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巴波川の遊水池 [栃木市の河川と橋]

今日、久しぶりに巴波川の源流のひとつ、栃木市川原田町の「白地沼」まで歩いて遡って来ました。
「白地沼」はかって「標茅が原(しめじがはら)」という平安時代以来東国の歌枕として、都まで聞こえた名所に位置し、湧水がコンコンと湧いていましたが、現在は全く湧き出る水も無く涸れ沼と化しています。
現在の白地沼.jpg
(現在の白地沼、沼の東側に「標茅が原」の説明板が建てられています)
白地沼(1980年).jpg
(1980年8月に撮影した時の白地沼)
今回歩いて驚いたのですが、この「白地沼」から少し流れた場所に有った「二股沼」が大きく姿を変えようとしているのです。
元々「二股沼」は北側の「白地沼」から流れて来た水と、東側から流れて来た水が合流する場所となります。上記した通り現在「白地沼」は涸れ沼化して殆んど水の流れは見られませんので、この「二股沼」から流れ出ている水の殆んどは東側から流れ込んでいる水と言って良いと思います。
この東側から流れ込む水路の水を遡ると、思川の七ツ石西方に有る「桑原用水堰」から取水していると言う、「桑原用水」にたどり着きます。
この「二股沼」を遊水地とする「遊水地整備工事」が進められているのです。
巴波川第六遊水地造成中.jpg
(二股沼の北側から見た状況、整備工事の看板が立てられています)
桑原用水末流落ち口.jpg
(二股沼の東側から見た状況、桑原用水からの水が流入しています)
巴波川の上流域、栃木環状道路の北側、大町から川原田町に有っては、巴波川も細い灌漑用水路だった為、台風や豪雨時には氾濫する事が多かった様です。特に最近は流域近くに住宅が増え、市街化が進んで来た為、洪水が発生すると家屋への浸水被害も生じる様になっていていました。その為河川を管理する栃木県が「一級河川巴波川 河川改修事業」の一環として「遊水地」の整備を進めて来ている様です。
事業計画は一期区間と二期区間とに分かれて、一期区間は栃木市箱森町北東部から大町北部にかけての巴波川沿いで、既に完了をしていて、下流側から「第一遊水地」、「第二遊水地」、「第三遊水地」が出来ています。
巴波川第一遊水地.jpg
(第1遊水地、北側から撮影)
巴波川第二遊水地下.jpg
(第2遊水地下流側、周囲はフェンスによって囲まれています)
巴波川第二遊水地上.jpg
(第2遊水地上流側、こちらも周囲をフェンスで囲っています)
巴波川第三遊水地.jpg
(第3遊水地、左側の建物は「とちの木病院」、右側が巴波川の河道、中央に越流堤)
現在工事を行っているのは第二期区間、巴波川の最上流域で川原田町、市道114号線(吹上合戦場線)の巴波川に架かる「二股橋」の上流域で東側から流れてくる水路の南側部分が「第6遊水地」、水路の北側部分を「第5遊水地」とする区域の様です。
巴波川第五・第六遊水地造成中.jpg
(手前の橋が「二股橋」、第5・第6遊水地整備工事の真っ最中)
二股橋(2016年3月).jpg
(昨年3月に撮影した「二股橋」、北側に水田が見えます)
この他に「二股橋」の下流側、栃木市営川原田東団地の北北西の位置に、「第4遊水地」が計画されている様ですが、まだ工事は着工されていない様子です。
巴波川第四遊水地予定地.jpg
(第4遊水地の計画地と思われる地点)
これらの河川改修事業が流域の洪水対策となって、安心で安全な生活に寄与していく事になるのでしょう。
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マンホールカードの第6弾が出た [マンホールカード]

12月9日土曜日、マンホールカードの第6弾が配布開始となりました。
少し前の読売新聞栃木版にお隣の佐野市がマンホールカードの発行を計画していると言う記事が載っていたが、今回の第6弾には実現出来なかった様で、栃木県内では下野市の一枚だけと成っていました。
現在、マンホールカードの認知度が徐々に広がり、テレビや新聞で取り上げる機会が多くなって来ています。その為多くの自治体がマンホールカードの発行を希望して、順番待ちの様になっていると言う話も聞こえています。
私のマンホールカード収集の旅も隣接県を完了して、遠方の一枚のカードを収集する為に車を飛ばして一日掛かりで収集する状況に成っていたので、ここで又新たな収集が可能となりました。
さっそく埼玉県羽生市のマンホールカードを貰って来ました。
マンホールカード羽生市.jpg
(第6弾で発行された埼玉県羽生市のマンホールカード、表面と裏面)
第6弾のマンホールカードは12月9日土曜日からで、その中で市役所内の下水道課や流域下水道の施設が配布先として設定している所の多くは、平日しか窓口が開いていない為、休日の収集は観光施設や福利厚生施設の配布場所へ行くことになりますが、この9日・10日の2日間で羽生市へこのカードを貰いに来た人は約200名となっていました。(私が10日の終了間際に駆け込んでアンケートに記入した時の受付番号が199番と成っていたので。)
現在、足利市が配布している2種類のマンホールカードは、どちらも配布が終了となっています。2ヶ所とも配布場所が観光施設の為、収集する側としては非常に便利な条件だからでしょう。ただマンホールカードの良い所は、配布が終了しても又増刷をして配布を再開してくれるところです。なにも焦ることなく一枚一枚貰いに行けば必ず収集する事が出来ます。
マンホールカードの認知度が上がって、収集する人が増えて、無くなるケースも多くなるので、収集に出掛ける直前に配布の有無をインターネットで確認する事にしています。(今まで2回無駄足を踏んでいる経験より)
配布の窓口にては、大体アンケートへの協力をお願いされます。内容としては「どこから来られたか、市内か県内か、県外で有れば何県からか?」「年齢は?」「性別」そして「何で知ったか?」等が一般的ですが、場所によっては、「日帰りなのか宿泊なのか?」や「何枚収集していますか?」と言った設問も有ります。特に驚いたものでは、受け取ったマンホールカードをインターネットオークション等に出さないとの誓約を求める所も有りました。逆に何も無く簡単に「はいどうぞ」と渡してくれる所も有りますが、それも少し物足りなく感じるのは、はるばる遠方から貰いに来たのにという、収集家のエゴなのでしょうか。
ただマンホールカードを貰うという事でその場所を訪れ、そこで新しい情報を得る、周辺を見て歩く、新しい発見が有ります。それが一つのマンホールカード収集の楽しみ方のひとつだと思っています。
これからも、第7弾・第8弾と続々新しいマンホールカードが発行されて来るのを楽しみにしてます。
2017年12月11日時点収集.jpg
(2017年12月11日時点の収集済マンホールカード一覧)
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今日の一枚(栃木市大平町西山田のイルミネーション) [祭]

今日の一枚は、栃木市大平町西山田、太平連山の最高峰晃石山南麓の暗闇の中、色鮮やかな光を発している「栃木市おおひら歴史民俗資料館」前のイルミネーションです。
大平町西山田.jpg
前回は同じ大平町で行われている東武日光線新大平下駅東口前広場の「光と音のページェント」を見て来ました。こちらの西山田のイルミネーションは今回初めての訪問でしたが、期待以上に素晴らしい見ごたえの有るイルミネーションです。
今日は少し小雨が降っていましたが駐車場の車の中からでも見られるのも魅力です。
周辺に光が無く真っ暗闇の中というのも、イルミネーションを一層鮮やかに見せているのかも知れません。
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イルミネーションを見に、栃木・佐野・下野へ。 [祭]

例年、12月の声を聞くと、あちらこちらからと、イルミネーションの点灯式のニュースが伝えられてきます。先日もNHKテレビで下野市「グリムの森」のイルミネーションの様子が放映されていました。この「グリムの森イルミネーション」は今年で第9回を数えると言います。私も2年前に初めて見に行きました。今回は2度目です。
グリムの森3.jpgグリムの森1.jpg
テレビで紹介された直ぐ後のウィークエンドだった所為か、会場には沢山の人が見に来ていました。
グリムの森4.jpgグリムの森2.jpg
混雑している割には、駐車場の誘導も丁寧にされて、安心してゆっくりとイルミネーションで作られたグリム童話の世界を楽しむ事が出来ました。

佐野市のイルミネーション、今年は田沼の道の駅と、佐野駅前の2ヶ所を見て来ました。
「道の駅どまんなかたぬま」のイルミネーションは2013年に初めて見に行ってからは、毎年のように出かけています。駐車場の心配は全く無いですから。
どまんなか田沼2.jpg
どまんなか田沼1.jpg
佐野駅前広場のイルミネーションは今年初めて見に行きました。駐車場の心配が有りましたが、市役所の駐車場に停める事が出来ました。
佐野駅前広場2.jpg
佐野駅前広場1.jpg

栃木市は大平町の東武日光線新大平下駅東口前で、「光と音のページェント2017」として行われています。
大平町3.jpg大平町1.jpg大平町2.jpg
栃木工業高校の生徒達が製作したと言う、自転車のペダルを踏むとLEDにて描いたとち介が点灯するものや、ハンドルを回すとLEDのツリーが点滅するなどの、自分で動かして楽しめる体験型のイルミネーションも設置されています。
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寒さも忘れて楽しんできました。
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永野川に新しい橋が出来ました。「新千塚橋」 [栃木市の河川と橋]

今日、永野川に新しく架けられた「新千塚橋」を渡って来ました。
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(開通した「新千塚橋」)                      (「新千塚橋」のネームプレート)
「広報とちぎ」の12月号に、「新千塚橋の開通を祝うテープカット」の写真が掲載されているのを目にして、既に開通している事を知りました。
「新千塚橋」の架橋工事が進んでいる事はずいぶん前から確認をしていました。
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(2015年11月29日撮影、下部工事中も「新千塚橋」)
国道293号線が永野川を渡る場所に架かる「尻内橋」の下流側で、その下に架かる「千塚橋」とのほぼ中間点辺りに、この新しい橋は架けられています。
目的は永野川の右岸(西側)に、栃木市が新たに造成を進めている「千塚産業団地」へ、永野川の左岸を川とほぼ並行して走る県道33号線(栃木粕尾線・通称鍋山街道)から進入する為の、まさに玄関口となる橋です。
8月22日に進入路から確認した時、既に橋は欄干も付いて完成している様に見えましたが、まだ通行止めの柵が設けられていました。
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(2017年8月22日撮影、まだ通行止めの柵が見える「新千塚橋」)
「広報とちぎ」の記事によると、「新千塚橋」の開通式は「千塚産業団地」の造成工事完成を祝って、10月14日に竣工式と合わせて行われたと、記されていました。
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(「新千塚橋」の欄干、すっきりしたアルミ製か?、親柱は無し。)
親柱がない為「橋名」や「河川名」等の表示も有りません。最近は橋名プレートを埋め込んだり、ボルトで固定したものは直ぐに持ち去られてしまうので、表示しないのも仕方ないですが、何故か悲しいです。私としては石やコンクリート製の親柱を立てて、そこに「橋名」などを陰刻すれば取られずに済むと思っているのですが。これは橋好きの私の思いに過ぎませんが。

「新千塚橋」を渡ると、永野川の右岸には西側の山麓までの間、広い造成地が目に飛び込んできました。今はまだ建物は一つも建てられていませんが、数年後には多くの会社が進出して、この「新千塚橋」を多くの車両が行き来する事に成るのでしょう。
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(「新千塚橋」の橋上から永野川上流方向を望むと、三峰山(鍋山)の姿が見えました。)
造成地の中に整備された道路を走っていると、広い造成地の中ほどに、大きな木が残って立っています。その木の下に白い石の鳥居が一つ見えます。以前からこの地に祀られていた神社が、移動される事無く「千塚産業団地」内に公園地として残された様です。
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(造成地内に昔のまま残された神社)
鳥居に掲げられた石製の神額には「雷電神社」の文字が刻まれています。祠の横には青面金剛像を陽刻した石仏や「大塚邑」の地名の有る「庚申塔」などが祀られています。
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(雷電神社の神額)          (神社の祠の横に祀られている庚申塔)
この産業団地の建物はきっとこの雷電神社に守られ、雷の被害に遭う事は無いと信じます。
新しい橋が一つ架けられることにより、新しい風景がそこに造られていきます。
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塩谷崎灯台 いわき市マンホールカード [マンホールカード]

今日、福島県いわき市のマンホールカードをゲットしました。
マンホール蓋のデザインは、太平洋に面した塩谷岬の崖の上に建つ白亜の灯台、そしてその前で乱舞する多くのカモメ達。カモメはいわき市の鳥に指定されています。崖の上に描かれている木は、いわき市の木「くろまつ」とのこと。
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(いわき市のマンホールカード)    (カードを配布している「いわき・ら・ら・ミュウ」)
カードを配布している小名浜港の「いわき市観光物産センター いわき・ら・ら・ミュウ」でカードを貰い、港の見えるレストランで遅い昼食を食べた後物産店を見て廻る。
買い物をした後マンホールカードに描かれている塩谷崎灯台へ向かう。
車のナビ画面を見ると途中の道路に何カ所も通行止めのマークが付いている。2011年3月11日に発生した「東日本大震災」で海岸線一帯が甚大な被害を被ったものが今もまだ復旧の中に有る事が分かる。
しかし、塩谷崎灯台へ導く表示がしっかりされていて、工事中の道路を抜けながらも目的地に着くことが出来た。
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(塩谷崎岬の上に建つ白亜の灯台)
駐車場に車を停め灯台へ向かう、入口の表示を見ると閉館時間が迫っている。ここまで来たからには是非灯台に昇って太平洋を望みたい。
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(灯台への入口、「灯台まであと約190m」との案内も出ている)
必死に灯台への階段を走って登る。何とか受付窓口をパスして灯台へ。
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(塩谷崎灯台の参観受付所)
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(灯台入口の上に取り付けられたプレート、明治32年12月15日初点灯と有る)
灯台の螺旋階段を上がる。これが意外と厳しい、中々上に出ない。息を切りつつ何とか階段の上に、360度の眺望が開ける。水平線が広がる。穏やかな海が広がっています。大きなタンカーか?ゆっくりと航行している。
北の海岸線に目を向けると、真新しい道路が北に曲線を描いて伸びる。そしてその道路を守るための長い堤防が砂浜と道路の間に造られています。まだまだ復興工事は続いています。
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(北方向に広がる海岸線、いまだ復興中の様子を垣間見る)
西の空は茜色に染まり始めています。もう閉館時間です。
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(青い空が西の端から色を変えて来ています。もう直ぐ陽が沈みます)
灯台を後にして駐車場に戻ります。駐車場付近に幾つかの記念碑が建てられていました。
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(登り口に建つ記念碑、「喜びも悲しみも幾歳月」の歌詞が刻まれている)
記念碑の台座の説明文によると、≪この記念碑は 海を守る燈台守の妻として幾多の苦難の道を乗り越えた田中きよさん(小名浜在住)の手記が昭和31年の婦人雑誌に載った「海を守る夫と共に20年」に心うたれた木下恵介監督により「喜びも悲しみも幾歳月」と題して映画化されたものを記念して建てられたものです≫と記されています。もちろん私もこの映画を見ていますし、碑に刻された歌詞を自然とメロディーにのせて歌っていました。
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(雲雀乃苑と呼ばれる灯台の見える場所に立つ記念碑)
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(碑面には美空ひばりさんの歌「みだれ髪」の3番の歌詞が刻まれています)
昭和の歌姫、美空ひばりさんは私が育った時代の代表的な歌手でした。私も多くのひばりさんの歌を良く口ずさんできました。若かりし頃のひばりさんの映画も良く見に行きました。
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(美空ひばりさんの遺影の碑の前に立つと、ひばりさんが歌う「みだれ髪」の曲が流れる)
ひばりさんの遺影の前で聞く、ひばりさんの歌声。大病を患った後の復帰第一作となった「みだれ髪」。我が郷土「栃木」の大作曲家「船村徹」さんのメロディー、星野哲郎さんの作詞と言う素晴らしい作品。
既に太陽も西の山に隠れ塩谷崎岬も今、色を失っていきます。岬の上に建つ白亜の灯台の上に三日月が姿を見せ始めていました。
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(塩谷崎灯台の上には、三日月が顔を出していました)
今日も色々な思いに浸った一日となりました。帰りの車の中何故か繰り返し「みだれ髪」を口ずさんでいました。
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今日の1枚(旧日光例幣使道の一点景、栃木市西方町) [石碑]

栃木市の市街地中央を縦貫する、旧日光例幣使道を北に向かう。合戦場宿から升塚を過ぎると街道沿いの家並みも途切れてくる。現在の街道筋は更に真直ぐ北上して家中の街中を抜けているが、元の例幣使道は升塚から家中に入った後、家中下新田の旧道沿いに祀られている「後生車地蔵堂」の前を過ぎ、更に現在の街道筋を横切る形で、そのまま北北西方向に直進、東武日光線の線路を越え、現在の家中の集落の西側を迂回するようにして北上、橋本で少し向きを東に変え、北北東へ進んで行き、橋本の北で現在の街道筋に戻り、北関東自動車道の下を潜って、上新田の集落を抜け西方町へと入って行く。
西方町金井弥八内辺りに来ると、東側を流れる思川に阻まれる形で、少し西に向きを変え、思川の右岸に並行して北北西方向へ。
暫らく進むと西方町金井の和久井集落に入る。街道を細い水路が東側から西側へと流れている。その水路の手前、街道の右脇に石の鳥居が一つ建てられている。石製の神額には「琴平神社」と刻されている。境内に入ると境内の北側に先ほどの細い水路を背に三基の石造りの信仰碑が並んで建っている。
今日の一枚はこの三基の信仰碑が建つ秋の農村の風景です。
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写真左から「庚申塔」「勝善神」「白雲山」と刻されているのが読める。
「庚申塔」は栃木市内でも多く見られる信仰碑です。中央の「勝善神」の碑は調べてみると、馬の安全や健康を祈ったり、死馬の冥福を祈って建てられる「馬頭観音」碑とは異なり、馬の産地において名馬の誕生を祈願する信仰碑と有ります。ただこの石碑は昭和十二年十月の建立、上部に「日支事變徴馬」と有り、この年の7月7日の盧溝橋事件に始まった日中戦争に徴用された馬の安全や健康を祈って建てられたものではないかと思われます。右側の背の高い「白雲山」と刻された信仰碑は文化14年(1817)2月吉日と有り、今から200年前の建立。
西方町史の中にこの「白雲塔」に関する解説が記されています。
≪白雲塔は鹿沼市周辺に40基近く見られる石造物(信仰碑)である。上毛三山のひとつ、妙義山に対する信仰と見られ、和久井の琴平神社に「村講中」の文化14年(1817)をはじめとして、町域に都合5基建立された。≫と、そして≪妙義山は、白雲山・金洞山・金鶏山の三峰に分かれ、北峰の白雲山に妙義大権現が祀られ、近世中期以降、妙義講は関東や甲州・信濃・美濃などに結成された、火伏せ・嵐除け・虫除け、あるいは雨乞いの神として崇敬された。町域では雹除けの祈願と思われる。麻作の初期管理でもっとも心配なのは、強い風雨に伴う雹害であった。丹精込めて育てた麻が、短時間で吹き倒される恐れが有ったからである。≫と。「白雲山」信仰はこの地域の重要な産業であった、麻の栽培から起こった独特な信仰碑である。
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東宇津間川(栃木市)の水路を求めて [栃木市の河川と橋]

栃木郷土史の中に安永七年(1778)三月 下野国都賀郡平柳村 星宮大明神之神主 林和泉守源宣安と記された古文書の内容を紹介して、≪東宇津間川も巴波川も水源地は河原田であって「しらじ沼」より発し、東宇津間川は合戦場南方二ツ橋下より田中坪を経て星宮神社を廻り、杢冷川に合流している。≫と記されています。
東武日光線合戦場駅の北西部、川原田町の北東部「白地沼」にその水源のひとつを持つ、巴波川は白地沼から南流すると、その左岸に合戦場方面より流れて来た桑原用水から分かれて来た流れのひとつが合わさり二股沼を形成します。さらにそこから南流した巴波川は「市営川原田東団地」の東側を迂回するように流れ、前野の南側で川原田地内から分かれ、大町へと流れ込みます。
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(大町の最北部に造られた分流水門。現在は写真の右側を巴波川本流が流れています)
大町北部に入った巴波川はここで二つの流れに分かれています。南西方向への流れは粟野街道に向かい、新高瀬橋を潜った後粟野街道に沿って南流、栃木環状線の蟹田橋の下を抜けて栃木の市街地へと流れる巴波川本流となります。
一方分岐を南東方向に進む水路は鹿沼街道の二ツ橋の下を抜け、平柳町一丁目へと流れ込みます。
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(分岐水門左側から南東方向への水路) (鹿沼街道に架かる「二ツ橋」の下を流れる)
平柳町一丁目の中央部を縦貫するように一直線に南流、栃木環状線を抜けかつてゴルフ練習場が有った場所から変わった住宅地の西側に沿って南流しています。その南側で平柳町の星宮神社境内の西側に沿って流れ
星宮神社1.jpg星宮神社2.jpg
(星宮神社境内入口左側に細い水路が認められる)(水路脇に建つ「花崗石橋寄付人標」)
その後再び南流をし、新栃木停車場線を抜け住宅街の中を平柳町一丁目の南端へ向かいます。
東宇津間川2.jpg東宇津間川3.jpg
(星宮神社南方住宅街を真直ぐ南流する水路が確認出来ます)
泉町との境界となる道路に沿って東に向きを変え、日ノ出町交差点にて宇都宮街道の下を潜って日ノ出町へと流れ込みます。
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(平柳町一丁目と泉町との境界となる道路沿いを暗渠となって日ノ出町交差点方向へ)
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(日ノ出町の住宅地内を暗渠となって流れる)
町制50年を記念して昭和62年3月31日付にて発行された「日ノ出町史」によると、宇都宮街道と小金井街道とに挟まった場所は、昔は湿地帯で湧水による沼地が幾つも有ったことが記されています。この辺りにも「浅沼」や「深沼」と呼ばれた二つの沼が有ったが、今はどちらも埋め立てられてしまったそうです。私が現地を確認して歩いていた時、居合わせた地元の老人も、この辺りに二つ沼が有った話をしてくれました。
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(浅沼を埋め立てた跡と思われる児童公園が住宅街の中に残っています。)
その後、小金井街道北側に有る杢冷川の水源となる用水堀に合わさって行きます。
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(小金井街道北側に残るプールの様に整備された用水堀)
先の「日ノ出町史」に依ればこの所にも「丸沼」「中沼」「足袋沼」という三つの沼が有ったと記されています。現在は用水堀には地下水が汲み上げられて、綺麗な水が貯えられ、大きな鯉が何匹も遊泳しています。

又、小金井街道の南側、現在日ノ出町公民館が建つ場所にも、「三角沼」と呼ばれた沼が有ったと記されています。

こうして巴波川から分かれ、大町北側から平柳町一丁目、日ノ出町と辿って来たこの水路の流れが、先の古文書に記された流れに合致していることから、この巴波川からの分流こそが、東宇津間川であると思われます。
勿論流路は時代の変化に伴い多少変化をしています。特に平柳町一丁目の流域は、昭和4年4月の東武日光線開通もあり、東側の東武日光線の線路と西側日光例幣使街道との間に挟まった地域は昭和の初めに大きく姿を変えています。
大町大杉神社境内南東隅に大きな石碑が建てられています。
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(栃木市大宮村耕地整理記念碑)  (碑陰には「紀要」が刻されています)
この石碑の碑陰に刻された「紀要」を読むと、大正15年1月工事着手、昭和7年3月工事完了と記されています。万町交番の所から北に抜ける、「北関門道路」もこの時に完成開通をしています。

開発に伴い流れを変え、暗渠となって私達の視界や記憶から消えて行こうとしていますが、かって平柳村や大杉新田等の水田を潤した東宇津間川の水路は今も雨水や生活排水などを受け入れてます。


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マンホールカード、又、一枚ゲット出来ず。 [マンホールカード]

この三連休の初日、久々に天候に恵まれたので、マンホールカード収集のドライブに出かけました。今回の目標は第5弾にて発行された福島県、「二本松市」と「桑尾(こおり)町」の2枚です。
栃木から東北自動車道を走らせて、最初の目的地「福島県二本松市」へ。二本松駅前の駐車場に車を停めて、配布場所となっている近くの「市民交流センター」へ。
「ほんとの空」の像.jpg二本松駅前親水公園.jpg
(二本松駅前近くに建つ「ほんとの空」像)(駅の北側を流れる「六角川」親水公園)
ところが配布所窓口の手前に「マンホールカードは配布を終了しました。」の掲示がされていました。
以前にも埼玉県越谷市のマンホールカードを貰いに行った時、配布窓口で「配布は終了しました。」と告げられました。家に戻ってから「GKP」ホームページを確認すると確かに「配布終了」と朱文字で記されていました。(その後、配布が再開されてたとの掲示がインターネット「GKP」のホームページに出たのを確認、再度出かけて無事入手済です。)
その後は、朝出かける前に必ず「GKP」ホームページで「配布終了」に成っていないか確認する様にしてきました。今回の二本松市の場合は「配布終了」では無く、「残少」となっていましたので、もしかしたら一足違いで「配布が終了に成るかも知れない」との心配も有りましたが、まさか本当に「配布終了」に成っているとは。
二本松市1.jpg二本松市2.jpg二本松市3.jpg
(駅前周辺で見つけた二本松市のマンホール蓋、カラーマンホールは次の機会に)
悔やんでも仕方ないので、気を取り直して次の「桑折町」へ向かいました。
桑折町のマンホールカードは無事にゲットする事が出来ました。
桑折町マンホールカード.jpg桑折町(カラー).jpg桑折町1.jpg
(桑折町のマンホールカード)(配布場所前に設置されたカラーマンホール)(通常の蓋)
マンホール蓋のデザインとなった「旧伊達郡役所」、建築されたのは明治16年(1883)10月との事。現在は重要文化財に指定されている擬洋風建築です。この建物を見られただけでも、今回は十分に成果が有りました。
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(重要文化財、旧伊達郡役所)
連休明けの今日、「GKP」のホームページをチェックしてみました。二本松市のマンホールカードは「配布を終了しました」に更新されていました。
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久しぶりの太平山(栃木市) [歩く]

今日、ほんと久しぶりに太平山(おおひらさん)を歩いて来ました。最近は平らな所を歩くのは、それほど苦に成っていないウォーキングですが、登り坂はかなり負荷が掛かるのか、直ぐに息が切れてしまいます。
今回は、車で太平山神社表参道を、六角堂前の駐車場まで登り、そこをスタート点として太平山神社拝殿前まで表参道を登りました。
駐車場から六角堂まで距離として100メートル足らず、比高は僅か15メートル、ここで早くも自分の体が重く感じて来ます。先が思いやられます。
表参道1.jpg
(太平山神社表参道、あじさい坂登り口。赤い幟は連祥院六角堂)
太平山神社拝殿前の標高は約260メートル、駐車場は約100メートルですから、比高は約160メートルです。登り始めの通称「あじさい坂」は自然石を敷き詰めた路面で、足を置く場所に注意しつつ坂を登ります。
表参道2.jpg
(6月中旬から7月上旬にかけて参道の両側はアジサイの花で溢れる)
あじさい坂を半分以上来た辺りで、これまでは道路から少し奥に入った場所に有った、田村律之助の台座に載った胸像が道路脇移動して建てられていました。
この田村律之助の胸像については、このブログの2015年11月19日に紹介をしています。
そこから少し登ると青銅製の大きな鳥居の前に出ます。太平山神社の表参道には幾つかの鳥居が建てられておりますが、大きなものとしては永野川の二杉橋を渡った西の橋詰に参道を跨ぐ様に建つ大きな鳥居が、神社の「一の鳥居」と言えるか、そしてこの鳥居が「二の鳥居」となるのでしょうか。「神額」の文字は「太平宮」です。
田村律之助胸像.jpg太平山神社二の鳥居.jpg
(田村律之助胸像)         (参道の中腹に建つ青銅製の鳥居)
鳥居の右側を迂回する参道を進むと驚きです、鳥居の裏手の位置に有った朱塗りの「神橋」の姿が無くなっているのです。恐らく2015年9月10日に発生した豪雨の被害で「神橋」も破損してしまったのでしょう。傍らに今もその残骸が残っていました。あの時の豪雨の影響でこの「あじさい坂」も大きな被害を受けて一時通れなくなっていましたが、「神橋」も被害を受けていたとは知りませんでした。この朱塗りの「神橋」も太平山神社表参道のひとつのシンボルでした。少しでも早く復旧して、再びその優雅な姿を見せて欲しいと思います。
神橋跡.jpg神橋(1981年).jpg
(神橋は2年前の豪雨被害により姿を消した) (1981年に撮影した朱色鮮やかな神橋)
神橋の上の水屋では、パイプから勢いよく水が吹き出し、「太平山」と大きく刻した盥漱石から溢れ出しています。ここまで「あじさい坂」を登って来ましたが、坂道の脇を勢いよく音を発てて流れ落ちていた水は、ここから流れ出していた様です。参道はこの先のご神木を回り込む様に続いています。
手水舎1.jpgご神木.jpg
(御水屋の盥漱石から水が溢れる)         (天を突く様にそびえ立つご神木)
ご神木を回り込んだ右手の石垣の前に、「水戸天狗党太平山本陣跡」の案内が建てられています。この角を曲がった先から、太平山神社本殿前に続く本格的な石の階段が現れます。この一直線に登る石段、途中休み休み息を整えながらい、一段一段足を運んでいきます。水戸天狗党太平山滞陣跡1.jpg表参道3.jpg
(水戸天狗党太平山本陣跡)   (太平山神社本殿前まで一直線に続く石段)
石段の途中で、自動車が通行する遊覧道路を渡り、その先に建つ朱塗りの隨神門を潜ります。
随神門.jpg
(遊覧道路と表参道との交差部に建つ隨神門)
門を潜ると再び目の前に石段が上へと続いています。ここもただ一歩一歩、重い体を上に運びます。本殿前から一段下がった場所に、又、大きな青銅製の鳥居が有ります。私的にはこの鳥居が「三の鳥居」だと思っています。太平山神社のホームページに掲載されている境内案内にはそのような事は記されていませんから、これは私の私的な思いです。なお、この鳥居の神額の文字は「三光神社」となっています。
表参道4.jpg三光神社神額.jpg
(隨神門の先に続く石段、その先に本殿が覗く) (三光とは日・月・星のことです)
石段をやっとの思いで登りきると、目の前に太平山神社の拝殿が現れます。まずはお参りを済ませます。
太平山神社拝殿.jpg
(太平山神社拝殿)
神社の境内を少し散策、東側の見晴台から栃木市の町並みを眺め、我家の場所を確認します。
太平山神社境内.jpg
(境内社のうち手前の星宮神社の建物は、明治以前の神仏混合の名残りです。)
神社境内から謙信平の方向に移動します。謙信平にはまだ陽射しが残って、一部色付き始めた紅葉が迎えてくれます。
謙信平の紅葉.jpg
(謙信平では一部紅葉が始まっていました)
謙信平の先の駐車場からは太平山の南側が開けて、遠く東京方面まで展望出来ますが、今日は霞んで良く見えませんでした。
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(中ほどに見える流れは「永野川」、新しく立て替えられた大平中学校や磯山も望めます)
謙信平からの展望1.jpg
少し南西方向には太平山から続く岩船山、その奥には三毳山が望めます)
下りは「少年自然の家」から「つつじ園」の方向に歩きました。
つつじ園を下る.jpgつつじ園を下る2.jpg
(つつじ園の有る下り道)
途中、木々の合間から北東方向、錦着山周辺に光が射してハッキリと確認出来る様になりました。遠く地平線に見える建物は、壬生町羽生田に新しく現れた「ファナック」の工場の様です。
つつじ園からの展望.jpg
(つつじ園途中の木の間から見えた展望)
時折登り降りする自動車に注意して、六角堂前の駐車場に戻って来ました。出発してから丁度一時間のウォーキングでした。最初の20分間はひたすら登りで苦しかったですが、神社にお参りしたり、展望や紅葉などを楽しみながら歩く事が出来ました。本日の総歩数は6,501歩でした。
太平山案内図.jpg
(六角堂前駐車場に建つ、「太平山案内図」です。)
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