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今日の1枚(旧日光例幣使道の一点景、栃木市西方町) [石碑]

栃木市の市街地中央を縦貫する、旧日光例幣使道を北に向かう。合戦場宿から升塚を過ぎると街道沿いの家並みも途切れてくる。現在の街道筋は更に真直ぐ北上して家中の街中を抜けているが、元の例幣使道は升塚から家中に入った後、家中下新田の旧道沿いに祀られている「後生車地蔵堂」の前を過ぎ、更に現在の街道筋を横切る形で、そのまま北北西方向に直進、東武日光線の線路を越え、現在の家中の集落の西側を迂回するようにして北上、橋本で少し向きを東に変え、北北東へ進んで行き、橋本の北で現在の街道筋に戻り、北関東自動車道の下を潜って、上新田の集落を抜け西方町へと入って行く。
西方町金井弥八内辺りに来ると、東側を流れる思川に阻まれる形で、少し西に向きを変え、思川の右岸に並行して北北西方向へ。
暫らく進むと西方町金井の和久井集落に入る。街道を細い水路が東側から西側へと流れている。その水路の手前、街道の右脇に石の鳥居が一つ建てられている。石製の神額には「琴平神社」と刻されている。境内に入ると境内の北側に先ほどの細い水路を背に三基の石造りの信仰碑が並んで建っている。
今日の一枚はこの三基の信仰碑が建つ秋の農村の風景です。
P1360641.jpg
写真左から「庚申塔」「勝善神」「白雲山」と刻されているのが読める。
「庚申塔」は栃木市内でも多く見られる信仰碑です。中央の「勝善神」の碑は調べてみると、馬の安全や健康を祈ったり、死馬の冥福を祈って建てられる「馬頭観音」碑とは異なり、馬の産地において名馬の誕生を祈願する信仰碑と有ります。ただこの石碑は昭和十二年十月の建立、上部に「日支事變徴馬」と有り、この年の7月7日の盧溝橋事件に始まった日中戦争に徴用された馬の安全や健康を祈って建てられたものではないかと思われます。右側の背の高い「白雲山」と刻された信仰碑は文化14年(1817)2月吉日と有り、今から200年前の建立。
西方町史の中にこの「白雲塔」に関する解説が記されています。
≪白雲塔は鹿沼市周辺に40基近く見られる石造物(信仰碑)である。上毛三山のひとつ、妙義山に対する信仰と見られ、和久井の琴平神社に「村講中」の文化14年(1817)をはじめとして、町域に都合5基建立された。≫と、そして≪妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山の三峰に分かれ、北峰の白雲山に妙義大権現が祀られ、近世中期以降、妙義講は関東や甲州・信濃・美濃などに結成された、火伏せ・嵐除け・虫除け、あるいは雨乞いの神として崇敬された。町域では雹除けの祈願と思われる。麻作の初期管理でもっとも心配なのは、強い風雨に伴う雹害であった。丹精込めて育てた麻が、短時間で吹き倒される恐れが有ったからである。≫と。「白雲山」信仰はこの地域の重要な産業であった、麻の栽培から起こった独特な信仰碑である。
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東宇津間川(栃木市)の水路を求めて [栃木市の河川と橋]

栃木郷土史の中に安永七年(1778)三月 下野国都賀郡平柳村 星宮大明神之神主 林和泉守源宣安と記された古文書の内容を紹介して、≪東宇津間川も巴波川も水源地は河原田であって「しらじ沼」より発し、東宇津間川は合戦場南方二ツ橋下より田中坪を経て星宮神社を廻り、杢冷川に合流している。≫と記されています。
東武日光線合戦場駅の北西部、川原田町の北東部「白地沼」にその水源のひとつを持つ、巴波川は白地沼から南流すると、その左岸に合戦場方面より流れて来た桑原用水から分かれて来た流れのひとつが合わさり二股沼を形成します。さらにそこから南流した巴波川は「市営川原田東団地」の東側を迂回するように流れ、前野の南側で川原田地内から分かれ、大町へと流れ込みます。
巴波川分岐水門.jpg
(大町の最北部に造られた分流水門。現在は写真の右側を巴波川本流が流れています)
大町北部に入った巴波川はここで二つの流れに分かれています。南西方向への流れは粟野街道に向かい、新高瀬橋を潜った後粟野街道に沿って南流、栃木環状線の蟹田橋の下を抜けて栃木の市街地へと流れる巴波川本流となります。
一方分岐を南東方向に進む水路は鹿沼街道の二ツ橋の下を抜け、平柳町一丁目へと流れ込みます。
東宇津間川1.jpg二ツ橋.jpg
(分岐水門左側から南東方向への水路) (鹿沼街道に架かる「二ツ橋」の下を流れる)
平柳町一丁目の中央部を縦貫するように一直線に南流、栃木環状線を抜けかつてゴルフ練習場が有った場所から変わった住宅地の西側に沿って南流しています。その南側で平柳町の星宮神社境内の西側に沿って流れ
星宮神社1.jpg星宮神社2.jpg
(星宮神社境内入口左側に細い水路が認められる)(水路脇に建つ「花崗石橋寄付人標」)
その後再び南流をし、新栃木停車場線を抜け住宅街の中を平柳町一丁目の南端へ向かいます。
東宇津間川2.jpg東宇津間川3.jpg
(星宮神社南方住宅街を真直ぐ南流する水路が確認出来ます)
泉町との境界となる道路に沿って東に向きを変え、日ノ出町交差点にて宇都宮街道の下を潜って日ノ出町へと流れ込みます。
東宇津間川4.jpg
(平柳町一丁目と泉町との境界となる道路沿いを暗渠となって日ノ出町交差点方向へ)
東宇津間川5.jpg東宇津間川6.jpg
(日ノ出町の住宅地内を暗渠となって流れる)
町制50年を記念して昭和62年3月31日付にて発行された「日ノ出町史」によると、宇都宮街道と小金井街道とに挟まった場所は、昔は湿地帯で湧水による沼地が幾つも有ったことが記されています。この辺りにも「浅沼」や「深沼」と呼ばれた二つの沼が有ったが、今はどちらも埋め立てられてしまったそうです。私が現地を確認して歩いていた時、居合わせた地元の老人も、この辺りに二つ沼が有った話をしてくれました。
その後、小金井街道北側に有る杢冷川の水源となる用水堀に合わさって行きます。
東宇津間川7.jpg東宇津間川8.jpg
(小金井街道北側に残るプールの様に整備された用水堀)
先の「日ノ出町史」に依ればこの所にも「丸沼」「中沼」「足袋沼」という三つの沼が有ったと記されています。現在は用水堀には地下水が汲み上げられて、綺麗な水が貯えられ、大きな鯉が何匹も遊泳しています。

又、小金井街道の南側、現在日ノ出町公民館が建つ場所にも、「三角沼」と呼ばれた沼が有ったと記されています。

こうして巴波川から分かれ、大町北側から平柳町一丁目、日ノ出町と辿って来たこの水路の流れが、先の古文書に記された流れに合致していることから、この巴波川からの分流こそが、東宇津間川であると思われます。
勿論流路は時代の変化に伴い多少変化をしています。特に平柳町一丁目の流域は、昭和4年4月の東武日光線開通もあり、東側の東武日光線の線路と西側日光例幣使街道との間に挟まった地域は昭和の初めに大きく姿を変えています。
大町大杉神社境内南東隅に大きな石碑が建てられています。
耕地整理記念碑(大杉神社境内).jpg碑陰.jpg
(栃木市大宮村耕地整理記念碑)  (碑陰には「紀要」が刻されています)
この石碑の碑陰に刻された「紀要」を読むと、大正15年1月工事着手、昭和7年3月工事完了と記されています。万町交番の所から北に抜ける、「北関門道路」もこの時に完成開通をしています。

開発に伴い流れを変え、暗渠となって私達の視界や記憶から消えて行こうとしていますが、かって平柳村や大杉新田等の水田を潤した東宇津間川の水路は今も雨水や生活排水などを受け入れてます。


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マンホールカード、又、一枚ゲット出来ず。 [コレクション]

この三連休の初日、久々に天候に恵まれたので、マンホールカード収集のドライブに出かけました。今回の目標は第5弾にて発行された福島県、「二本松市」と「桑尾(こおり)町」の2枚です。
栃木から東北自動車道を走らせて、最初の目的地「福島県二本松市」へ。二本松駅前の駐車場に車を停めて、配布場所となっている近くの「市民交流センター」へ。
「ほんとの空」の像.jpg二本松駅前親水公園.jpg
(二本松駅前近くに建つ「ほんとの空」像)(駅の北側を流れる「六角川」親水公園)
ところが配布所窓口の手前に「マンホールカードは配布を終了しました。」の掲示がされていました。
以前にも埼玉県越谷市のマンホールカードを貰いに行った時、配布窓口で「配布は終了しました。」と告げられました。家に戻ってから「GKP」ホームページを確認すると確かに「配布終了」と朱文字で記されていました。(その後、配布が再開されてたとの掲示がインターネット「GKP」のホームページに出たのを確認、再度出かけて無事入手済です。)
その後は、朝出かける前に必ず「GKP」ホームページで「配布終了」に成っていないか確認する様にしてきました。今回の二本松市の場合は「配布終了」では無く、「残少」となっていましたので、もしかしたら一足違いで「配布が終了に成るかも知れない」との心配も有りましたが、まさか本当に「配布終了」に成っているとは。
二本松市1.jpg二本松市2.jpg二本松市3.jpg
(駅前周辺で見つけた二本松市のマンホール蓋、カラーマンホールは次の機会に)
悔やんでも仕方ないので、気を取り直して次の「桑折町」へ向かいました。
桑折町のマンホールカードは無事にゲットする事が出来ました。
桑折町マンホールカード.jpg桑折町(カラー).jpg桑折町1.jpg
(桑折町のマンホールカード)(配布場所前に設置されたカラーマンホール)(通常の蓋)
マンホール蓋のデザインとなった「旧伊達郡役所」、建築されたのは明治16年(1883)10月との事。現在は重要文化財に指定されている擬洋風建築です。この建物を見られただけでも、今回は十分に成果が有りました。
元伊達郡役所跡.jpg
(重要文化財、旧伊達郡役所)
連休明けの今日、「GKP」のホームページをチェックしてみました。二本松市のマンホールカードは「配布を終了しました」に更新されていました。
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久しぶりの太平山(栃木市) [歩く]

今日、ほんと久しぶりに太平山(おおひらさん)を歩いて来ました。最近は平らな所を歩くのは、それほど苦に成っていないウォーキングですが、登り坂はかなり負荷が掛かるのか、直ぐに息が切れてしまいます。
今回は、車で太平山神社表参道を、六角堂前の駐車場まで登り、そこをスタート点として太平山神社拝殿前まで表参道を登りました。
駐車場から六角堂まで距離として100メートル足らず、比高は僅か15メートル、ここで早くも自分の体が重く感じて来ます。先が思いやられます。
表参道1.jpg
(太平山神社表参道、あじさい坂登り口。赤い幟は連祥院六角堂)
太平山神社拝殿前の標高は約260メートル、駐車場は約100メートルですから、比高は約160メートルです。登り始めの通称「あじさい坂」は自然石を敷き詰めた路面で、足を置く場所に注意しつつ坂を登ります。
表参道2.jpg
(6月中旬から7月上旬にかけて参道の両側はアジサイの花で溢れる)
あじさい坂を半分以上来た辺りで、これまでは道路から少し奥に入った場所に有った、田村律之助の台座に載った胸像が道路脇移動して建てられていました。
この田村律之助の胸像については、このブログの2015年11月19日に紹介をしています。
そこから少し登ると青銅製の大きな鳥居の前に出ます。太平山神社の表参道には幾つかの鳥居が建てられておりますが、大きなものとしては永野川の二杉橋を渡った西の橋詰に参道を跨ぐ様に建つ大きな鳥居が、神社の「一の鳥居」と言えるか、そしてこの鳥居が「二の鳥居」となるのでしょうか。「神額」の文字は「太平宮」です。
田村律之助胸像.jpg太平山神社二の鳥居.jpg
(田村律之助胸像)         (参道の中腹に建つ青銅製の鳥居)
鳥居の右側を迂回する参道を進むと驚きです、鳥居の裏手の位置に有った朱塗りの「神橋」の姿が無くなっているのです。恐らく2015年9月10日に発生した豪雨の被害で「神橋」も破損してしまったのでしょう。傍らに今もその残骸が残っていました。あの時の豪雨の影響でこの「あじさい坂」も大きな被害を受けて一時通れなくなっていましたが、「神橋」も被害を受けていたとは知りませんでした。この朱塗りの「神橋」も太平山神社表参道のひとつのシンボルでした。少しでも早く復旧して、再びその優雅な姿を見せて欲しいと思います。
神橋跡.jpg神橋(1981年).jpg
(神橋は2年前の豪雨被害により姿を消した) (1981年に撮影した朱色鮮やかな神橋)
神橋の上の水屋では、パイプから勢いよく水が吹き出し、「太平山」と大きく刻した盥漱石から溢れ出しています。ここまで「あじさい坂」を登って来ましたが、坂道の脇を勢いよく音を発てて流れ落ちていた水は、ここから流れ出していた様です。参道はこの先のご神木を回り込む様に続いています。
手水舎1.jpgご神木.jpg
(御水屋の盥漱石から水が溢れる)         (天を突く様にそびえ立つご神木)
ご神木を回り込んだ右手の石垣の前に、「水戸天狗党太平山本陣跡」の案内が建てられています。この角を曲がった先から、太平山神社本殿前に続く本格的な石の階段が現れます。この一直線に登る石段、途中休み休み息を整えながらい、一段一段足を運んでいきます。水戸天狗党太平山滞陣跡1.jpg表参道3.jpg
(水戸天狗党太平山本陣跡)   (太平山神社本殿前まで一直線に続く石段)
石段の途中で、自動車が通行する遊覧道路を渡り、その先に建つ朱塗りの隨神門を潜ります。
随神門.jpg
(遊覧道路と表参道との交差部に建つ隨神門)
門を潜ると再び目の前に石段が上へと続いています。ここもただ一歩一歩、重い体を上に運びます。本殿前から一段下がった場所に、又、大きな青銅製の鳥居が有ります。私的にはこの鳥居が「三の鳥居」だと思っています。太平山神社のホームページに掲載されている境内案内にはそのような事は記されていませんから、これは私の私的な思いです。なお、この鳥居の神額の文字は「三光神社」となっています。
表参道4.jpg三光神社神額.jpg
(隨神門の先に続く石段、その先に本殿が覗く) (三光とは日・月・星のことです)
石段をやっとの思いで登りきると、目の前に太平山神社の拝殿が現れます。まずはお参りを済ませます。
太平山神社拝殿.jpg
(太平山神社拝殿)
神社の境内を少し散策、東側の見晴台から栃木市の町並みを眺め、我家の場所を確認します。
太平山神社境内.jpg
(境内社のうち手前の星宮神社の建物は、明治以前の神仏混合の名残りです。)
神社境内から謙信平の方向に移動します。謙信平にはまだ陽射しが残って、一部色付き始めた紅葉が迎えてくれます。
謙信平の紅葉.jpg
(謙信平では一部紅葉が始まっていました)
謙信平の先の駐車場からは太平山の南側が開けて、遠く東京方面まで展望出来ますが、今日は霞んで良く見えませんでした。
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(中ほどに見える流れは「永野川」、新しく立て替えられた大平中学校や磯山も望めます)
謙信平からの展望1.jpg
少し南西方向には太平山から続く岩船山、その奥には三毳山が望めます)
下りは「少年自然の家」から「つつじ園」の方向に歩きました。
つつじ園を下る.jpgつつじ園を下る2.jpg
(つつじ園の有る下り道)
途中、木々の合間から北東方向、錦着山周辺に光が射してハッキリと確認出来る様になりました。遠く地平線に見える建物は、壬生町羽生田に新しく現れた「ファナック」の工場の様です。
つつじ園からの展望.jpg
(つつじ園途中の木の間から見えた展望)
時折登り降りする自動車に注意して、六角堂前の駐車場に戻って来ました。出発してから丁度一時間のウォーキングでした。最初の20分間はひたすら登りで苦しかったですが、神社にお参りしたり、展望や紅葉などを楽しみながら歩く事が出来ました。本日の総歩数は6,501歩でした。
太平山案内図.jpg
(六角堂前駐車場に建つ、「太平山案内図」です。)
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雨の中、栃木市ウォーキング大会に参加してきました。 [歩く]

先週と同様に、台風22号接近により前線が刺激され朝から雨の一日と成りました。
今日は「第5回来て見て歩こう、あったか栃木市ウォーキング大会に参加をして来ました。第1回から30キロコースを歩いて来ていましたが、年々歩くのがつらく感じられて来ていたので、今年は申し込みが少し遅くなり、覚悟を決めて申し込みに行った時には、30キロコースは定員オーバーに成っていました。という事で今年は、渡良瀬遊水地内を歩く11キロのコースを歩く事にしました。
朝からの雨で少し参加を躊躇しましたが、電話で確認をすると「開催します」との回答。早速会場となる「藤岡総合体育館」へ。会場に着くと駐車場に入る車で渋滞。こんな悪天候でもみんな参加してくるものだと感心してしまいます。
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(雨と言う悪天候にも関わらず、集合した参加者)
8時から出発式、鈴木栃木市長の挨拶から、本日のスペシャルゲスト「ワイルドだぜぇ!」のスギちゃんから激励の挨拶などが有り、8時20分から30キロコース、20キロコース、そして11キロコースの順に出発となりました。
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(挨拶をする鈴木俊美、栃木市長)      (今回のスペシャルゲスト「スギちゃん」)
スタートゲートで市長やスペシャルゲスト「スギちゃん」に見送られていざ雨の中を傘を差して出発です。
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(鈴木市長による号砲で出発する参加者)
体育館の裏手から渡良瀬遊水地の土手の上の道を南へ歩き、北エントランスへ向かう。
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(渡良瀬遊水地を囲む土手の上の道へ)
旧谷中村合同慰霊碑の南、渡良瀬遊水地北エントランスから遊水地の中に入って行きます。
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(土手から降りて渡良瀬遊水地の中へ)
気が付くと、出発ゲートで私達を見送ってくれた「スギちゃん」が前を歩いています。横に並んで「こんにちは」と声を掛けて、暫らく話を交わしながら歩きました。
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(雨の中、合羽を着て歩く、今回の特別ゲスト「スギちゃん」)

2年前に小島よしおさんがゲストの時も雨だった事、昨年はモデルの石川恋さんと言うと、プロゴルファーの「石川遼」さん。とチョッと聞き違いされた様なので、ビリギャルの本の表紙に載った女優さんですと説明。少し考えた後「あの美しい方ですか」と分かった様。地元の出身なんですよ。と付け加えた。
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(第三回ゲスト、「小島よしお」さん) (第四回ゲスト、「石川恋」さん)
その後「スギちゃん」が「足が痛くなった」と言うと、周りの人から「ワイルドじゃないぜぇ!」と冷やかされていました。そこで「スギちゃん」と分かれて先へ。
谷中湖の北西部で周囲を回る道路に突き当たる、そこを左に折れて谷中湖を時計回りで回る格好で北水門方向に歩いて行く。
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(右手に谷中湖を見ながら歩く)
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(谷中湖の北水門の脇を歩く)
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(谷中湖河畔の木々も秋色に色付いています)
ハートの形をした谷中湖の、ハート形の上部の凹んだ付近で、谷中湖から離れる。
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(ハート形の谷中湖周辺の案内板)
旧谷中村役場跡などの有る「谷中村史跡保全ゾーンを真直ぐ北に抜け、西谷中橋を渡って、ヨシ原浄化ゾーンへ。
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(雑木の奥にヨシ原が広がっています。)
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(西谷中橋を渡る。遊水地を一望できるウォッチングタワーも通過)
遊水地を東西に横断する道路を東の方向に進み、谷中橋を右に眺めながら、遊水地内を北西から南東に流れる渡良瀬川に架かる新赤麻橋の西橋詰から、渡良瀬川右岸の堤上の道を北西方向に遡る様に歩いて行きます。
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(現在は通行止めとなっている旧谷中橋を右手に見る)
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(新赤麻橋、西橋詰)
コースマップには「眺望good!」「一望Point」と案内が載っていますが、そこには一面に涸れた茶褐色のヨシ原が雨空に霞んで広がっていました。
途中から堤上の道から降りて、渡良瀬川脇の道を歩く。堤の上は風当たりが強く、下に降りてヨシ原に入ると少し雨傘を叩く雨も和らいだ感じになりました。
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(渡良瀬遊水地内は色んな構造物が設置されています。)
前方に見えてきた堤を越えた所が、9キロポイントです。残りは後2キロ、頑張ろう。
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(もう直ぐ9キロポイントとなる土手越え)
藤岡運動公園内の木々も色付き始めています。最近の雨の為落葉して、茶色の絨毯の様にも見えます。
この辺りには、子供の幼稚園の芋掘り後、土手で芝滑りをして遊んだ思い出が有ります。
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(落葉が絨毯の様です)
いよいよゴールゲートが見えて来ました。スタッフの方達が拍手をして迎えてくれます。「お疲れさま」と。
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(無事にゴールです。スタッフの方達が迎えてくれています)
ゴールの所で、ゲストの「スギちゃん」が出迎えていてくれます。いつの間に、私の前へ前へと先回りをしています。いつ抜かれたのか?さすがに「ワイルドだぜ!」
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(「スギちゃん」もゴールで出迎えてくれました。「スギちゃん」もお疲れ様でした。)
ゴール後会場に出店していたお店によって、パック詰めのお赤飯と饅頭とを買って、家路を急ぎました。

今日の総歩数は、17,345歩に成りました。
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(今回参加賞のピンバッチとコースに落ちていたドングリ)
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雨の日の紅葉三景 [自然の恵み]

昨夜から今日の未明にかけ大形で強い台風21号が関東地方を直撃するコースを進みました。昨日の夕方には注意を喚起する広報車が町の中を走っていました。2年前の9月、60年ぶりとも言われた栃木の大雨による洪水被害の悪夢が頭をよぎりました。
結果としては2年前の様な長く激しく降る様な状況に成らず、我家の脇を流れる河川も溢れるまでに至らないで済みました。朝の内はまだ小雨が残っていました、風も昼の間結構強く吹いてきてはいましたが、西から次第に青空が広がり、川の水位もみるみる下がって行きました。
久しぶりに顔を出した太陽、10月も下旬に入っているのに、今日まで何日間雨の天候が続いたのか。そんな降り続く天候の中、昨日紅葉狩りに出かけました。雨の日の紅葉も悪いものでは有りません。それは晴れた日に太陽の光を透過させて見る紅葉の鮮やかさには、敵うものでは有りませんが、シトシトと降る雨の中の紅葉も落ち着きが出ていました。
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(松原湖畔にて)
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(東沢大橋を望む)
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(山梨県立まきば公園にて)

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マンホールカードを求めて、新潟県村上市へ [コレクション]

先日、マンホールカードを求めてはるばる新潟県の村上市まで車を走らせました。
これまで収集したマンホールカードの枚数は50枚、栃木県の周辺県はほぼ手に入れました。ただこの8月1日に第5弾が発行されて、福島県は二本松市などが新たに加わった為、出来れば冬が来る前に収集して来たいと計画中。
今回向かった村上市も第5弾で山形県境に近い「勝木」が加わった為、2ヶ所でマンホールカードを入手して来ました。
村上市マンホールカード1.jpg村上市マンホールカード2.jpg
(今回入手した新潟県村上市のマンホールカード2枚)
栃木から「北関東自動車道」「関越自動車道」「北陸自動車道」更に「日本海東北道」を乗り継いで4時間、やっと村上市の市街地に到着。
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(新潟中央JCTにて「北陸自動車道」から村上方面、「日本海東北道」に入る。)
中条本線料金所.jpg
(日本海東北道・中条本線料金所を通過)
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(料金所通過後も無料区間の高速自動車道が続く。但し二車線対面通行道路)
最初の配布場所は村上市三之町に有る「村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)」。
三之町は村上城跡の有る本町の北西側、二之町に続く。近くに市役所も有る。
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(マンホールカードを配布する「村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)」正面入口)
「おしゃぎり」とは、村上市で呼ばれる「祭屋台」の事だと知りました。
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(「おしゃぎり会館」の隣りに有る国指定重要文化財「若林家住宅」の入口付近)
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(連子格子の建物も見られる、村上市肴町の通り)
村上市1(カラー).jpg村上市1.jpg
(配布所近くの道路に有ったマンホール蓋。色付けした方が絵柄がハッキリしますね。)

村上市のもう1枚は更に日本海沿岸を走る国道354号線で、40分以上北上しなければならず、復路の時間も考え早々に勝木に向けて出発をしました。次の配布場所は、「福祉センターゆり花会館」この施設では21時まえ配布してくれる為、時間切れの心配は有りませんが、今日中に自宅に帰る為には、そんなに時間的余裕は有りません。
村上市の市街地を出ると間もなく、車の前方が開けて日本海が現れました。
夕暮れの日本海1.jpg
(目の前に現れた日本海は穏やかな水平線をずっと広げていました)
そこからはずっと車の左手に日本海を見ながら走ります。燃料計を見ると残り3目盛、出発時満タンにして来たので、帰路を考えるとそろそろ給油をしておきたくなり、ガソリンスタンドを見付けながら目的地の勝木を目指しました。が、日本海沿岸の集落になかなかガソリンスタンドが現れてくれません。不安が広がって来ました。この先進んでガソリンスタンドが無かったら!ここは断念して村上市街地へ戻るか!
村上市街地から勝木まで片道約1時間。もし勝木まで行ってガソリンスタンドが無かったら。でもここまで5時間近く走って来てここで戻るのは、又来ればとは簡単にならない。何とかなる!と決めて勝木に向かいました。途中海岸線は「笹川流れ」と言う、国の名勝地となり奇岩が次々と現れて来ますが、気に成るのは燃料計。景色を楽しむ余裕が有りません。
ところが勝木の町に入るとこれ前の海岸沿いの町並みと違い、道路も広くなり配布地の「ゆり花会館」周辺にはコンビニや待望のガソリンスタンドの看板も遠目に確認出来ました。
まずはガソリンスタンドに向かい給油をして貰いました。そしてコンビニでトイレ休憩と食料の補給を行い。目的のマンホールカードを無事ゲットしました。
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(今日2枚目のマンホールカードを入手した、村上市勝木の「ゆり花会館」)
村上市2(カラー).jpg村上市3.jpg
(「ゆり花会館」近くで見つけた2種類のマンホール蓋)

帰路は来た道を引き返すことにしました。日暮れが迫って来ていましたのでもしかしたら、日本海に沈む夕日が見られるかもと言う期待と、来るときは燃料が気に成って景色を堪能できなかった事も有りましたから。
暫らくは日本海がオレンジ色に染まって行く景色を見ながら車を走らせていましたが、そうは良い事ばかりでは無く、ナビの画面に「前方に大雨の恐れ」の注意表示が突然現れ、黒い雲が増え残念ながら水平線に沈む夕日は見られません。暫らく行くと雨も降り始めてしまいました。
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(勝木からの戻りで、さっそく現れた大きな岩。「鉾立岩」です。)
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(水平線上に薄く見える島は「粟島」です)
日本海の夕日.jpg
(時間に余裕が有れば車を停めて、ジックリ日本百景の景色を写真に納めたかった)
日本百景とは1927年に指定されたもので、この新潟県の「笹川流れ」と同時に指定された栃木県の場所は、日光市の「中禅寺湖」一ヶ所です。

その後、雨の降り方はそんなにひどくはならず、「日本海東北道」を走る頃は雨も止んでいました。
復路新潟中央JCT.jpg
(北陸自動車道に入る「新潟中央JCT」を通過する頃は、辺りはすっかり暗くなっていました)
帰路はここから磐越道に入って、東北道で帰るコースも検討していましたが、まだ磐越道のこの新潟・会津若松間は1度も通った事が無い為、夜道は景色も見えず危険と思い、今回は往路のコースを戻る事にしました。無事家に戻ったのは夜の10時近くに成っていました。
新潟県はまだ新潟市と三条市のカードが残っています。次回来るときは磐越道を利用しようと考えています。
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日光例幣使街道「富田宿」を歩く [歩く]

今年も10月の声を聞いて、昼間のウォーキングも苦に成らない陽気になって来ました。
先日も久しぶりで「日光例幣使街道」の「富田宿」を歩いて来ました。
この街道は、私が若かった頃は栃木から佐野や藤岡方面に行くとき、必ず通る所でしたが、現在は「富田宿」の町並みの直ぐ西側を並行する形で、片側二車線の「富田バイパス」を通る為、この旧道を車で通行する事は無くなりました。
富田バイパス.jpg
すっかり交通量の少なくなったこの街道を、のんびりと周りの景色を眺めながら歩き、途中街道筋から脇道にも入り込んで、富田宿を満喫しました。
例幣使の一行が通った様に富田宿南の、古橋村(現在の栃木市岩舟町静和)との境界から歩き、宿内を南から北に縦貫して、北の宿外れで下皆川村(現在の栃木市大平町下皆川)との境界まで歩きます。
富田宿概略図.jpg
大平町が昭和57年3月31日に発行した「大平町誌」には、「富田宿」の項に≪富田宿が例幣使街道の宿駅となったのは、公式には正保三年(1646)からであるが、実際には元和三年(1617)徳川家康の霊柩を日光に埋葬する為、3月29日霊柩を奉護する行列がこの地を通行したときにはじまるということが出来る。≫と記しています。又、富田村の中を通過する往還の長さは「25町58間」(約2.83km)、そしてこの内富田宿を形成するのが「12町12間」(約1.33km)、宿の入口と出口にそれぞれ木戸が設けられた。としています。しかし現在街道を歩いても木戸がどの辺りに有ったのか記すものは何も有りません。
栃木県文化協会が昭和53年10月31日に発行した「栃木の街道」の「日光例幣使街道・富田宿」の中で、≪富田宿右手に薬師堂が有るが、ここが富田宿の入口で、往還には木戸が有った。≫と記していますが、現在は薬師堂が何処に建てられていたのか、確認出来ませんでした。
現在、岩舟町と大平町の境界付近を流れる小河川(河川名は上流の大平町側では「猿淵川」、下流の岩舟側では「静和川」)と呼ばれています。)に架かる橋(正明橋)を渡り、暫らく行くと右側に、小さな神社が祀られています。社殿前の鳥居は小柄で有りますが重量感の有る物。扁額等が無い為、神社名や祭神等は分かりません。その神社の先を進むと又街道の右側に火の見櫓が見えて来ます。この辺までに恐らく宿の入口となる木戸が有ったのでしょう。
富田宿1.jpg富田宿2.jpg
火の見櫓の脇を過ぎて150m程行くと、左に入る細い道が有り、その角に「真言宗豊山派 玉正寺」と大書した看板が建てられています。その脇に「富田坊玉正寺」と刻した古い石柱。ここから西に向かうと140m程、現在は富田バイパスの西側にその寺院は有ります。
「光明山持光院玉正寺」は大同二年(807)玄意法師の創立と云います。天正十九年(1591)徳川家康より朱印地10石与えられています。春には境内の梅や桜の花が咲き誇ります。
玉正寺1.jpg玉正寺2.jpg
歩を先に進めます。少し先に信号機の有る、少し広い道路と交差します。交差する道路は県道311号線(小山大平線)、右に曲って500m程行くと東武日光線の踏切となります。その踏切の直ぐ北側に「新大平下駅」が有ります。交差点の北西側角の家の門脇に「日光例幣使街道 富田宿本陣跡」と刻した石碑が建てられています。
本陣跡の碑.jpg富田宿3.jpg
先に掲示した富田宿の概略図ではこの場所は十字路では有りません。西に抜ける道は無く元は丁字路で、この突き当りに陣屋が有ったと思われます。
更に北上すると、道路左手に「八坂神社」が祀られています。
「八坂神社」は旧村社、主祭神は「素盞鳴命」。永享年間(1429~1441)、富田氏が中根に築城の折りに城内に牛頭天王を祀ったのを、寛永十七年(1640)現在の地に移したと伝えられています。(大平町誌より)
八坂神社.jpg八坂神社2.jpg
八坂神社を過ぎて更に北に歩を進めると、又道路の左側にポツンポツンと2棟モダンな洋風の木造建築の建物が現れます。最初の建物は「五月女醫院」、
富田宿4.jpg富田宿41.jpg
そして次の建物が「大平下病院」の文字が確認出来ます。
富田宿5.jpg富田宿51.jpg
これまでほぼ真直ぐ北に向かって進んで来た街道筋も、この大平下病院の辺りから緩やかな曲線を描いて、北東方向に向きを変えていきます。丁度カーブした辺りに左に入る細い道路が県道312号線(大平下停車場線)で、ここ例幣使街道からJR両毛線「大平下駅」前までの200m程の区間です。
富田宿6.jpg大平下駅.jpg
駅に入る丁字路を越えた所に、今度は通りの右手に連子格子の家なども有って、かっての富田宿の面影を伝えています。
富田宿7.jpg富田宿8.jpg
本陣跡の有った交差点から大分進んできました。そろそろ富田宿の出口の木戸が有った辺りに来ている筈です。残念ながら現在はその場所を記すものは何も有りません。すると前方の道路が急に広がる場所に出ます。街道の右手に朱塗りの堂宇が2棟建っています。街道近くに建つ二間四面、向拝付銅板吹きの屋根、最近塗り替えられたように鮮やかな朱色の堂宇。正面に「地蔵尊」と記した扁額が掲げられています。
その地蔵尊の手前で、道路から更に奥に入った間口3間・奥行き2間、同じく朱塗りの建物。正面に掲げられた扁額に「冨明山新田院 宗光寺」と記されています。時宗の寺院 開基は小山七郎左衛門宗光。沿革はこの寺は中世より時宗大本山相模国藤沢の遊行寺(元は清浄光寺)の末寺。かつて小山宗光は時宗を深く信仰していたので、永正二年(1505)この地に一寺を建立し、自分の名前をとって宗光寺と名付けた。(大平町誌より)
この場所の先で街道は異常に広くなっています。現在の道路は真直ぐに抜けていますが、明治初期の様子を表した「迅速測図」を良く観察すると。この場所で街道は少し筋違いになって右にずれています。これは私の勝手な予想ですが、この筋違いだった場所が、かって富田宿の出口の木戸が有った所ではないかと考えています。
富田宿地蔵尊.jpg富田宿宗光寺.jpg
そこから更に先に進むと、春には桜の花がトンネルの様になる桜通りの交差点を抜けた所、街道左手に朱塗りの鳥居が建つこじんまりとした社が現れます。鳥居の横に「樋下正一位稲荷神社」とした表示が有ります。
樋下正一位稲荷神社.jpg
その前を過ぎて暫らく進むと街道は再び県道11号に合流する交差点に出ます。この交差点の所で県道には行かず、そこから再び右手斜め前方に進む細い道路が、かつての例幣使街道に成りますが、その道路もその先は新たに区画整理された住宅街に変わり、かつての街道筋は無くなってしまいました。
現在県道の交差点から少し入った道路脇に忘れられたように、火口や傘など上部が落ちてしまった常夜燈が建っています。常夜燈の手前には一対の狛犬が残っています。
常夜灯の竿の部分と言うのでしょうか、正面に「太平山」、右側面に「日光山」、左側面「御神社」、そして背面には建立年月でしょうか「文政二皇紀己卯十一月」と刻されていました。文政二年は1819年に成ります。
この常夜灯の建つ位置は、富田村と下皆川村との境界に当たる所に成ります。
常夜燈1.jpg常夜燈2.jpg
ここでかつての富田村を縦貫する日光例幣使街道の南の古橋村の境界から、北の下皆川村の境界の区間を、ずっと見て歩きました。まだまだ分からない所が多い「富田宿」、また何時か歩いて見たいと思います。


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モロのフライはやっぱり美味しい [食]

今日の昼食は、ウォーキングを兼ねて外食にしました。月曜日は栃木の商店街は定休日とするお店が多い中、外食の候補と成っていた市役所前の「なすび食堂」が営業をしていたのでラッキーでした。
なすび食堂.jpg
当然このお店で頂く料理は、何と言っても「モロのフライ」を使った料理です。
「モロ」とはサメ肉の事ですが、私は子供の頃からモロのフライが大好きでした。
6月に食べた時は「モロフライ定食」だったと思いますが、少しボリュームが有ったので今回は「モロかつ丼定食」を注文しました。
モロかつ丼定食.jpg
やはりモロのフライは柔らかくて食べやすく、白米も美味しく最高です。ミニうどんも美味しく頂きました。それでもまだボリューム的には多い感じです。と言いながら食後のデザートとして「黒みつ寒天」も頂きました。
黒みつ寒天.jpg
カロリー取り過ぎた様なので、食後のウォーキングは何時もより頑張って歩きました。
今日の総歩数は、14,256歩でした。
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長沼川(栃木市)について [栃木市の河川と橋]

「長沼川」と聞いても、それが栃木市の何処を流れているか、御存じの方は殆ど居ないと思います。知っている方と言えば「市内の河川を管理されている専門の市職員」だけではないでしょうか。私もこの河川の名前を教えて頂いたのは「市役所の河川維持管理の窓口ですから。
「長沼川」は、現在の大町に有る「八幡宮」の西側60メートルの所、県道32号線を北から南に横断するように流れる水路です。
此の所には昔、「栃木の三名水」と称された「八幡水」が湧いていました。(他は杢冷川の水源「杢冷水」と、圓通寺境内の「独鈷水」。)
県道32号線として道路が拡張される以前は、この場所に「八幡橋」と言う橋が架けられていました。
1986年6月八幡橋.jpg
(以前の「八幡橋」、後方奥に写る煙突は「油伝味噌」に有った物、現在両方共無い)
以前はこの湧水池は縦に細長い形をしていた事からか、「長沼」と呼ばれていました。
「栃木市史」史料編近世や、「栃木郷土史」の巻頭写真に、天保七年、天保八年ころに作成された古地図が掲載されていますが、それらの古地図の中に「長沼」が描かれています。そして「長沼」から流出した水路が、現在の嘉右衛門町や小平町を流れ、最終的に巴波川に合流しています。
長沼川1.jpg
(天保8年の古地図を参考に「長沼」周辺の水路を表わしました)
古地図には「長沼」との記載は有りますが、水路には「長沼川」との記載は確認できません。この名称は昭和に成って河川管理を進める上で、管理上からその水路に名付けられたものと考えられます。
以前にも「長沼」に関しては、このブログにて書いていますが、その時には水路の名前はまだ確認出来ていませんでした。
今回「長沼川」として改めてその流路の風景を巡ってみましたので、紹介いたします。
長沼川2.jpg
(県道32号線より南側を望む。この辺がかって長沼の有った所に成ります。)
長沼川3.jpg長沼川4.jpg
(左の写真中央の道路は、栃三小と嘉右衛門町通りを繋ぐ道。正面奥の建物は油伝味噌店の石蔵等です。右側の写真は嘉右衛門町と小平町との境界を流れる「長沼川」)
長沼川5.jpg長沼川6.jpg
(上の左の写真は、以前有った小平保育園の北東部辺りを南流する「長沼川」。右の写真は妙唱寺の西側の墓地の中を貫流する「長沼川」です。)
長沼川7.jpg長沼川8.jpg
(上の左の写真は、妙唱寺墓地の南側「寺内歯科」の西側駐車場辺りを、暗渠化して南流し、住宅地の間を流れて行く「長沼川」。右側は巴波川左岸の翁島の北側のへりに沿って流れる「長沼川」。水路右岸は翁島の茶室に成ります。)
長沼川9.jpg
(最後の写真は、手前の巴波川に長沼川が落ち合う所に成ります。写真左側が翁島です。)
写真を撮っていると、巴波川からカルガモ2羽が、長沼川方向に泳いで行く姿が有りました。
今回辿った所は、長沼川の本流で水路もはっきりと確認が出来ましたが、先の天保七年の「小平柳村川東絵図」には、長沼の南端から水路は二方向に分かれています。今回確認しなかった流れは嘉右衛門町通り(旧日光例幣使街道)のひとつ西側を並行して走る道路に沿ってほぼ南流する様に描かれています。
現在も残るその裏通りには、暗渠化された水路が有り、翁島の東側で巴波川に合流する手前の先の本流にその落ち口を見る事が出来ます。
街の風景は大きく変わりましたが、栃木の街の中を流れる多くの水路は今も江戸の昔の流れを殆んどそのまま残しています。


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