎  醤油味噌漬物和洋酒瓶詰 万町(栃木信用金庫本店)
⑥釜屋號  長谷川峰七 染物業          旭町(場所不明、神明宮の東方?)  
⑦釜屋號  篠山長平   染物業         片柳(現在は境町19 駐車場)
⑧釜屋   篠山傅吉   製茶煙草商      相生町(現在は室町4 ミツワ通り)
⑨釜屋號  金子忠吉  萬染物業        入舟町(現在錦町11 かねこ整骨院)
  ※屋号・氏名等は掲載内容、( )内は所在箇所の現在の状況です。
釜長.jpg
(境町、旧例幣使街道沿いの染物業「釜長」さん⑦の当時の様子。1978年6月撮影)

釜屋号に関する外の資料を探してみると、栃木市図書館に明治31年(1898)12月発行の「日本全国商工人名録 全」が有りました。この商工人名録は全国的にその頃の商人工人を調べた名簿で、栃木町では97名掲載され、その内8名の釜屋が名を連ねています。
①釜屋  伊藤善次郎  萬町  麻苧商   (現在万町6 空き店舗)
②釜屋  坂本重藏   倭町   麻苧商  (現在は倭町8 再開発中)
③釜屋  大塚金兵衛  室町  呉服太物商 (現在は室町6 デニーズ駐車場)
④釜屋  大塚敬吉   倭町   呉服太物商 (現在は倭町8 再開発中)
⑤釜屋  前澤藤平   萬町   絲類商   (現在は万町4 快眠館大二)
⑥釜屋  善野喜平   室町   醤油醸造  (現在は室町12 NTT東日本栃木ビル)
⑦釜屋  舘野茂吉   泉町   肥料商   (現在は泉町3 旧例幣使街道に東面)
⑧釜屋  伊藤芳次郎  倭町   砂糖商   (現在は倭町11 足利銀行栃木支店)
釜平1.jpg
(泉町、旧例幣使街道、嘉右衛門町通り入口に建つ「釜平」さん、舘野家住宅兼店舗)

明治31年の商工人名録の中で釜屋号と記した8店舗の内、明治40年発行の営業便覧で釜屋号が付記されなかった商店が5軒(①釜善、②釜重、③釜金、④釜敬、⑥釜平)そして店舗名自体が確認出来なかった⑤釜藤の1軒でした。この釜藤と言うお店は大正時代の萬町(大通り)の店舗名を記した資料によると、営業便覧に出ている「正直屋」と言う、洋傘製造帽子各種の店舗の南隣りに、「釜藤」の名前が出ています。
これまでの資料で確認された釜屋号の店舗は15に成ります。が、この中には最初に話題にした鰻の釜屋さんは出ていません。又、現在も質店を続けている万町の「釜佐」さんも出て来ていません。

図書館で更に資料を確認して行くと、栃木商工会議所が発行した、「栃木商工案内 昭和十年版」の中に釜屋号の店舗を確認する事が出来ました。
 <商号> <営業別>  <営業所>    <氏名>
①釜藤    糸綿        萬町     合名会社釜藤商店
②釜平    履物(肥料)   泉町      舘野惣吉
③釜屋    金物        萬町      田村福三郎
④釜忠    染物業      錦町      金子愛之助
⑤釜伊    呉服太物     倭町      善野碩之助
⑥釜重    麻眞縄      本町      坂本 喬
⑦釜重    荒物(立麻)   萬町      坂本千代三郎
⑧釜芳    砂糖石炭茶製粉 倭町     釜芳商店
⑨釜屋    川魚(蒲焼)    河合町    渡邊為吉
⑩釜佐    質商        萬町      善野佐次平
この資料で新たに確認された店舗は、5軒(③・⑥・⑦・⑨・⑩)と成り、合計20店舗です。
釜屋金物店1.jpg
(現在万町山車会館入口南側の空き店舗が釜屋号③の金物店でした。1994年8月撮影)
釜佐1.jpg
(現在も質商を営む、「釜佐」善野家土蔵。現在は「とちぎ蔵の街美術館」と成っています)

更に、栃木の街の中を歩いていると、今も釜屋号の看板を掲げた店舗を確認出来ます。店舗の名前は「釜利」さんです。大正時代の万町大通りの店舗名を記した資料の中にも、「釜利」(ポンプ屋)と出てました。
釜利.jpg
(万町、出井書店から北側3軒目に、「釜利」と記した看板を掲げた店舗)

今回確認出来ただけでも、栃木市内で釜屋号を付けた店舗は21軒有りました。栃木県の県都「宇都宮市」には栃木市よりはるかに多い屋号を付けた店舗が有りますが、釜屋号の店舗はそんなに多くは有りません。それではなぜ栃木の街にこんなに釜屋号を付けた店舗が現れたのでしょうか。
そんな疑問に答える資料となる書籍が最近発行されました。石崎常蔵氏が著した「栃木人 (明治・大正・昭和に活躍した人びとたち)」です。その本の中に正に「釜屋考」としてまとめて有ります。私が以前から興味を持っていた「釜屋号」について今回さらに踏み込む貴重な資料を多く提供して頂けました。参考にさせて頂きました。

栃木町にて最初に「釜屋号」を名乗ったのは、何時の頃で誰だったのか。
江戸文学研究家の林美一氏の著書「歌麿が愛した栃木」(昭和47年9月発行)の中に、初期の善野家の様子が記されています。以下はその要約です。
≪宝暦年間(1751~1763)に近江の守山から、この栃木に来て土着した善野一族は苦労の末に成功をして財を築きました。善野御三家と言うと、「釜喜」・「釜佐」・「釜伊」という事に成りますが、まず最初は善野喜左衛門が「釜屋号」を名乗りました、「釜屋の喜左衛門」略して「釜喜」となります。初代「釜喜」です。そしてこの初代がその弟に2代目喜兵衛として「釜喜」を譲り、その後喜佐衛門は別家をして「善野佐次兵衛」を名乗ります。これが「釜佐」の始まりに成ります。即ち「釜喜」と「釜佐」の初代は同一人物という事に成ります。もう一つの「釜伊」の始まりは、釜喜の2代目の長男が3代目釜喜を継ぎ、弟の伊兵衛が「釜伊」の初代を名乗ったものと云われています。≫
「栃木人」の中で石崎氏は、≪このように「釜屋」は栃木地方の善野三家の成功によって、「信用」のブランドと認められ使用された。≫と記しています。
この事が栃木の街に多くの「釜屋号」の商家が現れた大きな要因と言って良いのかも知れません。

そんな「釜屋号」も時代の流れの中で次第に消えて少なくなってしまいましたが、喜多川歌麿の肉筆画の大作「雪月花」三部作のひとつ「深川の雪」が長い間所在不明と成っていたものが、平成24年(2012)に発見された事で、再び脚光を浴びることと成った,栃木の豪商「釜伊」と、歌麿の作品中に狂歌が載る通用亭徳成こと「釜喜」の4代目善野喜兵衛。これからもずっと栃木の「釜屋号」を大切に語り継いでいきたいものです。

入舟川(栃木市)の風景 [栃木市の河川と橋]

久しぶりに「栃木市の河川と橋」をテーマにしました。
「入舟川」と言う川が栃木市の市街地に有る事を、知らない人は以外と多いと思います。私自身もその川が「入舟川」と言う名前が有る事を最近に成って知りました。その川は長さは僅か250メートル程しか有りません。「入舟川」と呼ばれる通り、その川は栃木市入舟町内を流れています。
旧栃木県庁堀から巴波川との間を結ぶ漕渠(運河、全長約120メートル)が明治5年11月、栃木県最初の県庁舎の建設と共に開鑿されました。現在この漕渠には「学橋」が県庁堀との分岐点に、そして「入舟橋」が巴波川との合流点近くに、さらにもう一つ「中ノ橋」がその名の通り漕渠の中間点に架けられています。
巴波川と漕渠.jpg
(手前が巴波川、右端に覗いているのが常盤橋、左側の建物が「横山郷土館」、旧県庁堀と繋がる漕渠は写真右側の合流点から奥に向かっています。手前から「入舟橋」「中ノ橋」「学橋」が見えます。)
入舟川はこの「学橋」と「中ノ橋」の中間点にて、漕渠から分流して南側に流れている水路に付けられた名前です。
入舟川1.jpg入舟川0.jpg
(手前が旧県庁堀と巴波川を結ぶ漕渠、右手の建物は「栃木聖アルバン教会」、奥に向かって行く水路が「入舟川」です。右側の写真は昭和56年(1981)ころの風景、まだ木造の建物が建っていました。)
私はこの「入舟川」の事をかなり前から興味を持って調べていましたが、いまだにハッキリとした事が分かっていません。
何時ごろ何のために開鑿された水路なのか、又誰が作ったものなのか。漕渠から直角に分岐して直線的に南に流し、最終的に東に曲げて巴波川に合流させています。
明治19年7月発行、第一軍官地方二万分一迅速測図「栃木町」の中には、既に「入舟川」の流路が記載されています(名前は記されていません)。 そして北から南への流れが東方向に向きを変える所に「水車」の地図記号を確認出来ます。
又、明治23年11月に精行舎が発行した、「大日本博覧図」栃木県之部に、「栃木県下都賀郡栃木町 醤油味噌醸造 谷田吉右衛門」(※吉右衛門の吉の字は「士」では無く、土の字)の店舗全景が描かれた1枚が掲載されています。その図の中には巴波川沿い、幸来橋の北西側橋詰に、広い敷地にいくつもの土蔵が建ち並ぶ「谷田商店」が描かれていますが、その図の中にこの「入舟川」とおぼしき水路が描かれています。
もし興味が有りましたら栃木市図書館にて閲覧することが出来ます。
更に明治40年10月発行の「栃木県営業便覧」を調べて行くと、「入舟川」とする水路は全く描かれていませんが、先の迅速測図の中に水車の地図記号が記載されていた箇所付近に、「田名網水車」の名前が記されています。
「入舟川」は最初は水車を回すために新たに開鑿された水路だったのでしょうか?まだ疑問は完全に解消されていません。

「入舟川」には3ヶ所に、自動車も通行できる橋が架けられていますが、これらの橋の名前が又なかなか凝った名前が付けられているのです。これらの橋の名前を誰が考えて命名したのか、それが私がこの「入舟川」に興味を持った理由のひとつに成っていました。当然こちらもいまだに疑問のままですが。
上流側から見て行きますと、県庁堀の漕渠から分岐して、南に30メートルの所、栃木聖アルバン教会の南東側に当たる所に架かる小さな橋、この橋の親柱に橋名が刻されています。「忍橋」と。
忍橋親柱.jpg忍橋より上流側を.jpg
(「忍橋」と刻された橋の親柱、奥に見える時計塔の有る建物は旧栃木町庁舎、右側の写真は忍橋の上から上流側を撮影したもので、正面奥に見える石の鳥居は、神道栃木の「井上神社」参道入口に成ります。水路の右側は現在駐車場に成っていますが、明治の営業便覧には「船田別荘」と記されていました。)
現在の橋は昭和8年7月の竣功です。なぜ忍橋としたのでしょうか?1978年12月忍橋.jpg忍橋より下流側を.jpg
(昭和53年撮影の忍橋)         (忍橋の上から下流側を望む、水路は真直ぐ南へ)
私が小さい頃、箱森の家から入舟町の父親の実家に行くときは、何時もこの橋を自転車で通りましたが、この通りは脇道的な存在で通行量はあまり無かった記憶が有ります。今もこの道路を通る人は少ない気がします。この橋を渡った東側は横山家の高いコンクリート製の塀に突き当たります。
横山家裏手.jpg
(忍橋の東側、横山郷土館裏手のコンクリート製の高い塀)

入舟川に架かる二つ目の橋は、忍橋から135メートル程下った所に架かる「寶橋」に成ります。この橋は巴波川に架かる「倭橋」から西へ中野病院方向に向かう道路に架けられています。
寶橋.jpg寶橋親柱.jpg
(寳橋の架かる道を東に行くと巴波川の倭橋に出ます)(「寶橋」と大きく刻された親柱)
現在の寶橋の架設年は昭和7年4月で、忍橋の竣功より1年早く架けられています。橋の北東側には栃木で2番目に開設された「いりふね保育所」が有りますが、明治の栃木営業便覧を見ると、「栃木商業会議所」とか「栃木社交俱楽部」「東京興信所栃木派出所」などが有った場所に成ります。
入舟川2.jpg寶橋下流側.jpg
(寶橋から上流側を望む。右手前が保育所)(寳橋下流側は個人の敷地内を流れる)
寶橋の下流側橋詰に周りを黒く塗った土蔵が建っています。入舟川はこの橋の下流側で個人の敷地内を流れる事から、川の上にも金網のフェンスが設けられています。明治期の地図や営業便覧等にも出ていた水車がこの辺りに有ったものと思われます。
現在土蔵の屋根に載る「鬼瓦」やその前を飾る「ハナブカ」に付けられた屋号紋を確認すると、「カネジャクに漢字の井」の紋が付けられています。
井上邸(入舟町)鬼瓦.jpg井上酒店屋号紋jpg.jpg
(入舟川沿い、土蔵の屋根の鬼瓦についている屋号紋)
私が確認をしている範囲では、栃木の旧市内にてこの屋号紋を使っている店舗は、2軒のみです。1軒は万町交番前の「櫻井源右衛門商店」、そしてもう1軒は倭町に以前店舗を構えていた「井上酒店」です。
自慢焼で有名な「富士屋」さんの右隣りの店舗(現在は「MORO craft」さん)の屋根の上、箱棟の部分にこの屋号紋が付いています。それを挟むように「堺屋」の文字が付いていますが、酒類商「井上商店」の名残りです。
現在ここ、入舟川が流れる敷地を所有されている方を住宅地図にて確認してみると、「井上」と記載されています。入舟川は井上邸の庭の下を流れ、向きを東方向に変えて巴波川の合流しているのでした。ただ前記した様に明治40年発行営業便覧の中には、この地にあった水車には「田名網水車」の名前が有りました。そして、その頃井上さんはまだ大通り倭町に店舗を開いていました。いつ入舟町のこの地に移ったのか?そして、入舟川の事を地元の人達がなぜ「井上堀」と呼んでいたのか、今回理解する事が出来ました。

入舟川に架かる最後の橋「會橋」は、巴波川の右岸に沿った道路に架かっています。入舟川はこの「會橋」の下を流れた後、巴波川に合流します。
入舟川3.jpg
(昭和57年3月撮影入舟川、奥に見える橋が巴波川右岸を通る道路に架かる「會橋」)
上に掲載した写真は35年前の風景ですが、現在は手前の石橋も奥の「會橋」も、見られますが、対岸の建物は解体されて現在は更地に変わっています。
入舟川5.jpg入舟川4.jpg
(入舟川下流域、住居表示変更以前、湊町と入舟町の境と成った路地)(現在の風景)
入舟川は2年前の、2015年9月9日から10日の豪雨により大きな被害を受けています。写真に写る石橋は残りましたが、護岸はかなり荒れ、川の中には今も沢山の土砂が残っています。
栃木のひとつの風景ですが、「入舟川」を巴波川と旧県庁堀漕渠と絡めて保存したいと考える、河川と橋です。
最後にこの入舟川の流域周辺を概略図に描いて見ました。
入舟川流域概略図.jpg

ツバメ、本日無事巣立ちました [自然の恵み]

我家の玄関先に巣作りをしたツバメの家族、本日無事に全員巣立ちした様です。
ツバメの雛達も、最近はたっぷりと親ツバメの運ぶ餌を食べて、すっかり体が大きく成って来ています。
私が急ごしらえで作った仮の巣にもすっかり慣れ、巣の中で羽をつくろったり、羽ばたきの練習をしたりして、巣立ちの準備を始めている様でした。
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(仮の巣の中でスクスクと育っているツバメの雛達)
5羽の雛の中でも最初に孵化した雛と、最後に孵化した雛とでは、やはり成長に差が有る様で、もう何時巣だっても羽ばたけるよう、巣の縁にとまって遠い空を仰ぎ見ている、親と見違える大きな体のツバメから、まだ巣の中で親ツバメに大きな口を開けているツバメもいます。
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(仮の巣の縁に止まって巣立ちを待つ雛)

昨日、暫らくツバメの様子を眺めていると、ついに1羽の雛が巣から飛び立ちました。暫らくすると別の雛も羽をばたつかせて、後を追って飛び出しました。
巣から落ちる様に飛びだったので、外に出て見ると玄関に糞受けで置いていた箱に1羽、そして隣りの家の車庫の屋根に1羽の姿が有りました。
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(巣を離れた雛達)
近くの電線に止まっている親ツバメでしょうか、盛んにさえずって子供達の巣立ちを促している様に見えました。3羽目も思い切り飛び立ちました。それでも我が家の玄関先で飛び回っている様で、玄関のドアの上に止まって休んいる姿も確認出来ました。
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(近くの電線に止まり子供を監視している親ツバメ)(巣から離れた雛、まだ巣の中にも)
昨日は夕方には又、巣の中に5羽のツバメの姿が確認されました。夕方雷雨が発生したので戻って来たのか、まだ巣立てない雛もいるので、全員が飛び立てるまで待っているのか。

今朝早く巣の様子を確認すると、巣には1羽のツバメしか残っていません。他のツバメは早朝から外を飛び回っている様です。最後の1羽もすっかり体は出来上がっている様です。いつ飛び飛び出そうか踏ん切りが付かないのか。私は心の中で呼びかけました、「飛べ!」「飛ぼう!」と。するとその願いが通じたのか最後のツバメが目の前から飛び立ったのです。
後には、かっらっぽに成った段ボール製の仮の巣が残りました。箱の中には巣が落ちてしまった時、雛達や親ツバメが元の巣を求めるのではと、私が入れてあげた巣の残骸だけに成りました。
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(今朝、最後の1羽が飛び立つ前に)       (空に成った仮の巣)
その後、時々巣を覗いて見ると、もう1羽のツバメの姿も見られません。もう戻っては来ないのか、外に出て見ると、時々巣立ったと思われるツバメの姿が、我家の玄関先を出入りするように飛び回っています。まだ名残りを惜しんでいるのか、私の頭の上も飛び回っていました。
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(我家の玄関近くを飛び回る巣立ちのツバメ達)

今日の夜はもう巣に戻ってこないのか、もう少し様子を見たいと思っています。

おやま田んぼアート2017を見て回りました [自然の恵み]

今日、小山市で今年も行われている「おやま田んぼアート2017」の作品を見て来ました。
今年は新たに「乙女会場」が加わって、4つの会場と成りましたが、栃木から見て回る場合、「乙女会場」は、「渡良瀬遊水地会場」から「絹会場」への移動途中に寄る事が出来る為、走行距離的には変わりませんでした。
最初に向かった「渡良瀬遊水地会場」は、栃木からは沼和田町から南へ県道153号を走り、南小林から県道174号を更に南下して小山市大字白鳥を進み、与良川沿いの細い道を真直ぐ渡良瀬遊水地方向へ、与良川排水機場の脇から遊水地の堤へ登り、生井の桜つつみへ。ここが最初の目的地「渡良瀬遊水地会場」です。
堤の上から北側に広がる田んぼに描かれたアートを、指示された場所に立って見ると、田圃の中に人の顔が描かれています。近くに立てられている説明板によると、中央に大きく描かれている人は、サッカーの本田圭佑選手です。
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(渡良瀬遊水地会場田んぼアート全体)
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(アート部分)
次は思川の右岸に沿った道を北上、大字網戸で東に折れ、網戸大橋で思川を渡り、橋から真直ぐの道が大きく右にカーブする所、道路の右側に有る建物の塀に沢山の子供達が描いた絵画が並んでいます。「間々田市民交流センター」です。この道路の左側に2番目の目的地「乙女会場」が有りました。
こちらの会場の田んぼアートは、2016年11月に誕生したプロ野球独立リーグ「ルートインBCリーグ」の栃木県民球団「栃木ゴールデンブレーブス」のキャップマークのデザインが描かれていました。
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(乙女会場田んぼアート全体)
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(アート部分)
次の「絹会場」までは新国道4号線で北上、出井の交差点で県道214号に下りて東へ折れ、小山市東部工業団地を抜けると、道路沿いに田んぼアートの幟旗が沢山立っています。道路左側に大きな駐車場が有るのでそこで車を停めると、駐車場から東側に広がる田んぼに今年も鉄腕アトムの姿を見る事が出来ます。会場の西側の木立の陰が既にアートの下側迄迫って来ていました。何とか3番目の田んぼアートも写真に納め最後の「美田会場」に移動します。
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(絹会場田んぼアート全体)
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(アート部分)
「美田会場」は丁度栃木へ戻るルートに成ります。今回は思川に掛かる「島田橋」を利用して、思川右岸に戻り最初の信号の交差点を右折してそこから両毛線の下を潜って行きました。このルートは道路が狭いのでチョッとハラハラしながら車を走らせました。「美田会場」は両毛線の思川鉄橋の直ぐ北側に有ります。思川右岸の土手の上から西側に広がる田んぼに描かれていたアートは「弱虫ペダル」と言う自転車ロードレースに全てをかける高校生たちが、仲間と共にインターハイ優勝を目指す姿を描いた、今もっとも熱いスポーツ漫画だそうです。
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(美田会場田んぼアート全体)
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(アート部分)
無事に4つの会場の田んぼアートを見る事が出来ました。稲の成長の具合も丁度いい時期だったと思います。楽しく観賞する事が出来ました。

ハスの花とスイレンと(つがの里にて) [草花]

毎週金曜日の朝刊に折り込まれる「栃木南部よみうりタイムス」の案内板のコーナーに、「つがの里ハスまつり」の記事が載っていました。
≪約1000株3000本の池を埋め尽くす可憐なハスの花が次々と咲き、初夏を彩る。≫そして、≪ハスは朝早くに咲き、お昼を過ぎると閉じてしまうので、朝早くから午前中の来園がおすすめ。≫
それではという事で、8時過ぎに家を出発し、「つがの里」に向かいました。
ハス池には既に大勢の写真愛好家と思われる人達が三脚を構えて、思い思いの構図で薄いピンク色の大きなハスの花を、写真に収めています。
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私も早速ハス池の周囲を廻ったり、池の中を縦横に掛けられた木道の上を歩いたりして、花の形が整っているものや、光の具合、背景の状況などを吟味しつつ、気に入ったアングルで、ハスの花の咲く風景を切り取って、カメラに収めて行きました。
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まだ午前9時前後でしたが、太陽の光が照り付けて、ジッと写真を撮っているだけで、体中から汗が噴き出てくる暑さです。
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新聞記事に有った「つがの里ハスまつり」は、明日8日と日曜日9日の2日間に開催され、ステージでは色々なイベントが行われる様です。天候の方は今日以上に暑くなる気配です。それでもうすピンク色の可憐なハスの花を見ていると、心が和んできます。
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ハス池には水連の花も沢山咲いています。又、池の周りには白や紫のアジサイの花も見られました。
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ツバメ、仮の巣からチョッと朗報 [自然の恵み]

昨日、玄関先で床に落ちたツバメの巣、そして5羽の雛達。
急いで仮の巣を、段ボール菓子箱で、玄関灯の上にガムテープで固定して、雛達をそっと移してあげた。
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昨夜、台風か通過すると言う予報で、仮の巣で心配しましたが、今朝巣の中を確認すると雛達が、体を寄せ合うようにじっとして居ました。無事だったようです。
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以前の様に元気に親ツバメからの餌を食べる事が出来るのか気に成りましたが、その心配も直ぐに払しょくすることが出来ました。
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親ツバメも次第に仮の巣にも慣れ、当初は巣に止まらずに空中から雛に餌を与えていましたが、段ボール箱の縁に止まって、雛達に餌を与えるようになって来ました。
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床に落ちた時に元気の無くなった雛が居ましたが、今日良く確認すると、5羽とも大きな口を開いて、親ツバメから餌を貰っていました。
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親ツバメもあきらめずによく面倒を見ています。
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私も、このツバメの雛達が、元気で巣立つ事が出来る日を自分の孫を見る様な気持ちで見守っています。夕方に成って風が強く吹く様に成って来ています。今仮の巣が風で飛ばされないか心配です。ガムテープで補強をして来ました。

ツバメの巣が落下 [自然の恵み]

今日、可哀相な事態が発生しました。
午前中まで順調にツバメの育雛が見られていましたが、午後に玄関のドアを開けたところツバメの巣が床に落ちているのを発見しました。
以前にも同様の事が起きていたので、今年は無事に巣立ってくれることを願っていましたが。心配が現実に成ってしまいました。なぜ巣が落下してしまったのか。壁と巣の接着力が弱かったという事なのでしょうが、親ツバメはどう思っているのでしょうか。これまで落ちなかったのはまだ雛が小さかった為で、日に日に成長して大きくなってきて、巣の中でも行動が段々激しくなってきた事で、保持力の限界をオーバーしてしまったと、考えるのが妥当なとこと思われます。
落ちた巣の周囲に、まだまだ成長途中の雛の姿が有りました。近づいて見るとまだ生きている様だったので、とりあえず段ボール製の菓子箱を用意して雛を1羽ずつ箱の中に移し換えました。その時羽をバタバタさせる雛や、もう元気無くしている雛も有りましたが、玄関灯の上に載せて、ガムテープで落ちないように固定しました。
あとは、親ツバメに委ねるしか有りません。
暫らく様子を伺っていると、親ツバメらしき2羽が玄関先まで飛んできては引き返す様子が暫らく続きました。それでも何か警戒している様で、なかなか段ボール箱に近づいてくれません。もう育雛をあきらめてしまったのでしょうか。そのうちに何とか新しい巣の中に居る雛に気付いて、近づく様になりました。
巣の中の雛の中でまだ元気の有る雛2羽が頭を伸ばしているのが確認出来ました。5羽の雛はどうなるか不安ですが、私にはこれ以上どうする事も出来ません。
出来れば5羽すべてが元気を取り戻してくれればと願っています。
<午前中まで元気な姿を見せていたツバメの雛達>
元気に餌をねだる雛たち.jpg
(巣から大きく頭を出して、餌を欲しがっている雛達)
雛たちも暑さでぐったりか.jpg
(巣の外に頭を垂れて、まるでこの所の暑さでまいっている様な雛達)
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(良く食べてる為か、頻繁に巣からお尻を出して糞をする雛達。親ツバメも慌てて避けている)

ツバメ育雛中 [自然の恵み]

7月に入って、ツバメの雛はますます食欲旺盛です。
これまでは、親ツバメの居ない間はジッと巣の中に隠れる様に姿を見せなかったのですが、ここに来て体が大きくなって来たせいか、隠れていても巣から頭が出ています。
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時折待ちきれないのか、突然大きな口を開き、頭を上に突き出しています。1羽が口を開くと他の雛も負けじと口を開けています。
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しかし、親が姿を見せないと又暫らくおとなしく巣の中に頭を引っ込ませます。見えてますけれど。
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最近は雛も大きくなって来たせいか、鳴き声もだんだん賑やかになって来ました。親ツバメが餌をくわえて巣に戻って来るとみんな必死に口を開けて、餌をねだっています。
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親ツバメは、大きく開けられた雛の口の中に、食べ物を押し込んでいます。
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2羽の親ツバメが次々と餌を運んできては、それを雛達に与えています。その度に雛が一斉に口を開けて要求していますが、親ツバメはどうやって餌を与える雛を決めているのでしょうか。
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親が居なくなった後も雛達はまだまだ満足できていない様で、盛んに口を開けて、餌をせがんでいます。
待っている間も巣の中で雛達はまるで「押しくらまんじゅ」をする様にして、自分のポジションを餌を貰い易い場所となるよう活動している様です。
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確認すると雛の数は、5羽と思われます。体も大きくなり、鳴き声も大きくなり、食べる量も増えて来た様で、玄関先の床の上に、掃除をしても直ぐ又、糞が沢山落ちる様になって来ました。雛達も躾が良く出来ているのか、巣の中に糞をせず、巣の外にする様です。ツバメの雛8.jpg
玄関先なので、1日何度も掃除をしなければなりません。それも後僅かの事と諦めています。5羽の雛が一緒に巣立つ日が楽しみです。

マンホールカード収集、千葉県へ [コレクション]

今日は千葉県マンホールカード収集に、行ってきました。
これまでに栃木県(4枚)と福島県(5枚)・茨城県(4枚)・群馬県(4枚)のマンホールカードは全て手に入れました。埼玉県は17枚中所沢市と埼玉県流域下水道公社中川支社(三郷市)、そして現在配布が終了している越谷市の3枚が未入手と成っています。現在は近県の収集が進んで来た為、さらにその先に足を延ばさなければならなくなりました。
先日は新潟県で発行されている3枚(小千谷市・新潟市・村上市)のカードを収集する計画を立てて、関越自動車道を北に走りました。ところが関越トンネルを抜けたところ、天候が一変して雨が強く降って来た為、手前の小千谷市のマンホールカード1枚だけを収集して引き返してきました。
小千谷市.jpg錦鯉の里.jpg
(新潟県小千谷市のマンホールカード)(カードを受け取れる「錦鯉の里」見学して来ました。)
今回の千葉県には現在5枚が発行されていますが、地域的には千葉県の北西部、東京近辺に集中している事から、一気に収集する計画で出発しました。千葉県の5枚は船橋市・習志野市・鎌ヶ谷市・柏市、そして現在配布が終了している市川市。市川市以外の配布箇所は平日しか配布していない市役所内の下水道関係部署の窓口等に成っています。お昼休みにぶつからないように、11時30分に家を出発しました。
最初は埼玉県でまだ収集していなかった三郷市にある「埼玉県流域下水道公社中川支社」に寄りました。13時に現地到着、広い構内に入り、配布所の有る管理棟へ。ロビーには下水道関連のPR展示がされています。これらは他の流域下水道公社にも共通して見られますが、下水道施設のはたらきを説明した展示がされています。
流域下水道三郷.jpg「下水道のしくみ」説明用模型.jpg
(埼玉県流域下水道公社中川支社にて入手)(下水道のしくみを説明する処理施設の模型)
次は船橋市へ移動したのですが、カーナビを頼りに車を運転して行きますが、ナビが指定するまま走らせると首都高速銀座線へ、半信半疑で車を走らせました。途中で誤って首都高から降りてしまいました。それでも賢いカーナビは的確に私に指示を出してきます。何処を走っているのか分からないまま、京葉道路を走り14時25分には、きちんと船橋市役所前に到着をしました。ここで千葉県最初のマンホールカードを入手しました。
船橋市.jpg柏市からくり時計.jpg船橋市1.jpg
(千葉県船橋市マンホールカード)(市役所前でカラクリ時計見学)(船橋市のマンホール蓋)
次に向かうのは習志野市です。15時10分に「習志野市役所都市環境部下水道課の窓口でカードを受け取りました。
習志野市.jpg習志野市1.jpg
(習志野市のマンホールカード)       (習志野市配布所近くの風景)
そこから16時15分に鎌ヶ谷市役所にてカードを頂き、急いで最後となる柏市市役所分庁舎1へ移動。配布終了時間の17時15分前に何とか到着、本日5枚目のカードを受け取ることが出来ました。
鎌ヶ谷市.jpg柏市.jpg柏市1.jpg
(鎌ヶ谷市のマンホールカード) (柏市のマンホールカード)  (柏市のマンホール蓋)
今日の走行距離は268キロメートルに成りました、さすがにチョッと疲れました。
1日で5枚のマンホールカードを収集出来たのは初めてです。今回頑張ったので、これで収集したマンホールカードは37枚に成りました。現在全国で170枚が発行されています。8月には第5弾として新しいカードが発行される筈です。
これからの収集は更に遠方に移って行きます。これからは1枚1枚じっくりと収集して、その土地の観光を楽しもうと考えています。
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